Novel


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管理人の書いた小説を連載するページです。
連載は不定期で、いつ更新されるかわかりません。

*注 ()はふりがなです。


『サクラサキ』


第1章 

 東京から電車を5回も乗りついで、やっとこの町に着いた
夕べは新しい土地へ移り住む不安と期待で、あまり眠れなかった。
長い間、電車に乗ってきた疲労と昨夜の睡眠不足がたたって、森谷駅に着いた時には、私の体はすでに疲れきって
いた。だから私は駅の待合室で、少しだけ仮眠をとることにした。
古くて薄汚れた駅なのに、後から待合室だけ作りたしたのか、そこだけは奇麗にしてあった。
そこには、白いプラスチック製の椅子が、3脚ほど置いてあるだけだったが、私の体を休めるには十分だった。
ここで寝ておかないと、私の精神も身体ももたないだろう。
私はこれから、祖母の家に下宿することになっていた。祖母とは、祖父のお葬式の時に、1度会ったきりだった。
だから、祖母については、小柄で、まだ「おばあちゃん」と呼ぶには早すぎる歳の女(ひと)としか知らなかった。
私の父と祖母は、血がつながっていなかったせいもあってか、仲が悪かった。
父から祖母の話を聞いたことはほとんどないし、あったとしても祖母を敬うことは決してなかった。
それは父にとっては仕方のないことなのかもしれない。
父が中学生の時、祖父が祖母と結婚し、義妹が産まれたのだった。
父は義妹は可愛かったが、どうしても祖母を母親だと思えず、家に居づらくなって、通っていた中学の寮に入ったそう
だ。
父が家を出て、寮に入りたいと申し出た時も、祖父は反対したが、祖母が祖父を説得し、なんとか寮に入れた。
ずっと昔に、父がこんなことを母に話しているのを見たことがある。
このことで、二人の仲はよりいっそう悪くなった。
ひび割れていた溝に、くっきりとした切れ目が出来て、遂にふたつに割れてしまったのだ。
それから、時は経ち、父は46歳になったが、祖母のことを「桜さん」と呼び、冠婚葬祭などの必要性のある時にしか、
祖母とは会わなかった。そのために、私の中での祖母のイメージは、決して良いものではなかった。
そんなことを考えて、さらに憂鬱になった私は、何もかもがけだるくなって、眠りについた。
 

 目覚めると、辺り一面真っ暗だった。
私は急いで起き上がり、まだ半開きの眼をこすって、重い荷物を背負い、祖母の家へと歩き出した。
駅の周りには、山と田んぼと小さな郵便局があるだけで、街灯もほとんどなかった。
道には、人が一人としていなかった。唯一聞こえるのは、虫の音だけだった。
あまりの静けさに戸惑いながら、本当に田舎に引っ越してきたんだと実感させられて、なんだか妙に感慨深かった。
空を見上げれば、満天の星。
森谷の空は澄みきっていて、東京の空とは比べものにならないほど美しかった。
私はこんなにたくさんの星を見るのは初めてで、星空に圧倒されて、涙が出そうになってしまった。
祖母の家までは駅から徒歩20分で着いた。
祖父の葬式のために訪れた時よりも、祖母の家は薄汚れていた。
しかし、庭はきれいに手入れしてあって、庭の隅の松の木の隣に、ちょっとした畑があって、ミニトマトやキュウリ、茄
子(なす)などが生っていた。
また、その隣の花壇で、ひまわりやバラも育てているようだった。
インターフォンを押すと、若い女の人の声がして、
「ちょっと、待ってね〜。」と言われた。
その女の人はすぐに玄関の戸を開けて、家の中に招き入れてくれた。
私のことを、まるでなにも警戒していないような振る舞いだった。
都会育ちの私が初めて見た、全く無防備な人だった。
「あなた、咲ちゃんでしょ。はじめまして。私はあなたの叔母の結。」
とても明るい奮囲気の30歳くらいの女性だった。
まだ独身のようで、結婚指輪をしておらず、165cmは越えるだろう長身と、赤茶色に染められたショートカットの髪、
青い宝石が6角形にカットされたピアスが印象的だった。
「はじめまして。中村咲です。今日からお世話になります。」
「長旅で疲れたでしょう。あなたの部屋に案内するから、夕食まで部屋で休んでいたら?」
叔母はそう言いながら、手でリュックを渡すように合図し、私のリュックを持って、部屋まで案内してくれた。
家に入ってみて、わかったが、どうやらこの家は外見よりも中は小ぎれいなようだった。
大分(だいぶ)老朽化が進んでいるかと思っていたが、祖母か叔母がまめに手入れしているようだった。
私の部屋は2階の西側の畳み敷きの部屋で、以前は父が使っていた部屋だそうだ。
「お兄ちゃんが使っていた頃から、大分経ってるけど、母さんがまめに掃除していたから、十分使えると思うわ。
でも、換気はした方が良いわね。」
そう言って、叔母は窓を開けた。この時、私は祖母がこの家の手入れをしてきたんだと悟った。
それは、私の持つ祖母のイメージとは違う感じだった。
「あの、おばあちゃんはどこにいるんですか?挨拶したいんですけど。」
「ああ、母さんは今出かけてるの。近くのスーパーに牛乳買いに行ったわ。
あなたが来るから、『明日でいいじゃない』って言ったんだけどね。もうすぐ帰って来るから、それまでゆっくりしてて。」
叔母は笑いながら、部屋を後にした。


 叔母も私の描いていたイメージとは違った。
叔母は祖父の葬儀に出なかった。叔母がオーストラリアに留学中に祖父は倒れ、すぐに叔母に電話したそうだが、
連絡がつかなかったそうだ。
その次の日に、祖父は亡くなってしまった。
祖父が倒れた時に、。
叔母はその時、オーストラリアで知り合った大学の仲間達と小旅行に出かけていて、祖父の葬儀も終えた1週間後
に、やっと叔母に連絡がつき、急いで帰国した。
「結ちゃんは叔父さんに誰よりも愛されていた。そして、結ちゃんも誰よりも叔父さんを愛していた。
それなのに、死に目にも会えず、葬儀にも出られなかった。」
葬儀の後の親戚の集まりで、ビールを飲んで感情が高ぶった、父の従兄弟(いとこ)で私の叔父にあたる人がこう嘆
いていた。
そして、父はそれをなだめていた。まるで平静を装って。


私はベッドに腰を下ろすと、部屋をじっくりと見回した。
私が今、座っているベッドの横には、ベランダに出られるようになっている大きな窓があって、その隣に古びた勉強
机、その脇で、ちょうどベッドの向かいに桐タンスがあった。
私はすでに送ってあった、ベッドの脇に所狭しと積まれている段ボール箱5箱分の荷物を開けたが、整理する気には
ならず、明日やろうと思った。
そんなことを考えていると、ここからでも星空は見えるのに、もう1度、さっき見た星空をしっかりと見たくなって、ベラン
ダに出た。
ベランダに出ると、心地の良い風が吹いて、私の気持ちをより高ぶらせた。
ぼぉっと星空を眺めていると、正面の家のベランダから大きな声がした。
「おいっ!あんたっ!!中村のばあちゃんのトコの孫だろ!!俺っ、敬太って言うんだ!よろしくなっ!!」
いきなり全く知らない人に話しかけられて、呆気にとられ、ただ立ちすくんでいた私に、敬太はこう続けた。
「明日、11時に俺んちに来いよ。仲間に紹介してやるから!じゃあな、絶対来いよ!!」
そう言い終えると、彼は晴れ晴れした顔で家の中に入り、戸とカーテンを閉めた。
敬太は私と同じ年頃の男の子のようで、運動部にでも入っているのか、顔は小麦色に焼けていて、頭は坊主にして
いた。
私は彼が言ったことをゆっくりと、缶に残った最後の飴玉をなめるように噛み締めた。
考えれば考えるほど、それは突飛な話に思えてきた。
私は今まで、まったく知らない人に、こんなに親しげに、話しかけられることなどなかった。
まして、誘われることなど考えられなかった。
だから、彼が言ったことは、何かの悪い冗談でしかないように思えた。とても好意的な誘いには思えなかったのだ。
しかし彼は、私の目をしっかりと見つめて話していたのだった。私には、その目に嘘がないように思えた。
私がベランダの戸を開け、中に入ると、廊下に祖母が立っているのがわかった。
祖母は後姿だったので、よくわからなかったが、なにか本を読んでいるようだった。
「こんばんは。」私は祖母に、歩み寄りながら言った。
祖母が読んでいたのは本ではなく、大学ノートだということが、やっと、わかった。
「こんばんは。遠いところから、よく来たねぇ。」祖母は左手に持っていたノートを、右手に持ち替えた。
「今日からお世話になります。よろしくお願いします。」そう言って、私は少し頭を下げた。
「こちらこそ、お世話になります。なにしろ年寄りと我がまま娘が住んでいる家だからね、若い人には住みにくいだろう
けど、私たちはあなたのことを家族だと思っているからね。だから、何でも言っていいんだよ。十分に甘えなさい。私た
ちは甘えられることが、嬉しくてたまらないのだから。」
祖母はとても穏やかな笑みをうかべながら、私に古びたぶ厚いノートを渡した。祖母はそれ以上、何も言わなかった。
私がそれを受け取ると、祖母は静かに部屋の戸を閉めて、出て行った。
そして、すぐに祖母が階段を下りる音が聞こえてきた。
表紙には『日記1973〜』と太いマジックで書かれていた。その下にはT.NAKAMURAと書いてあった。
私はすぐに、それが誰のノートだったか、わかった。
私の頭の中にある、たくさんの回路が一瞬で答えを導き出してくれたのだった。
それはもう、答えを最初から知っていたような感覚。
それは父のノートだった。



第2章

  1972年4月5日

 今日、我が家に家政婦が来た。この春、女子高を卒業したばかりだという。
僕より3歳年上なだけなのに、妙に落ち着いていて、何かを悟ったような表情(かお)をしている。
名は桜というそうだ。桜は母さんに似ている。顔が似ているのではない。桜が持っている空気が母さんと同じだった。
だから、親戚の叔母さんから家政婦の紹介があっても、いつも断っていた父が、雇うことにしたのかもしれない。



第3章

 祖母の名前は、桜だった。私は最初、『桜』が祖母だということに気づかなかった。