RAMUNE`S DIARY
†愛に目指し真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。
(エフェソの信徒への手紙4章15節)
2枚目です
2枚からは新しい日付を一番上に書き込んでいきますね。
1月8日(日)†だから、こう祈りなさい(マタイ5.13)
主の祈りについてです。
私達は祈ります。大抵、現実的な事。
しかし、主は願う前から、私達が必要なものをご存知ですよね。きっと。。。じゃ、何を祈るの?
主はお祈りの言葉を教えてくださいました。それが主の祈り、外国映画の葬式シーンにも出てくるのでおなじみ。
「天にましますわれらの主よ、御名があがめられますように
御国が来ますように、御心が天にあるごとく地にもなさせたまえ
われらの日用の糧を今日も与えたまえ、われらに罪を犯すものをわれらが許すごとく、われらの罪おも許したまえ、われらを試み合わせず悪より救い出したまえ」これは私達の思いを充分含んだ祈りですね。
まず、この神様から頂いた祈りを、大切に丁寧に祈りましょう祈る場所まで聖書に書いてありました。
「奥まった自分の部屋に入って戸を閉める」
って一体どこ?どこでもいいんじゃないかしら。牧師、トイレも可って言ってましたし。
ダメなところもあるらしい
「人に見てもらおうと、会堂や大通りの隅にたって祈る事」
ってやってたら神様どころか普通の人からも変な人としか思われないって私?私はPCの前かな?
12月16日(金)
毎年、アドベントの時期は聖書よく読む時期なのに、今年は全然、御言葉に触れる事さえ無理。仕事、趣味のオークション、家事で一日が終わる。祈りだけは欠かしてないけど。。。忙しさは悪魔の仕業?どうか、私を信仰から引き離さないで下さい。
10月31日(月)
†神に従う人の道は輝き出る光、進むほどに光は増し真昼の輝きとなる
(箴言 4章18節)この光はどんな光だろうか?暖かそうだ。
聖書にはよく光という言葉が出てくる。人間は闇より光を望む。
夜が大好きな人。夜が好きな人ほど光を眩しく感じるのでは?神の光。いつも照らしてくださる主。
心にひけめを感じている時、罪を感じる時、まわりから責められる時、
そんな時、与えられる光は暖かいだろう。
心は真っ暗。そんな時こそ主に祈り、光を与えてもらおう。
9月22日(木)教会に通えない事が苦痛になり、それさえ罪と感じていた。
「教会へ通わなければ!」それは強迫観念となって私を縛った。
一番大切な事はなに?それは祈る事ではないだろうか?
4ヶ月、毎日欠かさず祈っていた。「教会に行きたい!」と
教会に行けないのを仕事のせいにしたり、家族のせいにしたりしていた。
教会に行きたいなどと祈る必要はないのではないだろうか。
いつも私を強め、信仰を持ち続けていられるように私を助けてくださる主。
今、私にとって必要なのは教会へ行く事ではなくて祈る事だったのだ。
5月9日(月)4月は休みが8日しか取れませんでした。日曜礼拝も行けない日がありクリスチャン失格だ。
†イエスは知恵が増し、背丈も伸び、髪と人とに愛された
イエス様の幼少、青年期の話は聖書の中で大変少ないです。
12歳の時のエピソードがルカによる福音書2.41に書かれています。旅の帰り両親とはぐれます。多数の人が移動するような旅だったようです。
両親は息子がが道連れの仲にいると思い一日分の距離を歩いてしまった。
イエス様が付いてこない事に気づかなかったらしい。それは我が家でもよくある。振り返ると子供が一人足りない・・・・
一日気づかない事はないが・・・この聖書の箇所からイエス様が普通の人間として成長していた事がわかる。
でも、イエス様は神の子である、という自覚も芽生えていたわけで
心の中での苦悩、葛藤があったのではないかと、私は思う。イエス様を身近に感じられるのは救い主、神であるが、人間としてへりくだった
生き方をしておられたからではなかろうか。私たちを友と呼んでくださる。
さて、イエス様は一体どこにいた?
両親とエルサレムの神殿に来ていたわけだが、イエス様は一歩も岐路にはついていなかった。まだ、神殿にいたのだ。
そこで、学者達と話し込んでいた。もちろん世間話しではない。
「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前・・・・」と両親に言ってしまう。
両親に自分の父は神であると言っている。マリアとヨセフはその言葉を心に留めたらしいが、息子への愛情は
変わらなかったようだ。マリアとヨセフにも苦悩はあったのかもしれない。
3月10日(木)
久しぶりの更新。バイトが忙しいです(人手不足)
†わたしは弱いときにこそ強いからです
パウロさんの言葉。
テレビでも自虐ネタがウケでいる今日この頃 ヒロシデス・・・パウロさんは自分の弱さを誇りにしていると言い切っています。
でもパウロさんは挫折した事もあったようです。
3度主に自分の弱さ(体が弱いなど)を助けてくれと祈っています。
主はかなえてくださりませんでした。その時の主の言葉「わたしの恵みはあなたに充分である。力は弱さの中でこそ充分に発揮されるのだ」
私だったら「そんな事言わないでもうちょっと助けて」と言いそうだ。
パウロさんはもちろん「満足」されました。
そして弱さを誇るんです。弱い時こそキリストによって強くなれるんだと。弱さとは、体が弱いだけではく、意思が弱い、何かうまくいかない。運が悪すぎる・・・・
キリスト教は「何でもかないますよ」なんて言わない。
悪い事があったらアナタの信心不足ですよ、なんていじわるも言わない。主は、弱い時にこそ、私の内にあり私を支えてくれる。
私は弱さを誇るなんてカコイイ事は言えないが、弱さの中で主により強められる自分は実感できる。
「私の弱いところって何?何を誇れるかな?」長女に聞いてみた「友達いない事じゃない」
な・る・ほ・ど・・・・すごい観察力。
2月14日(月)
†あなたを奉仕者、または証人にするためである(使徒言行録26.17)
もし私が信仰を持っていなかったら、自分の思いだけで生きていたと思う。
信仰を持つ事によって神様の愛をうけて生きていく。
私は神様の愛される事により感謝し、自分のいろいろな罪を自覚し許される事を祈る。改めて人生の目が開かれる。
だが、「選ばれた?」私が?遣わされたもの?パウロのように生涯を神に捧げるなんてカッコイイ事は言えそうもない。
でも、私もキリストの証人という事らしい。
2月9日(水)
†あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ(ヨハネによる福音書15.16)
【あなたが選ばれました】 その言葉に人は弱い。【おめでとう。当選しました】こんな件名のメールが着たら私も開くと思う。
詐欺やインチキ宗教にも、もちろん使われる言葉です。
イエス様は言われました。わたしはあなたを選んだ、と
でも、騙す訳ではないようです。
この言葉はキリスト教の信仰を持っている人を対象としているからです。
あたたかい言葉に感じませんか?「実は私があなたを選んだんだよ」この言葉の最後にイエス様は何と言ったと思いますか?私達に命令しました。
何を命令したと思いますか?「神を信じなさい」?とんでもないです。イエス様の命令「互いに愛し合いなさい」
1月25日
†津波で・・・
多くの方が亡くなりました。多数は子供。津波も神の業。なぜ、こんな事になるのだろう。
神様に愛され生まれてきたのに、予期せぬ災害で命を落とす。神様は私たちを愛しておられる。一人一人の死にメッセージが込められているのだろうか?今世界は悲しみにあふれている。
人は神様から生まれ、神様の元へ帰る。
1月14日
†日めくりカレンダー「日めくり聖句カレンダー」お勧めします
そして新年を迎えたが日めくりカレンダーは手に入らなかった。オークションで検索。気に入ったのがない。
ネットで検索。えっ!?「日めくり聖句カレンダー」←検索してみて
なるものがヒットした。すばらしい。欲しい。
先週手元に届いた。
365日、聖句が書かれている(あたりまえだが)
まず、誕生日、結婚記念日を探す。
誕生日の聖句はまるで私に与えられたかのような戒めの聖句。
結婚記念日は「愛」という字が入っている聖句!我が家に聖句のある生活が始まったといっても過言ではない。
夕食の前に子供たちが聖句を読む。そして祈る。このカレンダーにめぐり合えたのはたった6歳の長男が1年間日めくりカレンダーをめくり続けたお陰だ。もしかしたら神様が長男を用いてこのカレンダーを私にl与えてくださったのかもしれない。そう思うと神様の力の偉大さが実感できる。
是非、このカレンダー検索してご覧になってください。
さて、あなたの誕生日の聖句は?
1月13日†日めくりカレンダー
昨年我が家には日めくりカレンダーがあった。
私は日めくりカレンダーを1年間めくり通した事がない。
昨年の元旦、「このカレンダーはいらないよね」
長男が興味を示した「僕がやる!」
「どうせ三日坊主だろ」と心の中で思ったが(私の経験だ)
息子のやる気をバカにしてはいけない。
「毎日、めくるんだよ。がんばってね。○○君のお仕事だね」私が一度も達成できなかった事、幼稚園児が出来るわけないな
と、思っていた。ひどい母だ。
そして1年、息子は1年間、日めくりカレンダーをめくり続けたのだ。最後の1枚をめくる時は感慨深いと聞いている。
最後の1枚12月31日。息子がめくった瞬間。やはり私は感動した。
しかし、長男は「アレ?ない!新しいのは?」
長男には1年365日という概念がなかった。
1月4日
†今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった
(ルカによる福音書2.11)昨年末のクリスマスは家族にとって特に嬉しい時を与えられた。
キャンドルサービス(ロウソクの灯りの中の礼拝)では長女が私の隣に座っていた。普段は礼拝中でもおしゃべりをして不真面目な長女。だが、この日は違った。賛美をしている長女の顔は輝いていた。
2004年12月・長女・受洗。
11月26日
【香田さんの事】
自己責任だよ。バカだよね。そう思っている人も多いでしょう。
香田さんに思慮が足りなかった事は事実かもしれません。
でも、自分勝手な人ではないと思います。
「また、日本に戻りたいです」彼は「死にたくない」とは言っていません。
自分の命乞いだけをしている言葉とは思えません。
「日本にもどる」家族の為、友人の為、そして平和を祈る為。彼は熱心なクリスチャンだったそうです。捕らわれている間、一体何を祈ったのでしょうか?自分が助かる事だけを祈ったとは思えません。
香田さんは遺体となって戻ってきました。
神は彼を見捨てたのではないです。彼の死が世界の平和の為に用いられますように。
11月19日【勇太ちゃんすごいぞ】
ウチの末っ子とも月齢が近い。暗い穴の中に4日間なんて想像するだけで泣けてくる。頭には大怪我、食料も無い。そんな状況でも勇太ちゃんの救ったのは母親の愛情だと思う。呼べば必ず来てくれるお母さん。信じて待っていたのでしょう。来なかったことはなかったはず。いつか必ず迎えに来てくれる、そう信じて待っていたのでしょう。子供との別離はいつ来るか分らない。だから一期一時常に愛情を注がなければいけない。勇太ちゃんのお母さんの愛は計り知れないほど深いものだったと思います。
天国に行ってしまったお母さん、お姉ちゃん。今の勇太ちゃんの哀しみは計り知れません。どうかお母さん、お姉ちゃんの愛を感じながら健やかに成長されることをお祈りいたします。
11月9日(火曜日)
【新潟地方の方々お見舞い申し上げます】
遅くなりましたが、新潟地方で被害に会われた方、そのご家族の方、心よりお見舞い申し上げます。
私は無力で、何にも力になれずお見舞いの言葉させ見つかりませんでした。
神様はどうしてこんなにひどい事をなさるのだろう。
今、神を恨んでる人がたくさんいる事と思います。悲しみ、絶望の中にいる方々、希望を失っている方々。
神の業は悲惨な事も生みますが、必ず万人を救います。私も神を恨む事はあります。
それでも神を信じているのは、救ってくださるのも神様だからです。今、暗闇の中にいる方も必ず光が照らされると信じています。
また、今回の被害を見て、全国でボランティアの心が生まれ、育まれています。
希望を失わないで下さい。たくさんの人が見守り、祈っています。
決して孤独な中にいる訳ではありません。これから雪の季節となります。健康管理に気をつけ、まず、体力を落とさないようにしてください。
遠く離れた土地で私はわずかな義援金を送るぐらいの事しかできません。
そして、祈る事しかできません。
11月7日(日曜日)†墓前礼拝†
キリスト教はお盆、お彼岸ありません
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今日は年に一度、教会の共同墓地の前で礼拝をする日。
この墓には私の両親も眠る。昨年相次いで他界した。
父は私が25歳の時、母と再婚したので私と血のつながりは無い。
クリスチャンではなかった両親がなぜここの墓地に眠るのか。
それはまた後日・・・・
母は病床洗礼、父は洗礼の意思があったものの間に合わなかった。
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墓地は海の近くで天気が良い日は気持ちが良い。
海を愛する父にはとても似合っている場所だ。墓前礼拝後、海辺の公園でお弁当を食べながらの交流。
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私たちもいつかこの墓に入る。その日がいつになるかは神が決める事。
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11月2日(火曜日)
†「ラザロ、出てきなさい」と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出てきた。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。(ヨハネによる福音書11.38)
ラザロとは死人です。死後4日もたって、「もうにおいます」という状態。
その死人をイエス様は生き返らせた。全く信じられない話です。
信じられなくてもいいのですが、この箇所は私の好きな聖句なんです。
人は肉体は死んでいなくても精神的に死にそうになる時があります。
身体を布でぐるぐる巻きにされて身動きできない、そんな状態。
まさに、死人ラザロと同じ状態です。
そんな状態からもイエス様は救い出してくださる。
今の私はそれ程ひどい精神状態ではありませんが、最近バイトを始め全く進歩せず落ち込む事があります。そんな時、祈りによって気分を変えていただいています。
10月17日(月曜日)
†この神は救い主、助け主。
天にも地にも、不思議な御業を行いダニエルを獅子の力から救われた
(ダニエル書6章28節)昨日の礼拝は野外礼拝。天候もよく、気持ちが良かった。
ダニエルさんのお話。ダニエルは王様にとても気に入られていた人。
もちろん他の大臣は妬む。その大臣によって嵌められる。
「王様以外お祈りをしてはいけない!」という法律を作ってしまう。
法律を犯したものはライオンの檻の中に放り込む!という残酷なもの。
でも、ダニエルは祈った。そして、ライオンの檻の中へ・・・・
神はダニエルを救う。ライオンの口を開かせなかった。
そして、大臣達は放り込まれ、哀れライオンのエサに。
人から妬まれても助けてくださる神。
また、人を憎む事からも助けてくださる。
ダニエルは大臣、王様を恨むことなく主を信じ、ライオンの群れに放り込まれた。
ここの章で言いたい事は神様を信じれば、ライオンさえも怖くないというものではなく、人間の持つ醜い心、そんな心さえも神様は癒してくださる。そして、イエス様はそんな人間の醜い心の罪さえも負ってくださっている。
10月16日(土曜日)
♪親分はイエス様♪
これは映画のタイトル。刺青をした人が十字架を背負っているポスターを
見かけて事がある人も多いでしょう。
内容の説明はいりませんね。ポスターを見ただけで、極道からクリスチャンとなった。その通りです。
誤解がないように補足します。誤解されている人が多いようです。
イエス様を信じたから彼らが新しく生まれ変わったのではありません。
「信じれば自分が変われる」そんな都合の良い宗教はインチキです。
もし、彼らが自分が変わったことを広告塔のように使っているとしたら
それも間違いでしょう。「あなただって変われますよ」なんて冗談でも言って欲しくないです。新たに生まれるとはイエス様を信じること。
信じていく中で自分も変わっていくかもしれない。
また、全く変わらないかもしれない。ただ、聖書の中から何か道筋を照らす光が見えるはず。
自殺サイト、集団自殺、募集、練炭自殺このキーワードでこちらにいらっしゃった方
お近くの教会へ行ってみませんか?
実は以前自殺願望を持っていたクリスチャンの私ですが
私にはお話を受け止める度量はございません。
あなたは愛されこの世に生を受けています。
あなたは必要とされてる一人の人間です。
10月4日(月 曜日)†人は、新たに生まれなけらば、神の国をみることはできない
イエス様の言葉。これを聞いたのはニコデモという人。ニコデモさんはとても
純粋な人らしくこの言葉をそのまま受け「もう一度母親の胎内に入って生まれることができるのでしょうか?」とイエス様に問いかける。
新しく生まれるとは肉体の事ではないようです。誰でも水の霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない
つまり、神を信じ、イエス様を受け入れる事。
神を信じれば新しい人間に生まれ変わる訳ではないですよ。
「自分を変えたい」そう願う人は多いでしょう。
キリスト教はそんな都合のいい宗教ではありません。
私は、今12年間の専業主婦から脱し、アルバイターとして
新たな生活をしてる。まるで違う人間になったようだ。失敗ばかりで落ち込み、信仰も神頼みになっている現状。
日曜にの礼拝にも行けず、聖書も開かない日々が続くが、それでも
神様はそんな私を見放さず見守ってくださっている。
どんな状況でも神様の深い愛に包まれている。
9月24日(金)
♪アルバイト始めました♪
私が選んだ職場は笑顔を0円で売っているあのファーストフード。
もう一箇所打診しているところはセレモニーセンターでの奏楽。
こっちは決してスマイルを売ってはいけない。
私は仕事を始めることを知った長女はウチの家計が火の車だと
思っているらしい。
「私、新聞配達しようか?お小遣い減らしていいよ。私、高校行けるかな?」
大丈夫、そんなに緊迫してないから。
先日、夫が運動会の為にビデオを買った。あのヨン様CMの世界最小。
娘は無駄遣いとご立腹。私のアルバイト日記是非、ご覧になってくださいね。
激励よろしくお願いします。歳バレのHPです。
9月22日(水)
†あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはた だ一つだけである。(ルカによる福音書10.41)
マルタ、マリアという姉妹がいた。その家へイエス様が訪問した。マルタはイエス様のためにおもてなしにせわしく立ち働いている。マリアはな〜んにもせずに、イエス様の前に座って既に話を聞いている。マルタは当然イライラしているだろう。
その不満を彼女はイエス様にぶつけた「手伝ってくれるようおっしゃってください」イエス様のお答え「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心をみだしている」
え?マルタはおもてなしの事でイラついてる不満を言っているのに、イエス様のお答えはマルタの心の中すべてを知っておられるような言葉だ。
誰しも沢山の悩みを抱え、心を乱すことがあるだろう。そんな時何をすべきか?
あれこれ余計な事ばかりしてかえって空回りしている事はないか?一番必要な事まず、心を落ち着けてマリアのように主の足元に座ろう。
主に祈り、道筋を照らして頂こう。
9月14日(火)
†私たちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださ る、私たちの父である神(テサロニケの信徒への手紙2.2.16)
最近、世界中で理不尽な死が増大している。テロ、災害、犯罪。そしてあの9月11日。一人の死は多くの悲しみを生む。残された遺族の方々には何と声を掛けたらいいのかわからないし、どんな言葉も慰めにはならないだろう。
しかし、悲しみを悲しみのまま終わらせないで欲しい。悲しみの中から希望を見つけて欲しい。私に出来る事は今哀しみの中に居られる方々に慰めがあり、力強く生きて欲しいと祈る事だけ。
9月8日(水)
娘の絵を4年間指導してくださった美術教室の先生が他界された。
生前から不治の病である事、死の淵に立っている事を他人事のように話されていた。
他界したその日も、その次の日も生徒に訃報を知らせぬまま、美術教室は
開かれていた。先生のご意思であろう。
娘の心の中に絵の技術以外の事も生き続けていく事だろう。
先生の為、残された生徒、遺族の悲しみの中に居る方々に慰めがあるよう祈ります。
9月6日(月)
そう、私は子供にもママ友がいない事を隠していたんだ。
でも、今は「残念だけどママは仲間じゃないんだ」と言える。
言うまでもなく上の子は承知しているようだ。
遅刻で登校する長女を送っていく時、長男の集団下校のお迎え場所を
通った。長男は風邪でお休み。
長女は「ママあの人たちと仲良くしなきゃいけないんだね。仲入れないでしょ。」私「幼稚園の時の顔見知りの人もいるから・・・」
長女「その人はすでに他の人と仲が良かったりするんでしょ」
大きなお世話だが当たってる。
別にママ友の輪に入らなくてもいいんじゃないかな。
群れてしゃべって子供放置。そんな集団が多い。
掲示板で「派閥」「ボスママ」に悩んでる;;)なんていうスレ見ると
大笑いして茶噴いてしまう。
私は公園などで密に子供と接して来れたと思う。
下の子をベビーカーに乗せっぱなし、おんぶしっぱなし。
そんなカワイそうな事出来なかった。いつも下の子を追い掛け回して
他のママとおしゃべりなんてする余裕はなかった。
小学校に入学すれば友達は自分で作らなきゃならない。
ママ友の子供とだけしか遊んでない子より、うちの子供たちは
友達作りがうまいかもしれない。
9月3日
♪ママ友が少ない愚痴を
深刻な共通の悩み・・・・・
「私はいいけど子供がかわいそう」
娘が小さい頃こんな事があった。
公園ではいつものように輪になって群れてるママたち
その子供たちは当然仲がいい。
でも、たまにうちの娘も入れてもらえる。
ある日の午前中、娘が仲間に入れてもらった
そしてお昼頃
「お弁当にしよう〜」友達はママに呼ばれた
私たち親子はお弁当なんて持ってきていない
「明日は持って来ようね」娘をなだめて帰る。
次の日お弁当持参で公園へ
よかった。あの集団はいる。そしてお昼。
しかし「そろそろお昼だから行こう」ファミレスへと消えていった。
娘「早く行こうよ」母「お弁当持ってきたから今度ね」
次の日、一応お弁当を持って公園へ
お昼「じゃあ、後でね〜」みんな帰って行った。
娘「早く帰ろう。今日○○ちゃんちでクリスマス会だって」
母、また言い訳考える「今日は忙しいのごめんね」娘(涙。。。
こんな事はよくあった。でも大丈夫。
子供に「友達出来ない」DNAは遺伝しないようだ。
娘には今友達が沢山いる。8月30日
†父と子と聖霊の御名によって外国映画のよく聞く牧師の言葉。「聖霊」という言葉は誰でも知ってると思うが
でも、聖霊ってどんなイメージ?
私はカルトっぽくて好きになれない。「神様の力」と置き換えれば
受け入れられが「聖なる霊」となるとちょっと・・・・
「私は聖なる霊によって守られ〜」なんて証しをする人がいたら、私は
きっと求道中に教会から去っていたと思う。
「聖霊」を信じないのではなくて言葉の響きが嫌い。
(誤解の無いように)
でも聖書の中の数々の奇跡。ここだけの話(ネットだが)
私はその中で、これは作り話じゃないかって疑っているものもある。
やはり未熟なクリスチャンかも。
しかし、当時イエス様の奇跡を目の当たりにしても信じなかった人がいたようだ。
2000年もたった今、一人ぐらい疑っているクリスチャンがいても
許していただこう。
8月23日(月)
†聖霊とは?そして、ほとんどの宗教では「信じるとこうなる!」という甘い常套句がある。
キリスト教でも信じればこの「聖霊」というものの働きでいい事が起こることも
あるらしい。それでもやはり「いい事あるから信じましょ」なんて誘わない。
そんな事をいうのはカルト集団と疑うべし。
聖書には信じられない事象が書かれているが、例えば、マリアの処女懐妊。イエスが死んでから3日後に復活など。
それらはすべて聖霊による現象。などと言ってもすぐに信じる人なんていないし
聖霊についても全くどんなものか理解できないだろう。
無理に信じる事はない。聖書の言葉すべてを信じろ!なんて命令する事を
私たちはしない。キリスト教は牧師や教会員がノンクリスチャンに信仰を命令
(強要)するのではなく神様が語りかけてくれると私は思っている。
8月13日(土)
†世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもを
より分け、燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで
泣きわめいて歯ぎしりするだろう。(マタイによる福音書13.49)ほとんどの宗教では「信じないとこうなる!」という脅し文句がある。
なんと聖書の中でもそんな御言葉があるのだ|゚Д゚)))ガクガク!!!
しかし私は求道中一度も脅された事はない。もう少し脅かされたら
もっと早く受洗をしていたかもしれない・・・・・
なぜ脅さないのだろう?
きっと神様こうなる事をお望みでないし、こうならない為に祈って欲しい
訳ではないのだろう。愛を以て祈る事、それが主に御心に叶うものでは
ないであろうか。
イエス様は信仰で一番大事な事それは「愛する事」とおっしゃておられる。
それは簡単なようで大変難しい。まだ、人を勧誘する事の方が容易かも
しれない。
8月12日(金)
最も重要な掟
†心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を
愛しなさい」
ある宗教団体(層化とか懸賞だったか)で一番功徳を高く積む行為は
「折伏(シャクブク)」である。一番大切なことは人を勧誘する事らしい。
「折伏」とは「相手を折って伏せて入信させる事です」
キリスト教の伝道は地味だと思う。キリスト教に「折伏」がなくて良かった。
私には折伏する相手(友人)なんてい・な・い・・・(#‘‘)
私のHPで層化や懸賞でお困りの方の為のページも作る事を検討中。