三河 刈谷城
Kariya castle
刈谷城跡・亀城公園【愛知県刈谷市城町1丁目1】
亀城小学校・刈谷市郷土資料館【愛知県刈谷市城町1丁目25−1】
城町図書館【愛知県刈谷市城町1丁目24】
楞厳寺【愛知県刈谷市天王町6丁目7】
妙福寺【愛知県碧南市志貴町2丁目61】
【立地】丘城
【別称】亀城
【刈谷藩】1600〜1871年
【歴史】1533年水野忠政が築き、忠政の娘於大の方〔家康の母〕が育った城である。1541年「
於大の方」は岡崎城主松平宗家8代広忠の正室となり、1542年岡崎城で竹千代が生まれる。154
3年忠政が亡くなると、信元が継ぎ、今川から織田方へ与する。このことで広忠は、織田方となった水
野家「於大の方」と離縁することになる。1575年信元は武田方との内通を疑われ、信長の命により
、家康の家臣石川数正、平岩親吉に大樹寺で嫡子信政と共に殺害された。代わりに佐久間信盛が入るが
、1580年信長に追放され、信元の弟忠重〔於大の弟〕が入る。1582年「本能寺の変」で信長が
討たれると、忠重は秀吉に仕え、1590年伊勢神戸城へ移るが、1594年刈谷へ帰城。秀吉が亡く
なると、家康に仕えたが、1600年加賀井弥八郎によって殺害され、その子勝成が家督を継いで、3
万石で刈谷藩を立藩する。その後、1616年勝成の弟忠清、1632年深溝松平忠房、1649年久
松平定政、1651年稲垣重綱−重昭−重富、1702年阿部正春、1710年本多忠良、1712年
三浦明敬−明喬−義理と続いた。1747土井利信が入り、利徳−利制−利謙−利以−利行−利祐−利
善−利教で明治を迎える。現在は亀城公園に変わり、曲輪、土塁、水堀が残る。
【所感】刈谷城跡は亀城公園に変わり、盛り上がった本丸は日本庭園に、それを囲む城池、小亀池は堀
跡と云われています。「亀城」と言うだけあって、池には多くの亀・鯉が飼われ、人が近づくと餌をく
れると思うのか?近寄って来ます。亀が寄って来ると、珍しさと可愛さで時間を忘れてしまいます。
城池
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亀城公園の石碑
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刈谷城本丸跡の石碑と背後の土塁〔写真:左〕本丸〔写真:右〕
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十朋亭・本丸三重櫓跡地〔写真:左〕本丸東側の曲輪・公園〔写真:右〕
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刈谷城二の丸跡の石碑〔写真:左〕刈谷城三の丸跡の石碑・刈谷市郷土資料館〔写真:右〕
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刈谷城大手門跡の石碑・亀城小学校〔写真:左〕刈谷城町口門跡の石碑〔写真:右〕
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刈谷城址の石碑・亀城公園〔写真:左〕藩校 文禮館跡の石碑・城町図書館〔写真:右〕
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楞厳寺〔写真:右〕水野家廟所・楞厳寺〔写真:右〕