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日本の神々と神社 由緒と御神徳 
 やすからむ世をこそいのれ天つ神 くにつ社に幣をたむけて  ⇒この歌について・口語訳
 
  
  日本の神々と神社
   ~由来と御神徳
  全国の主な神社
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   甲信越
   北海道・東北

 
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 皇室と国民
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  臨時祭祀
  毎朝御代拝 同日供
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    2014年8月29日 更新
   
   
   
神社 淺間神社 (山梨) 寒川神社 鶴岡八幡宮 玉前  一之宮貫前神社 二荒山神社(日光)
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  敢國神社 あえくにじんじゃ
鎮 座 地

158-0003 三重県伊賀市一之宮87

  主 祭 神

大彦命(おおひこのみこと)

   
  神徳・由緒

 祭神大彦命(おおひこのみこと)は、第8代孝元天皇の皇子で四道将軍(北陸、東海、西道、丹波に派遣された将軍)の一員であり、阿拝氏(のちに敢、阿閉、阿部、安倍などとよばれた)の始祖である。北陸の地を教化した後に伊賀の国に永住し、国土繁栄に貢献した。伊賀風土記によると当社の祭神は少彦名命とされている。境内から北へ数kmの御墓山古墳は祭神大彦命の陵墓と伝えられる。かつて阿拝氏の子孫である服部氏の私祭であった11月の黒党(くろんど)祭では、黒装束の人々が神輿を担ぎ奉仕する。特殊神事として古くから行われる1月3日の獅子神楽舞初式は、三重県無形民俗文化財に指定される。当社は延喜式内の名神大社であり、冷泉天皇の安和2年8月3日に累進して正一位を授けられ、伊賀国の一宮となった。明治4年5月に国幣中社に列される。

  おもな祭事

4月17日 春季大祭・獅子神楽舞上祭 11月23日 新嘗祭・黒党祭
12月4日神幸祭 12月5日例大祭  1月3日 獅子神楽舞初式



  淺間神社(山梨)  あさまじんじゃ
鎮 座 地

405-0056 笛吹市一宮町一ノ宮1684

  主 祭 神

木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)

   
  神徳・由緒

 祭神木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)は大山祇命の第二女であり、天孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)の后妃となった神である。木花(このはな)とは桜のことであり、開耶(さくや)は咲映(さきはえ)の意である。この姫が神国において色艶麗であったことからこのような神名となったといわれる。この姫神は天孫に嫁して程なく身ごもった。これを天孫瓊々杵尊が疑うと、姫神は誓って「もし国神の子であったならば生まれるときは難産、天神の御子であれば無事に恙無く生まれるであろう」と言い、新たに産屋を造り四方戸なく土を塗った。そして出産のときには自らその産屋に火を放った。姫神は「これで疑いが晴れるのであればたとえ焼け死ぬともいとわない」と覚悟をきめた。火は炎々と燃え上がり、その火中においてまず第一に生まれたのは火照命(ほでりのみこと、別名海幸彦:うみさちひこ、隼人阿多君らの祖神)、次に生まれたのは火遠理命(ほをりのみこと)即ち日子穂穂手見命(ひこほほでみのみこと:山幸彦、やまさちひこともよばれ、第一代神武天皇の祖父)である。このとき姫神は盛んに燃え立つ火焔の中より「妾がうめる子も、妾の身も火難には少しも損せざるを天孫自らご覧あれや、これにてもなお疑い給ふか」と言った。天孫は「吾はじめより疑わじ、されども世の思惑を恐れことさら疑えるなり、かくして皇子はわが子に相違なく、汝もまた霊異あるを世に知らしめんが為なりし」と答えた。このように大いなる威徳を備えられた神として人々に火難除けの神、安産の守護神として尊崇され各地に奉斎された。当社は、垂仁天皇8年己亥正月、はじめて神山の麓に創建され、瓊々杵尊、大山祇命を配祀した。これが現在の摂社山宮神社である。清和天皇の貞観7年12月9日、主祭神のみが今の地に遷座され官社に列し甲斐国の一宮となった。降って天文19年、国守武田晴信が国家安穏万民和楽のため後奈良天皇に奏請して御親翰(ごしんかん:天皇みずからの筆で書いたもの)を賜った。これは当社の重要文化財である。他にも武田信玄が奉納した国次の太刀 (刀身三尺一寸五分)が指定文化財として保存される。明治4年5月には国幣中社に列せられた。4月15日例祭には、大神幸祭(おおみゆき、別名おみゆきさん)が引き続き行われる。24kmはなれた三社神社まで神輿の渡御があり、子供が神輿の下をくぐることで無病息災が祈願される。

  おもな祭事

4月15日 例祭、大神幸祭(おみゆきさん)  



  寒川神社   さむかわじんじゃ
鎮 座 地

〒253-0195 神奈川県高座郡寒川町宮山3916

  主 祭 神

寒川比古命(さむかわひこのみこと)
寒川比女命(さむかわひめのみこと)

   
  神徳・由緒

 祭神は、延暦儀式帳に大水上(おほみなかみ)の児、寒川比古命(さむかわひこのみこと)寒川比女命(さむかわひめのみこと)とあるのみで伝記は詳らかになっていない。古くは佐河大明神、寒河神と称され、近世では八幡神とも呼ばれた。当社は仁命天皇の承和3年9月従五位下を授けられた。のちに累進して正四位上となった。当社の創建は明らかではないが、その歴史は古墳時代にさかのぼるとも言われ、延喜時代には名神大社であった。下って大永2年8月は北條氏綱が社殿を再興し、その息子である康更によって修築され神領百石が寄進されている。明治4年5月に国幣中社に列せられた。八方除けの御神徳がある関東の開拓神として広く人びとに尊崇される相模国の一宮である。7月第3日月曜日に行われる浜降祭では、神輿40基が海岸に集まり禊が行われ海岸は多くの人で賑わう。1月2日午後8時に行われる追儺祭では、一切の明かりを消し追儺板を激しく打ち鳴らし邪気災厄を祓い除く特殊神事が斎行される。

  おもな祭事

9月20日 例祭   9月19日 流鏑馬神事
1月2日  追儺祭(ついなさい)



  鶴岡八幡宮  つるがおかはちまんぐう
鎮 座 地

〒248-8588 神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31

  主 祭 神

応神天皇(おうじんてんのう)
比売神(ひめがみ)
神功皇后(じんぐうこうごう)

   
  神徳・由緒

 祭神は石清水八幡宮と同一である≪⇒石清水八幡宮の章参照≫。後冷泉天皇の康平6年、鎮守府将軍源頼義が勅によって陸奥の豪族安倍貞任(あべのさだとう)を征する時、石清水八幡宮にて祈願すると首尾よく平定の功を奏したことから、報謝のため由比郷(ゆいのごう)に石清水八幡宮を勧請したことが当社の起源とされる。社名の鶴岡とは、源実朝の『金槐和歌集』にある「鶴のいる岡」の意味といわれている。下って源頼朝に至り、小松郷松岡に遷座されたが火災に遭ったため更に後方の山上に新たに社殿を造営した。これが現在の本社殿の地である。当社は鎌倉幕府の尊信が非常に篤かったが幕府の衰亡と共に衰えた。後奈良天皇の御代に至り、小田原城北条氏綱は深く当社を尊崇して壮麗なる社殿を造営した。文政11年には徳川家斉が造営した現在の本殿は国の重要文化財に指定される。京都の石清水八幡宮、大分の宇佐神宮とならぶ代表的な八幡宮であり、相模国の一宮である。当社には数々の国宝や重要文化財が所蔵され、後白河法皇が源頼朝に下賜したとされる平安時代の国宝がある。毎年9月16日には、源頼朝の時代より800年引き継がれる全国屈指の流鏑馬神事が行われる。1月5日には、古来より魔を退ける力があるとされる弓矢で大的を射る除魔神事が斎行される。

  おもな祭事

9月15日 例祭   9月16日  流鏑馬神事
1月5日 除魔神事



  玉前神社   たまさきじんじゃ
鎮 座 地

〒299-4301 千葉県長生郡一宮町一宮3048

  主 祭 神 玉依姫命(たまよりひめのみこと)
   
  神徳・由緒

 祭神玉依姫命(たまよりひめのみこと)は、海神(わたつみのかみ)の娘神で鵜葺屋葺不合命(うがやふきあえずのみこと)の后妃であり、第1代神武天皇の母神である。高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の御子玉前神(たまさきのかみ)とする説もあるが、古書において確認されていない。また、神名帳考証に天明玉命(あまのあかるたまのみこと)とあり、崎玉は明玉(あかるたま)が変化したもので、玉崎は崎玉を逆にしたものとも言われるが確かな証拠はない。また、諸神鎮座記に大己貴命(おおなむちのみこと)とあり、玉崎とは崎玉(さきたま)であり幸魂(さきたま)のことであるという説もある。延喜の時代には名神大社に列せられた。当社は源頼朝の妻北条政子が懐妊の際、安産の祈願をした社であり、現在では子授け、安産の神として崇敬を集める。上総国の一宮である。大同2年より1200年間引き継がれる9月13日の十二社まつり(上総の裸まつり)は、全国でも有名な浜降り神事であり、県の無形民族文化財に指定される。

  おもな祭事

9月13日 例祭、十二社まつり(※)   



  一之宮貫前神社  いちのみやぬきさきじんじゃ
鎮 座 地

〒370-2452 群馬県富岡市一ノ宮1535

  主 祭 神 経津主神(ふつぬしのかみ)
姫大神(ひめおおかみ)
   
  神徳・由緒

 祭神経津主神(ふつぬしのかみ)は、天照大御神の勅を奉じて武甕槌命(たけみかづちのみこと)と共に出雲に降り大国主命(おおくにぬしのみこと)に国譲りの談判をした時、この大神は十握剣(とつかのつるぎ)を抜き逆さまに地に立て、その剣鋒に趺み大国主命を帰伏させたことから「ぬきさき」の号が起ったといわれる。姫大神(ひめおおかみ)は養蚕機織の守護神と考えられているが詳しいことは明らかではない。当社は天武天皇の白鳳7年3月15日の創建であり、源義家が清原武衡を征討したときに当社に祈願して感応があったとして弓矢が献納されている。慶長年間には徳川家康がその由緒を調べ糺して社殿を修築した。現在の社殿は徳川家光の命により寛永12年に造営された。拝殿と楼門は江戸時代の作である。上野国の一宮である。3月14日と12月12日には御戸開祭(みとびらきさい)が夜に斎行される。普段は閉められている不明門(あかずのもん)から祭列が出て、総門前で手水の儀、七ツ皿の儀、オケホケの儀が執り行なわれる。12月8日には鹿骨で吉凶を占う全国でも珍しい鹿占神事は国の重要無形民俗文化財である。

  おもな祭事

3月15日 例祭   3月14日、12月12日 御戸開祭
12月8日 川瀬の行事、鹿占神事   



  二荒山神社(日光)    ふたらさんじんじゃ
鎮 座 地

〒321-1431 栃木県日光市山内2307

  主 祭 神 二荒山大神 (ふたらやまのおおかみ)
   
  神徳・由緒

 祭神二荒山大神(ふたらやまのおおかみ)とは、大己貴命(おおなむちのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、味耜高彦根命 (あじすきたかひこねのみこと)の3柱の神とされ、「日光三社大権現」ともよばれたといわれる。古より人々は霊峰二荒山(ふたらさん)を尊崇してきた。一説には、古くは味耜高彦根命、大己貴命の2柱の神が荒神であることから二荒と称されたともいわれる。祭神味耜高彦根命は大己貴命の御子神であり、母神は筑紫の宗像大社沖ノ島の沖津宮に鎮座される田心姫神である≪⇒宗像大社の章参照≫。神名にある「味・あじ」とは厚く集まり、重なり嵩(かさ)むという意味で、「味耜・あじすき」とは重なり嵩むまで耜(す)いて上げるという意味で、その後に続く「高」の枕詞である。彦は男神の尊称、根は親しんでいう語であり共に称賛の意味がある。この神は父神を助け、国土を経営し土功の績が高い神である。祭神大己貴命は、大国主命の別称でありその神功の高さは多くの人々に既に知られている≪⇒出雲大社の章参照≫。続日本書紀に、承和3年12月丁巳(ていし)下野国従五位上勲四等二荒神に正五位下を授け奉る、餘は故の如し、とある。当社は本社のほかに、中禅寺湖の近くに中宮祠、男体山の山頂には奥宮が鎮座する。また、田心姫命の神体山とされる女峰山、日光連山、華厳滝も境内に含まれる。二荒山の山頂からは鏡や錫杖(しゃくじょう)などが発掘され、当社の宝物館は「山の正倉院」ともよばれる。境内の唐銅鳥居は江戸時代のもので重要文化財に指定される。毎年7月末~8月初旬に行われる「男体山登拝講大祭」は1200年以上もつづく行事であり、参加者はご来光を迎えるため白装束で奥宮を目指し山を登る。下野国の一宮である。


  おもな祭事

4月17日 例祭(弥生祭)   7月末~8月初旬 男体山登拝講大祭  



  二荒山神社(宇都宮)  ふたあらやまじんじゃ
鎮 座 地

〒320-0026 栃木県宇都宮市馬場通り1-1-1

  主 祭 神 豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)
   
  神徳・由緒

 祭神豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)は第10代崇神天皇の第一の皇子であり、上毛野(かみつけぬ)、下毛野(しもつけぬ)朝臣の始祖である。崇神天皇には皇子が2人あり、第一は豊城入彦命、次は活目命(いくめのみこと)であった。天皇は皇嗣を決めるにあたり各々の夢を奏させた。皇兄は「吾は夢に大和の三諸山(みもろやま:三輪山)にのぼり東の方に向かひ八度矛を振り八度剣を振へり」と奏し、活目命は「吾もまた同じく三諸山にのぼり四方に縄を張り粟を食ふ雀をおふと夢む」と奏上した。天皇はこれを、兄は東方を治める兆であり、活目命は天下を治める兆であるとして皇位を活目命に伝えた。皇兄豊城入彦命は天皇の勅に従い東方に降り、その毛野国(上野下野の古名)にとどまり、四方王化に従わない者を征し、この地に薨去した。当社はその大神の遠裔である奈良別王毛野国造が社殿を創建して遠祖の神霊を祀ったとされ、東方の鎮護として朝廷の崇敬も篤く古来武人の尊信も厚い。下野国の一宮。江戸時代には宇都宮大明神とよばれ、「うつのみや」は「いちのみや」が転じたとの説もある。1月の春渡祭(おたりや)と12月の冬渡祭(おたりや)は、承和5年(838年)に行われた遷座の儀式を伝える祭である。境内は夜遅くまでにぎわう。

  おもな祭事

10月21日 例祭(秋山祭)
1月15日 春渡祭   12月15日 冬渡祭 



  伊佐須美神社  いさすみじんじゃ
鎮 座 地

〒969-6263 福島県大沼郡会津美里町宮林甲4377

  主 祭 神 伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)
伊弉冉尊 (いざなみのみこと)
大毘古命 (おおひこのみこと)
建沼河別命 (たけぬなかわわけのみこと)
   
  神徳・由緒

 祭神伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)は国生みを行った産霊(むすび)の神である≪⇒伊弉諾神宮の章参照≫。祭神大毘古命(おおひこのみこと)は第8代孝元天皇の皇子で、母神は内色許売命(うつしこめのみこと)である。崇神天皇の朝、四道将軍の一人となり、高志道(今の北陸道)を平定した。祭神建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)は大毘古命の御子であり、父命と同じく四道将軍の一人となり東海道を平定して陸奥に至った。その時父子図らずも会津で会ったことからこの地を会津(かつでは相津)と名づけられたと言われる。この4神は「伊佐須美大明神」と呼ばれた。当社号の伊佐須美は「誘(いざ)進み」の義であり、父子2柱の神が互いに誘い進んだことから付いた名であると伝わる。また、勇み進むの意味とも言われる。当社は大毘古命が国家鎮護を願い、伊弉諾尊、伊弉冉尊を祀ったのがはじまりとされる。岩代国の一宮である。7月の御田植祭は日本三大田植祭のひとつであり、「伊勢の朝田、熱田の夕田、高田の昼田」と称される。祭事は田植歌にはじまり祭礼が行われ、つづいて早乙女踊り、獅子追神事が奉納される。

  おもな祭事

9月1日~17日 例祭   
7月11~13日 御田植祭   7月12日 御田植神事 




  鹽竈神社  しおがまじんじゃ
鎮 座 地

985-8510 宮城県塩竈市一森山1-1

  主 祭 神

武甕槌神(たけみかづちのかみ 左宮)
経津主神(ふつぬしのかみ 右宮)
鹽土老翁神(しおつちのおじのかみ 別宮)

   
  神徳・由緒

 祭神武甕槌神(たけみかづちのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)の2神は、天孫に先立ちこの中津国(なかつくに:日本の国土)に降り、荒振る神共を打ち従えた時、岐神(ふなごのかみ:道の岐路に祀られる旅人の守護神で道祖神とも言われる)を道案内として諸国を巡りこの地に至った由緒によってこの地に奉斎された。鹽土老翁神(しおつちのおじのかみ)はこの浦に降りて塩を焼き製塩法を民に教えたとされ、この地名の起源となったと伝えられる。また、海幸彦・山幸彦の神話に登場する神でもあり、海幸彦に借りた釣針を失くして困り果てていた山幸彦を海神の宮へ案内した事で知られる。この鹽土老翁神とは、岐神(ふなごのかみ)と同神であり、又の名を猿田彦命とも、伊勢地主神とも、また事勝国勝長狭神(ことかつくにかつながさのかみ)ともされる≪⇒伏見稻荷大社香取神宮鹿島神宮の章参照≫。当社は陸奥国の一宮であり、国の重要文化財に指定される現在の社殿は元禄年間の伊達綱村による造営。その時伊達家より祭田150石を寄進された。当社には、神代より伝わる塩釜が4つあり、本殿の南方竃神社に祀られる。明治7年11月に国幣中社に列された。8月5日のみなと祭では、神輿をのせた御座船などが松島湾を巡航する。7月の藻塩焼神事は、末社の御釜神社において古式の製塩法により行われる。12月の嘉津良比祭(かつらいさい)は、武甕槌神と経津主神が陸奥国を開拓した御神徳をたたえる祭祀で、兜形の餅や数々の特殊神饌が神前に供えられる。3月10日の帆手祭は、火伏の祭であり春を呼ぶ祭とも言われるが、その起源は天和年間に塩竃が大火がおこった際、火災の鎮圧と景気回復を祭神に祈願したこととされる。神意のままに動き回る荒れ神輿が有名で、五百人にも及ぶお供の列が絢爛な祭として知られる。

  おもな祭事

7月10日 例祭   3月10日 帆手祭   7月4~6日 藻塩焼神事 
8月5日 みなと祭 12月1日 嘉津良比祭



  出石神社   いずしじんじゃ
鎮 座 地

〒668-0204 兵庫県豊岡市出石町宮内99

  主 祭 神

天日槍命(あめのひぼこのみこと)
出石八前大神(いずしやまえのおおかみ)

   
  神徳・由緒

 祭神天日槍命(あめのひぼこのみこと)は新羅国主の皇子である。垂仁天皇3年に来朝した時もたらした八種(やぐさ)の神宝を八前大神として祀ったといわれる。八種神宝は玉津宝ともよばれ、珠二貫(たまふたつら)、振浪比礼(なみふるひれ)、切浪比礼(なみきるひれ)、振風比礼(かぜふるひれ)、切風比礼(かぜきるひれ)、興津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)の八種である。この新羅の皇子日槍は阿迦流比売命の艶色を愛し嫡妻とした。比売命は常に美食を設けて皇子に勧めるが皇子はこれを怒り罵り、比売命もまた遂に怒って日本に帰ってしまった。皇子は大いに悔い、妻を慕って来朝帰化して播磨より入り近江、若狭を過ぎて但馬に至った。そこで朝廷から地を賜り居を定め、麻多烏姫を娶り妻とし定住して代々朝廷に仕えて繁栄した。当社は延喜式名神大社であり、但馬国の一宮として崇敬される。明治4年に国幣中社に列せられた。11月22,23日には御年花(おはなびら)祭が行われる。現在の社殿は大正3年の造営で、境内には約300坪の禁足地が保存される。古くから伝わる2月の立春祭では、神前に海藻であるほんだわらを奉納する。毎年11月23日の御年花祭で撒く花びらのような形の餅は、災いを除くといわれる。

  おもな祭事

10月20日 例祭  
2月立春日 立春祭   11月22、23日 御年花祭



  中山神社  なかやまじんじゃ
鎮 座 地

〒708-0815 岡山県津山市一宮695 

  主 祭 神

鏡作神(かがみつくりのかみ)

   
  神徳・由緒

 祭神鏡作神(かがみつくりのかみ)は石凝姥命(いしこりどめのみこと)ともいわれ、天岩戸隠れのときに天照大御神を招き出すために天香山の真鉄から鏡を造った神である≪⇒日前神宮・國懸神宮の章参照≫。また一説には祭神が金山彦命(かなやまひこのみこと)とも言われる≪⇒南宮大社の章参照≫。その御神徳から、砂鉄・鉱業の守護神として信仰される。また、古来農民から牛馬の守護神として崇められる。創建は慶雲4年であり、貞観17年4月には正三位の神位を授けられた。春秋の大祭では、数多くの山車が出て賑わう。4月の御田植祭では鍬振りの神事と獅子舞が奉納され五穀豊穣が祈願される。美作国の一宮である。

  おもな祭事

4月29日 春季大祭・御田植祭  11月3日 秋季大祭・御神幸祭




  大麻比古神社 おおあさひこじんじゃ
鎮 座 地

779-0230 徳島県鳴門市大麻町板東字広塚13

  主 祭 神

大麻比古大神(おおあさひこのおおかみ)
猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)

   
  神徳・由緒

 祭神大麻比古大神(おおあさひこのおおかみ)の又の名は天太玉命(あめのふとだまのみこと)であり、天照大御神が岩戸に隠れとき榊に玉、鏡、幣をかけ捧げた神である≪⇒安房神社日前神宮・國懸神宮の章参照≫。神武天皇の御代に天太玉命の孫である天富命(あめのとみのみこと)が阿波国に入り国土を開拓して、麻や穀(楮:かじ)の種を播き麻や木綿をつくり郷土の発展に貢献した。当社にはこの土地の守護神として祖神である天太玉命(あめのふとたまのみこと)が奉斎されたとされる。祭神猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)は、天孫降臨の際に天孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)を先導した神である。大麻山の峯に鎮座し、後の世に当社に合祀された。延喜式には名神大社に列せられ、清和天皇貞観元年正月には従五位上を授けられた。順次昇格して中御門天皇享保4年正一位となった。旧暦3月には大御神楽祭と湯立神楽が行われる。湯立神楽は病魔退散・五穀豊穣を祈願する神事で、火打ち石の火で沸かした釜の湯と笹葉で氏子や参拝者を祓う。阿波国の一宮である。

  おもな祭事

11月1日 例祭   旧暦3月12日 大御神楽祭・湯立神楽





  眞清田神社  ますみだじんじゃ
鎮 座 地

491-0043 愛知県一宮市真清田1-2-1

  主 祭 神

天火明命(あめのほあかりのみこと)

   
  神徳・由緒

祭神天火明命(あめのほあかりのみこと)は、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)の御子であり、天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)ともよばれ、尾張国造の祖神である。母神は万幡豊秋津姫命(よろづはたとよあきつひめのみこと)であり、当社の摂社である服織神社に祀られ織物の守護神とされる。神宮雑例集によるとこの神の子である天香児山命(あまのかごやまのみこと)が鏡作の祖とされる。社号の真清の由来は真澄鏡(ますかがみ・ますみのかがみ:神話における石凝姥が鋳造した神鏡とも言われ、非常に清く澄み切った鏡のことをいう)であろうと伝えられる。この神社は江戸時代に尾張徳川家の保護を受けた。神道において邪気を祓うとされる桃の木が多いこの鎮座地において明治43年までは旧暦3月3日に桃花祭が行われていた。現在では4月3日に斎行される。10月15日の駒牽神事(こまひきしんじ)では、翌年4月に斎行される桃花祭の役馬を定める為のもので、馬の足並みや速さ、馬体を検閲する。境内の柵内で太鼓や掛け声に合わせて走る馬を見ることができる。元旦午前0時に行われる若水祭では、その年に神水舎で最初に汲み上げた若水を神前に供える。当社は大正3年1月4日に昇格して国幣中社となった。尾張国の一宮である。

  おもな祭事

月3日 例祭・桃花祭・流鏑馬神事 
7月最終日曜日を最終日とする4日間 一宮七夕まつり 
10月15日 駒牽神事(こまひきしんじ)
1月1日 若水祭



  白山比咩神社  しらやまひめじんじゃ
鎮 座 地

920-2114 石川県白山市三宮町ニ105-1

  主 祭 神

菊理媛尊(くくりひめのみこと)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冉尊(いざなみのみこと)

   
  神徳・由緒 祭神菊理媛尊(くくりひめのみこと)は白山比咩神ともよばれる。日本書紀神代巻には、伊弉諾尊が伊弉冉尊を追って黄泉の国へ行き、黄泉比良坂(よもつひらさか)において互いに相争う時に伊弉冉尊が「吾事すでにをへたり、まさにこの国に止まるべし共に帰ること能はず」と言われ、このとき菊理媛尊が間に入り両神の意を解き仲裁すると、伊弉諾尊はそれを了解して帰られたとある。その他系統等は明らかにされていない。この神社は中央に菊理媛尊、東に伊弉諾尊、西に伊弉冉尊を奉斎し、過去に白山大権現と称された時代がある。北陸第一の山頂に鎮座していたが、山路が険しく登拝に不便なため後世に現在の地に遷座された。以降、山頂が奥宮として祀られ毎年盛夏の候のみ登山参拝することとなった。創祀は崇神天皇7年と言われ、加賀、越前、美濃から多くの信者を集めた。戦国の混乱、一向一揆により一時衰退したが、江戸時代には加賀百万石の前田家によって篤い崇敬を受け復興した。現在の本殿は江戸中期の造営である。文徳実録には、仁寿3年10月に加賀国白山比咩神に従三位(神位、神階のこと 神に授けられた位階)が授け奉られたとあり、大正3年3月4日に昇格して国幣中社に列せられた。加賀国の一宮である。みにえ講大祭は毎年6月に行われ、海上の安全と豊漁を祈願する大漁神楽が奉納される。10月23、24日の豊年講秋季大祭は、白山の水の恵みに感謝を捧げる祭典であり、「悠久の舞」が奉納される。
  おもな祭事

 月6日 例祭・夕御饌祭
 3月3日 豊年講春季大祭
 10月23、24日 豊年講秋季大祭
 6月第1土曜日 みにえ講大祭





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