三河 友国砦
Tomokuni fort
友国砦跡【愛知県西尾市吉良町友国字山ノ上】
王塚之古跡の石碑【愛知県西尾市吉良町友国字王塚24】
ファミリーマート西尾吉良町店【愛知県西尾市吉良町友国字和田23】
【立地】丘城
【別称】朝国砦
【歴史】1561年、松平元康〔徳川家康〕が「東条城攻め」の際に築いた砦とされる。小牧砦を本陣
として本多広孝を置き、津平砦・友国砦に松井左近忠次〔1521〜1583年〕、糟塚砦に小笠原三
九郎長滋を配した。今川氏真は東条城に吉良義昭、西条城に牧野貞成を置いて迎え撃ち、元康軍が勝利
して後、東条城に鳥居忠吉・松井信一、西条城に酒井雅楽助が入った。1563〜1564年「三河一
向一揆」の際、許されて岡山城〔吉良町〕に居た義昭は、再度、家康に背いて東条城へ入り、一揆方の
将として抗戦したが、和議が進むと近江へ逃れた。現在は荒廃地となり、遺構は無い。江戸時代に入る
と、友国村は三相給となり、旗本の三浦氏〔200→190石〕・伊藤氏〔100石〕・大河内松平氏
〔295石〕が領有した。そのうち三浦氏と伊東氏は当地に陣屋を構えたようだが、場所は不明。三浦
氏は、1603年直次が200石を拝領し、その後、直吉−直忠−直榮−直輝−直聖=直喬=直保…十
六郎−銀太郎と続いた。伊藤氏は、天正年間(1573〜1591年)、秀吉の鷹狩り案内人として正
知が100石を賜り、その後、正信−正行−正章=正光−正重−正直=正之…九左衛門と続いた。現在
は土砂採取の為に荒廃地となり、遺構は無い。
【所感】県道41号線、県道317号線が交差する友国信号交差点〔ファミリーマート西尾吉良町店が
在る〕から県道41号線を300m程東進し、右手の秋葉山夜燈の裏手斜面が砦跡とされます。殆どが
土砂採取で荒廃地となった緩斜面です。北に津平砦、その奥に東条城が見えます。更に高い王塚住宅の
一角に王塚之古跡の石碑が在ります。王塚は重仁親王の前方後円墳と云われています。平治の乱の後、
源義朝と共に逃れ、当地に住んで亡くなったそうです。石碑周辺を砦とすれば、更に遠方まで見渡せる
良い場所であったと思われます。
友国砦跡辺り
![]()
秋葉山夜燈〔写真:左〕王塚之古跡の石碑・王塚住宅〔写真:右〕