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日本の神々と神社 由緒と御神徳 
 やすからむ世をこそいのれ天つ神 くにつ社に幣をたむけて  ⇒この歌について・口語訳
 
  
  日本の神々と神社
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國魂神社 波 上 宮 竃門神社 住吉神社(筑前一宮) 志賀海神社








  大國魂神社    おおくにたまじんじゃ
鎮 座 地

183-0023 東京都府中市宮町3-1

  主 祭 神

大國魂大神 (おおくにたまのおおかみ)

   
  神徳・由緒 祭神大國魂大神 (おおくにたまのおおかみ)は大國主命 (おおくにぬしのみこと)の別名であり、出雲大社、大神神社と同神である≪⇒出雲大社大神神社の章参照≫。第12代景行天皇41年5月5日、この大神がその形を現して里人に告げて曰く「吾はこれ武蔵大國魂大神なり、祠(ほこら)を此処に建てて吾を祀らば、四海安静ならん」と。郷民らはこの神託を畏(かしこ)み、神籬(ひもろぎ)を造り大國魂神社と名付けた。その後成務天皇の御代には天穂日命(あめのほひのみこと)の末裔であり武蔵国造見多毛比命がこの大神を奉齋して以来、代々国造が祭祀を司った。当社は又の名を六所宮とも称され、大國魂大神を主祭神として小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神などの諸神を配祀された。当社は明治元年、勅祭社に準ぜられ、明治7年に県社となり、明治18年官幣小社に列せられた。5月5日の例大祭は国府祭ともよばれ、夕刻には消燈した闇夜に8基の神輿が渡御するため「くらやみ祭」の名称でも知られ、渡御は5月6日翌朝まで続く。くらやみ祭は4月30日から5月6日の期間で行われる大國魂神社最大の行事である。
  おもな祭事

5月5日 例祭・くらやみ祭    
5月1日 祈晴祭   5月2日 御鏡磨式   5月3日 競馬式
5月4日 御綱祭  5月5日 動座祭、御輿渡御  
5月6日 還御の儀・鎮座祭



  波上宮   なみのうえぐう
鎮 座 地

900-0031 沖縄県那覇市若狭1-25-11

  主 祭 神

伊弉冊尊 (いざなみのみこと)
速玉男尊 (はやたまおのみこと) 事解男尊 (ことさかおのみこと)

   
  神徳・由緒 伊弉冊尊が火の神・迦具土神(かぐつちのかみ)を産んで黄泉国(よみのくに:死者の世界)に入り、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)がそれを追って黄泉の国に至った。夫の伊弉諾尊共に帰ることを勧めるが、妻の伊弉冊尊はそれが不可能であることを告げると、事戸(ことど)を渡して2神が絶縁することとなった。その時に化成した神が速玉男尊 (はやたまおのみこと)であり、次に生まれた神が事解男尊 (ことさかおのみこと)である。この神は紀伊国熊野大神と同神であり、昔この島に渡り里人に「よろしく吾を当地に斎き祀れ、国家を守護し、また漁猟の利を得せしめん」と神託したと伝わる。当社はこの神託により人々が神徳を仰いでこの地に祀ったもので、以前は琉球大権現と称したが明治維新の後に宮号が改められ官幣小社に列せられた。当社は那覇港に突き出す断崖上に鎮座し、本殿の下には海水浴場が広がる。拝殿は赤瓦、丹塗、白亜の壁。境内には神が降臨した聖地とされる御嶽がある。5月17日の例祭はナンミン祭とよばれ、沖縄に古く伝わる舞踊が奉納される。

  おもな祭事

5月17日 例祭 ナンミン祭  



  竃門神社    かまどじんじゃ
鎮 座 地

818-0115 福岡県太宰府市大字内山字御供屋谷883

  主 祭 神

玉依姫命  たまよりひめのみこと

   
  神徳・由緒 主祭神玉依姫命(たまよりひめのみこと)とは筑前の旧官幣大社宗像大社に鎮まり座す三女神を併称する名である。この三女神は、天照大御神の仰せを受けて豊前の宇佐島に天より降り、国土の経営に力を尽くし、また天孫瓊々杵尊を守護した。その神功が終わると宗像大社に御霊代(みたましろ)を留め置き、身を竈門山に隠したとされる。延喜式内名神大社とされたが、中世にはしばしば兵火にかかり衰退すると一時は村社となった。しかし、後に行われた数々の考究調査の結果、明治28年9月に官幣小社に昇格した。当社の祭神については古来種々の異説が存在する。その中の一つに、祭神が玉依姫命とされることから神武天皇の母神とされる説が多く見られるが、それは全くの誤りであるとする書物も存在する。



  おもな祭事

11月15日 例祭 



  住吉神社(筑前一宮)   すみよしじんじゃ
鎮 座 地

812-0018 福岡市博多区住吉3丁目1-51

  主 祭 神

底筒男神(そこつつのおのかみ)
中筒男神(なかつつのおのかみ)
表筒男神(うわつつのおのかみ)

   
  神徳・由緒 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉国(よもつくに:死後の世界)から帰り「吾は穢れたる国に行きたり、早く祓い浄めざるべからず」として、日向の橘の小門の阿波岐原で禊祓(みそぎはらい)いをした時、河の底において禊をした際に生まれたのが底筒男神(そこつつのおのかみ)である。河の中程において禊をした際に生まれたのが中筒男神(なかつつのおのかみ)、河の上辺にて禊をした際に生まれたのが表筒男神(うわつつのおのかみ)である。この3柱の神を併称して墨江大神(すみのえのおおかみ)と称え奉り、その和魂(みぎみたま)は攝津の住吉大神≪⇒住吉大社の章参照≫であり、その荒魂(あらみたま)が当社に斎き祀られる。相殿に天照大御神と神功皇后が祀られ、あわせて住吉五所大神とよばれる。当社は、全国に祀られる住吉三神の起源となる神社とされ、航海安全の守護神として人々に崇敬される。神功皇后の摂政元年3月に、皇后親ら(みずから)神主となり三韓征討の祈願をしたことが由緒となり当社が創建された。したがって、歴朝の崇敬は非常に篤く神領なども寄進された。また武士たちが勝利を祈願することもたびたびあった。その後、応仁の乱において一時は荒廃したが、文明年間に宗祇法師がこれを再建して元の姿をとりもどした。その後、元和9年福岡藩主黒田長政により再建された本殿は、重要文化財に指定される。当社は明治5年11月に県社として列せられ、大正4年11月10日吉日に官幣社として昇格した。境内の老松は住吉松として非常に有名である。10月の例祭に執り行われる相撲会大祭(すもうえたいさい)は、神功皇后が三韓征討を終え無事に帰還したことを祭神に感謝したことが起源であるとされ、相撲と流鏑馬が奉納される。

  おもな祭事

10月12日~13日 例祭(相撲会大祭)  



  志賀海神社   しかうみじんじゃ
鎮 座 地

811-0323  福岡県福岡市東区志賀島877

  主 祭 神

底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)
中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)
上津綿津見神(かみつわたつみのかみ)

   
  神徳・由緒 主祭底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)、中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)、上津綿津見神(かみつわたつみのかみ)は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉国(よもつくに:死後の世界)から戻り、日向の橘の小門の阿波岐原で禊祓(みそぎはらい)いをした時に生まれた神であり、古事記や本書紀によると阿曇氏の祖神とされる。当社は日韓交渉が盛んになると海路の要衝にあるため海上守護としての古くから崇拝され、全国にある海(わたつみ)神社の総本社とされる。清和天皇の貞観元年には従五位上を賜り、延喜年間におていは国幣社であった≪⇒社格の起源 官幣社と国弊社の章参照≫。文禄年中には豊臣秀吉によって神領が寄進され、江戸時代には福岡藩主黒田氏から篤く崇敬された。当社には国指定重要文化財の朝鮮製鍍金鐘、県指定文化財の細形銅剣鋳型、石造宝篋印塔などがある。毎年1月15日に近い日曜日に齋行される歩射祭は、かつて志賀島で人々に危害を加えていた土蜘蛛を8人の射手が退治した事に由来するもので、五穀豊穣を祈願する古式神事である。歩射祭のほか山誉祭、神幸神事は県の無形民俗文化財に指定される。 10月第2月曜日の国土祭(くにちさい)では流鏑馬が奉納される。   

  おもな祭事

10月第2月曜日 例祭(国土祭:くにちさい)   
1月15日に近い日曜日 歩射祭







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