スイス モントルー ・ ジュネーブ

 

 

7月6日(水) モントルー Montreux

シャトーデー Château-d'Oex → モントルー Montreux (鉄道)
モントルー散策 Montreux City
モントルー Montreux → ジュネーブ Genève (鉄道)

 

 

シャトーデーの昼下がり、どんより曇りのあいにくな天気である。

昨日中に、山岳地の峠越えを

行動に移しておいて良かったと胸をなで下ろす。

がしかし、強行行軍が祟り

つま先からふくらはぎ、両股まで足全体が猛烈に痛い!!

片チンバひいて(差別用語?)歩くことすらままならず

冗談抜きにこれからの旅程に大きな不安を覚える。

痛みをこらえ、ぎこちない怪しい足取りで、YHを後にした。

 

シャトーデーは駅横からゴンドラが発着しており

冬は村全体がスキー場となっているようす。

そのゲレンデシーズン用のソリ競争が描かれた案内板があった。

アニメ「わたしのアンネット」でのソリによる雪上競争は

確かにこの地の冬の風物なのだろう。

 

YHから駅へと向う途中に、スーパーCOOPが店を構えている。

店内のDVDコーナーを覗いたところ

ディズニーやピングーといった洋モノに混在し

キャプテン翼やみつばちマーヤといったジャパニメーションが幅をきかせていた。

 

スイスドイツ語圏の都市よりも

フランス語圏の方が圧倒的に

アニメーションDVDの品揃えが豊富だ。

名実共に全世界に誇る日本アニメの代表作

我らが「アルプスの少女ハイジ」のBOXを発見!!

 

パッケージは、アニメハイジの物語から脈々と現在進行形で続いている世界観をモチーフとした

イラストレター龍野氏の作品を利用している。

HEIDI Page: (http://www.asahi-net.or.jp/~zz4h-ttn/HeidiPage/)

マニアックな名作アニメ「くまの子ジャッキー」のBOXも販売されているが、フランスでは人気作品だったのであろうか?

 

シャトーデー駅から

リゾート都市モントルーへと

今朝早く来た鉄路を戻っていく。

 

山岳地帯を越え

レマン湖を見下ろしながら列車は進む。

車窓の外は雨模様の湖、シトシト滲む肌寒い日和だ。

 

*          *          *

 

「わたしのアンネット」に登場した

ホテルモントルー

駅や観光案内所で調べたものの

地名そのものを取って付けただけの

該当物件は見当らない。

街中の湖岸に位置する高級ホテルとなると

モントルーパレス Montreux Palace が代表格。

吹雪のなか峠を越えたルシエンは、スキーでここら辺りまで下りてきて倒れ込んだのだろう。

 

降り続く雨を避け

大勢の人が、

大きな屋根の下でたむろしている。

雀までもが集まって、雨宿りしていた。

 

足が凄く痛むので、あちこち散策したいものの歩行が困難だ。

しばし座り込み休憩をとりながら、気を取り直し傘を差して湖岸の遊歩道をゆっくり歩いていくことにする。

 

世界に名だたる高級リゾートであるモントルー

エレガントなホテルやカジノなどが建ち並んでいる。

 

水辺はあまり人の往来もないようす

泳ぐには、気温も水温も低そうな気がするが

水着ギャルは健在だ

スイスの短い夏、リゾート地で思う存分楽しもうという心構えは立派。

 

フランスとイタリアを結ぶ旧街道。

湖と山々に挟まれた

この地を通過する物品に

税を課すための関所として

建造されたシヨン城。

 

湖に突き出した岩の上に建つ

この城は、バイロンの叙情詩に詠われた観光名所である。

足を引きずりながら、市内バスに乗りここまで辿り着いた。

 

アニメ「ペリーヌ物語」で

ペリーヌ母子がスイスを通過する際に

写真商売をした湖畔の別荘地。

そこに立ち寄った時に

湖上に浮かんでいる城が描かれていたが

このシヨン城を参考イメージとしたのだろう。

 

城内は、天守から地下壕へと、廊下や階段が折り重なった

迷路状の複雑な作りである。

 

兵士部屋の数々に

武器庫、貯蔵庫、牢獄などが

奇々怪々に配置され結構楽しめる古城だ。

 

しかし、弱音を吐いてしまうが、やはり足が痛む

階段の上り下りが辛いので

必要最小限の見学に留めることにした。

 

*          *          *

 

モントルー・ジャズフェスティバル

40年近く前に避暑リゾートの

更なる活性化を計るために開催されて以降

数々の有名ミュージシャンによる

ライブ盤の秀作が生まれ

音楽フェスの先駆としての名声を誇り

ジャズ演奏者最高峰の舞台となっている、世界的イヴェント。

 

毎年7月の期間中、会場となっている湖岸の公園には、

露天商が並び、大道芸人や逆バンジーまで人寄せの商売が目白押しである。

 

小雨も止んで、人通りも多くなり

縁日のようで、まさにお祭騒ぎだ。

 

しかし、何故だか?

この会場内での使用通貨は

 

スイスフラン CHF から ジャズ Jazz(専用通貨) に換金しろというではないか!

しかも、一般人はJazz から CHF に交換できそうもなく?

当面必要とする額だけをチェンジしなければならない。

 

各店ではJazz貨が、かなり徹底されている。確かに現金は受け付けてくれない。

会場内での益金をピンハネさせないために、各テナント向けには打歩(プレミア付)で交換されているのだろうか?

 

インド人の露天商が作っているキーマーカレーが食べたくなったので

面倒なこと極まりないが店で値段を調べてから両替所で換金をした。

久しぶりに米を食べた、タイ米でパサパサしていているとはいえ、美味い!

タイ米は、こういうエスニックな料理にはむしろイケル!

ただし、ヨーグルトを飯にのせるのは、やはりNGだ。

 

ジャズフェスは、メイン会場のホールや有名ホテルで大物ミュージシャンのコンサートが興行され

39回となる2005年は、B.B.キング、ジョージ・ベンソンといった大御所が目玉となっているようだ。

あちこちでダフ屋らしい、おっさんから声をかけられるが、

高い銭を払い、ホールでジャズを鑑賞するつもりは毛頭ない。

 

むしろ、公園の芝生の上に設置された野外会場でのライブコンサートを、

生ビール片手にブラブラしながら聴いて廻るのが小粋で、音楽祭ならではの趣がある。

 

バークリーハイスクール音楽院、の演奏をしばし聴いてみた。

スタンダードなナンバーというわけではなく?

聴いたことのあるような曲はなかったが

各パートのアドリブを交えながらの

ジャズパフォーマンスが雰囲気をつくってくれる。

 

メンバーの中には日本人の少年が一人いて、後方で誇らしげにトランペットを吹いている姿が印象的だった。

 

その後、フランス語を話す

ボブマーリーっぽい風貌のアフリカ系ミュージシャンが、レゲエ音楽を始めた。

ジャズフェスとはいいつつも、R&B、ボサノバ、サンバ、レゲエ、ロック、ポップス、・・・

垣根無く何でもありのワールドミュージック祭り、と化しているのが

近年のモントルージャズフェスティバルの傾向であるらしい。

 

フォービートのジャズらしいリズムを求め、彷徨っていると、

Central Washington University の正当派なビックバンド演奏が聞こえてきた。

演奏者達の舞台前で、子供が二人リズムに乗ってスウィングしている。

ずいぶんとお気楽な雰囲気であるが、

大学生バンドの一糸乱れぬアンサンブルは見事!

 

ジャズフェスティバル

期間中のモントルーの宿は

宿泊料金が高沸しているらしい。

ユースホステルも立地しているが

混み合っていることが予想されるので

ジュネーブに移動し宿を探すことにする。

 

*          *          *

 

列車でレマン湖の湖畔を走ること小一時間、スイスの西端ジュネーブに到着。

早速、市バスに乗りYHへと向ったのだが・・・

 

さすがは、国境のコスモポリタンシティ、ジュネーブ

旅人の往来が多いのか、YHに空きベットは無かった。

 

考えてみれば、7月は第2週の水曜日

今まではオフシーズンだと侮っていたが、

欧州各国は既にバカンスモードとなっているのだろう。

YHのカウンターで近くにある安宿を紹介してもらったのだが、そこもやはり満室。

 

痛みがひどく、自由の効かない重たい足取りで湖畔に出る。

空港方面の安ホテルを紹介してもらったものの、歩く気力が沸いてこない。

ジュネーブ港名物、140mの大噴水がライトアップされているのを眺めながらしばしたたずむ。

 

雨は上がっているものの、湖へ吹く風が肌寒い。

駅へと移動し、ホームの待合室で一晩休むことにした。

 

ジュネーブ駅泊:Gare de Cornavin

 

 


 

 

7月7日(木) ジュネーブ Genève チューリヒ Zürich

ジュネーブ Genève → マルティニ Martigny → ジュネーブ Genève (鉄道)
ジュネーブ散策 Genève City
ジュネーブ Genève → チューリヒ Zürich (鉄道)
チューリヒ散策 Zürich City
チューリヒ Zürich → クール Chur (鉄道)

 

 

未明、ジュネーブ駅ホームの待合室で横になっていたところ

駅員に起こされた。

仕方ないので、始発列車に乗りしばし居眠りすることにする。

 

ウトウトしていたところ列車はレマン湖を通り越し

ローヌ川沿いの要所マルティ二に着く。

この駅からは、山岳部のフランス国境を越えモンブランへと至る鉄道が発着している。

早朝で時間はあるので、モンブランの山麓を観光してもよいかと考えたが、あいにく足の痛みがまだとれない。

 

ジュネーブへと引き返し、列車内で再度一寝入りした。

そしてジュネーブに着いて

駅前から市電に乗り市街地を適当に彷徨ってみることにする。

 

フランス国境は、ジュネーブ市街の5〜10kmほどの周囲を

レマン湖水上を除いて、ほぼ一周取り囲むように接している。

ペリーヌ物語で、ペリーヌ母子がジュネーブを目指しながらも道を間違え、

何時のまにやらフランスに迷い込んでしまったのは、結構理にかなった話である。

 

ここは、仏経済圏の一大都市といっても過言ではない。

空港の滑走路はフランス側にあり

都市で働く多くの人々も

近郊の仏領から通勤しているフランス人なのだそうだ。

 

観光や商売で各国を往き来する人々で溢れ、貴金属商・金融が栄えた商業都市。

国連ヨーロッパ本部や国際赤十字、世界保健機関(WHO)、国際労働機関(ILO)といった国際機関が集結し、

カルヴァンの宗教改革以来、世界から革新的思想を持った人々の集まる、歴史的なコスモポリタンシティである。

 

ジュネーブは、世界中から金の集まる金融国家スイスの玄関口

この富める都市からは、人間社会の実態

そのルールに則った巧拙の法則を

見習えるのではなかろうか。

 

経済観念と人間性、富と幸せの相関関係とは・・・

解ったような表現はできないが・・・

勝ち負けの組み分けゲームを闇雲に続け、

濡れ手に粟の利得で、庶民の汗水が泡のように消えゆく経済大国

 

そんなヴァーチャルな利得とは

尺度も土俵も違なる

みせかけではない人間と社会の分析力

意味のない金の力から解放された世界での意識に

目覚めたいものだ。

 

路上の先から、なんともいえない旋律が耳に入ってくる。

メルヘンなのか哀愁なのか、情緒に染みこんでくる懐かしい音色!

フランクフルトの路地裏でハイジが出逢った、亀を携えた少年の商売道具、

「母をたずねて三千里」の舞台、港町ジェノバの裏町で

人形劇団ペッピーノ一座が奏でていた、あの手回しオルガンである。

 

ヨーロッパの街角では、

よく見掛ける実演パフォーマンスらしいのだが、

ここジュネーブの路上にて

やっと出会した。

 

やはりジュネーブは、人の集まる大都市である。

スーパーMIGROSの品揃えも豊富だ! ハイジヨーグルト全種をしっかり在庫している。

 

港に出て高圧噴水を拝み

そんなジュネーブを後にすることにした。

毎時運行している最新鋭の特急列車に乗り

2時間40分、チューリッヒへと移動する。

 

*          *          *

 

ジュネーブがスイス仏語圏の玄関口であるなら、

ローザンヌは応接間、そしてモントルーが客室部屋。

 

そして独語圏では、バーゼルが表玄関で

チューリッヒが御座敷

スイスの顔であるハイジの里、HEIDI LAND は奥座敷

などと、例えをしながら、チューリッヒ中央駅のホームの観光看板を眺める。

 

チューリッヒの駅前から

往き交う路面電車に乗って、市街地をなんとなく彷徨いてみる。

 

路上で、黄色い百合を売っている

花を買い、スピリの眠る墓地へと詣でることにした。

 

私事のスイス紀行文を、

ここまで読んで下さった、皆様への特ダネ情報。

 

*チューリッヒ中央墓地A  Friedhof Sihlfeld A in Zurich への行き方*

中央駅 Hauptbahnhof 正面口から

Triemli 往き「14番トラム」に乗り、Schmiede Wiedikon で下車

トラム降車場の先の十字路に交差する通りに

「市バス33系統」のバス停あり、Friedhof Sihfeld まで乗車する。

チューリッヒ中央墓地Aの正門を入り

左手の突き当たりが、学校との敷地を隔てる仕切で

その壁伝いに墓地の奥へと歩いていけば、

その並びにスピリ一家の眠る墓所あり。

 

今回、この地に訪れたのは、

遙か極東の日出ずる列島から、海を越え山を越えやって来たのは、

ハイジという作品が、世に生み出されたからである。

 

折しも7月7日はスピリの命日、気付かずに訪れてしまいながらも

心の中でハイジに出逢えた感謝の意を唱え、そして静かにチューリッヒ中央墓地を立ち去った。

 

 

今日一日、なるべく無理せず歩かずに交通機関を最大限利用し

ジュネーブ&チューリッヒのスイス二大都市をブラブラしていたところ

だいぶ、足の痛みが引いてきた(慣れてきた)。

スポーツ選手で三十半ばといえば、

峠を過ぎて引退を考えなければいけない年頃だろう。

 

しかし、あれだけ身体を酷使しても中二日で復帰するとは、自分はまだまだ若いのだと妙な自信を持ってしまった。

 

スイスパスは便利だ。

なりふり構わずに市電に乗り放題であるし、交通費を気にすることなく駅を選ばずに宿泊地を決められる。

スイス最終夜は、居心地の良い屋根裏部屋のあり、朝飯のうまいクールの安宿を、寝床とすることにする。

 

クール泊: Hotel Drei Konige (http://www.dreikoenige.ch/)

 

 

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