おじさんがボランティアした日本語学校

情系父母 心系草原


私は平成18年3月で早期退職をしました。本当はボランティアで植林活動に打ち込むつもりでしたが、 急きょ、日本語学校の講師を引き受けることになりました。学校は内蒙古錫林浩特(シリンホト)市にある牧業機械化学校 国際交流中心です。地元の人は親しみを込めて牧机校(ムジショ)と言います。1時間の授業は90分です。1時間目が終わると、生徒はグランドで体操を行います。
私の教える科目は「作文」「日本事情」「会話」でした。どの科目も教科書がありません。生徒の反応を 見ながら、正しい日本語、つまり標準語をゆっくり話していきました。こんな真面目な授業態度は日本では考えられない ことです。生徒はお茶を飲みながら授業を受けます。黒板の上のクラス目標「情系父母 心系草原」は生徒の心情をよく表して います。
4月は砂嵐の日が多いですが、5月中旬になるとそれも収まり、校庭にはリラの花が一斉に咲き、春の訪れを告げる ようです。私はこのリラの香りが漂う校庭が大好きでした。リラの写真を撮ろうとしたら、たちまち体操が終わった生徒に取り囲まれてしまいました。 生徒の半数は大学卒業後に牧机校に入校して来ます。その多くは日本の大学への留学希望です。
私の住んでいた集合住宅です。私はここの2階に住んでいました。1階の庭は私が利用していました。春になると杏の花が咲きます。しかし、その実は私の知らない人が勝手に入ってきて収穫してしまいました。住宅には少し日本語を話せるおじいさんが住んでいました。私に軍歌を歌ってくれましたが、最後がビンタになってしまいます。日本兵から殴られたことが心の傷になっていました。
牧机校は土曜日も午前授業です。午後からは生徒が私の集合住宅に遊びに来ました。生徒にとっては日本語の会話の勉強になるようです。私にとっては部屋を大掃除してもらえるありがたい日でした。また、カレーライスをよく作って食べました。カレーライスは概ね好評でした。ほとんどの生徒は寮生活でしたので、生徒は寮や遠く離れた故郷のことをよく話してくれました。
生徒の一人一人は忘れることが出来ません。写真の生徒チングル君もその一人です。彼は牧机校に入校する前に区都フフホトの日本料理屋で働いていたため、会話力は素晴らしかったです。また、彼の友人が内蒙古詩人であるため、彼も詩の朗読がプロ級でした。日本からの植林ツアーの方との交流会やスピーチコンテスト等では即興的に詩を披露してくれました。
日本語学校では時々嬉しいこともあります。西ウルムチンのナーダムの祭りに連れていってもらいました。ナーダムとは 民俗信仰のお祭りです。山頂のオーボーの神へ祈りを捧げる祭りですが、草競馬とモンゴル相撲が大人気です。20Kmを走る草競馬のゴール には誰もが大興奮をします。写真の力士は前年度の優勝者です。残念ながら、今年は彼は途中で敗退してしまいました。
2006年9月3日は雪が降りました。夏からいきなり冬に突入してしまったようでした。内蒙古の人もこんな早い降雪に驚いていました。しかし、写真の彼女には普通のことのようでした。彼女はモンゴル(外蒙古)からの留学生です。彼女は中国語が殆ど駄目なため、私と彼女の会話は英語でした。日本人には内蒙古と外蒙古の区別が難しいようです。牧机校にはロシアからの留学生も1名いました。
錫林浩特から北東に車で2時間程のところに東ウルムチンの塩湖があります。この塩湖での塩が内蒙古の 消費量を十分に賄えるようです。舐めてみるとミネラル分が多い塩のようでした。夏休みにバスで一人で見学に行こうと思いましたが、生徒が中国語が全く駄目な私を心配して 同行してくれました。でも、私は一人でハルピン〜満州里〜フフホトを旅行しました。
日本語学校では年に一度日本語スピーチ・コンテストが開催されます。「作文」の授業で自分の主張を 書き、その文章を真剣に暗誦します。生徒にとっては非常に良い勉強になるようです。最優秀賞は浴衣を着て発表した 志永(ジウン)さんでした。作文の多くは沙漠化について書いたものが多かったです。それにしてもモンゴル人の語学力は 凄いものがあります。
学校では特に卒業式という行事はありません。が、4月に日本に留学する生徒が多いため、生徒による自主的な 卒業式が行われます。卒業記念撮影と民俗信仰のオーボーシャンにお参りします。夜は茶話会となります。代表生徒による謝 辞には胸に来るものがありました。生徒は民族服を着ることが本当に嬉しいようです。日本の大学で彼らに再会する日を楽しみに しています。
私は2007年7月で牧机校を去ることにしました。本当は講師を継続しようかと思ったのですが、日本でもやらなければならないことがありました。前列左側の恩和老師とはいろいろ楽しい会話をしたものでした。日本の和菓子「羊羹」には何故羊という漢字を使うかについて議論したものでした。人生においてこんな素晴らしい経験があるとは考えてもみませんでした。