雨が降っていた。
 冬の冷たい雨が、全てに平等に降り注いでいた。
 
 一つの人影が、雨の中を歩いていた。
 道に迷った子犬のように、とぼとぼと、力ない足取りで歩いていた。
 地上にある汚れたモノ全てを洗い流すかのように、雨が降っていた。

 真夜中の闇の中、降りしきる雨の中では近づかないとその人影がどんな人物だったかは分からない。
 それは女性だった。
 まだ若いといってもいい、ローブのフードに顔をすっぽりとかくした、およそこんな夜、しかも雨の中傘もささずに公園をうろついていることなど考えられないような女性だった。

 雨に濡れるのも構わず、女性はさまよい続ける。
 行くあてなどないのか、その空ろな目にはすぐ先の景色すら映っていない。ふらふらと、夢でも見ているかのように、方角も定めず足の動くまま歩き続ける。

 女性の着ているローブは真っ赤な血で濡れていた。
 彼女のものではない。それは、彼女が殺した男の返り血。誰かに見られたら大騒ぎになるのは間違いがないその返り血を、彼女は隠すでも洗い落とすでもなく、堂々と身体に付着させていた。

 誰が知ろうか。
 彼女が人ではないことを。

 誰が知ろうか。
 彼女が聖杯戦争――この冬木の地で行われる魔術儀式のために召還された、神話の時代に生きた魔女と呼ばれた存在であったことを。

 誰が知ろうか。
 雨の中子犬のようにさまようこの女性こそ、比類なき魔術の使い手としてこの聖杯戦争に召還された、真名をメディアと言うキャスターのクラスを与えられしサーヴァントであることを。


 熱に侵されたようにふらつきながらと歩き続けたキャスターは、やがて柔らかくなった地面に足を取られ体勢を崩した。道の脇に生える低い木の茂みの中に、彼女は倒れこむ。がさり、と濡れた葉が音を立てた。
「――あは、あはは……あははははははははは――――」
 彼女は笑っていた。
 彼女が殺した、出来の悪いマスターの死に顔を思い出して笑っていた。
 自分に忠実だと思っていたサーヴァントに裏切られ、マスター自身が嘲るように彼女に言った「たかが最弱のキャスターのサーヴァント」ごときにあっけなく殺される寸前の、あの信じられないといった表情のあまりの哀れさがおかしくてたまらなかった。
 そして、そんなマスターを殺し、もはや行くあても魔力の供給源も失い、戦うことなく脱落しようとしている自分の惨めさがもっとおかしかった。だから彼女は笑いが止まらなかった。

 キャスターがマスターを殺した詳細は省くとして、キャスターがそうしたのは彼女のマスター……いや、元マスターが彼女にとって必要の無い存在だったからで、元マスターを殺したことに彼女は一欠けらの後悔も罪悪感も感じてはいないことだけは確かなことだった。

 マスターを失ったサーヴァントは、長くはこの世界にいられない。
 元々が英霊の座に位置する、規格外の力を持った英霊をサーヴァントと言う形で呼び出すのがこの聖杯戦争のシステムである。
 この世との繋がりを絶たれ、魔力の供給を絶たれたサーヴァントがこの世に存在し続けられる道理など無い。
 だから彼女には分かっていた。
 自分がもうすぐ消えてなくなることを。
 そもそも彼女には分かっていた。
 手にしたもののあらゆる願望を叶えると言う、この儀式の目的たる聖杯。そんなものを手に入れてまで今更叶えたい願いなどないということを。自らが望んだものは、生前、彼女自身の手で何もかも壊し、何もかもを失わせたのだから。

 雨に濡れた身体は無情に体温を奪ってゆく。
 手足には力が入らず、雨を吸いつくしたローブがやけに重く感じる。
 
「あはははは……そうね……どちみち私には――こんな最後しか迎えられないのかもね」
 頬を水滴が伝う。
 それは絶え間なく振り続ける雨だとキャスターは思った。
 その水が、自らの目から流れ出たものだとはこれっぽっちも気付かずに。
 知らないうちに、自分が笑いながら泣いていたのだと言うことにも気付かずに。

 もういい。
 楽になりたい。
 どうせ自分を助けてくれる人間などいないのだ。
 どうせ自分を理解してくれる人間などいないのだ。
 自分は魔女。弟も、王も、そして自分以外の全てを殺し、国を滅ぼした裏切りの魔女メディア。
 そんな自分が幸せになれるはずなど無かった。愛されるはずなど無かった。逆に自分が誰かの役に立てることさえもなかった。
 この聖杯戦争にだって、ただたまたま条件が合致したから呼び出されただけ。こんな戦いに参加する意思も、資格さえもあるはずがなかった。

 ならばどうせ生きていてもしかたがない。よどんだ空には鉛色の雲が並び、冷たい雨は容赦なく地上のもの全てを濡らす。自分の最後には相応しいではないか。
 見上げれば見えるのは空だけ。もう、身体を起こして自分の身体を見る力さえ残されてはいない。指先の感覚すらとうになく、頭は既に何かを考えることを拒否している。

 所詮は運命だったのだ。
 コルキスの王女に生まれた自分が、英雄イアソンに恋した女神のせいでその人生を狂わされたことも。
 出会う人間にことごとく裏切られ、また自分が助かるために出会う人間をことごとく裏切らざるを得なかったのも。
 サーヴァントとして召喚されたはいいが、そのマスターがどうしようもない愚図な男だったことも。
 どうせ自分の運命など、はじめからそう決まっていたのだ。
 どんなに足掻いても、どんなに願っても、そんなつまらない運命からすら抜け出すことが出来なかったから、自分の人生はろくなものじゃなかったのだ。

 ――まったく、ついてなかったわ――

 最後に自分の二度目の人生をそう振り返りながら、キャスターの意識は落ちていった。



 ……!? お、おい! しっかりしろ! ――くそっ、なんだってこんなところに女の子が――!

 意識が完全に闇に落ちる寸前、誰かの声を聞いたような気がした。
 けれどそんなことは全てを諦めたキャスターにはどうでもいいことで、
 誰かの呼びかけになど答えることなくキャスターはそのまま眠りに着いた。







 Fate/Promised Land 〜IF STORY of Caster route〜



 第一話 〜運命に出会う〜



 


「…………」
 目が覚めた女の子は、声をかけた俺を警戒心剥き出しの目で見ている。いや、あれは警戒心どころか殺意すらこもっている目だ。
「ええと、勝手にうちに連れて来たのは悪かった。……えっと、もしかして外国の人かな? あー……Can you speak English? My name is…」
 英語は通じるだろうか。意思疎通が出来るほど話せる自信は無いが、とりあえず一番ポピュラーな英語で自己紹介してみる。が、
「黙りなさい」
 流暢な日本語で女の子は俺の言葉を止めた。長くサラサラした紫の髪と、アメジストのように綺麗な紫色の瞳はどう見ても日本人じゃない。けれど、今の言葉は紛れも無く日本語だった。それも、俺でもわかるくらいはっきりと怒りの感情が込められた。
「ご、ごめん。確かにこんなわけの分からない状況じゃ怒ってもしょうがない。けど、俺は決して怪しい奴じゃないし、君にはなにもしてない。あの場合放っておけなかったし、かといって警察を呼ぶわけにも行かなかったから俺の家に運ぶしかなかったんだ」
 何かこの子には事情があることくらい理解している。俺だってそこまでのん気じゃない。妙な形とはいえ、立派な短剣を持った小さな女の子が、変なローブを被って、しかもその身体に大量の返り血をつけていたりしたらさすがに普通じゃないことくらい分かる。

「……貴方は何者なの? なぜ私を助けたの? あんな人気の無い所で、血に濡れて倒れていた私を! なんのために!?」
 俺に殴りかかってこようかという勢いで女の子が質問をしてくる。
 それは怪しい男に連れ去られたからというよりも、どちらかといえば自分が助かったこと自体に疑問を抱いている――そんな印象を受けた。
「落ち着いて。大丈夫、俺は君に何もしないから。俺は君の敵じゃないから」
「……」
 本当に隙あらば殺されかねないほどの少女の視線を受けながら、俺自身も深呼吸をして落ち着く。
 台所から何か飲み物でも持って着たいけれど、いま背中を向けたらその瞬間この女の子は消えてしまいかねない、そう思った。
「俺は衛宮士郎。普通の学生だよ。俺は本当にバイトの帰りにあそこを通りかかっただけだ。そしたら女の子が倒れていた。着ているちょっと変わった服が血まみれだったから最初は大変だと思った。救急車と警察を呼ぼうとしたけど、その血は君の血じゃないと分かったから、警察に連絡するのは君がまずいかと思ってやめた。
 それで、体力は消耗しているけど命に別状はなさそうだからってことで、君を助けるためにうちにつれて帰った。特に理由があって助けたわけじゃない。ただ、雨の中倒れている女の子を放っておけなかったから助けただけなんだ。信じてくれ」
「……」
 探るような目で、布団から身を半分起こしたまま少女は睨んでくる。
 だが、その目が急に驚いたように見開かれると、その視線は俺から少女自身の身体へと移された。
「……待って、貴方、今なんて言ったの? 女の子? ――私が? ――――そんな、馬鹿な」
 自分の手を眼前にかざし……さすがに雨に濡れたローブを着させるわけには行かなかったからできるだけ見ないようにして着せたYシャツに包まれた自分の体をしげしげと見て、少女は信じられない、と言いたげな困惑の表情を浮かべた。
「ちょっと貴方、鏡があるならちょっと貸しなさい」
 その声は、さっきよりも弱々しく。
「――何よコレ」
 持って来た鏡を覗き込み、自分の姿を映したときに発した声は、痛々しくすら聞こえた。

「なぜこんな姿に……あの身体を維持できなかった……? 聞いたことないわ、サーヴァントが縮むなんて……それほど不足……まさかこの顔をまた見ることになるなんてね……」
 俺には現状がよく分からないが――どうやら、少女が自分の姿に相当の違和感を感じていることは確かだった。記憶がはっきりしていないのか、それとも身に着けていた何かを落としてしまったのか……だが、そんな表面的なものではなさそうなほど、少女の鏡を見る目は驚愕と混乱に充ちていた。
「あ、あのさ。君の事情はよく分からないけど……何か悩みとかあったら聞くよ。何か食べたいとか、行きたいところがあるとか、探して欲しい人がいるとか」
「……それじゃあ一つ聞くわ。貴方は私を助けてどうしたいの?」
 どこか棘のある言葉で少女は言った。けど、それは俺に対しての敵意とか殺意とかそういうものとは何か別物で。
 それはまるで理由も無く生まれた怒りをどうしていいか分からないように。
「へ? どう――って言われても、別に何も。俺はただ君が危険だと思ったから、ただ君を助けたかっただけで――」
 ふぅん、と少女は俺の顔を見回す。さっぱり事情は見えてこないが、やっぱりあまり俺は信用されてないようだ。が、まぁ男の家に連れ込まれたという事実が事実だし仕方ないと言えば仕方ない。
「どうでもいいけれどその『君』はやめなさい。貴方に言っても信じられないでしょうけど、私は貴方なんかよりずっと長く生きてるわ。何の因果か身体が縮んでしまったけど――貴方みたいなボウヤに子ども扱いされるのは侮辱でしかないわ」
「……分かった。ごめん。それで、あんたのことはなんて呼べばいいのかな」
 そう言うと、少女――いや、彼女? 彼女は不思議そうに目を瞬かせた。
「――やけにあっさり信じるのね」
「嘘を言ってるようには見えないからな」
 子供と言うものはいつも突拍子も無いことを言うのは確かだが、それでも嘘をつくならもっとマシな嘘をつく。子供扱いされるのがいやなら自分がもう大人だと主張すればいいわけで、身体が縮んだなんてことを言う子供はまずいない。
 第一、雨の日に返り血にまみれていた女の子が普通の子供じゃないことくらいとうに理解している。
 ――もっとも、人の体が縮んで子供になるなんて話事態、フィクション以外の何者でもないはずでにわかには信じがたいのだが。
「そうね……本当の名前はまだ言うわけには行かないわ。とりあえずキャスターと呼んで」
「キャスター……分かった。キャスターちゃ……じゃなかった、キャスターさん」
「……別に呼び捨てでいいわ」
 そう言うキャスターの声は、さっきよりは幾分柔らかかった。

「ところでボウヤ。この家に他に人間はいるのかしら?」
 キャスターが布団から出て立ち上がる。実際に立ってみると、本当に小さい。完全に見た目は小学生だ。そんな女の子からボウヤと呼ばれるのも複雑ではあるけど、その口調や言い方に見られる落ち着いた物腰は確かに大人のそれのようだ。
「いや、今は俺一人だ。毎日のようにうちに来る家族みたいな存在はいるけど、この家に今いるのは俺とキャスターだけ」
「そう。分かったわ。……そうね、ボウヤはボウヤでいろいろ聞きたいことはあるのでしょうけど、残念ながら私の事情は今すぐには話せないわ」
「そっか。まぁ仕方ないな」
 人に言えない事情があることはなんとなく理解する。
「でも、俺に何か出来ることは無いか? 何でもいいんだ、何か力になれることがあったら言ってくれ」
 けど、それがもし一人では解決が困難な事情だったらと思うと、やっぱり放っては置けなかった。
「…………」
 キャスターは俺の全身を見渡して、少し考えるように沈黙した後、決めたように口を開く。
「じゃあ、一つだけ私の言うことを聞きなさい」
 その声こそ、幼い少女特有の歌声のような透き通った声だったが、
 その口調には反論も質問も許さないような強制力が色濃く含まれていた。
「あ、ああ。で、どうすればいいんだ?」
「私を抱いて」
 ……一瞬、俺の耳は壊れてしまったのかと思った。
「え――えっと、言ってる意味がよく」
「なら言い方を変えるわ。私と性的な行為をしなさい。性交? セックスとか言うんでしたっけこの時代は? 私を助けたいんでしょ? ならそれが私を助ける方法よ」
 ――何を言っているのかこの子は。
 まったく分からない。何がどう繋がるのかさっぱり分からない。なんでそれが助けることになるのか分からない。どうして俺がそんなことをしなくてはいけないのか見当もつかない。女の子を助けたら、その女の子から迫られましたなんて、そんなドラマ以上におかしなことになっている状況が理解できない。
 分かることといえば、少女は本気だということだけ。
 俺が男で、彼女が女で、そして抱くという言葉の意味をはっきり理解した上で、俺にそれを求めている。だからこそ、俺はどうしたらいいのか分からなかった。

「ままま待ってくれ! 俺達はまだ会ったばかりで、そもそもそういうことはお互い愛し合う男女でするもので、君みたいな小さな子が――いや、大人なのかもしれないけど、その姿ですることは非情に倫理的に問題があって、そもそも相手が俺なんかでいいわけなくて、それとこれとがどう繋がるのか分からなくて――――とにかく、それはまずい!」
「……ふぅん、なるほど。ボウヤ、まだ女を知らないのね」
 クスリ、と口元に手を当てて笑うその顔を見て一瞬ゾクっと来た。
 その表情は、何も知らない少女が出せる笑みではない。幼い顔に浮かんだ妖艶な笑みは間違いなく、俺なんかよりはるかに人生経験に富んだ大人の女性でなければ出せないそれだ。
「こんな状況じゃなければとことんまでからかってたんだけど、今は私も消えるか消えないかの瀬戸際なの。一度は消えることを選んだ私の気が変わらないうちに私を抱きなさい」
「えーーいや、でも」
 だってあれだぞ。性的な意味で抱くってことは、おしべとめしべがあれで、好きな人同士が一つになって、くんずほぐれつで愛し合う行為だぞ!? そんなの、しかも相手がこんな小さな少女だなんて、絶対ダメに決まって――!

 ――って。

「あ、あれ……?」

 身体の自由が利かない。
 だんだんと距離を詰めるキャスターから逃げようとしても。
 俺が着せたシャツのボタンを外し始めたキャスターを止めようとしても。
 この身体はまったく動かず、

「な、何を――」
 
 それどころか身体は妙に熱く火照り、こんな状況だというのに高まる興奮が身体を燃やしていく。
「ボウヤが望むなら激しくさせてもよかったんだけど――くす。女を知らないのなら私が教えてあげるわね」
 近づいてくるキャスターの幼い身体にさえ、それを求めるが如く感情が昂って。
 こんなことはいけないと理性が呼びかけても、俺の身体は目の前の少女を求めようとして――――。



 ………
 …………
 ……………



 ――オヤジ。藤ねえ。ごめんなさい。
 衛宮士郎は犯罪者になってしまいました。

「……」
 あれだけすごいことをしたにも関わらず、キャスターは平然とYシャツを着なおしている。子供の体系を隠すように裸の上に一枚だけはおられた俺のYシャツと、行為の余韻で赤く染まった顔のギャップがとんでもなくいやらしいような気がした。
 けれど、やっぱり理由も無くこんな関係を持ったなんてことは考えられないし、なんでこんなことをさせたのか、キャスターの事情だけはどうしても聞いておかないとけないだろう。
「……ボウヤ。一つだけ答えなさい」
「あ、ああ」
 だが、先にキャスターが口を開いた。その口調は、さっきまで俺と交わって可愛らしくも妖艶な声を上げていた少女と同じとは信じられないほど変わっていた。思わず返事をせずにはいられないほどに高圧的で、そして背筋すら凍りつかせるほど冷たい声だった。

「――貴方は魔術師?」

 一瞬、部屋の時間が止まったような気がした。

「なん、で」
「私が貴方と性行為をしたのは、男の精をもらって魔力を補給するためよ。けれど貴方の精に含まれていた魔力はただの人間にしては多すぎるわ。たとえボウヤがはじめてだったとしても異常なくらい。そんなこと、体内で生命力を魔力に変換できる魔術師でなければ説明がつかない」
 
 ――なんで、彼女は。
 
 魔力とか、魔術師とか。

 普通の人間が本来立ち入るはずの無い領域の話をしているというのか。

「――そう。そうなのね。突発的な事態とはいえ私ですら見抜けなかったほど――熟練して……もないわね。なるほど、逆に未熟すぎる魔術師というわけ。でもその顔からすれば、魔術の世界には自覚を持って足を踏み入れているようね。何の因果かしらね。私を助けたのがよりにもよって魔術師だったなんて」
 俺にではなく、自分に言い聞かせるようにキャスターは言う。
 俺は、どう反応していいか分からず、正体も分からない目の前の少女をただ黙ってみていることしかできなかった。

「もう一つだけ聞くわ」
 またもや、有無を言わさぬ口調での質問。
 嘘を言ったら殺す――少女の目は、そう言わんばかりに冷たく研ぎ澄まされていた。

「私を助けたのは、私をサーヴァントと知って聖杯戦争に利用するため?」
 サーヴァント。
 聖杯戦争。
 どちらも知らない単語。おそらくは魔術関係の代物で、このキャスターはその何かに関係あることに巻き込まれてこうなったんだろう。けど、俺は、
「――違う」
 それだけを全力で答え、キャスターの疑念を否定した。

「俺がキャスターを助けたのは、本当にただ助けたかったからだ。俺は本当に、小さな女の子が何かの事件に巻き込まれたんじゃないかと思って、その子を死なせたくない気持ちでいっぱいだった。
 俺は魔術師だけど使える魔術だって一つだけだし、魔術を教えてくれた人だって俺にはほとんど何も教えてくれないまま、ずっと前に死んだ。だから俺はサーヴァントとやらも聖杯戦争とやらも本当に知らない」

「……分かったわ。妙な勘繰りをしてごめんなさい」
「信じるのか?」
「ええ。私は他人の嘘を見抜くのは得意なのよ。――昔のいろいろな経験からね」
 一瞬だけ。
 目をそらしたキャスターの顔は、どこか悲しそうに笑っていた。
「それにしても信じられない――いえ、信じたくないわ。今この冬木の地で聖杯戦争が行われようとしているのよ? それを、仮にもこの地に住む魔術師の貴方が知らない? 魔術師なら目の色を変えてでも参加を望む大儀式よ? 自覚していないようだから言っておくけど、ボウヤは私を助けたことでとんでもないことに巻き込まれたのよ」
「何なんだ。その聖杯戦争って?」
「――知りたい?」
 ああ、と頷きだけで答える。
「言っておくけれど、知れば本当にボウヤはもう逃げられなくなる。最悪、いえ、ボウヤならかなりの確率で命の危険もある、文字通りの戦争よ。話を聞くか聞かないか、ここがボウヤの運命の分かれ道。それでも知りたい?」
 ああ、ともう一度頷きだけで答える。
 迷いが無いわけじゃない。命の危険がとか戦争だとかいきなり言われて不安が無いわけじゃない。
 けど、目の前にいるこの少女は間違いなくそれに巻き込まれていて、
 俺が魔術師を目差したのはきっとこの時のためだったんじゃないかとなんとなく思った。










「――私が聖杯から得た聖杯戦争に関する知識はここまでよ。何か質問はある?」
「いや――ありすぎて正直何から聞けばいいのか」

 何も知らなかった。
 この冬木でそんなことが起きようとしていたことも、そんなことが何度も繰り返されていたことも。

 想像もしていなかった。
 どんな願いでも叶えるほどの力を持つものがこの地に眠っていることも、またそんなものが実在することも。
 
 考えたくなかった。
 その戦いで何人もの魔術師が命を落とす凄惨な光景を。そして、もしかしたら無関係の町の人たちが巻き込まれるんじゃないかという悪い予感を。 

「……とりあえず一つ聞かせてくれ。キャスターは、その聖杯戦争に勝ちたいのか?」
 私が? とキャスターは胸に手を当てて言った。
「……正直に言うとそれほど興味はないわ。私には叶えたい願いも、取り戻したいようなものもないし、戦いが好きなら勝手にやればいいとさえ思っている。呼び出されたからこの地に現れただけよ」
 投げやりな調子で、キャスターはやや目を鋭く細めた。それが、始まる前から既に脱落しかけた彼女にとっての偽りの無い本心なのだと、逆に証明していた。
「じゃぁ、キャスターはこれ以上戦う必要はないのか?」
 なら少しは安心できる気がした。いくらすごい魔術師だからって、こんな小さな身体で戦うことなどまず無理だろう。それ以前に、こんな少女の身体で戦争に参加することなど、俺は黙って見過ごせない。
「そんなことはないわ。たとえこちらに戦う意思が無くても、私がサーヴァントの一騎である以上他の敵は私を狙ってくるでしょうね」
「――な」
 だが、その期待はもろくも一瞬にして打ち砕かれた。

「説明したでしょう? 聖杯を手に入れるために自分たち以外の全てのサーヴァントを倒すのが聖杯戦争よ。さっきボウヤから魔力をもらって、聖杯戦争が始まるまでの期間も消えずに存在できるようになってしまったからね。聖杯戦争が始まって、私の存在が知られたら私はマスターがいるいないに関わらず真っ先に狙われてもおかしくはないわ。だって、こんな身体じゃ絶対に他のサーヴァントより弱いもの」
 こんなに楽に倒せるサーヴァントもいないわよね、とキャスターは自嘲気味に笑った。
 既に諦めたようなその姿がとても痛々しいと、思った。
「――ごめん」
「ど、どうしてボウヤが謝るのよ」
 拳を爪が食い込むほど強く握り頭を下げた。見えないが、キャスターの声からキャスターが突然のことにうろたえているのは分かる。
「俺がムリに助けたりしたから、キャスターはまた戦わなくちゃいけないんだろ? 戦う理由なんて無いのに……戦う力だって無くなってしまったのに、俺が強引にキャスターをこの世界に残らせてしまった。だから俺はキャスターに謝らないといけない」  
「……!!」
 頭上で息を呑む気配が生じた。
 キャスターが俺の謝罪をどう受け止めたのかは分からない。けど、こんなことで許してもらえるはずが無いくらい、衛宮士郎は自分のエゴのせいでキャスターをまだ危険に、戦争の只中に晒し続けるという重い枷を彼女にはめてしまったんだ。だから、何を言われても文句は言えない。
「……やめなさい。元々ボウヤに無理やり迫って魔力の補給を頼んだのは私のほうよ。むしろ貴方の方こそ、勝手に巻き込んだ私を非難する権利があるわ。だから、頭を上げなさい。いいから」
 頭を上げる。
 キャスターの顔からは自嘲の笑みは消え、この状況に対応しきれていなさそうな困惑の表情を浮かべていた。
「あの時の私は本当にどうかしていたわ。本当なら消えてしまったはずの状況で自分を助けた人間がいたものだから、もう一度だけと見苦しく生に執着してしまった。それはきっと、二度と手に入ることのなかったこの子供の姿を得てしまったことで、またやり直せると思ったのでしょうね。そんなこと、不可能なのにね――」
 自分自身に言い聞かせるように語るキャスターに、俺は何も言えず次の言葉を待つ。

「だから話を戻すけれど、私自身は戦う理由はないわ。けれど私がサーヴァントである以上、戦う必然性はこの先出てくる。だからもしボウヤがその聖杯を欲しいのなら、助けてくれたお礼にボウヤと契約してボウヤのサーヴァントとして戦ってもいいわよ」
「契約?」
「サーヴァントをこの世に繋ぎとめるにはマスターとの契約が必要。私は聖杯戦争が始まる前にマスターを失ったからあそこで消えかけた。おそらく身体が縮んだのも過度の魔力不足で大人の姿を維持できなくなったからでしょうね。とにかく、マスターと契約すれば私はまだこの世界にいられる。そしてボウヤから魔力をもらい、ボウヤのために戦う」
「…………もう一つ聞かせてくれ。その聖杯戦争は、無関係な人を巻き込むようなことは無いのか?」
「さあ? それは他の参加者しだいね」
 ここで一瞬でキャスターが肯定してくれていたら、俺は迷っていたかもしれない。
 けれどキャスターは言った。そんなことは分からないと。迷わずに俺の願いを否定した。
「もちろん一般の人間には聖杯戦争が起きていることなんて知らされないわ。だけど例えば広範囲の攻撃でその辺の人間が巻き添えにはなるかもしれないわね。それに人間を襲って、人間の持つ生命力をサーヴァントに取り込ませてエネルギーにさせようと考える参加者もいるでしょうね。人質に使われたり、快感のために殺されたり、実験のために使われたり――そんなことを誰もしない保証なんて何処にもないわ。
 ――ボウヤ。戦争なんてものはね、無関係の人間を巻き込むから戦争って言うのよ」
 
 キャスターは無表情に、皮肉でもなんでもなく、事実を淡々と告げた。
 それで、俺の決意は決まった。

「――最後の質問だ。俺がキャスターのマスターになったら、俺はキャスターの役に立てるのか?」
 その質問が意外だったのか、キャスターは目を瞬かせてその質問の意味を汲み取ろうとしているようだった。
「……立たないわけじゃないわ。マスターがいれば常に魔力を供給してもらえるから、魔力切れで私が消えることは無くなる。それに私は肉弾戦など出来ないから、私の代わりに前衛に立って私を守る役割を果たす者がいればそれだけで戦術の幅は大きく広がるわ。もっとも私はボウヤがどれだけの実力があるか分からないから、あまり期待はしていないわよ」
「それなら十分だ。頼むキャスター、俺をマスターにしてくれ」
「あら、やっぱりボウヤも魔術師の端くれのようね。聖杯で叶えたい願いでもあるの? でも言っておくけど、今の私をサーヴァントにしたところで、聖杯を得る可能性よりボウヤが死ぬ可能性のほうがはるかに高いわよ」
 今度は、キャスターはさっきよりも冷たい笑みを浮かべる。
 それみたことか、と俺をあざ笑うように。
「違う。キャスターの話を聞いてハッキリした。このまま俺が何もしなければ、キャスターは真っ先に命を狙われて殺されるかもしれない。それに、この町で何も知らず平和に暮らしている人たちが理不尽に巻き込まれるかもしれない。俺の知ってる人たちが、ある日突然いなくなってしまうかもしれない。そんなのは絶対にイヤなんだ。
 俺は叶えたい願いなんてない。けどなりたいものはある」
 それは、正義の味方。
 父親が最後まで目差し続けた、全てを救うために自分を投げ出して戦う存在。
 それを目差す衛宮士郎にとって、この小さな身体で戦いの渦に巻き込まれた少女を、そして何の罪も無く害されようとしている普通の人たちを見過ごすなんてことは決して出来ない。

「だから俺は戦う。キャスターを守るために。そしてこの町で理不尽な犠牲を出さないために。勝ちたいんじゃなくて守りたい。そのためには俺は聖杯戦争に参加しないといけない」
「……!!」
 キャスターは驚愕の表情を浮かべる。
 何でこんなことを言い出す人間がいるのか。
 そんなことで命を懸けた戦いに参加しようと言う人間がいるのか。
 とてもそんなこと信じられない――と、その目が言っていた。

 そう思われることは当然だ。けど逆に言うなら、キャスターは今まで俺みたいな人間に出会ったことが無かったんだろう。
 キャスターからは、世の中も、人間も、そして自分自身も、全てを信じていないような、どこか空っぽの印象を受けた。
 だから守りたいと思った。せめて俺だけはキャスターの味方になりたいと思った。
 それは義務感とか、正義感とか、そんなものじゃなく、ただ――衛宮士郎が衛宮士郎であるために欠かせないことだから。
 これ以上この少女が自分を裏切る姿も、泣く姿も、そして傷つく姿も、見たくはないと心から思ったから。

「……分かったわ。なら正式に契約を交わしましょう」
「ああ。って言っても、俺は契約の方法なんて知らないんだけどどうすればいいのかな」
「――はぁ。大丈夫よ、私が言う言葉をそのまま繰り返しなさい」
 キャスターが呪文を唱え始める。それは耳からではなく、頭に直接語りかけてくるようだった。聞いた事のない言語で言っている意味はよく分からなかったが、なぜかその発音ははっきりと聞き取れた。
 それを輪唱のように後から繰り返す。
 しばらくそれが続き、やがて自分の身体に一本見えない管が繋がれたような感覚と、手の甲に何か火傷をしたときのような熱い感触が生まれ、最後に俺の身体から力が外へ向けて流れていく感じがして、気がつけば俺とキャスターの詠唱は終わっていた。

「これで契約は完了しました。それでは私は今より貴方の杖となり、全力で貴方を支援し勝利に導かせることを誓います」
 さっきまでのどこか冷たく不敵な態度から一変して、恭しくキャスターは言う。
「え――急にどうしたのさ」
 言葉遣いも急に敬語になるし。たとえるならクラスの一匹狼が突然委員長タイプになったとでも言おうか。さっきまでとはまるで別人だ。
「契約した以上は貴方がマスターですから。これより私は貴方に従う存在となります。私とて、さすがに正式にマスターとなった人を相手にボウヤ呼ばわりするほど礼儀知らずではありません」
「あ、あぁ……」
 契約でお互いが繋がったことで、キャスターの力はなんとなく分かった。こうして何となく感じるだけでも、キャスターが俺なんか足元にも及ばない規格外の力を持っていることはよく分かる。人間離れした英霊だというのも確かだ。だから身体が縮む前は本当に俺より年上のすごい魔術師だったのも本当なんだろうけど、やっぱり外見は小学生くらいの女の子に敬語つかわれて、マスターとか言われると、なんだか自分がすごくいけないことをしているような気がして胸がチクリと痛む。

「よろしくお願いします、私のマスター、衛宮士郎」
 キャスターが小さな手を差し出してくる。
 
 俺は。

「ああ、未熟な俺なんかでよければよろしく頼む、キャスター」
 その小さな手を取り、硬く握手を交わした。
 
 この少女を守るため。
 そして何も知らない人たちが犠牲になるような悲劇を防ぐため。
 そのためにこの身を差し出そうと、誓った。


 
 こうして、衛宮士郎はマスターとなった。

 何も知らないまま、ただ正義の味方を目差して漠然と鍛錬を重ねてきた俺が一転して魔術師たちによる殺し合いの場に飛び込むことになった。

 それをもし運命と呼ぶのならば。



 ――俺はこの日、運命に出会った。
 


 続く


あとがき
 真面目に書いてみた第一話です。
 もともとの第一話は、本当に続きも考えず、ただノリだけで書いたくだらないギャグもので…今読み返すと死にたくなります。
 本当に当時は、「ふーん、公式の没案でキャスタールートなんてあったんだ。じゃあ導入部分だけギャグっぽくしてやってみようかな」的なノリで書いてまして、タイトルもギャグっぽくしたものですから、今から読み返せばタイトル自体違和感があります。
 更新報告とか掲示板とかで正式名称を使わず、「キャスタールート」とだけこのSSを呼ぶようになったのも、ギャグ的なタイトルと後半の真面目さのあまりのギャップが恥ずかしすぎてタイトルを使いたくなかったせいです。
 本当に今は後悔しているので、真面目なものとなった本編にあわせ、元々ギャグ短編(そもそもギャグにすらなってませんでしたが)だった第一話を真面目に書き直してみました。
 ロリキャスターと士郎のHシーンは、めんどくさいとか書きたくないから削ったわけではなく、単にジオシティーズのプロバイダで18禁はまずいかなと思ったので書かなかっただけです。でも、私自身サイトでは他で書いた18禁の話なども公開するつもりはないと心に決めてますので、仮に書いたとしても間違いなく公開はしませんけどね…。
 タイトルも真面目なものに直してみました。まぁ一般的には長く使われていた元のタイトルの認識が強いでしょうから今更リンクスなどで変えると混乱する人もいるかもしれませんが、やはり真面目な話には真面目なタイトルを使いたかったので。
 それでは改めて、キャスターと士郎のお話をよろしくお願いします。

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