――Interlude -Light and Shadow beats Darkness-

 時が経つごとに、その泥弾は数を増していく。
 
「はっ――――!!」
 その目に捉えただけで67、他に視界に収まりきらない大外からの攻撃が15。その弾幕の向こうには休むことなく補充された、さらに多くの泥弾。
 セイバーは降り注ぐその攻撃を、風を纏う不可視の剣を縦横無尽に振るい欠片一つ残さずに吹き飛ばす。
 騎士王たるセイバーにとって、どれだけ数が増えようと、威力もスピードも無いギルガメッシュの泥弾などしのぐのはわけがない。だが今のセイバーと桜にとって真に厄介な問題は、この泥弾にやられてしまうことではない。
 反撃に転じる暇がないこと。
 すなわち、この足止めとして作られた人形を破壊し、大聖杯へと先に向かった士郎たちに追いつくことができないこと。
 防戦に徹すれば少なくとも負けは無いが、予想以上に激しさを増す猛攻に防戦に徹さざるを得ないこの状況は、すでにまずいものとなっていた。

「……っ!」

 仮にもギルガメッシュを十年もの間サーヴァントとして傍に置いていた言峰が、そのギルガメッシュを模して作りしこの人形。ギルガメッシュを誰よりも知るマスターが再現させたその戦法は本家となんら変わりない。
 すなわち、圧倒的な物量による完膚なきまでの殲滅。
 生前に集めた古今東西あらゆる武器、あらゆる宝具の原典を湯水の如く発射するその一軍にすら匹敵する力の前には、どんな英霊のどんな守りも紙屑と化す。
 たとえ用いる弾が異なれど、この黒いギルガメッシュはその戦い方を忠実に継承していた。
 スピードも無い、破壊力も無い、概念を妥当しうる神秘も無い。それでも、人間だろうと英霊だろうとたった一発で殺しうる致死級の弾が機関銃のように降り注ぐ、その物量は相手をただの人形と心のどこかで侮っていたセイバーの認識を改めさせる。

「はぁ――っ!!」

 もう何度目か知れぬ猛攻をしのぎ切った矢先、流れを途切れさせること無く続く次なる攻撃の波。その一発一発を、セイバーは冷静に対処していく。
 セイバーのどこを狙うわけでもない、ただ対象のどこにでもいいから当たればいい、そういった無造作な攻撃が降り注ぐ中を、セイバーの振るう不可視の剣は幾本もの軌跡を描く。
 もう一つその弾が厄介なのは、その弾をただ防げばいいというわけではないということ。ただの弾ならば、剣で打ち落とせば身を守るには事足りる。たとえその弾が宝具であろうと、セイバーの振るう聖剣ならば力負けすることなく弾き返せる。
 だが、こと聖杯の泥で出来たその弾には、単純な力で対抗してはならない。
 固定されぬ泥で出来たその弾は、強引に弾こうとすれば形を崩し、泥として飛び散る。その飛び散った泥にすら、守る側は触れてはならないのだ。
 故にセイバーは、自身にその泥がかからぬよう、風王結界の起こす強烈な風で吹き飛ばす。ちょうど雨の日の傘に付着した水滴を、傘を振り回して払い落とすように。

 セイバーと桜は士郎たちが入った通路を背にしている。故に背後から撃たれることはない。正面からの方向に限定された射撃ならば、セイバーにとっては対処しきれない攻撃ではない。
 だが、セイバーの使命はこの通路を守ることではない。むしろ逆に一刻も早くこの通路に飛び込み、先を行く士郎たちと合流しなくてはならない。
 倒すべき敵は全ての悪を背負いし言峰綺礼その人であり、ここで、こんな人形相手に時間を食うわけには行かない。そのためにはこの泥人形を即効で倒すことが何よりも求められるはず。

「くっ――――」
 ――だが、それでもジリ貧なこの状況を対処しきれない。
 一歩足を踏み込もうとする暇すら与えず、剣を振るい泥弾を吹き飛ばしたときには既に次の波がうねりを上げて襲来する。
 また剣を振るう。その迎撃に問題は無い。このまま何時間でも、守り抜けといわれたら守り抜けるだけの余裕はまだある。一滴の泥すらその白く可憐な肌に付着させない華麗な剣さばきには、いささかの疲労も見えない。だが、
「――こんなはずでは」 
 悔やんでも悔やみきれない思いがつい口をついて出てしまう。
 彼女にとっては今もマスターである衛宮士郎も、そして百戦錬磨のセイバー自身ですら見誤った認識。この、大したことのないはずの泥弾の本当の恐ろしさにセイバーはようやく痛いほど思い知らされる。
 
 この弾の泥を一滴でも身体に触れさせてはいけない。
 それはすなわち、怪我を覚悟での特攻――いわゆる『肉を切らせて骨を断つ』攻撃が使えないことを意味する。
 この相手が本物のギルガメッシュならば、その弾は遥かな神秘を秘めた必殺の魔弾。それでも致命傷にさえならなければ、腕の一本や二本持っていかれることを覚悟で特攻する戦法は使える。
 だが、こと触れたものの魂を汚染する泥が相手である限り。
 たった一度の被弾は、即、敗北を意味する。

 故に――休み無く続くこの黒い雨をどうにかしない限り、セイバーには敗北も無ければ勝利も無い。ただ延々とギルガメッシュの相手をするだけ。それは彼女にとっては負けに等しい。

「――――」
 奥歯を噛み締めながら、飛び出そうとする足を懸命に押しとどめ、セイバーは剣を振るう。
 焦りは苛立ちを生み、苛立ちは隙を生み、隙は死を生む。そのようなことは当然彼女も承知している。
 だから、彼女はひたすら耐え続ける。
 この際限なき波状攻撃に生じるわずかな隙を見つけるために。
 自ら望んでこの場に残った、彼女のマスターを信じながら。


「――」
 間桐桜は、その戦いをただ横で見ていた。
 さっきからずっと、手を出したい衝動、駆け出したい衝動、そして声を出したい衝動、それらを懸命に押し殺し、この状況を打開する糸口を見つけるために、ただひたすらに耐えて、黙って見ていた。
 大切なのは余計な手出しをすることではない。下手な援護は逆効果となり、セイバーの足を引っ張ってしまう。
 されど傍観者になってはいけない。何もしないで見ているだけならば、それはただの置物となんら変わらない。
 大切なのは、観察者になること。ただじっと見て、見たものの中から必要な情報を見つけ出すこと。
 だから桜は目の前の戦いから逃げない。目を逸らさない。拳を握り、唇を噛み、目を開いてその全貌を見守る。


(あれだけ自分の身体を削っているのに、思ったほど身体は縮んでいない――セイバーさんに振り払われた泥は地面に落ちても消えてない――それを戻してまた身体に取り込んでいる――)
 頭の中で戦闘を描く。手が出せないなら見ること。そして見た事実を元に考えること。それがまずすべきこと。
 セイバーが攻撃に徹することが出来るよう、影の盾でセイバーを守ってみる。
 結論は不可。
 影の盾でもあの弾は防げる。しかしあの猛攻を防ごうとして大きな盾をセイバーの正面に展開すれば、それは逆にセイバーの視界も同時に塞いでしまう。それでは意味がない。
 見ながら、考えながら、桜は状況を分析する。

(それなら、このまま持久戦をしても――あの人の弾、あの人の肉体がすぐに尽きることは期待できない)
 ならば攻撃を仕掛けるか。影を研ぎ澄まされた刃と変えて、敵の体勢を崩す先駆けとなるか。
 結論は不可。
 元がいくら虚数とはいえ、物理的な概念を持って切り裂く攻撃はあの泥には効果は薄い。
 桜が今、泥弾の攻撃対象になっていないのは、単にギルガメッシュが桜を射程外に突っ立っている無害な置き物と判断しているからに過ぎない。
 手を出したらその瞬間――桜は敵とみなされ、セイバーと同等の砲火に晒されるだろう。そうなればセイバーは自分を守るため、さらに守りの姿勢に入らざるを得ないだろう。
 何も分からない自分が嫌になりながら、
 この戦いに介入するだけの力が無い自分を責めたくなりながら、
 桜は考える。知恵を振り絞り、戦いになど使ったことの無い頭をフル回転で駆動させ。

(――あの人の口元も、セイバーさんに向けられた腕も何も動いてない――。身体を動かす必要なんて無い。あの弾を射出するのはあの人自身の魔術によるものじゃない。身体を構成する泥自身の一部が弾けて推進剤になって、自動的に弾を撃っている……本体は、単にセイバーさんに照準を合わせる役目を果たすだけの、本当にただの人形のよう……)
 少しだけ胸が痛んだ。
 ギルガメッシュに同情したわけではない。ましてやマキリの人形のように扱われていたかっての自分に同情したわけでもない。
 あの頃、自分を本当に価値の無い、汚れたモノだと思っていただけの日々。自分は人間なんかじゃなくただの人形だと思っていた日々。
 あの頃、何もできなかった自分、逃避することを選んで何もしようとしなかった自分の弱さを、桜は今の状況に重ねあわせ、悲しんだ。
 自分から何かを求めることなどなく、誰かに命じられないと自分では何もしない自分。誰かに求められないと自分からは何も与えない自分。それが彼女にとって唯一のささやかな抵抗で、またそれ以外に自分に出来ることなど無いと思っていた。
 唯一、自分から何かをしようとして、何かを変えようとして――彼女は衛宮士郎の家の一員になることを選んだ。
 そこが彼女の運命を変えたのだと桜は断言できる。
 だからこそ自分は負けられない。自分を助けてくれた人たちのためにも、これからは逆に自分が支えてあげたい人たちのためにも、ここで何もせず終わることは絶対に許されない――!

(――ただの、人形――――!?)
 弾かれるように桜は身を強張らせる。
 その言葉こそが、強固に閉じられていた反撃の扉の鍵。そう言わんばかりに桜の頭の中で瞬く間に方程式が広げられ、そして答えが出る。

 そう、ただ命令を実行するだけの人形なら。
 自分に降りかかるアクシデントにも、きっと機械的に反応するだけの存在なら。
 それを利用すれば突破口は開ける――!!


 降り注ぐ泥弾。
 数は更に増し、雨は滝と化す。
 風王結界のリミッターは徐々に外れ、風は暴風と化す。
 見渡す限りの黒い泥をセイバーは渾身の一振りで吹き飛ばす。だがそんなセイバーを休ませる間もなく、続けざまに次の泥弾が波となりセイバーを襲う。
 ギルガメッシュの身体そのものである泥は身体から零れ落ち、丸まってピンポン玉ほどの球となり、自らの持つ魔力で浮かび上がりギルガメッシュの周囲に待機する。今撃ち出された攻撃の次に撃ち出される分の弾はこうして隙間無く装填される。
 セイバーは小刻みに剣を振るう。空間をみじん切りにするかのように。やや疲れの色が見えるものの、その金の髪に、銀の鎧に、そして絹のように白く透き通った肌に、いまだ一点の汚れも付いてはいない。
 その美しい身体を一点の黒い泥で汚そうと、今作り出した泥弾数十発が、自らの魔力を爆発させて推進剤となり、前方に陣取るセイバーめがけて射出され――


 異変は、そこで起きた。


 泥弾は一直線にセイバーへと向かっていく。そして何度も繰り返した光景を再生するように、先陣を切って飛ぶ弾はセイバーの剣で吹き飛ばされる。
 だが、敵へと向かって自動的に放たれるはずの泥弾が一つだけ、宙に浮いたまま発射されていなかった。
「……?」
 思い通りにいかないのが癇に障ったのか、表情の無い顔で露骨に眉をひそめてその浮いたままの泥弾へと手を伸ばすギルガメッシュ。彼の背後では、すでに30を超える次の泥弾が発射されるそのときを待っていた。
 意のままに動かないその弾を、握りつぶそうとしたその時――


 ――黒い弾は、黒い布へと広がった。


「――――!?」
 突然の変化に一瞬動きを止めるギルガメッシュ。正方形の布状へと変化した黒いモノは、そのギルガメッシュの顔めがけてふわりと一直線に舞い向かい、ぴたりと顔に貼りつく。
 ギルガメッシュの視界が閉ざされる。放たれた無数の泥弾を剣でなんとかしのいでいるセイバーが見えた世界が、一転して黒一色の闇へと閉ざされる。視力などあってないようなもののギルガメッシュにとって視界の有無はさほど重要ではない。だが、それでも己に張り付く邪魔なものを放っておけないのは自動人形としての定めか。自分の邪魔をするものは自動的に排除しようと、手が勝手に動く。
 邪魔なそれを引き剥がそうともがくギルガメッシュ。しかしその黒い布は、意思を持つが如く必死にギルガメッシュの顔面へとしがみつく。


 ――そう。それはギルガメッシュが生み出した泥ではない。
 その一つだけ、無数の泥弾に紛れ込んでいたその黒いモノの正体は、剣や盾と同じように虚数魔術で作られた桜の影。

 ギルガメッシュにとって仇となったのは、桜を完全に放置していたこと。
 無論、相手がどんな羽虫であろうとも眼前を飛び回る虫は潰す。ギルガメッシュは桜が手を出してくれば即座に標的をセイバーから変え、何十もの泥弾で撃ち殺すつもりでいた。
 だが、そうでなければギルガメッシュにとっては桜はセイバーに比べたら何でもなき存在、その認識は路傍の石と同じようなもの。
 ただ魔術で作られただけの人形には、戦局など読めない。ただ射程に入ったモノ、攻撃してくるモノを敵と認識し、泥弾を使い死ぬまで攻撃するだけの作業を繰り返すだけの存在でしかない。それ故手を出してこない桜を攻撃する理由はギルガメッシュにはなかった。

 その悲しき習性が、そんなことを欠点とも弱点とも気付くことすらできないギルガメッシュの仇となった。

 桜としても、無闇にこの戦いに介入したら即座に殺されることは分かっていたし、自分の援護攻撃などで倒せる相手でないことはよく分かっていた。セイバーが何度もギルガメッシュの攻撃を凌ぐ間、桜は脇で傍観者の如くただ見ていることしか出来なかった。
 ――だが、それでも桜は戦いから目を逸らさなかった。
 暗闇の中を手探りで歩くように、自分に出来ることを、戦いの中での自分の役割を、必死に模索していた。

 そして、辿り着いた。
 桜はギルガメッシュがセイバーへと全ての意識を向けている隙に魔術で影を生み出す。
 桜の本来の魔術属性である虚数魔術によって作り出されたその影は、攻撃として使えば、敵を切り裂き、抉り、また時として対象を拘束し、束縛し、虚空へと飲み込む負の存在。しかし間桐の魔術特性に染められた桜にとってそれを生み出すのは本来容易なことではない。
 自分自身の負の面に飲み込まれぬよう、自分の内で戦いながら、そして、その布石をギルガメッシュに悟られぬよう、外で戦いながら。
 桜は何気ない顔で、その下に辛い思いを全て押さえ込み、祈るように小さな影の塊を生み出した。

 無論、それを直接放てばギルガメッシュにすぐに気付かれる。
 桜は自分の背後から、大げさなほどに遠回りをさせて大きく迂回し、セイバーが叩き落した泥弾の残骸に紛れ込ませる。
 あとはギルガメッシュの身体に戻ろうとする泥の中に紛れ込み、背後からギルガメッシュへ向けてその影を進める。
 その泥を操っているのが、言峰のように生きた人間ならばあるいはその中にまぎれた異質なモノに気付いたかもしれない。
 だが皮肉にも、知性はおろか魂すら持たぬ人形が操る泥にはあらかじめ定められた命令を実行できる習性はあっても、想定していない事態に対処できる能力など無い。
 だから影は泥に飲まれることなく進むことが出来た。ゆっくりと、闇に溶け込むように身を潜ませ、動かぬ影のように可能な限りゆっくりと。
(セイバーさん、頑張ってください……! もう少し、もう少し持ちこたえてくださいっ)
 泥の呪いをくらうまいと、セイバーが必死に剣を振るって泥弾を凌ぎ続けるのを身を斬られる思いで応援しながら、桜は慎重に影をギルガメッシュの背後まで接近させた。

 そして桜は成功し、ギルガメッシュは不意を突かれる。
 ギルガメッシュの背後から溢れる泥にうまく紛れ込ませ、無限に作られる泥弾の一つに偽装して見事ギルガメッシュの傍へと影を寄せた。
 影で攻撃してもギルガメッシュを一撃で倒すことなど不可能。仮にも英雄王を相手に、いち魔術師としての桜の力では決定打になどならない。
 だから、桜は選択した。
 倒せないならばそれ以外。足止め。あるいは目くらまし。何でもいい。休み無く続く必殺の掃射を僅かでも止められれば。ほんの少しでもセイバーが自由に動ける隙を作ることが出来れば。あとはセイバーさんが必ず勝ってくれる――――そう信じて。


「――――――!!」
 視界を塞がれたギルガメッシュが逆上する。怒り狂ったように滅多やたらと、自動的に身体から生まれ続ける泥の魔弾をうちまくる。しかし人形が操る泥、命の意思無き泥には、自動的に敵の気配を察知して追尾する機能などない。
 あくまで照準を合わせるのは、ギルガメッシュの目であり、ギルガメッシュの手である。その照準が狂った今、ただ数に任せての出鱈目な射撃などセイバーに当たるわけが無い。
 その魔弾は、今度は桜の方へも飛んでいく。見た目はただの黒い泥だが、普通の人間ならば一撃触れただけで即死する呪いの塊である。
 しかし桜は動じない。怯むそぶりも見せず、乱射される泥弾それらを落ち着いてやりすごしていく。自分に当たりそうなものだけを影の盾で防ぐ。この程度の攻撃を恐れずして、この先に進む資格は無いとでも言わんばかりに一歩も引くこと無く。
 魔術師としての自分を否定することなく、間桐桜として役に立つ。その確固たる桜の覚悟はここに完成していた。

 
「――――!!」
 声など持ち得ないギルガメッシュは声にならない怒声を上げながら顔に張り付いた影を引き離す。己の視界を奪い、顔を汚したそれはたとえ感情というものがないはずの身ですら許せぬという想いが沸くのか、それを忌々しげに握りつぶす。己の分身ともいえる影を握られ、桜の顔が身を締め付けられるような苦痛で歪む。
 
 ――そして、ギルガメッシュが次に見たものは。


  エ   ク   ス
「約束された――――」

 地底に吹く嵐の中で。
 
 輝く黄金の剣を頭上に掲げ、

 光の束の中で真っ直ぐに己を見据える、

 凛々しき騎士王の姿であった。

  カ  リ  バ  ー
「勝利の剣――――!!」

 黒い空間に、黄金の線が一筋走る。
 極太の光の光線が一直線に駆け抜ける。
 それはまるで闇を切り裂く朝日の如く。 

「…………!!」

 勝負は一撃でついた。
 洞窟が崩れぬよう手加減したとはいえ、その聖剣は星が鍛えし幻想の剣。その威力は山すら砕き、川すら干し上げる。セイバーの渾身の一太刀は、ギルガメッシュの肉体を完全にこの世から消滅させていく。
 消え行くギルガメッシュに、己の敗北も自覚させないまま、そして断末魔の叫びすら上げさせないまま。
 ただ、最後に一瞬だけ、
 ”――美しい、もの、だ、な――――”
 そんな想いを抱かせながら。

 何を美しいと思ったのか。
 誰を美しいと思ったのか。
 もうそれすら思い出せない空っぽの英雄王は、感情も表情も、全てを失ったはずだった。ここにいるのは肉体も魂も無い、ただの泥でできた人形のはずだった。なのにどうしてだろう。消え去る瞬間、人形は、そんな想いを確かに胸に抱いた。
 最後に一瞬だけ何かを……英雄王としての自分を取り戻したかのように誇りと気品に溢れた笑みを浮かべながら、ギルガメッシュは溶けるように消え去った。
 闇が晴れるように、ギルガメッシュであった黒い泥の塊が、そして漆黒に染まってしまった至高の逸品の鎧が、チリとなって霧散し、消滅する。
「……今度こそ最後です――ギルガメッシュ」
 最後は誇り無き傀儡と化してまで戦い果てた英雄王に黙祷するかのように、セイバーは黙って目を閉じながらギルガメッシュだったものの消滅を見送った。

「セイバーさん、大丈夫ですかっ」
 桜がセイバーへと駆け寄る。慣れない魔術を何度も行使した代償か、彼女のお気に入りの服、その右腕の袖は内側から滲んだ血で濡れていた。
「桜、助かりました。あの援護なしでは私の最後のあの一撃は無かった。貴女も最高のマスターです」
 駆け寄ってきた桜へと、セイバーは恭しく一礼をしながら礼を述べる。その心からの賞賛が込められた一言に、桜はもったいなさそうにぶんぶんと手を大げさなほど左右に振った。
「そ、そんなたいした事じゃないです。私なんか姉さんや先輩に比べたらまだまだで……」
「謙遜することはありません。桜、貴女は本当に強くなった」
 身長差のせいか、下から見上げる形ではあるが、しかし敬愛の念を持ってセイバーは桜を見据える。まるで自分のことのように嬉しさを秘めたセイバーの笑顔に、桜は恥ずかしそうに、けれど少しだけ誇らしげに頷いた。
「あ……ありがとうございます」
「私こそ感謝を。……ですがあまりのんびりしている余裕は無い。急ぎましょう桜」
 セイバーはすぐに騎士王としての戦場の顔に戻る。桜も大きく深呼吸をすると、魔術師としての真剣な顔つきへと戻る。
「――はい。わたしたちも、姉さんたちのところへ――――」



Interlude Out――





第三十二話 〜王女メディアの伝説〜





 うねりを上げて強襲する触手、多数。
 捕まったなら命は無いそれを、両手に握り締めた剣で叩き斬る。
「――――!!」
 一本、二本、三本、四本、あとは分からない。複数。多数。大勢。無数。たくさん。いっぱい。とにかくたくさん。この目では数え切れない。
 正面から来る触手を右の剣で斬る。
 回りこむように右下から来た触手を左の剣で斬る。
 交差するように同時に来た二本の触手を両腕を振るって斬る。
 腕を狙って巻きつこうとした触手を身体を捻ってかわし、すれ違いざまに斬りおとす。
 時間差で来る左右の触手を、リズムよくステップを踏んで斬りながらかわす。 
 
 斬ったら進む。
 一歩足を前に出し、言峰との距離を一歩縮める。

 また次の触手が来る。
 また斬る。 
 さっきと同じかそれ以上の本数の触手。要するにたくさん。
 それを斬り捨てる。さっきと同じかそれ以上の回数だけ腕を振るう。一本たりとも身体に触れさせないように、力と方向に気をつけながら全てを斬りおとす。

 とてもじゃないが今の衛宮士郎などには出来ない領域の剣技を、この剣は教えてくれる。
 この剣に、いやこの剣の基本骨子に刻まれた記憶。蓄積された年月。染み込んだ習性。鍛えられた理念。
 英霊たるアーチャーの戦いすら概念として再現し、再生してくれるあいつの剣が、複数の敵を相手にしたときのお手本のような動きを教えてくれる。
 俺の身体そのものをビデオの再生機にして。
 

「Anfang――!」
 右を、赤い流星が追い抜いてく。
 右から俺の背後に回ろうとした触手が、右後方に陣取る遠坂の宝石弾で跡形も無く焼き尽くされた。

「シロウに近づくな――っ!」
 左を、白い閃光が疾っていく。
 左から俺の足元に滑り込もうとしていた触手が、左後方に陣取るイリヤの魔弾で根元から吹き飛ばされた。

「Αερο!」
 頭上を、紫の旋風が駆け抜けていく。
 上から俺の不意を突こうとした触手が、翼を広げ頭上に陣取るキャスターの魔術でチリ一つ残らず消滅した。


 ちょうど正四面体を構成するような陣形。
 その中において俺と言う一ヶ所の頂点だけを、言峰という目標の座標に到達するように全員で動かす。

 剣を振るう。
 生きるもの全てを呪おうとする触手を斬る。
 道を作る。そして歩く。
 砂の中を歩くように。
 沼の中を歩くように。
 一歩ずつしか進めない、その長く険しい道のりを、歩いては止まり、また道を切り開き、また進み、止まっては進む。

 それは人生に似ているのかもしれない。身を捩じらせながら不規則に動く触手の静止する一点を見極めて斬り飛ばしながら、そんなことを思った。
 人の人生をたとえてみよう。生きる人はみな、ゴールへ向かって歩いている旅人のようなものだ。
 だがゴールとはなんなのか。
 ゴールに辿り着いたと思ったら、実はたったの一歩しか歩いていなかったのではないか。
 人は少年になり、大人になり、大学に入り、仕事を得て、好きな人を見つけ、結婚し、子供を授かり、出世して、子供が独立して、地位を得て、退職して、老後を過ごし、そして死に、それでも世界は続き、血を残した命は生きていく。
 そんな一生の中で、人はなんど立ち止まり、もがき、苦しみ、道を見失い、けれど引き返すことなどできず、また歩き出すのだろう。
 その止まっては歩き、歩いては止まる人生に、いったいどれだけの人が絶望していくのだろうか。

「っ、けど――――」
 けど、少なくとも今、俺に絶望は許されない。
 なぜなら今向かうべきゴールは見えているから。
 言峰の元に辿り着くこと。そしてその先にあるアンリマユの誕生を止めること。そんなにはっきりと、この道の終点が、俺のすべきことが見えているから。
 だから、どんなにゆっくりでも俺は進まなければいけない。
 人が、先の見えない道をただ歩む。それだけのことが、実はどんなに幸せか。この世界が続くということが、何もしなくても道が続いてくれるということが、どんなにありがたいことか。そんなささやかにして最も原始的な幸せが人に与えられるのは、この世界があるから。この世界に生を受けているから。
 だから俺は守る。この町を、誰もが生きていくために不可欠なこの世界を。


「ああもう――わたしにこれだけ宝石使わせるんだから、後で少し負担しなさい――!!」
 一際大きな氷の槍が、右から一斉に来た三本の触手を、さらに後方から来た五本の触手ごと一瞬で凍らせる。

「シロウの邪魔はさせないんだから――っ!!」
 三連星の如く、三位一体で突撃してきた触手を、見えない壁が遮る。次の瞬間にはそれらは粉々に砕かれ、飛び散った泥は壁に遮られ俺に降りかかることなく落ちる。

「士郎にばかり気を向けていていいのかしら、神父さん――!!」
 空中から、紫の光線が降り注ぐ。それらは全て言峰へと。言峰の心臓から新しく生えた触手はそれ自身が言峰の盾となり、キャスターの魔術と相殺して消える。第二波の攻撃が少しだけ緩くなり、その隙に一歩二歩、言峰との距離を詰める。

 みんなの想いが背中を押してくれる。
 だから俺は、苦しくてもまだ前に進める。
「ぐ――――ぁぁぁっ!!」
 衛宮士郎の肉体のポテンシャルを超えた動きは、既に全身を蝕みつつある。
 強化の魔術とは、ただ対象そのものの持つ効力の概念を向上させるに過ぎない。故に全身を強化されたところで、それは肉体をパワーアップさせる術ではない。
 俺は超人になどなれない。
 俺は英雄になどなれない。
 ただの人間としてのこの身体は、だから英雄の動きについていけず徐々に悲鳴を上げていく。
 十を超える異なる動きの触手、その全ての動きについていこうとコマ送りで映像を映す眼球は磨耗していく。
 目から入ってくる限界以上のデータを処理し続ける脳が、情報量に耐え切れず熱を帯びていく。
 キャスターに魔力を供給しながら、自身も投影魔術を繰り返すためにフル稼働する魔術回路が焼けていく。
 超人的な剣技を振るい続ける腕の筋肉が一本、また一本と切れていく。筋の切れる不快な音が続き、耳の奥にいやにこびりつく。
 無理な注文を身体に出し続ける神経はその負荷の積み重ねによって擦り切れていく。

 呪いの触手に触れずとも、何十何百の触手を相手にする、それだけで確実に衛宮士郎の身体は壊れていく。
 全身に汗が滲み、指先まで苦痛が届き、視界は白みがかった靄がかかり、脳を圧迫する頭痛は増していく。
 そんな俺の様子を言峰は果たして見えているのかどうか。奴は、一歩も動かず、何も言わず、ただ黙って俺をわずか数メートル先で見下ろしている。
「ぉ――――ぁっ!!」
 ちくしょう、待ってろ言峰。
 俺は諦めない。歩むのを止めない。今、そこまで行ってやるから。
 
 腕を振る回数が多くなるのに反比例して、足を進める回数が減る。
 それは至極当然。俺と言峰との距離が縮まるということは、言峰と俺の距離も縮まるということ。
 ということは、触手を伸ばして攻撃できる言峰は、さっきより短い時間で触手を俺に届かせることが出来るということ。すなわち、さっきよりも短い間隔で、斬り落とされ体内に戻して再生させた触手を再利用できるということ。

「くっ、いいかげんになさい貴方――――!」
 上空で援護を続けていたキャスターの声が近づいてくる。キャスターが降下し、接近してきたのを地に落ちて見える影の大きさで理解する。

「大人しく、士郎に道を開けなさい!!」
 苛立ちを振り絞るようにキャスターは叫ぶ。上空が一瞬明るくなったかと思うと、光弾の雨が触手たちへと降り注いだ。20を超える触手の群れが一瞬にして全滅する。
 さらにキャスターは俺にも聞こえるほど大きな声で呪文を唱える。わずか一詠唱、たった一節のシングルアクションで、第二波が装填される。言峰が再生させ、また俺に向かおうとしていた触手に向けて一斉掃射が行われる。
 そのわずかな隙に足を動かす。三歩進めた。もう、言峰の全身は磨耗したこの目でもはっきり見えるくらいにまで近づいている。

 だが近づいたキャスターの位置は既に言峰のテリトリー。気配を感じたのか匂いに気付いたのか、頭を上げた触手が数本、キャスターの浮かぶ空へと伸びる。
「Αερο!」
 紫色の風が、その触手を吹き飛ばす。風に巻き込まれた泥は俺たちを巻き込んで飛び散ることなく、塵となって消滅した。
 ここまでは計画通り。俺があえて目立つように単身で特攻し、キャスターは後からさりげなく言峰へと接近する。あくまでもさりげなく、俺の援護を装って。囮の俺が一瞬でも隙を作った瞬間に言峰の死角に回りこめるように。
 自動的に左右非対称の線図を描くように腕を振り回し、触手を数本斬った反動の痛みをこらえながら、目線だけを上空に向ける。こんなこと言うとキャスターに怒られそうだけど、黒いローブから生やした黒い翼でふわふわと宙に浮く小柄なキャスターの姿はまるで魔女の使い魔として飛び回る小悪魔のようだと思った。その可愛い小悪魔は俺の視線に気付くとアゴを引き俺のほうをちらりと見て、作戦を確認するように小さく頷いた。
 だから、ここからは二人で進む。背後を遠坂とイリヤにまかせ、前方の敵は俺とキャスター、二人で切り開く。前方にはずいぶんと近づいた言峰の姿、そして一拍子で俺へと届くほどの近距離で言峰を守りながら、俺たちを呪おうとしている触手の群れ。
 錆びた鉄の味がする口の中をひと嘗めし、改めて生の実感を得る。
 感覚の無くなりかけた指で今一度剣をしっかり握り、アーチャーの魂の重さをよく噛み締める。
 さぁ、もう少しだけ頑張ろう。


 抉りこむように右から伸びてきた触手を二本、まとめて斬り落とした。
 死角に回り込んだ触手を、上空からの光線が焼き払う。
 その光線を掻い潜り、空へと伸びようとした触手を根元から斬り払う。
 そのまま返す刀で後ろから襲ってきた触手をバラバラにすると、正面、言峰への道を塞ぐ触手が上からの掃射で十本近くまとめて無に還っていた。
 また、一歩足を踏み出す。
  
 数を増やしながら、空を支配するキャスターを捕まえようとうねる触手を、何本か斬り落としておく。
 残りの触手から逃げるキャスターが俺とすれ違いざま、俺の足を狙って地を這っていた触手をまとめて吹き飛ばしてくれた。
 お礼に、キャスターを追っていたしつこい触手をすれ違いざまに斬っておいた。
 余裕の出来たキャスターは、再び空中で制止し杖の先端を絵筆のように回し、多くの陣を描く。
 そこから放たれる光線が、十本以上まとめて群れをなして俺に向かってきた邪魔な触手を視界から消した。

 ――ああ、考えてみればこの聖杯戦争は、キャスターと出会い、キャスターと戦うことを誓ったときから始まったのに、こうやって、二人の力を合わせて戦うことなんて、ほとんどなかった。
 今こうして、俺が戦い、キャスターが援護をし、お互いが危険なときはどちらともなくもう一方がお互いを助け、勝利を目差す。
 その行いが戦いと言う名の破壊行為である以上、そこには破壊と苦痛と消耗しか生まれない。限界などとうに超え、肉体を凌駕した精神が機械のように腕と足を動かし剣を振るい続ける俺の身体は、一秒ごとに致命的な損傷を積み重ね続ける。
 けれど、こんなとき、この街の命運をかけて戦っているこんな状況だと言うのに、
 なぜだろう。こうしているこの瞬間が、たまらなく楽しかった。
 戦うことが楽しいわけじゃない。
 壊すことや殺すことが嬉しいわけじゃない。
 苦痛がやがて快楽に変わるわけでもない。
 笑い出したいわけでも、誰かに誇りたいわけでもない。
 それでも、確かに感じる居心地のよさ、それはキャスターと共にあるという自覚。衛宮士郎がこの時だけは、自分を自分と感じられる確かな瞬間だという喜び。この時間がもう少し続いて欲しい、ここで終わりたくないという子供じみた願望が、心と身体が壊れる瞬間をもう少しだけ先延ばしにしてくれている。

 マスターは守ると誓ったサーヴァントの少女のために剣を振り、
 サーヴァントの少女は仕えると誓ったマスターのために魔を統べる。
 歪な俺たちだからこそ築き上げることができた関係は、他のマスターたちとはまるで逆で。でもそれが、たまらなく似合いすぎて、疑問なんて挟む余地はこれっぽっちもなくて。
 負けることよりも、死ぬことよりも、失うことよりも。


 ただ――交わした約束を守れなくなることだけが、それだけが何よりも恐かった。







 ――――そして、辿り着いた。



 言峰と俺との距離はわずか1,5メートル。あと少し手を伸ばせば届く距離。ひとっ跳びで詰められる距離。お互いの制空圏が交錯するこの狭い空間の中に、西部劇のガンマンたちの決闘の場にも似た張り詰めた空気が流れる。

「よく来たな。正直ここまで来るとは思わなかったぞ。見苦しく逃げ回るかと思いきや、その一組の剣のみで自ら道を切り開くとは」
「ああ――仲間がいてくれたおかげだ」
 カラカラに乾いた口で声を搾り出す。
 自分の声とは信じられないようなしわくちゃに枯れた声が、激しく脈打つ心臓の音がうるさいほどに鳴り響く耳から入ってきた。
 全身に血液を送ってくれているポンプは、今にも破裂しそうなほどにオーバーヒートしながらなんとか命を動かしてくれている。止まらない、止まれない、燃料がある限り走り続ける壊れた蒸気機関車のように。

「だがどうする。その剣で果たして私を殺すことが出来るか。よしんば出来たとして、その身体での最後の一歩と私の触手、どっちが相手を捕らえるのが早いか分からないわけはなかろう」
「知るか。やってみなくちゃ分からない。たとえやってみて出来なくても、絶対にお前の心臓に剣を突き刺す」
「そうか。だがどちみちお前も無事では済まんぞ」
「ああ。相打ちだろうがなんだろうが、お前だけは倒す。いや倒さないといけない」 
 その答えに満足したのか、言峰は深く祈るように目を閉じた。歓喜の瞬間は、今この時訪れたとばかりに。

 言峰の身体から生える触手はさらに数を増す。人間から聖杯へと近づく言峰の身体が、刻一刻と誕生の近づいたアンリマユの身体を受け止めきれずもてあましているかのようだ。
 近づいたぶん、よく分かる。あれが一斉に襲い掛かってきたら逃げ場は無い。いくら英雄の剣筋といえど、二十三十を超える触手をこの至近距離で一瞬のうちに斬り伏せる術は無い。
 これもまた等価交換。勝利に近づいただけ増す命のリスク。考えるべきは死への恐怖ではない。あれをどうやって突破し、言峰に一撃を加えるか。
 作戦通りに行くなら――

「待ちなさい神父さん。士郎は殺させないわ――!!」
 杖を片手にキャスターが急降下する。先陣を切った数本の光線が触手をまとめて薙ぎ払う。
 だが近づきすぎたキャスターを、触手は容赦なく敵として認識する。
「無粋な。セイバーならともかくキャスターでこの触手を相手にできるものか」
 一斉に触手の群れがざわめき立ったかと思うと、闇が弾けるように一斉に触手がキャスターへと襲い掛かった。
 その数は、見えている触手の半数をはるかに超える物量。前方にいる俺を無視し、まずは邪魔者を先にと言わんばかりに、蠢く黒い泥の触手は宙を舞う少女を追いかけていく。
 
「――くっ」
 触手から逃れながら、キャスターは空中に魔法陣を描いていく。そこから射出される光弾が追いかける触手を吹き飛ばす。だが多勢に無勢、数をほとんど減らさぬ触手は変わらず追跡を続ける。
 一度でも捕まったら終わりの鬼ごっこ。宙を旋回し、急降下と急上昇を繰り返し、背後の触手や言峰本体に攻撃を繰り返しながら逃げ続ける。
「ぐ――」
 追う触手を斬る。斬り落とされた触手は地面に落ちて、陸に上がった魚のようにのた打ち回って消滅する。だがとても追いつかない。
「邪魔――するなっ!」
 前方からも触手は来る。キャスターを追わない残りの触手は当然俺へと照準を定め、俺を捕まえようとにじり寄る。
 左右から来た触手を斬りつつ、上空を見上げる。
 
 キャスターを追う触手は次第にその包囲網を狭めていた。
 スピードならば翼を持つキャスターに触手はかなわない。だが、数では圧倒的に向こうが勝る。広い空間を縦横無尽に飛び回るキャスターに対し、網を張るように幅広く展開する触手はキャスターの進路を塞ぐように包囲する。逃げ道を無くした翼は、仕方なく別の道へ。
 後ろから、前から、上から、下から、右から、左から、あらゆる包囲に敵が群がる。
 魔術で吹き飛ばしてその一角を崩すと、そこを修復するように他の触手が道を塞ぐ。

 英雄とはみな一騎当千の存在、などというのは英雄に憧れを抱く人々の抱いた幻想に過ぎない。
 現実には多くの英雄が数の前に敗北を喫してきた。数々の神話の中で、英雄たちは時に理不尽な死を迎えてきた。
 どんな豪傑、どんな知将だろうと圧倒的な数の暴力の前にはかなわなかった。

 ましてや今の相手はサーヴァントすら殺すモノ。
 だとしたら――もとよりキャスターに勝ち目などない。

 そして、キャスターの逃げ場は完全に無くなった。
 あらゆる方向から少女を包囲した触手の群れは、舌なめずりするように一度身を小さく震わせ、
 
 一斉に小さな標的へと踊りかかった。

「キャスタ――――!!」
 柳のように身体をしならせ、ゴムのように身体をねじ曲げ、前方のあらゆる方向あらゆる角度から襲ってきた触手をかいくぐる。
 すべての道が開けた。言峰と俺との間に、行く手を阻む黒い触手は一本たりとも存在しない。
 言峰の顔は正面を向いたまま、光の宿らない目は俺のほうを見たまま動かない。

 だから言峰には見えない。
 キャスターの切り札が発動した瞬間を。
 
 あらゆる方向から襲い掛かった触手が、キャスターのいた空間を押しつぶすように一箇所に収束する。その光景はまるで波打つ黒い髪の毛だけで出来た、おぞましい化け物のようなものを連想させる。
 ローブに幾本もの触手が殺到し、キャスターの身体を覆っていたローブはビリビリと無残に引き裂かれた。捕らえた獲物を前に歓喜の咆哮をあげるが如く、触手たちはローブの残骸を一片たりとも残さぬとばかりに群がってゆく。



 ――当のキャスター本人など、すでにそこにいないことにも気がつかず。



 空間転移、とキャスターは言った。
 ほとんど魔法の領域じゃないか、と遠坂は驚いた。
 
 それは高次元を経由して一瞬のうちに移動する魔術。高速移動と呼ぶことすら生ぬるい、まさにワープと呼ぶに相応しいその移動は、アンリマユの泥の包囲すら抜け出し言峰の死角に回ることすら可能だと言った。
 魔力が十分ではない今、戦闘に応用できるほどの距離はキャスターは移動できない。だが残された魔力をフルに使い、ほんのわずかな距離だけなら一度だけ跳べるだろうとキャスターは言った。
 キャスターの最後の切り札。それは最後の一撃を決める今この瞬間のために存在する。

 瞬きする暇すらない。
 地を蹴り地面を離れた俺の足は、まだ大地にすら着いていない。
 一瞬、本当に刹那の領域に到達したごくわずかな時間の中で、空中に浮かぶローブの中にいたはずのキャスターの身体は言峰の死角――機能を停止しつつある言峰の左脇――へと現れた。

 そのキャスターの手には。
 突き刺せばたとえアンリマユの契約だろうがゼロに還すことのできる、
 虹色に輝く、契約破りの短剣――――





        ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・  
「――ああ。そう来るだろうと思っていた」





「――――な」

 信じられないものが見えた。
 
 キャスターの飛び込んだ先に、触手が一本残っていた。
 まさか、あいつは。俺たちの目から隠すようにして背中に配置していたというのか。俺ではなくキャスターが奴の死角に回りこむことを読んでいたというのか。
 だとしたらまずい。俺ではなく、攻撃を仕掛けたキャスターの方が致命的にまずい。
 キャスターの動きは急に止まれない。最後の伏兵として潜んでいた触手の迎撃に対抗する術が無い。 

 手の内を読まれた攻撃は、逆に敵のカウンターの格好の餌食――――!!


「キャスタ――――っ!!」

 叫びながら、さっきより大きく吼えるように叫びながら、地に着いたばかりの足をもう一度強く蹴り上げ跳んでいた。
 
 言峰のいる正面ではなく、キャスターのいる斜め前に跳んでいた。

 今にも一本の触手がキャスターを呪い殺そうとしている、その惨劇の場へと身を乗り出していた。

 差し出した右手は小さな少女の身体を押し出し、触手の襲撃からその身を救い、

 かわりにその位置に入った俺を、


 そのまま触手は身代わりとして貫いた。



 妙に熱く、燃えるように熱を帯び始めた胸元を見る。
 左胸、ちょうど心臓のある位置に、触手が喰らいついていた。



「え……な――――――」
 遠坂の、力の抜けたような声が。
「……ウソ…………でしょ?」
 イリヤの、放心しきったような声が。
 
 静かに耳に届いて、そして、一拍置いて、


「士郎――――――っ!!」
「シロウ――――――!!」


 二人の絶望に満ちた悲鳴が、痛いくらいに脳に突き刺さった。


 かろうじて。
 まだ、俺の意識は残っている。
 俺の命を守る最後の砦。
 服の裏側に仕込んでおいた、キャスターがくれたお守りのアミュレット。
 それはかっての王女メディアの伝説にありき、アルゴー船の英雄イアソンを守護せし魔術の具現。
 黄金羊皮を求めはるばるコルキスを訪れ、試練に挑まんとするイアソンにかけた、一日だけ剣にも炎にも傷つかない体にしたという究極の守護魔術。

 しかしそれでもなお、この世全ての悪には薄氷の盾に過ぎない。
 もって数秒。雄牛の吐く炎、竜牙兵の剣すら退けた鉄壁の守りも、アンリマユの泥の前には一時凌ぎにしかならない。
 この胸に喰らいついた泥は衛宮士郎の心臓を侵食し、脳を焼ききり、血液を沸騰させ、神経を犯し、内臓をつぶし、骨を砕き、肉を燃やし、細胞の一つ一つまで汚染させ死に至らしむるだろう。
 この呪いに勝てる者などいない。
 この呪いを前に助かる命など無い。 

 徐々に力が抜けていき、人形のように指先すら動かなくなった無機質な手から剣が零れ落ちる。

 棒のように硬直しきった身体は糸が切れた人形のように崩れ、地面に膝をつく。
 
 火あぶりと冷凍刑を同時に執行するように、急速に沸騰した全身は、冷め行く鉄のように一瞬で体温が奪われていく。

 脳を冒そうと、あらゆる悪の語る狂気の判決が高々と読み上げられる。

 壊れたラジカセのように、耳障りな呪詛がいくつもの和音を重ねながらループを繰り返す。

 神経をドリルで抉るような激痛が全身を駆け巡る。

 世界の全てが奈落へと落ちていくような眩暈が脳を揺さぶる。

 髪が、肌が、爪が、服が、大地が、そして世界が、全てが目に痛いほどの黒一色の闇に染まっていく。

 自分がバラバラになるような感覚と、何か別のツギハギなものに作り変えられる感覚が交互に襲い掛かり、自分が自分でなくなっていく。

 まだ身体に直接触れもせで、その余波だけで泥は衛宮士郎の身体を蹂躙しつくす。

 全ての病、全ての刑罰、全ての戦禍、全ての災厄、全ての絶望が衛宮士郎の肉体を冒そうと、狂ったように防波堤をこじあける。

 

「が――あ――ぎ――あ――、あ、あ、ああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛――――――――!!」


 そして、その泥には逆らえず。


 泥の進行を水際で防いでいた最後の砦、キャスターのアミュレットは、


 音も立てず、粉々に砕けた。



「終わりだな衛宮士郎。その程度も読めぬと思ったか。
 お前たちの芝居は中々のものだったが、配役を間違えたな。戦いはキャスターに任せ、お前は援護に徹するべきだった。アンリマユに対し有効な手段も持たぬお前があれだけ前に出てこようとすれば自分は囮だと言っているようなものだ。
 たとえキャスターの魔術でもその泥は防げまい。衛宮切嗣と同じ地獄を味わいながらそのまま朽ち果てろ」
 
 言峰は、それをアンリマユの誕生の祝詞に捧げるように高々と勝利を宣言する。

 ――ああ。お前はよく見抜いたさ、言峰。
                                     ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 だが、そこまで見抜くお前が相手だったからこそ、俺達は賭けに勝ったんだ。


 お前は甘く見ている。俺のパートナー。共に戦ってくれる一途で純粋な魔術師の少女の、本当の力を知らない。
 他人を信じたいと願い、他人を助けたいと想い、誰かのために生きたいともう一度だけ願った少女が、どんなにすごいかお前は知らない。

 この世全ての悪を相手にしてすら、その裏をかくほどの智略に長け、
 汚染された聖杯の泥の呪いすら欺く比類なき魔術の使い手。
 
 だからこそ彼女は呼ばれる。

 魔術師の英霊……キャスターのサーヴァントと――――!!







 ――むかしむかしのお話です。

 王ぺリアスは、英雄イアソンに言いました。

「金羊の毛皮を取ってくれば、お前を王にしてやろう」

 長い冒険の末、英雄イアソンとコルキスの国の王女メディアは王の命じた金羊の毛皮を手に入れました。

 しかし王は最初から王の座を譲る気などなかったのです。

 王は、イアソンとの約束を破りました。

 怒ったメディアは、王を殺そうと決意しました。

 ある日、メディアはぺリアスの娘たちを呼び寄せます。

 娘たちの前で、メディアは年老いた山羊をバラバラにすると、ぐらぐら煮立った釜の中へと入れました。

 するとどうでしょう。なんとバラバラにされたはずの山羊は鍋の中から生き返ってきたではありませんか。

 しかも、年老いていた山羊はすっかり若返り、雄々しく元気な姿で。

「ぺリアス王も、このようにして若返らせてさしあげましょう」

 メディアがそう言うと、娘たちは大喜び。さっそく父親を説得すると、娘たちは自らの手でぺリアス王をバラバラにします。

 もちろん、その後いくら王だったものを釜で煮込んでも、王が生き返ることはありませんでした。

 それはそのはずです。どんな魔術を使っても、死んだ人間が生き返ることなど決してあるはずがないのですから。

 こうして、魔女メディアは自分の手を汚すことなく、自分たちを騙したぺリアス王を殺したのでした。








 ――キャスターの力をもってしても、死者を生き返すことなど不可能。
 されど、その真似事なら可能だとキャスターは言った。
 擬似的な不死薬。それがキャスターがアミュレットに仕掛けた保険の効果であり、俺が飲んだ薬の正体。

 それは、人を不死身にさせる薬ではない。死んだ人間を生き返らせる薬でもない。
 例えるならば奇術。死んだ山羊が生き返るなどありえない。ぺリアス王の娘たちが見た山羊は、年老いた山羊の死体と入れ替わった別の山羊。老山羊が死んだ後、あたかも生き返ったように鍋の中に隠しておいた若い山羊を出しただけ。単純な、しかし巧妙すぎるすり替えのトリック。
 故に、不死の薬はその具現。魔力で擬似的な生命を作り出し、それが飲んだ者の身代わりとなって守るべき命を救う。若い山羊の身代わりに、年老いた山羊が捧げられたように。命が失われることが避けられないならば、違う命を差し出せばよいとばかりに。



 たった一度きり、死を逃れる究極の身代わり。故に、キャスターはその薬を、その魔術をこう呼んだ。







   ス  ケ  ー  プ  ゴ  ー  ト
 身代わりに捧げし老山羊――――!!







 身代わりの命が消え行く中で、



 守られた命に再び息吹が宿る。



「――――――あ、」
 熱を奪われた体内に再び火がともる。

「――――ぅお――」
 脳裏に印刷された地獄が消えてゆく。

「は――――あ――――」
 忘れていた呼吸が再開し、肺を満たす乾いた毒は新鮮な空気と入れ替わる。



 今ここに、再び、衛宮士郎の命は蘇った。



「く――――あぁぁぁ!!」
 俺はまだ生きている。まだ生きていられる。その生の実感の歓喜に震え、吼えながら体内の炉心をフルに燃やす。
 左胸に喰らいついた触手が吹き飛ぶ。
 残された最後の一歩の距離を埋めようと、限界まで壊れた足にありったけの力を込めて跳ぶ。

「吹き飛ばした――!? 馬鹿な、アンリマユの呪いをくらってなぜ死なん――――!?」

 言峰の目が驚愕で見開かれる。初めてあいつが心からの焦りの色を見せる。垂れ下がっていた全ての触手が言峰を守ろうと頭を上げる。だが、一歩遅い。
 呆然と立ち尽くす言峰との距離が縮まっていくのを、スローモーションのように目で追いながら、宙を疾る。

「言ったでしょう。士郎は……士郎だけは死なせてなるものですか――――!!」
「っあああああぁぁぁ――――!!」
 
 残された力の全てを振り絞る。
 残った魔力を総動員。頭からつま先のてっぺんまで、巡り巡る力を、魔力を、精神力を、その全てをひとつに。
 手から零れ落ちたアイツの双剣は役目を終えた。今の俺に必要なのは、キャスターのものと同じ、あの短剣。
 何度も見てきた剣だ。それならばたとえ宝具であろうと、俺は作り出せる。その真名すら、俺なら解放できる。


 言峰は最後に見誤った。キャスターの正体をあらかじめ看破していた事が逆に仇となった。俺の戦闘スタイルに違和感を見つけられたことで勝った気になっていた。

 ――そうだ。囮役は俺じゃない。本当の囮役はキャスターのほうだ。

 俺たちの切り札はキャスターじゃない。本当の切り札は俺のほうだ。

 言峰が知らなかった事実。宝具さえ投影する俺の異質な魔術。キャスターと同じ契約破棄の短剣を投影できる、俺の方こそが本当の本命。



 決着をつけるのは、俺の一撃――――!!



 偽りで出来た刃を本物に。

 人の手に余る神秘をここに。

 人の手では起こせぬ奇跡を現実に。


  ル   ー   ル
「破壊すべき――」

 そして。

 みんなを守れる、力をこの手に。


  ブ レ イ カ ー
「全ての符――――!!」



「宝具の投影だと――――貴様何者――――!!」

 言峰が構えるシーンがゆっくりと網膜を流れていく。しかし、もう遅い。お前ともあろうものが最後の最後で油断した。どんな魔力を持とうが、どんな魔術を使おうが、勝利を確信し慢心した者に勝利の女神は決して微笑まない。
 振り下ろした剣は虹色に輝く軌跡を描きながら、まっすぐに闇を切り裂く。
 
「ことみねえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ―――――!!」

 全ての魔力、全ての力。全ての想い。俺の全身全霊を込めた一撃を。

 言峰綺礼の心臓に、突き刺した。



 続く



あとがき
 最終決戦、決着です。周囲の評価はともかくとして個人的には、最後の最後でようやく士郎とキャスターをコンビらしいコンビとして戦わせることができたような気がします。
 キャスタールートでやりたいことの中でも特に大きかった、「キャスターの道具作成スキルとメディアの伝説を組み合わせて士郎を守る切り札にする」というネタは最後の最後に出したいとっておきだったので、予定通り使えて嬉しいです。
 ちなみにキャスターのスキル……道具作成 A:擬似的ながらも不死の薬さえ作り上げられる。
 です。単に薬を飲んで不死身になって敵を倒す、じゃあまりにも芸が無いので、メディアの伝説の王殺しのの山羊とからめてみました。いかがでしたでしょうか?
 泥の触手を普通の魔術や剣で破壊できるのかとか、いくらなんでも言峰油断しすぎじゃないかとか、いろいろ突っ込みどころはあるかもしれませんが、どうかここまで来たらノリと勢いで楽しんでください。
 おそらく次回で、最終話とエピローグをやって終わりになるかと思います。
 なお、この話での「身代わりに捧げし老山羊(スケープゴート)」は作者の完全な創作であり、本家TYPEーMOONとはいっさい関係が無いこと、および政治や心理学などで使われる用語としての「スケープゴート」の本当の語源はヘブライ聖書の古代ユダヤにおいて、贖罪のために人間たちの罪を山羊に負わせて野に放したことに端を発するものであって、王女メディアの伝説とスケープゴートの語源とはいっさい関係ないことをここにお断りしておきます。

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