遠江 天方城
Amagata castle

城ヶ平公園・天方新城【静岡県周智郡森町向天方】
      天方古城【静岡県周智郡森町大鳥居】
     天方小学校【静岡県周智郡森町大鳥居220−2】

【立地】山城
【別称】天方新城

【歴史】1568年、城ヶ平〔標高248m〕に天方山城守通興の築いたとされる。天方新城の前身と
なる天方古城〔森町大鳥居・標高150m程〕は、応永年間(1393〜1428年)、山内対馬守道
美によって築かれ、飯田郷へ進出して飯田古城を築き、1401年弟の山城守に譲ったと云う。山内豊
後守道秀の代で天方古城に住んで天方氏を称し、その後、通良−通泰−通員−通季−通稙−通興と続い
た。1560年今川義元没後、1568年家康は遠州へ侵出し、次々と諸城を攻略する中、今川の勇将
天方通興は家康の忠告に従わず、1569年榊原康政・天野康景・大久保忠隣らの攻撃を受けて降伏。
1570年10月家康の命に従わず再び立て籠もった為、大須賀康高・榊原康政らの攻撃で落城した。
1572年9月武田信玄の遠州進出の際は戦わずして落城、信玄は久野弾正忠宗を残して天方通興と共
に護らせた。翌1573年3月家康は平岩親吉に天方城を攻撃させ、久野弾正忠宗を甲州に追い遣る。
再度、甲州の持城となったが、1574年3月家康は遠州の軍勢を率いて天方城を攻め落とし、城に軍
兵を置いたと云う。1579年通興の子通綱は、家康の嫡男信康が二俣城で自害の際、服部半蔵正成と
共に介錯人を務めたが、自責の念に駆られて高野山で仏門に入った。その後、越前の松平秀康に仕え、
越前天方氏の宗家となり、子孫は明治まで松平氏に仕えた。通興は天方家の存続させる為、外孫の通直
(青山播磨守忠成の五男)を養子とした。通直は幼少より家康に奉仕して、1614年「大坂冬の陣」
に供奉、1615年「大坂夏の陣」では徳川秀忠に従って「天王寺の戦い」で戦功を挙げた。通直より
四代後の成展の時、青山氏に改姓。廃城年は、1597年通興没後、間もなくとされる。現在は城ヶ平
公園の名で整備され、曲輪、土塁、横掘が残る。

【所感】太田川に架かる県道58号線森川橋辺りから城跡を目指すと、2キロ程手前から「天方城跡」
や「城ヶ平公園」の看板・標柱が山頂まで導いてくれます。舗装された山道を上って行きますが、思っ
たよりも時間が長く感じます。山頂は整備された駐車場・トイレが設けられ、主郭内に滑り台・ブラン
コ・雲梯、西側に展望台も有って公園らしい雰囲気を出しています。天方城跡の見所は何と行っても主
郭を囲む横堀。長く深く有るので見応え、撮り甲斐があります。二の郭の外側にも短いですが、横掘が
あるのも忘れずに。天方古城は天方新城の北2キロ程の天方小学校・八幡社背後山とされます。





二の郭北側の横掘



二の郭

 

主郭北西端の虎口〔写真:左〕主郭西端の虎口〔写真:右〕



主郭東端の虎口





主郭北側の土塁と横掘



主郭西側の横掘と土塁



主郭

 

南西方向を向く展望台〔写真:左〕展望台から見える森町市街・太田川・新東名〔写真:右〕


 

天方城跡の石碑・二の郭〔写真:左〕天方城趾の石碑・主郭〔写真:右〕