神道の要領と心得
 
  
  神道の要領と心得

   礼拝 れいはい

   祈祷 きとう

   勤務 きんむ

   修祓 しゅばつ

   鎮魂 ちんこん 
 
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 神道という言葉は、6世紀大陸より伝来した仏教と区別するために使われはじめた。それは当時の外来宗教に対して、日本固有の神祇信仰の存在が人々に自覚されはじめた表われである。史書日本書紀において「神道」という記述が、明確に仏教に対して使用されている。 このことから、神道は仏教伝来以前からこの国土において唯一信仰されていたものであることがわかる。「神道」という言葉には「神の歩まれた道」「神の教え」という意味がある。

神道において、天津神(あまつかみ)とは高天原に生まれた天神(てんしん)のことをいう。国津神(くにつかみ)とは、この国土に生まれた地祇(ちぎ)のことをいう。

天神は造化の主宰であり、天神地祇の徳を得て万物が存在する。生死出歿、衣食住からはじまり一切の物事について天地開闢以来、その恩恵は無量無限に尽きることがない。人が神々から受けたその恩恵に対して感謝し、恩に報いるのは自然なことであり、それが人の道である。それは、たとえば旅人が一夜宿を借りるならばそれに対する料金を支払ったり、人から贈り物を貰ったならばそれに対して必ず感謝の言葉を述べたりすることと同じことである。

 天神は、皇室の御祖宗である。天神と人類は父母と子の関係と同じである。父母はその子を慈愛して、その子の孝敬を受けるのが道理である。また、子はその父母に孝敬を尽くして、その父母の慈愛を受けるのが道理である。天神は人類を慈愛することで尊敬を受け、人類は天神を尊崇することでその恩徳を受ける。

神恩に報いて神徳を敬う道は、敬神と愛国との二つに分けられる。

 愛国とは、天神の仁愛なる神意を奉じて天下を治め、多くの国民にそれを広めて職に安心して励めるようにすることであり、それを政治という。

敬神とは、天神の仁愛なる神恩を受ける多くの国民に代わりその神恩に報いるため、誠の心をもって神祇を崇敬し、また幸福を祈ることであり、それを祭儀という。

 政治によって愛国を実践することが行政である。そして、祭儀において敬神の誠を尽くして神祇に奉するための作法には、礼拝、祈祷、勤務、修祓、鎮魂がある。
 


  礼拝 れいはい
 礼拝

 礼拝は、ヲガムとも読む。拝むには、折屈(ヲリカガム)の意味がある。

 礼拝という言葉には、神霊に向い身を折り屈めて、それを頭上に戴いて尊奉の意を表すという意味がある。ここでは、人を一つの小天地と考える。すると、人の身体は上中下の天地泉の三界に分けることができる。そして、頭は上にあって天のように尊く、足は下にあって黄泉(よみ)のように卑しく、腹部は中間にあって大地にたとえられ、その天には天地を主宰する天神が存在するため頭は同様に尊いのである。これは、人が他に向かって容易に頭を下げることがない本来の理由である。しかし、自分より尊敬すべきものに対しては、必ずその立場や作法に応じて自ら平身低頭して尊崇の意を表す。これが人類に礼節がある所以である。したがって、神明に対する礼義として人は神々を頭上に戴いてその神徳に対して報いる。そのとき、頭を低くするには必ず身体を折り屈めなければならないため、これが礼拝という名の由来となった。その拝式には、数などによっていくつかの種類がある。

     再拝

     両段再拝

     四度拝

     八度拝



礼拝の起源

 礼拝の起源は、神代の神人の始祖である伊邪那岐(いざなぎ)伊邪那美(いざなみ)の二柱の神が、天神からこの漂える国を修め理り(つくり)固め成せと詔いて天瓊矛(あめのぬぼこ)を授けられた時、拝んでこれを受けたことを起源とする説や、イザナギノミコトの禊の段に、中瀬にオリカヅキテとあるカヅクはヲガムの意味を兼ねるものであることからこれを起源とする説もあるが、これらは起源とはならない。

 天照大御神が天石窟(あめのいはや)に隠れたとき、八百万神(やほよろづのかみ)たちが種々の物を供え、天太玉命(あめのふとだまのみこと)は御幣(みてぐら)を取持ち、天兒屋命(あめのこやねのみこと)は太詔戸言(ふとのりとごと)を祷き白して、とある。これが世に伝わる礼拝の起源である。その後、天孫降臨のときに天照大御神が宝鏡を持たせこれを我が御魂としてわが身を拝み斎奉るようにとこれを授け、その神事の宗源を主とする天太玉命や天兒屋命も従って天降ったことから、これによって礼拝の儀が正しく世に伝わるこことなった。神武天皇の御世には、その天太玉命や天兒屋命の子孫がその父祖の神等より伝授を得て、後の歴朝にも伝わり、神祇官である神祇伯はこれを行い、今日まで伝えられてきたのである。




礼拝の心得

 神明を礼拝するということは、自らが現世にいながら神明に謁することである。社殿斎場において神明を拝礼する時には、必ず社殿や斎場に正しく神霊が儼存していることを観想し、忘念雑慮を起こさず、慎んで謁し敬む心を失ってはならない。

「人の目には見え給はぬ故に、隠身(かくしみ)というを略きて、神(かみ)とはいへるなり。」

人は耳目を信じるもので、耳目に触れるものを有る、耳目に触れないものを無いする。人目に触れない神明の有無を疑いそれを無いとして、単に神明の前に低頭平伏して形式上の虚礼を行い過ごすことを、非礼という。非礼は神明を涜するものである。神明は非礼を受ることはない。慎むべきである。




拍手の本義

 礼拝の際には必ず拍手をする。拍手は、祓いと鎮魂との両方の意味を持つ。礼拝では、上で述べたように雑念があってはならない。拍手はその音と共に雑念を払い、至誠を凝固して神明と合一させる。雑念を払う点から言えば拍手は祓の儀であり、至誠を凝す点から言えば鎮魂の儀である。

   宮地嚴夫『神道要領』第一禮拝 より
   



  祈祷 きとう
   祈祷

 祈祷はイノルともよむ。イノルのイは、齋祝(いつくいはふ)伊垣(いがき)嚴瓮(いづべ)齋波利(いまはり)などのイと同義で、忌み慎むという意味である。また、ノルは祝詞(のりと)詔勅(みことのり)宣(のり)告(のる)などおノリと同じく宣る、述べるという意味である。イノリとは、上の二つを合わせて齋宣(いみのぶる)という意味となる。

 また、祈祷とは乞宣(こひのむ)、請願(こひねぎ)ともよむ。神明に対して自ら志願する所を、齋宣(いみのべ)乞い望みて、願望を成就することをのぞむ意味である。

 このように、人々が天神に対して祈祷し、天下の泰平、国家の安寧、一身の幸福を願うのは、天神が天地宇宙の元主であり、天下の盛衰栄枯から人類の吉凶禍福にいたるまでのすべてを定めているからである。



祈祷の起源

 祈祷の起源は、神人の始祖である伊邪那岐(いざなぎ)伊邪那美(いざなみ)の二柱の神が、この国土に天降りはじめて御子を産んだとき「水蛭淡島など云ふ不良御子なりしかば、二神相議りて、猶天神の御所に申すべしとして、即ち共に参上りて、天神の命を請給ふ」とあり、これが起源とされている。その後、天照大御神が天石窟に隠れたとき、八百万神たちが集まり招き出すために種々の物を供え祈祷し、特に天兒屋命は太詔戸言を祷き白して、とある。この時に祈祷の儀が定まったのである。その後、天孫降臨の際、天照大御神が宝鏡を持たせ皇孫のために斎奉るようにとこれを授けた。その神事の宗源を主とする天太玉命や天兒屋命も従って天降ったので、これにより祈祷の儀やあらゆる神事も世に伝わるこことなった。神武天皇の御世にはその天太玉命や天兒屋命がこれを主り、その後は中臣忌部の二氏がこれを伝え、遂に歴朝の神祇官である神祇伯はこれを行い、今日に至る。



祈祷の本義

 祈祷は、人類の願望を神明に請奉りその満足を得ることを求めるものだが、妄りに不法無道の願いをするべきではない。元来、人は世の中を修理固成するためにこの世に生まれてきたものであるため、一にも二にも国家を平定し、世界を開成することが本分である。神明に対して奉るときには、天下泰平、風雨和順であって五穀豊穣となることを祈るものである。学術を修業しその蘊奥を極めること祈り、子孫繁栄、家運長久、神明の擁護によって罪科に陥ることが無いように、災禍を免れることを祈るものである。

 そして、「人事を尽くして天命を待つ」の語があるように、神明に祈りながらも人事を尽くすものだが、すでに人事を尽くすもなお自己の力の及ばない所があるものである。それを神明に祈れば、神明は必ずそれに応える。それでも、祈っても応えないのであれば、それは人事がまだ尽くされていない所があるからである。「思はずんば有るべからず」これが祈祷の本義である。
   宮地嚴夫『神道要領』第二祈祷 より
   

   



  勤務 きんむ
   勤務

 勤務はツトメともよむ。勤務のツトは夙(つと)であって、朝早いことをいう。メは、諫め詠め認めなどのメと同じくメルと活用する助詞である。ツトメとは、人が朝早くより起きて怠慢なく、よく慎んでよく行ってその道を全うすることから起こったことばだが、現在では必ずしも朝早く起きる事に限らず、何事にもよく守りよく修めて、怠慢なくその道を尽くすこというようになった。天神は心と体を妙用することによって人を造り、世界を造った。

 勤務には心霊と体質の二類がある。体質を維持するために必ず欠かせない物は、衣食住である。それは体質のために必要なものであって、そのために農業によって食物を作り、職人が器を作り、それを商人が売り、それを保護する役人が、その道を教えるために教師がいるのである。このように体質を維持することから始まって、田畑ができ、村ができ、市街ができ、都となり世界が開けてゆく。これをみれば、天神が人に体質を与え、それに欠かせない職務を授けたのは、人が知らず知らずの間に天神の御心に随って、世界を開く任務を与えられたのだとわかる。また、心霊にも欠かすことができないものが三つある。それは、智仁勇である。その理由は、心霊に智がなければ善悪が分からず、勇がなければ何事も決断することができず、仁がなければ道義を全うできないからだ。まず、男女があって夫婦となり子ができて、親子となり、子が世に出て朋友を作り、それぞれ夫婦、親子、朋友が智仁勇の三徳によって、互いにその心霊を安じてその道を尽くし、身を修め、家を齋ひ、国が治まる。要するに、人々が倫理の秩序に随って互いに心霊を安じ、共に道を尽くすことを、心霊の勤めという。



勤務の起源

 神人の始祖である伊邪那岐(いざなぎ)伊邪那美(いざなみ)の二柱の神が、天神から「この漂える国を修め理り(つくり)固め成せ」と天命を受けて、授けられた天瓊矛によって自凝島を作り、その地に降りて夫婦となり、八十の島、風火金水土の五元の神を産み、世界の大基を建てた。この二柱の神が行った天神の神勅に対する勤めが、勤務の起源とされる。
   宮地嚴夫『神道要領』第三勤務 より
   
   



  修祓 しゅばつ
 

修祓

 修祓はハラヒともよむ。ハラヒはハラハム、ハラヒ、ハラフ、ハラヘと活用する語であって、払い除く意味がある。ハラは、散らすことを古語にハラクともハララカスともよみ、木の葉などが散るのをハラハラ散るというハラと同じで、このハラヒのハラには罪穢をハラケ除き去るの意味がある。

 修祓とは、人が心身を清浄にして、神明に親しみを求める法である。

 悪には犯と禍の二種の区別がある。犯とは、それを悪と知りながら良心を失い、自ら強いてこれを行うことである。禍とは、自ら悪いとは知らずに意無くして行うことで、理に反して道を違い、人を損して世を害す悪事のことである。犯よりは軽いとしても、罪が悪であることを免れない。このように、天神の神慮に背けば天罰は免れない。これを「天網恢恢(てんもうかいかい)疎にして漏らさず」という。しかしながら、天神は好んでこれを罰するわけではなく、義として免ずるわけにはいかないのである。したがって、罰があり、これを天神の義怒に触れるという。

 そこで仁愛なる天神は、この義怒に触れる者を憐れみ修祓の法を定めた。それは、悔悟の心を起こし、謝罪し今後を慎むことを欲する者や、罪科がない者でも神祇に親しみを求める者にこの法を行わせて、罪科がある者にはそれを脱して天罰を免れさせ、罪科がない者には心身を清明にし神明に親しむことができるようにした。これが、修祓の儀が存在する所以である。

 修祓には、祓と禊の二つがある。祓は、身の罪科を拭い去り心を明にして、真神を安んじ、罪をおかした者の罪科を脱し、天神の怒りをなだめる法である。また、禊は外身の穢濁を漱ぎ除いて清くし、身体を全うすることで神明の愛顧を求める法である。この内外の身を清明にする儀を、修祓の法という。

修祓の起源

 修祓は、神人の始祖である伊邪那岐伊邪那美の二柱の神が八十国嶋を産み、森羅万象の神々を産み、伊邪那美命は火の神を産んだ後に死んでしまった。伊邪那岐命は後を慕い追い、その国の穢れに触れて帰った後、筑紫の日向の橘の小戸の檍原(あはぎはら)にて禊祓を行い、黄泉国の汚穢を脱して清明に復した。これを修祓の起源とする。その後、建速須佐之男命の勝佐備の御荒備により、天照大御神の天石窟に隠れることとなった。八百万神等が相議りて天照大御神を招き出した後、八百万神は速須佐之男命に千座置戸(ちくらのおきど)の解除を科し、その祓具を置座に置き、天兒屋命が解除の儀を行った。その後、天孫降臨の時、天照大御神は天下の人々を救うために、この神事の宗源を主とする天兒屋命に託して他の神事と共にこの法を天降した。これが修祓の儀が世に伝わったはじめである。神武天皇の御代には、天種子命がこれを勤め、その後は天種子命の子孫である中臣姓の人々が代々伝え、ついには中臣祓とさえいわれるようになり今日に及ぶ。



修祓の主神

 修祓の主神は、天神地祇ならびに祓戸に坐す四柱の神である。

 修祓を行うときに奏上する大祓詞の中に、「天津宣戸(あまつのりと)の太詔戸言(ふとのりとごと)を宣れ」とあることを受けて、「如斯(かく)宣らば天津神は天の岩戸を押開きて、天の八重雲を稜威(いつ)の道別(ちはき)に道別て聞食(きこしめ)さむ、国津神は高山の末短山(ひきやま)の末に昇り坐して、高山の伊保利(いほり)短山の伊保利を掻別けて聞食む、斯く聞食てば・・・遺る罪は非じと払ひ給ひ清め給ふことを、高山の末短山の末より佐久那太理(さくなだり)に落多岐津(おちたぎつ)・・・」とあり、この修祓を行うについて、この罪科を払い除き清浄にするのは専ら天神地祇によるものである。そして、その天神地祇が払い清めたことによって修祓を行う者から解け去った罪穢は、国津神がこれを高山の末短山の末に持ち去り、「佐久那太理に落多岐津」とある佐久那太理以下は、「真下りに落ちる瀧津(流れの速い川)せ」ということであって、その瀧津瀬から流し遺されたものを、そこからは祓戸に坐す四柱の神の受け持つところとなり、速川の瀬からついに根国底国(ねのくにそこのくに)、いわゆる黄泉国に払い返して持佐須良比(もちさすらひ)失うものとなる。したがって、修祓は祓戸に坐す四柱の神によるものであって、天神地祇によるものではないこという捉え方は大いなる心得違いである。

祓戸に坐す四柱の神とは、一を瀬織津比賣神という。この神は亦の名を八十枉津日神、大枉津日神ともいい、伊邪那岐命が禊祓をした時、黄泉国の穢を忌悪す神である。

二を速秋津日神という。この神は亦の名を速秋津日子神、速秋津日賣神とも伊豆能賣神ともいい、伊邪那岐命が禊祓をした時にうまれた神であり水戸、すなわち荒潮(あらしほ)の潮の八百曾(やほあひ)に坐す神である。

 三を気吹戸主神という。この神は亦の名を神直毘神、大直毘神ともいい、伊邪那岐命が禊祓をした時に禍津日神からうまれた神で、枉事(まがごと)を直そうとの御心によってうまれた気吹戸に坐す神である。

四を速佐須良比賣神という。この神もまた禊祓をしたおりに伊邪那岐命が鼻を洗ったときにうまれた神であり、根国底国で速須佐之男命と力をあわせて坐す神である。

 このようにして、四柱の神はみな伊邪那岐命が黄泉国の汚穢を禊祓した時にうまれた神である。そして、禊祓を主とする修祓の儀によって天神神祇が修祓する者から解き除き払い去った罪穢を、真下りに落ちる瀧津瀬より流し、速川の瀬に坐す神がそれを受取り、潮の八百曾(やほあひ)に持去り、気吹戸を経て根国底国に気吹を放ち却り、根国底国においてついにその罪穢を持佐須良比失うこと、すなわち大祓詞にある内容と同様である。

これらの神を祓戸に坐す四柱の神という。



修祓の本義

 修祓の本義を明らかにするには、先に述べた罪穢が生じる理由を詳しく説明しなければならない。

 この宇宙の現象とは、上に清明純良な天国があり、下に暗濁醜穢な根国があることに関係がある。この国土はその中間にあり中位を占める国であるので、天国には天神がいてこの国土の善良を守る。根国には禍神(まがつかみ)がいて、この国土を邪悪に誘おうとする。まさにこれが、この国土において吉凶禍福利害得失が行き交う理由である。

 これによって、この国土に生まれる人類の内にある天国に属する風火の性を具える心霊は、天神が与えたものなので天国に復帰しようとする性質がある。また、肉体は父母より受るとはいえ根国に属するものであるので、その肉体のために暗濁な情欲を起こすことがある。そのような時には、その情欲におおわれて良心を暗まし、ついに罪悪に陥って根国に堕る原因となってしまう。したがって、人が心に善念をいだく時は、天神がその心に入って進んで善事を行わせ、人は美徳をつむ。これを「天神の恩頼(みたまのふゆ)を蒙る(かがふる)」という。

 また、これに反して、人が心に悪念を萌す時は、禍神(まがつかみ)がたちまちその心に入り進んで悪を行わせ、人は悪を行う。これを「禍神に相率(まじこ)り相口会(あいくちあ)ふ」という。その根国より荒び来る禍神が、この国土の人類や一切の物を邪悪に誘い混乱させることで、世界を困厄艱難に陥らせる。つまり、国の大事から一個人の小事に至るまでこれに関わる。人の心に陰邪の念が動くことがあるときには、必ずその邪念の中に禍神は混入して、たちまちそれを増長して、悪事を行わせ罪科に陥れる。以上が、罪科の起こる原因である。

 このようにして、禍神に相率り相口会いて大小の罪科に陥り穢濁の身となった者はその罪科の軽重によって、在世の間は種々の苦痛を感じ死後の霊魂でも根国に陥ることを免れず、禍神に相率り、それと同類に陥ってしまう。これを天神が憐れみ修祓の法を定めて行わせ、その肉体と心霊の罪穢を解き去り、その罪穢のみを根国底国に却し、その者の心身を清明にして在世の間には無量の快楽を保たせ、死後にはその清明な心霊が天国に帰ることができるようにした。これが修祓の本義である。



修祓の行事

 修祓を行うにあたって、その行事の中で塩水を灌ぎ祓串を振ることがある。これはすなわち浴水払除を形質上にしめすものである。人類の体質は水土の二種から成り、心霊は風火の二物から成ることは先に述べたが、水土の二種は共に有形物であって、土は有形の粗なもので、水は有形の密なものである。また、風火の二物は無形物であって、火は無形の粗なもので、風は無形の密なものであるのは有形の水土と同じである。水土の二物から成る体質の外部が、その有形の粗である土気に属する垢で塗られた状態を汚穢という。この汚穢は、その有形の密である水で洗い漱ぐ以外にない。すなわち水浴である。また、風火の二物から成る心霊の内部に、無形の粗な火気に属する婬悪邪欲の妄念を起こして悪事を積む、これを罪科という。この罪科は、無形の密な風によって払除する以外になく、これがすなわち祓除である。

  このようにして、天神はこれを修祓の法と定め天津宣戸(あまつのりと)の太宣刀詞(ふとのりと)によってその由を天神地祇に告げ、解縄(ときなわ)と解き、切麻(きりぬさ)散米を散らし、塩水を灌ぎ祓串を振るのがこの行事である。祓串を振り塩水を灌ぐのは、その人の内心の罪科を払い、身の汚穢を洗う形を表すものである。たとえば、生活の中でも、汚穢は水で洗い塵埃は風で払う以外にないようなものであって、解縄を解き切麻散米を散らすのは、心霊と体質から罪穢が解離れ失い去る様子を表すものである。この神事によって、離れ去る罪穢は国津神が持ち去って高山の末短山の末より佐久那多利、すなわち真下りに落ちる瀧津瀬に流す。以上が修祓の真意である。



修祓の功徳

 修祓を行うことで、悔悟の念をいだく者がその罪科穢濁を脱却して清明に復することができる。これは、修祓の功徳の無量無邊である理由である。ここに古例をあげれば、伊邪那岐命が禊祓をして黄泉国の穢れを解除したことによって天照大御神、月讀命、速須佐之男命の三柱の貴子がうまれ、また、速須佐之男命も解除の式を受けることによって清々しい御心となり、後に八百万神に追われ天下に降りて八岐大蛇(やまたのをろち)を征伐して櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)を娶りこの国の基を起こして世界大成の道を開き広大無邊の功業を立てた。これはみな、罪穢を除いて清明に復して不吉を転じて幸福とした事実である。したがって、一個人の小事から国家の大事に至るまでこの修祓の儀の功徳が至廣至大に及んでいることになる。これによって、神武天皇がこの国を平定して天罪国罪を祓わせ、仲哀天皇が崩御した時には神功皇后は国の大奴佐(おおぬさ)を取りて種々の罪を求めて国の大祓を行わせ後に朝廷の大祓、国の大祓が行われた。また、大上中下の四等の祓があり、その軽重によって臨時に祓を科せられることとなって、ついに毎年六月十二月の晦日に大祓が行われることが恒例となったのは、この修祓の功徳が無量無邊であるからである。すでに、この儀式が厳かに行われた時代には皇威赫々であったが、円融天皇の御世ごろからこの儀式がおざなりになると、その後数世を経る間に皇室も微に傾いていった。その後数百年を経て東山天皇の元禄年間に至り祓の儀を再興し、これを清祓とよび毎年行うことになると、漸次に皇威は回復し、皇政維新がおこり明治四年には節折大祓の旧儀を再興し、明治五年には毎年六月十二月晦日に大祓を全国で行うことなり、皇威が再興することになったのは偶然のことではなく、この修祓の功徳によるものである。

 したがって、人々が修祓の法を常に怠ることなく行えば、家の祖先に罪科があれば自然にそれが消滅して、子孫永遠に禍原を除き、慶福を招き、富貴繁栄の家となる。心身ともに安楽で死後には霊魂が天神の親愛を受けることができる。すなわち、神明の域に復帰して永く天国の快楽を受けることができる。罪科がある者ですらそうであるのだから、無罪の者がよくこれを修めれば広大無邊の功徳を得ることができるのは、言うを待たない。

   宮地嚴夫『神道要領』第四修祓 より
   
   



  鎮魂 ちんこん
   鎮魂

鎮魂をミタマシツメともいう。ミタマとは、ミは御であり賛美の詞である。タマのタは、高立足健宝尊にいうタと同じく、足り満ちる義である。マは真の義がある詞である。したがって、タマと二語を合わすときには、足真(たま)という意味を表す。すなわち、それはまったく豊かで美しく、少しも欠陥がなく充実した、真という意味の名となる。玉をタマと言うのも、玉の円相で充実透明な状態が、ミタマが至精妙有で宇宙に充満する様子に似ていることから来た名であって、御霊(みたま)の玉に似ているからではなく、玉の御霊に似ていることから来た名でる。この足真(たま)は最も尊いので、特にこれを尊称してミという賛美の語を加えてミタマというようになった。 したがって、ミタマはこの宇宙を主宰する神霊の名であるべきだが、後には人類やその他の物の霊にも相通じて用いる名となった。よって、人魂やその他の物の霊であってもミタマとよぶ理由は、元来人身をはじめその他の物の中に入る霊魂は、それを遡れば天地の大元である天之御中主神の大神霊と同一物であって、その微分子に他ならない。

 また、シヅメは物が浮き漂い動いて治まらないものを、押し鎮める意味の語である。したがってミタマシズメとは、その霊魂の活動により念を起こしてそれを凝らして心となり、その心が理に由らず道に随わず、妄念となり、自ら御足真(みたま)の徳を失ってしまうところを、押さえ鎮めてその本来の魂に戻す法である。したがって、人はこの意味を知って常に真実無妄の地に安じて情欲の誘惑を被ることなく、妄念の雲霧に蔽われることなく、よく霊魂の徳を全うして天から与えられた性を尽くすときには、その大元である宇宙の大神霊と妙応感合して一体となり、いわゆる神人不二の域に進み神とも聖人ともなることができる。これを天神は鎮魂の法と定め、十種の瑞宝といくつかの妙理とによって、鎮魂の神の冥護を受け、種々の禍害の起因となり疾病の原因になる妄念妄想すなわち遊離の魂を招いてこれを身体の中府いわゆる丹田の中に鎮め保ちこれを養い、本来の性に返し、更にこれを霊魂の本所である頭脳の央に安じ、それを体中に満ち巡らして、それを守り慎みその徳を高くすることで、心霊の位階が進み、ついにその本源の宇宙の大神魂と一体となり、人生の本分を全うして、延べて神祇に接することを得るに至ることがでる。すなわち、人でありながら神位に進む道である。これを鎮魂の概略とする。



鎮魂の起源

 鎮魂の儀は、天地開闢のはじめから宇宙にその理を胚胎してきた。人類そして万物の始祖である伊邪那岐神は黄泉国の穢に触れてこの国に帰った後、筑紫の日向の橘の小戸の檍原(あはぎはら)にて禊祓を行った時、その黄泉国の穢を忌悪する御心によって禍津日神の生まれたが、その神のみでは禍事ばかりが生じるので、その禍を直そうとする伊邪那岐神の大御心によって、更に直毘神が生まれた。そこから次々に禊祓を行いその終わりに、すべての穢れが清まったので、自然と大いなる神慮が鎮まるに至り、ここにはじめて天照大御神を始め、貴の御子等が生まれた。すなわち、その端倪が初めて表れたところであった。鎮魂際には、必ず大直毘神を祭るのはこれに由来する。しかしながら、これを鎮魂の起源であるとは言うことができない。その後、天照大御神が天石窟に隠れると、天鈿女命が神楽の長となり招き出した事に始まり、天孫降臨の時に他の諸祭儀と共にこの法も天降り、それによってこの儀が世に伝わったのを始めとする。それ以来、天皇新嘗祭前夜にこれを行われている。その後、神武天皇の御代になって、饒速日命が天神より伝えられた十種の瑞宝によって行う法と、この国土在来の儀式とを合わせたものを宇麻志摩治命が天皇皇后のために行って以来、永く朝廷の儀式となり、ついに今日まで伝わるに至った。この儀式は朝廷の儀式のみならず、臣民もこれを修めるようになった。これがこの道に進む手ほどきとなり、古代の人が上下共に神武であり長寿であるだけでなく、顕幽分界の後でありながら、霊妙神異の出来事が多く、人が神に交わり、神が人に憑く事跡は少なからずある。この国が神国と呼ばれる理由はこれに由る。



鎮魂の本義

鎮魂は、遊離の運魂を招いて身体の中府に鎮める儀である。運魂とは、職員令の義解には「人の陽気を魂という 魂は運である」とあり、人の魂気は妙用自在で少しの間も運転活発の機を失わない。したがって、これを名づけて運魂という。運魂とは一名であって、それを大別すると二種ある。一つを魂といい、またヲタマシヒともミタマともいう。二を魄といい、またメタマシヒとも、ミカゲともいう。言い換えれば、性と情となる。この性すなわち魂は、人類が天神から稟受する無形の妙霊、物に触れ事に感じて少しも変化することなく、元から具有する真理のままに発動するものであって、良心といわれるものがこれである。また、情すなわち魄は、有形である肉体の関係いわゆる情欲の率惑によって元から具有する真理のままに発動することができず、転展変易して運動するもので、これを人心といい、人欲といわれるものがこれである。耳目鼻口の所感にまかせて視聴言動の所作を慎まない時には、知らず知らずのうちに真理に背き、正道に背き、あるいは禍害や疾病の根種となり、ついに苦痛や死を免れることができなくなる。これが運魂の名がある由来である。これゆえに、人は常にこの運魂を鎮めて静閑にして、情のために性を闇まされることがないように、宇宙の大神霊と妙応感合するべきである。

   宮地嚴夫『神道要領』第五鎮魂 より
   


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