出羽 上山城
Kaminoyama castle

上山城跡・月岡神社【山形県上山市本城内3−7】
    上山小学校【山形県上山市元城内5−5】

【立地】平山城
【別称】月岡城

【市指定史跡】上山城西内堀跡

【歴史】築城年は定かではない。応永年間(1394〜1427年)、斯波頼直の三男里見
満長が上山地方に所領を与えられ、虚空蔵山に高楯城を築き、上山殿と称されたことに始ま
る。1514年「長谷堂の戦い」では伊達稙宗の軍勢が最上義定を敗ったが、高楯城に拠る
里見義房の奮戦では上山要害は堅固であったと云う。1520年稙宗は再び最上領内へ侵攻
し、義房を破って山形城も占領。1535年義房の嫡子里見〔武衛〕義忠が上山奪回に動き
、高楯城を攻略して後、山城を廃して、天神森の丘陵〔標高198m〕に築いた月岡城が上
山城の前身である。武衛義節を経て、1577年頃より、天童一門である上山〔武衛〕満兼
と最上義光の対立が始まり、1580年里見越後、里見民部の寝返りで満兼は討死し、里見
民部が上山城主となった。その後、最上義光の所領となり、1590年「小田原征伐」後に
24万石、1600年「関ヶ原の戦い」後に57万石を得た。1622年最上氏が改易にな
ると、遠江国横須賀から能見松平重忠が4万石で入封し、上山城を居城に上山藩を立藩した
。その子重直に継がれたが摂津国三田へ移り、1626年蒲生忠知、1627年城代を経て
、1628年土岐頼行が2万5000石で入り、城の修築が行われた。丘陵上部に本丸、二
の丸を輪郭式に配し、本丸に三重櫓を上げ、周囲に内堀が巡らせ、城下町の整備も行われた
。奥羽三名城の1つと云われたが、1691年土岐頼殷が大坂城代に昇進転封すると、16
92年上山城は破却され幕領となった。廃城直後に飛騨国高山城主金森頼時が入り、二の丸
に居館を構えた。1697年藤井松平信通が3万石で入り、1717年本丸と大手口の石垣
普請は幕府に許されたが、三重櫓の再建は実現しなかった。信通の後、長恒−信将−信亨−
信古−信愛−信行−信宝−信庸と続き、信安の代で廃藩となる。1982年に模擬天守が復
興され、月岡神社周辺に土塁と空堀、石垣の一部が残る。


【所感】前川と荒町川の合流点北に位置し、国道458号線、県道12号線、県道104号
線に囲まれて上山城が在ります。模擬天守は上山市街が一望出来る展望台であり、郷土や歴
史を学べる資料館になっています。西隣りに月岡神社が在り、上山小学校との間に内堀の一
部が残っていますが、往時の空堀跡は、何処からか流れ込む水で水堀になっています。遺構
の少ない城跡ですが、模擬天守が建ったことで城跡の雰囲気が感じられ、上山市の象徴の1
つになっています。


 

三重三階地下一階 模擬天守・郷土歴史資料館

 

上山城入口〔写真:左〕上山城西内堀跡〔写真:右〕