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日本は古来神国とよばれ、第一に神祇を崇め、次に政を行うことに重要な意義があった。つまり、日本の神祇祭祀は行事の中でも最も重大であり、第一代神武天皇即位四年に鳥見山に斎場を設けて皇祖大神を祭ったのをはじめとして、歴代天皇は常に親しく神祇を鎮際している。人々も古来深く神祇を尊崇して、神社を造り奉斎してきたので現在では日本全国に約八万処の神社がある。
日本の神社では、天照大御神を頂点とする天津神・国津神を敬い祭る。古代より朝廷が神事の中心となり、現在においても宮中と全国の神社において国の平安と繁栄、国民の幸福が祈願される。国の繁栄と国民の幸福は、国民の生活の基盤である稲の豊作、五穀豊穣に象徴され、毎年宮中において五穀豊穣を祈り感謝する祈年祭、神嘗祭、新嘗祭などの行事が行われている。また、それに合わせて日本各地の神社においても、同様に祈年祭や新嘗祭などの祭儀が行われる。
日本の神社の多くは地域社会の統合に深く関係する。氏子崇敬者による組織を有する神社を中心とした信仰であり、中には農業における田の神や狩猟に関係がある山の神の信仰などの民間信仰に関係する神社もある。 |
神社の起源
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神社の起源 天津社と国津社
神社の起源は、大国主神が自ら幸魂、奇魂を大和の三諸山(大神神社)に斎き祀ったことを最古として、これに次ぐのが出雲大社となる。第十代崇神天皇の御代に、天津社(あまつしゃ)、国津社(くにつしゃ)の制が作られ、高天原(たかまのはら)にうまれた神を祭る神社を天津社、この国土にうまれた神を祭る神社を国津社とよぶ。
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社格の起源
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社格の起源 官幣社と国弊社
次第に神社の数は増え、延喜年間には社格に大小の区別を設け、神祇官から祭日に幣物を頒つ神社を官幣社(かんぺいしゃ)とし、神社がある地方の国司から幣物を奉る神社を国幣社(こくへいしゃ)と定めた。これが官国幣社の起源である。この当時の神名帳に記載された2861処の神社は、「延喜式内の神社」とよばれ、記載されない神社は「式外」とよばれた。
大小の区別は、祭神の系統および神社の由緒などにより定められ、案上の大幣を奉る神社を大社とし、案下の小幣を奉る神社を小社とよんだ。
官幣大社は198処304座、官幣小社は375処433座、国幣大社は155処188座、国幣小社は2133処2207座を数えた。さらに大社のうち明神祭(みょうじんさい)をとり行う明神大社が306座あり、そのうち官幣社は127座であった。
中世には神祇の典礼は衰えたが、明治維新の王政復古と共に神祇制度も延喜の古制に復帰し、神祇官が再興された。その後、神祇官は内務省の所管となり、その後は毎年官幣社に対して祈年祭、新嘗祭、例祭の三度、国弊社に対しては、祈年祭、新嘗祭の二度、宮内省式部寮から幣帛料が下賜され、国弊社には幣帛料が国庫より供進される制度となった。
別格官幣社とは、明治維新以後に設けられた社格である。その幣は官幣小社と同一である。明治五年に湊川神社がこの社格を得たのがはじめであり、中世以降皇室および国家に功績のあった人物の神霊を祀る神社である。
明治維新以降、延喜年間の制度にならい社格の制度が新たに整えられた。その後、第二次世界大戦後に廃止されたが、今日でも「旧社格」などの名称で神社の格を表す基準として用いられることがある。
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社格の順列
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| 平安時代中期に定められた延喜式を基として、明治時代に祭神の系統や神社の由緒などにより定められた社格の順列のことである。現在も宮中などの行事において参照される。 |
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下の神社名をクリックすると由緒とご神徳が表示されます |
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現在作成中 【2014/8/29 更新】 |
旧官国幣社 社格順列 左から右の順
※ 左から右の順
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勅祭社 ちょくさいしゃ
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勅祭(ちょくさい)は、天皇の特使である勅使が派遣されて奉幣が行われる祭儀である。古来三重県伊勢の神宮神嘗祭、石清水祭、賀茂祭などがあり、平安時代中期以降、朝廷から特別な尊崇をうけた二十二社などへの奉幣の祭祀のことをいう。
明治元年明治天皇が、武蔵国一宮(いちのみや)氷川神社(さいたま市)に行幸・親祭を行ってから勅祭社十五社が定められ、現在は十六社存在する。3月13日春日祭、5月15日賀茂祭、9月15日石清水祭を三勅祭とよぶ。 |
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勅祭社 十六社
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二十二社
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平安時代中期以降、朝廷より格別の崇敬を受けた神社である。いずれも京都とその周辺に鎮座する。その数から二十二社と称し、室町時代半ば頃まで最高の社格とされた。二十二社のうち、上七社は伊勢・石清水・賀茂・松尾・平野・稲荷・春日、中七社は大原野・大神(おおみわ)・石上(いそのかみ)・大和(おおやまと)・廣瀬・龍田・住吉、下八社は日吉・梅宮・吉田・廣田・祇園・北野・丹生(にう)・貴布禰(きふね)をいう。
年2回の祈年穀ほか、祈雨・止雨や天変地異、国家朝廷の大事などの臨時に勅使が派遣され奉幣の対象となった。
二十二社のうち、皇室の宗廟が伊勢・石清水とされ、皇室の崇敬社が大神・石上・大和、風雨の神が廣瀬・龍田・丹生・貴布禰、神功皇后以来の崇敬社が住吉・廣田、平安京の鎮守社が賀茂・松尾・稲荷・日吉、皇室の外戚である藤原氏・平野氏・橘氏の氏神が春日・大原野・吉田・梅宮とされた。祇園・北野は新興の社として崇められらた。
これらの神社に対する朝廷の崇敬は、鎌倉時代におよび、その後南北朝以来の朝廷衰微により断続するが、幕末の動乱期に復興し、現代においてもその由緒が受継がれる。
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一宮 いちのみや
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平安時代後期から鎌倉時代にかけて、令制下の国ごとに設置された社格の一種である。国家の法的制度ではなく、各国内で第一に位置づけられた神社である。地方官である国司がその主要任務である領国内の神社祭祀のために便宜上定めた、習慣的に広まった制度であった。平安時代後期『今昔物語』に記される、周防(すおう)の国一宮玉祖大明神(玉祖神社)の名が文献上最古の記述であるといわれる。
全国一斉に制度化したのではなく、律令国家の解体過程で中央から国家の安泰を祈願する神として、また国を代表する役割を期待されて各国ごとに設置された。時代の変遷とともに諸国で一宮の交代や一宮争いなどが起こり、二宮(にのみや)、三宮(さんのみや)の順位も生じた。ゆえに、長い歴史の中でその順位は変遷した。現代では各地方を代表する神社が新たに「新一宮」と定められている場合もある。
地方に下向した国司が国内の諸社を巡拝し、中央の神祇官に代わって年毎に奉幣するにあたって、その順序を一宮、二宮、三宮と各社を振り分ける風習ができ、特に諸国の一宮が重んじられるようになった。
一宮は、こうした文化的背景のなかで地方諸国を代表する有名な神社が多い。ゆえに、昔から一宮への信仰は厚く、その巡拝を志す人々が多くみられる。
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