工藤の部屋

私の部屋へようこそ!

不定期ですが、私の日常などを発信してまいります。時々訪ねて頂ければと思います。



4月29日
玉葱の生育状況
たっぷり入れた堆肥により生育が良すぎるので追肥は要らないと判断した。
が、5月2日、他所の玉葱より葉の色が黄ばんでことに気がついた。
肥料切れが懸念される為、あわてて追肥したが、結果はどうなるか?!

一昨年、生育が良すぎて分球が起こったため、追肥を控えたのだったが、にわか農業は分からないことばかり。


4月27日
山寺立石寺根本中堂御本尊薬師如来御開帳を拝観した。50年に一度の御開帳という事は前回は私が18のとき。生憎の小雨模様、それに寒かった。震えながらも延々と並ぶ行列に加わった。木製の坐像で、目だけが白く塗られた真っ黒い巨体であった。右手を開いて上げ、その指に五色のテープを巻きそれが屋外に伸びていた。左の写真がそれ。奥の院への階段はいつもの静寂に包まれて、冷たい小雨に濡れそぼっていた。芭蕉は約300年前にここを訪れ、あの有名な句を詠じたというが、あのうるさいほどの蝉の鳴く季節が早く来て欲しいと思うほどの今日の寒さである。あの蝉はアブラゼミかニイニイゼミか、論争があったというがその決着はどうなったのだろうか?3.11の地震で、改めて記憶された貞観の大地震(869年)での大勢の死者を慰霊したのもこの立石寺であったとのこと、そのことを聞いて立石寺を身近に感じたのはこの度の震災を経験したことによるのでしょうか。


4月20日(土)
山形市観光協会が主催する「ぶらぽ(ぶらりさんぽ)山形」に参加した。
今日はその今年度第一回で、最上義光の居城・霞城を観桜をかねてその歴史を学ぼうという企画。
最上義光(1546〜1614)は山形藩の初代藩主で、その妹は伊達政宗の生母である。
最上藩は57万石と言われその居城・霞城は現在の皇居にも匹敵する広さのある平城であったとの事。
しかし義光没後8年にしてその内紛から近江に1万石で改易になっている。
その後の山形藩は幕府のいわば天下りポストとなり、長期に藩政を預かった藩主はいない。
そのために現在山形市民には他藩ほどに藩帰属意識が見られない。
現在の山形市街は義光の行った街づくりによるところが大きく、町名にも当時をしのぶものが多くあるが、
近年行われた町名近代化の波に乗りその多くが失われていることは寂しいものがある。



4月17日(水)        
 4月1日に種を蒔いて窓辺で保温した野菜の成長状況。ズキーニが真っ先に芽を出し、成長旺盛。右手前がミニトマト。その他、ナス、万願寺唐辛子、カモミール、が生育中です。例年は市販の苗を買っているのですが、昨年は購入した苗から病気が広がったので、今年は自作を試してみることにしました。

4月15日

あまりの天気に宮城県境にある「ハマグリ山」に登ることにした。
水2.5リッターとおにぎり2個を用意し、登山口へ向かうも、道路は冬季閉鎖。
やむなく柵を乗り越えテクテクと歩くことになったが、日差しは暖かく気持ちの良い汗をかいた。
左がハマグリ山山頂1156m。誰の悪戯かハマグリがたくさん置いてある。
左下の写真は手前からハマグリ山、山形神室、仙台神室となっている。夏は、ハイカーでにぎわうコースだが、今日は全く誰もいない。全山独り占め、大満足でしたが、山頂は風が強く気温は6〜7度かと思われた。
でも山陰の陽だまりは暖かく、鶯も鳴いていた。

下は、イワカガミ。大量の雪の下から開放され、暖かい日差しを一杯に浴びていました。


4月14日

信州に居た時の杏のイメージが忘れられず、長男の家の庭に私が植えた杏。
剪定が下手なせいで、毎年大した実をつけず、もったいないことをしているのだが、今年も花は見事につけました。


4月13日

ジャガイモの植え付け
キタアカリを5kg、ダンシャクを2kg。
切り口を上にしたものと下にしたものを試してみることにした。
例年は下向きにしているが、違いはあるのだろうか、実験。

4月8日

同じく実家の畑
ニンニクの生育状況
30日に追肥して、その効果かそれとも自然の成長か分からないが、先ずは順調の様子。
今年は期待できるかもしれない。

3月30日

同じく実家の庭
梅の木下に、ふきのとうが!
早速採取、の前にパチリ。
春の息吹が口一杯に広がる至福を期待して。    

平成25年3月19日 

私の生まれ育った実家の庭の陽だまりに今年もオオイヌノフグリが咲いていた。実家はもう住む人もなく母屋は解体され、荒れ果てていた庭を私が定年退職後、管理も兼ねて耕して畑にしている。ここは例年雪が多く今年は特に多かったと聞いているので、雪解け状態を確かめに来た次第。