「 城山 三郎 」
| TOPへ戻る | 芥川賞著目一覧へ進む | ||
| プロフィール | 年 譜 | 所蔵読書文庫 | |
| ・・・初版発行日と装幀・カバーデザイン 者も載せています |
| (しろやま・さぶろう) 城山三郎 |
「プロフィール」 |
![]() |
1927年、名古屋市の商家に生れる。本名は杉浦英一 東京商科大学(現・一橋大学)を卒業後、一時愛知学芸大学で教鞭を とるが、城山三郎のペンネームで応募した小説『輸出』が「文学界」新人 賞に入選、翌年1959年 『総会屋錦城』で第40回直木賞を受賞、1963年 には大学を辞し、創作に専念する。以後、近代日本の歴史上の人物や、 経済をテーマとした小説を発表権力と組織、歴史に対峙して生きる男たち の凛然とした人物像を描いた作品が読者の深い共感を呼ぶ、また経済小 説の開拓者となる。吉川英治文学賞、毎日出版文化賞受賞、菊池寛賞 受賞。『辛酸』『鼠』『落日燃ゆ』『毎日が日曜日』『もう、きみには頼まない 』『「粗にして野だが卑ではない』など気骨ある人物の堂々たる人生を描き 、伝記文学の新しい領域を拓く。 ペンネームのいわれ・・・名古屋市の東郊、織田信長の出城の1つが あったことから通称「城山」と呼ばれる地域に昭和32年3月に引越しした ことから「城山三郎」として『輸出』を書き上げると、「文学界」誌に投稿した。 |
| 「 年 譜 」 |
| 昭和2年(1927年) |
| 8月17日、父政之丞、母寿々子の長男として、名古屋市中区で生まれる。本名杉浦英一 父25歳、母20歳のときの 子である。育った家は、中区朝日町2-6(現・錦3丁目1410)市の 中心である栄町のすぐ近くで、メインストリートの一つに面していた。家業はインテリア。父は 発明好きで折畳式洋服箪笥などの特許をとったりし、東京の芝や京橋に支店を出したことも ある。母は短歌や琴を趣味としていた。 9年1月、弟妹の2人が一日にして亡くなり、子供心にショックを受ける。同年4月、八重小学 校に入学担任の影響で絵が好きになり、また、作文も得意であった。6年間、無遅刻無欠席 痩せてはいたが、芯が強い体であった。 |
| 昭和15年(1940年) 13歳 |
| 4月、名古屋商業に入学。名古屋の商家の長男の当然のコースとされていた。陸上競技 部、滑空部などに入る。軍国主義教育の影響をまともに受け、杉本五郎中佐著『大儀』など に心酔。 |
| 昭和20年(1945年) 18歳 |
| 3月、大同製鋼に勤労動員されたままで名古屋商業を卒業。たびたびはげしい空襲にさら され、身近に爆弾を受けた。父は徴用されて軍隊へ、母たちは郊外の豊明村の別荘に疎開 していたが、名古屋の家は夜間空襲で焼かれた。 4月、愛知県立工専に入学。徴兵猶予となったが猶予を返上し、 5月に海軍特別幹部練習生として志願入隊。三ヵ月後大竹、郷原の部隊を転々としながら 、広島の原爆の雲を見て終戦を迎える。 |
| 昭和21年(1946年) 19歳 |
| アララギ東海支部に加わって短歌を作る一方、私塾に通って、キプリング、コンラッドなどを 学ぶ。この頃、スタインベック、コールドウェル、ヘミングウェイなどを乱読する。 3月、東京商科大予科(後、一橋大学と改名)に合格したが、軍学徒進学制限令のため、 9月になって入学。哲学研究会に入った後、同会を主宰して、講義にほとんど出ず、カント とマックスウエーバーを読む。通称「哲研の杉浦」といわれるほど。吉祥寺の禅寺に1年間、 禅僧なみの生活をしたあと、さらにYMCA寮に2年間住み、洗礼を受ける。予科時代、特別 奨学生となる。 24年、学部に進学、山田雄三教授に師事し、理論経済学を学ぶ。この頃、詩を書き、北 川冬彦氏の《時間》、山本太郎氏の《零度》の同人となる。 |
| 昭和27年(1952年) 25歳 |
| 3月、一橋大学を卒業。父大病のため、帰郷の必要あり、たまたま話のあった岡崎の愛知 学芸大学に奉職し、「景気論」などを担当する。また、金城学院にも出講する。 |
| 昭和29年(1954年) 27歳 |
| 1月、小山容子と結婚。この年、丸山薫氏を通して、永田正男、宇佐美道雄、国司通、岩 崎宗治の各氏と共に月1回の読書会を持ち、会名を「クレトス」とし、延々と今日まで続く。同 名の雑誌を刊行したこともある。名古屋の<近代批評>の同人に加わる。 |
| 昭和30年(1955年) 28歳 |
| 5月「中京財界史」を《中部経済新聞》に連載(11月完結)。6月「田宮虎彦論」を《近代批 評》に発表。 9月、長女弓子誕生したが、11月昇天。この年、一橋大学経済研究所に十箇月出張。 |
| 昭和31年(1956年) 29歳 |
| 2月、母寿々子急死。同月『中京財界史』上下ニ冊を中部経済新聞より刊行。 11月、長男有一誕生。12月「生命の歌」を《近代批評》に発表。 |
| 昭和32年(1957年) 30歳 |
| 3月城山近くの借家へ移る。これを機に、文学に本腰を入れようと、城山三郎のペンネーム を考え、《文学界》の新人賞に「輸出」を応募し、受賞。同誌7月号に掲載される。夏は信州 で執筆にふけり、 9月、「プロペラ機・着陸待て」を、 11月「神武崩れ」を《文学界》に、 12月「生命なき街」を《別冊文藝春秋》に発表。この年、小松伸六氏を知り、《赤門文学》同 人となる。 12月、茅ケ崎に移る。 |
| 昭和33年(1958年) 31歳 |
| 岡崎の愛知学芸大学へ、週2日の通勤生活が始まる。往復8時間余の準急東海号の車中 は、絶好の読書の場となっ た。 3月「事故専務」を《週刊新潮》に、 9月「挑戦」を《オール読物》に、 10月「総会屋錦城」を《別冊文芸春秋》に発表。 またこの年「鳩侍始末」を《赤門文学》10号に発表。 |
| 昭和34年(1959年) 32歳 |
| 1月「総会屋錦城」が直木賞を受賞。同月『大義の末』を五月書房より、 3月、短編集『総会屋錦城』を文藝春秋新社より 5月、短編集『事故専務』を講談社より刊行。同月、次女紀子誕生。 8月「乗取り」を《財界》に(翌年8月完結)、同月「黄金峡」を 《週刊東京》に(12月完結)、 「無頼空路」を共同通信の配信で(翌年5月完結)連載した。 10月26日、名古屋で伊勢湾台風に遭う。朝日新聞の依頼で、小船に乗って、泥の海と化 した村々や死体置場を訪ねて回り、衝撃を受ける。 12月、テレビドラマ「壁」(CBC)が芸術祭奨励賞を受賞。この年、「若い日本の会」に参加 する。 |
| 昭和35年(1960年) 33歳 |
| 2月、アメリカとメキシコへ旅行。グランド・キャニヨンの雄大さに圧倒され、一昼夜ただただ 大峡谷を見つめる。 5月、安保闘争に参加。 1月、短編集『着陸復航せよ』を新潮社より、 2月『黄金峡』を中央公論社より、9月『乗取り』を光文社より、 10月『無頼空路』を講談社より刊行。 |
| 昭和36年(1961年) 34歳 |
| 3月、短編集『社長室』を新潮社より刊行。6月、「辛酸」を《中央公論》に発表。「騒動」と題 した第二部は、騒然たる時節柄のため、掲載を拒否され、第一部と合わせて翌年1月『辛酸 』として、中央公論社より刊行。モスクワの外国文学出版社刊行の『日本の文学』に「神武崩 れ」のロシア語訳が収録される。 |
| 昭和37年(1962年) 35歳 |
| 2月、カイロで開かれたアジア・アフリカ作家会議に、日本代表団の一人として参加。十日 近く、さまざまな民族の声を聞く。会議からの帰途、単身、アテネ、イスタンブール、ローマ、 パリと廻る。 1月「緊急重役会」を《オール読物》に発表。同月「小説日本銀行」を《エコノミスト》に連載 (12月に完結)。同月『辛酸』を中央公論社より刊行。2月、最初のユーモア小説「イチかバ チか」を《週刊朝日》に連載(8月完結)。 10月『イチかバチか』を朝日新聞社より、 11月、短編集『緊急重役会』を文藝春秋社より、 12月『危険な椅子』を集英社より刊行。同月「昨是今非」を地方紙に連載(翌年8月完結、 後「昨日は昨日」と改題)、テレビドラマ「汽車は夜九時に着く」(NHK)が芸術祭奨励賞を 受賞。 |
| 昭和38年(1963年) 36歳 |
| 1月『小説日本銀行』を新潮社より刊行。 5月「幹部保育園」を《報知新聞社》に連載(翌年2月完結、後「重役養成計画」と改題)。 11月「硫黄島に死す」を《文藝春秋》に発表。 6月、愛知学芸大学を退職。日本作家代表団の一員として中国へ。 |
| 昭和39年(1964年) 37歳 |
| 2月、「硫黄島に死す」が文藝春秋読者賞を受賞。4月『企業者根性』をダイヤモンド社より (続編『前途洋々』は12月刊)、 6月重役養成計画』を新潮社より刊行。 10月「鼠」を《文学界》に連載(41年3月完結)。同月、短編集『ある倒産』を新潮社より『昨 日は昨日』を集英社より刊行。 11月、二作目のユーモア小説「一発屋大六」を《サンデー毎日》に連載(翌年5月完結)。 |
| 昭和40年(1965年) 38歳 |
| 8月『一発屋大六』を光文社より刊行。この頃から、近くの空手道場へ毎日のように通う。 |
| 昭和41年(1966年) 39歳 |
| 1月、ユーモア小説「学・経・年・不問」を《オール読物》に連載(12月完結)。 4月『鼠――鈴木商店焼打ち事件』を文藝春秋より刊行。 5月「前照灯」を地方紙に連載(翌年1月完結、後「盲人重役」と改題)、「当社別状なし」を 《アサヒ芸能》に連載(10月完結)。 8月『風雲に乗る』を光文社より刊行。 10月「成算あり」を《サンデー毎日》に連載(翌年2月完結)。 11月『企業小説シリーズ』全七冊を東都書房より(翌年3月完結)、 12月『学・経・年・不問』を文藝春秋より、『当社別状なし』を徳間書店より刊行。この頃から 、不眠症を治すためもあって、ゴルフをはじめる。 |
| 昭和42年(1967年) 40歳 |
| 3月から7月にかけて、アメリカ一周バス旅行。メキシコ、カナダにも寄る。家を出てから帰る まで、船とバスなどで、一度も飛行機に乗らず、文字通り地に足をつけた旅。旅行記の一部 を《サンデー毎日》に連載し、 10月『ヒッピー発見―アメリカ細密旅行』として毎日新聞社より刊行。この年3月『成算あり』 を毎日新聞社より、 7月『盲人重役』を東都書房より刊行。空手、初段をとる。 |
| 昭和43年(1968年) 41歳 |
| 久しぶりに戦争小説にとりくみ、 3月「一歩の距離 小説予科練」を《別冊文藝春秋》に発表。 5月「メキシコの侍たち」を《週刊言論》に連載(8月完結、後「望郷のとき」と改題)。 6月『一歩の距離 小説予科練』を文藝春秋より、 11月、短編集『硫黄島に死す』を光文社より、 12月『望郷のとき』を文藝春秋より刊行。 |
| 昭和44年(1969年) 42歳 |
| 4月、カリフォルニアへ取材旅行。梅雨どきに頭痛と耳鳴り続く。はじめての経験。この年、 1年を限って、小学校のPTA会長を引き受ける。また、久しぶりに忍耐の味を噛みしめながら 、運転免許をとる。1月「価格破壊」を《週刊読売》に(8月完結)、2月「忘れ得ぬ翼」を《オー ル読物》に連載(12月完結)。 10月『価格破壊』を光文社より、 11月『野生的人間の経済史』を番町書房より、 12月連作『忘れ得ぬ翼』を文藝春秋より刊行。 |
| 昭和45年(1970年) 43歳 |
| 2月『華麗なる疾走』を集英社より刊行。4月「零からの栄光」を《サンデー毎日》に連載(9 月完結)。同月『猛烈社員を排す』を文藝春秋より、 9月『零からの栄光』を毎日新聞社より刊行。 10月「役員室午後三時」を《流動》に連載(翌年5月完結) 12月『男たちの経営』を大泉書店より刊行。 10月から11月にかけて、江藤淳、藤枝静男氏と共に日本作家代表団としてソビィエトを訪 問。ヤースナヤ・ポリャーナのトルストイの静かな邸、土を盛っただけの墓に強い印象を受け る。その後、藤枝氏に伴われ、ヨーロッパへ。ボストン、ニューヨークなどで取材。 |
| 昭和46年(1971年) 44歳 |
| 1月「寒灯」を《毎日新聞社》に連載(12月完結、後「雄気堂々」と改題)。 7月、短編集『鮮やかな男』をKKベストセラーズより刊行。 8月「うまい話あり」を地方紙に連載(翌年3月完結)。 12月『役員室午後三時』を新潮社より刊行。 |
| 昭和47年(1972年) 45歳 |
| 3月から4月にかけて、アメリカ横断バス旅行。ソルトレーク、ニューヨークなどで取材し、さ らにジョージア州オーガスタでマスターズ・トーナメント観戦。帰りにフロリダ、モントレーの両 半島で、ゴルフなどして休養。 5月『うまい話あり』を光文社より、 8月『雄気堂々』上下二冊を新潮社より刊行(下巻・9月刊)。 |
| 昭和48年(1973年) 46歳 |
| 8月、アメリカへ家族旅行。このときも、アリゾナ横断のバス旅行を組みこむ。グランド・キャ ニヨン再訪。 9月、「働き一両・考え五両」を地方紙に連載(翌年4月完結、後「百戦百勝」と改題。 10月から11月にかけてアメリカへ講演、スイスへ取材旅行。 12月、再びアメリカへ対談のため旅行。その後、中南米へ。 |
| 昭和49年(1974年) 47歳 |
| 1月から2月にかけて東南アジアへ旅行。 1月、書下ろし『落日燃ゆ』を、 5月、連作『真昼のワンマン・オフィス』をそれぞれ新潮社より刊行。 6月「通産官僚たちの夏」を《週刊朝日》に連載(12月完結、後「官僚たちの夏」と改題)。 9月、『百戦百勝』を日本経済新聞社より刊行。 |
| 昭和50年(1975年) 48歳 |
| 1月、『落日燃ゆ』が毎日出版文化賞と吉川英治文学賞を受賞。 2月「毎日が日曜日」を《読売新聞》に連載(12月完結)。 6月『官僚たちの夏』を新潮社より刊行。 8月、ケニヤ、タンザニヤへ家族旅行。もともと動物好きなので、待望の野生とのふれ合い の旅であった。 |
| 昭和51年(1976年) 49歳 |
| 2月「打出小槌町一番地」を《週刊新潮》に連載(9月完結)。 4月『毎日が日曜日』を新潮社より、9月『プロフェッショナルの条件―アメリカ対談紀行』を 講談社より、 11月『繁栄とは人間にとって何か―アメリカ細密旅行』を毎日新聞社より刊行。 |
| 昭和52年(1977年) 50歳 |
| 1月「今日は再び来らず」を《週刊現代に連載》(6月完結)2月、『打出小槌町一番地』を 新潮社より、 4月、短編集『生命なき街』を新潮社(文庫)より、 9月、短編集『生命の歌』を光文社より、『今日は再び来らず』を講談社より刊行。 11月「素直な戦士たち」を地方紙に連載(翌年4月完結)。同月『ビジネス・エリートの条件 ―対談・企業の内と外』を講談社より刊行。この年3月、アラブとヨーロッパへ取材と講演。 イランのバンダル・シャプールや湾岸諸国の広漠たる砂漠の中での工場建設ぶりなどが強 烈に印象となった。これら一連の取材の記録は「経済最前線をゆく」と題して《文藝春秋》に 連載(後『海外とは日本人にとって何か―経済最前線をゆく』として、文芸春秋より54年2月 刊行)。 9月より12月にかけて、メキシコ、シカゴ、アメリカ、カナダへ取材旅行に行く。『落日燃ゆ』 英語版 “WAR CRIMINAL”がジョン・ベスター氏の訳で講談社インタナショナルより刊 行。『官僚たちの夏』中国語版『官僚們的夏天』が北京の人民文学出版社より、別に黄玉燕 氏訳の中国語『官場風景』も台北百傑出版社より刊行。 |
| 昭和53年(1978年) 51歳 |
| 1月、書下ろしの『黄金の日日』を新潮社より刊行。同作品はこの年のNHK大河ドラマの 原作となる。同月短編集『甘い餌』を文藝春秋(文庫)より刊行。2月下旬、ハワイのキリマ岬 などで休養。 5月、直木賞選考委員となる。 5月より6月にかけて、日本作家代表団の一員として中国へ。団長井上靖氏。北京、大同 、南京、上海などを訪問。 6月、短編集『怒りの標的』を文藝春秋(文庫)より、 9月『素直な戦士たち』を新潮社より、 10月『歴史にみる実力者の条件―対談・人とその時代』を講談社より刊行。年末よりオー ストラリヤへ家族旅行。エアーズ・ロックで猛暑、ケアンズでは暴風(サイクロン)に見舞われ る。 |
| 昭和54年(1979年) 52歳 |
| 1月『中国・激動の世の行き方』を毎日新聞社より刊行。 2月、東南アジアに講演旅行。3月「男子の本懐」を《週刊朝日》に連載(11月完結)。夏、 取材のためニ度、北海道へ。 |
| 昭和55年(1980年) 53歳 |
| 1月「男たちの好日」を《日本経済新聞》に連載)(8月完結)。同月『男子の本懐』を城山三 郎全集第一巻として新潮社より刊行。以後、3月より毎月一巻ずつ刊行(翌年3月、全十四 巻完結)。 3月、伊藤肇氏との対談集『人間学対談―管理社会を生き通す』を光文社より刊行(後、『 対談サラリーマンの一生』と改題、角川文庫)この月上旬マ ウナケア・ビーチなどで休養。 4月『臨3311に乗れ』を、 7月『経済小説名作選』(選)をそれぞれ集英社(文庫)より刊行。 7月、ヨーロッパ、アメリカへ取材と対談のため旅行。いったん帰国して8月末、ウィーンへ 講演に。 11月、風邪をこじらせて、急性肺炎に。 |
| 昭和56年(1981年) 54歳 |
| 1月『男たちの好日』を日本経済新聞社より刊行。2月、「冬の派閥」を《東京新聞》に連載( 9月完結)同月『野生のひとびと―大倉喜八郎から松永安左衛門まで』を文藝春秋(文庫)よ り刊行。 5月『生き残りの条件―欧米対談紀行』を講談社より刊行。 10月、「外食王の飢え」を《週刊現代》に連載(翌年5月完結)同月、エッセイ集『わたしの 情報日記』を集英社より刊行、ネパールに旅行。 |
| 昭和57年(1982年) 55歳 |
| 1月『冬の派閥』を新潮社より刊行。 2月、アメリカへ取材旅行。 5月『梅は匂い人はこころ―伊藤英三伝』を講談社(文庫)より刊行。 9月『外食王の飢え』を講談社より刊行。 12月、書下ろし『勇者は語らず』を新潮社より刊行。 |
| 昭和58年(1983年) 56歳 |
| 2月、海の見えるマンションに仕事場を設ける。5月、エッセイ「人生のステップ」を《日経流 通新聞》に連載(12月完結、後「打たれ強く生きる」と改題)。同月、はじめての翻訳書『シン 」ボリック・マネジャー』(テレンス・ディール、アラン・ケネディー共著)を新潮社より刊行。 6月「アメリカ生きがいの旅」を《文芸春秋》に連載(12月完結)。 8月、考えるところあって直木賞選考委員を辞任。 10月、対談集『午前八時の男たち―トップが語る/強い企業の秘密』を光文社より刊行。 |
| 昭和59年(1984年) 57歳 |
| 1月「本田宗一郎との100時間」を《週刊朝日》に連載(6月完結)。 3月『アメリカ生きがいの旅』を文藝春秋より刊行。 4月、翻訳書『頭にガツンと一撃』(ロジャー・フォン・イーク著)を新潮社より刊行。 5月、オーストリア、スイスを旅した後パリなど四都市で講演。同月『軽やかなヒーローたち ―城山三郎対談集』を講談社より刊行。 9月『本田宗一郎との100時間―人間紀行』を講談社より刊行(後、『燃えるだけ燃えよ』と 改題、同文庫)。 |
| 昭和60年(1985年) 58歳 |
| 1月、エッセイ「湘南―海光る窓」を《諸君》に連載(63年12月完結)。同月、エッセイ集『 打たれ強く生きる』を日本経済新聞社より刊行。 2月「秀吉と武吉」を朝日新聞に連載(8月完結)。 3月、対米広報文化調査団の一員としてアメリカへ、各界の人々と懇談。 9月、エズラ・F・ヴォーゲル氏との連続対談のためアメリカへ。『乗取り』のブルガリア版が ソフィアで刊行される。 |
| 昭和61年(1986年) 59歳 |
| 1月『秀吉と武吉―目を上げれば海』を朝日新聞社より刊行。2月、「本当に生きた日」を地 方紙に連載(9月完結) 4月、ヴォーゲル氏との対談集『日米互いに何を学ぶか』を講談社より刊行。 6月、父政之亟急死。同月、聞き書き『静かなタフネス10の人生』を文藝春秋より刊行。 9月、アフォリズム集『人生の流儀―ビジネスマンに贈る言葉337』を文化出版局より刊行。 11月「屈託なく生きる」を《現代》に連載(翌年8月完結)。 |
| 昭和62年(1987年) 60歳 |
| 1月、ニュージーランドへ。翻訳書『ビジネスマンの父より息子への30の手紙』(キングスレ イ・ウォード著)を新潮社より刊行。 8月、好きな町インスブルックを再訪、南ドイツなどを廻る。 |
| 昭和63年(1988年) 61歳 |
| 1月、対談集『屈託なく生きる』を講談社より刊行。 4月「粗にして野だが卑ではない―石田禮助の生涯」を《別冊文藝春秋》に発表。 6月『粗にして野だが卑ではない―石田禮助の生涯』を文藝春秋より刊行。 7月、アメリカ、9月、上海・武漢、10月、マレーシアへと、いずれも取材旅行。 10月「友情力あり」を《現代》に連載(12月完結)。 11月『友情力あり』を講談社より刊行。 |
| 平成 初年(1989年) 62歳 |
| 1月、翻訳書『ビジネスマンの父より娘への
25の手紙』(キングスレイ・ウォード著)を新潮 社より刊行。 2月、西オーストラリヤとハワイ島へ取材に。 3月、エッセイ集『湘南』を文藝春秋より刊行。 6月、バンクーバーに取材、カナディアン・ロッキーで静養。 10月、書下ろしルポルタージュ『人生余熱あり』を光文社より刊行。 |
| 平成 2年(1990年) 63歳 |
| 3月、講演のためハワイへ。4月「賢人たちの世」を《文藝春秋》に連載(11月完結)。 7月、本田宗一郎邸での最後の鮎釣りパーテイに出席。 9月、ヨーロッパへ、愛読書である『ダブリン市民』の舞台ダブリンをはじめ、フランスの田舎 などを廻る。 11月『賢人たちの世』を文藝春秋より刊行。 |
| 平成 3年(1991年) 64歳 |
| 4月、編著『「男の生き方」40選』上下ニ冊を文藝春秋より刊行。5月、短編集『飛行計画変 更せず』を角川書店(文庫)より刊行。 12月、短編集『逃亡者』を新潮社(文庫)より刊行。 |
| 平成 4年(1992年) 65歳 |
| 1月、前年10月《文藝春秋》に発表した「本田宗一郎は泣いている」が文藝春秋読者賞を 受賞。 2月、「ビックボーイの生涯」を《現代》に連載(12月完結)。 |
| 平成 5年(1993年) 66歳 |
| 5月『ビックボーイの生涯 ―
五島昇その人』を講談社文庫より刊行。 |
| 平成 6年(1994年) 67歳 |
| 5月『わしの眼は十年先が見える ―
大原孫三郎の生涯』を飛鳥新社より刊行。 7月『創意に生きる ― 中京財界史』を文藝春秋(文庫)より刊行。 |
| 平成 7年(1995年) 68歳 |
| 1月『もう君には頼まない ―
石坂泰三の世界』を毎日新聞社より刊行。 |
| 平成 8年(1996年) 69歳 |
| 2月『花失せては面白からず ―
山田教授の生き方・考え方』を角川書店より刊行。 |
| 平成 9年(1997年) 70歳 |
| 5月『わしの眼は十年先が見える ―
大原孫三郎の生涯』を新潮社(文庫)より刊行。同月 、『運を天に任すなんて ― 素描・中山素平』を光文社より刊行。 |
| 平成 10年(1998年) 71歳 |
| 6月『もう君には頼まない ―
石坂泰三の世界』を文藝春秋(文庫)より刊行。 |
| 平成 11年(1999年) 72歳 |
| 1月『花失せては面白からず
―
山田教授の生き方・考え方』を角川書店(文庫)より刊行。 |
| 平成 13年(2001年) 74歳 |
| 8月『指揮官たちの特攻 ―
幸福は花びらのごとく』を新潮社より刊行。 |
| 平成 14年(2002年) 75歳 |
| 経済小説の分野を確立した業績で朝日賞を受賞。 |
| 平成 19年(2007年) 79歳 |
| 間質性肺炎で死去。 |
| <引用文献> |
| 城山三郎 「人生の流儀」(新潮文庫) |
| 「所蔵読書文庫」 |
出版社 |
発行・装幀 |
| 総会屋錦城 | 新潮文庫 | S33.11.5発行、S61.8.30三十九刷 カバー/荒木哲夫 |
| 真昼のワンマン・オフィス | 新潮文庫 | S54.1.30発行、S59.1.20十刷 カバー/木村光佑 |
| 毎日が日曜日 | 新潮文庫 | S54.11.25発行、H6.4.30三十三刷 カバー/東谷武美 |
| 官僚たちの夏 | 新潮文庫 | S55.11.25発行、H21.7.20五十五刷 カバー装画/井筒啓之 |
| 男子の本懐 | 新潮文庫 | S58.11.25発行、H6.11.25二十四刷 カバー印刷/錦明印刷 |
| 冬の派閥 | 新潮文庫 | S60.11.25発行、S63.12.25九刷 カバー/麻田鷹司 |
| 勇者は語らず | 新潮文庫 | S62.4.15印刷、S62.4.25発行 カバー/森岡完介 |
| 秀吉と武吉 ― 目を上げれば海 | 新潮文庫 | H2.12.10印刷、H2.12.20発行 カバー/三井永一 |
| 逃亡者 | 新潮文庫 | H5.12.20発行 カバー/赤坂三好 |
| 人生の流儀 | 新潮文庫 | H4.4.25発行、H8.2.5七刷 カバー/森岡完介 |
| わしの眼は十年先が見える− 大原孫三郎の生涯 |
新潮文庫 | H9.5.1発行 カバー装画/百瀬 寿 |
| イースト・リバーの蟹 | 新潮文庫 | H13.3.1発行 カバーデザイン新潮社装幀室 |
| 指揮官たちの特攻 −幸福は花びらのごとく− |
新潮文庫 | H16.8.1発行 カバー印刷 錦明印刷 デザイン 新潮社装幀室 |
| 静かに健やかに遠くまで | 新潮文庫 | H16.8.1発行 カバー装画/宮廻正明 |
| 部長の大晩年 | 新潮文庫 | H16.8.1発行 カバー印刷 錦明印刷 デザイン 新潮社装幀室 |
| 静かに健やかに遠くまで | 新潮文庫 | H16.8.1発行 カバー印刷 錦明印刷 デザイン 新潮社装幀室 |
| 風雲に乗る | 角川文庫 | S47.11.15初版発行、H5.12.10三十三版 装幀者 杉浦康平 カバー/山羊十生 |
| 一発屋大六 | 角川文庫 | S48.11.30初版発行、H5.11.20三十七版 装幀者 杉浦康平 カバー/山羊十生 |
| 大儀の末 | 角川文庫 | S50.8.15初版発行、S60.12.20十二版 装幀者 杉浦康平 カバー/山羊十生 |
| うまい話あり | 角川文庫 | S52.2.10初版発行、H2.6.30二十二版 装幀者 杉浦康平 カバー/山羊十生 |
| 辛酸田中正造と足尾鉱毒事件 | 角川文庫 | S54.5.30初版発行、H7.5.30二十四版 装幀者 杉浦康平カバー/鈴木一誌 |
| 零からの栄光 | 角川文庫 | S56.5.15初版発行、S59.5.30七版 装幀者 杉浦康平 カバー/大川範彰 |
| 花失せては面白からず− 山田教授の生き方・考え− |
角川文庫 | H11.1.25初版発行 装幀者 杉浦康平Photo IPS |
| 忘れ得ぬ翼 | 角川文庫 | H13.7.25初版発行、H13.9.25再版 装幀者 杉浦康平 カバーイラスト/生頼範義 |
| 一歩の距離 小説予科練 | 角川文庫 | H13.7.25初版発行、H13.9.5再版 装幀者 杉浦康平 カバーイラスト/生頼範義 |
| 黄金峡 | 中央文庫 | S54.5.10初版、S59.7.30三版 カバー/上西康介 |
| 華麗なる疾走 | 集英社文庫 | S52.7.30第1刷、S53.4.10第4刷 カバー/上西康介 |
| わたしの情報日記 | 集英社文庫 | S61.10.25第1刷 カバー/安彦勝博 |
| 外食王の飢え | 講談社文庫 | S462.2.15第1刷発行、S62.3.16第2刷発行 デザイン/菊地信義 カバー装画/辰巳四郎 |
| 本田宗一郎との 100時間− 燃えるだけ燃えよ |
講談社文庫 | 1988.2.15第1刷発行、 1998.12.15第20刷発行 デザイン/菊地信義 カバーデザイン/山岸義明 |
| 友情力あり | 講談社文庫 | 1993.2.15第1刷発行 デザイン/菊地信義 カバーデザイン/岸 顯樹郎 |
| ビックボーイの生涯 ― 五島昇その人 |
講談社文庫 | 1997.5.15第1刷発行 デザイン/菊地信義 カバーデザイン/石倉ヒロシ |
| 鼠 鈴木商店焼討ち事件 | 文春文庫 | 1975.3.25第1刷、1991.1.25第26刷 |
| 学・経・年・不問 | 文春文庫 | 1976.7.25第1刷、1988.3.1第23刷 カバー/上西康介 |
| 静かなタフネス10の人生 | 文春文庫 | 1996.6.10第1刷 カバー/高麗隆彦 |
| 創意に生きる ― 中京財界史 | 文春文庫 | 1994.7.10第1刷 装画 堀 晃 AD 上野和子 |
| 湘南 海光る窓 | 文春文庫 | 1997.1.10第1刷 写真 川原利也 AD 高麗隆彦 |
| もう、きみには頼まない− 石坂泰三の世界− |
文春文庫 | 1998.6.10第1刷 カバー/高麗隆彦 |
| 失われた志 −対談集 | 文春文庫 | 2000.8.10第1刷 カバー 竹元良太 |
| 勝つ経営 | 文春文庫 | 2001.6.10第1刷 カバー 坂田政則 |
| 気張る男 | 文春文庫 | 2003.2.10第1刷 カバー写真提供 松岡正義 (松岡家第九代)松岡洋司 装幀 ・ 菊地信義 |
| 落日燃ゆ | 新潮社 | S49.1.20発行、S53.1.15三十五刷 装幀 辰巳四郎 |
| そうか、もう君はいないのか | 新潮社 | 2008.1.25発行、2008.6.20 10刷 装画 牧野伊三夫 装幀 新潮社装幀室 |
| 男の生き方 上 | 文藝春秋 | 1991.4.25第一刷発行、 1993.9.25第十三刷発行 装幀 小泉 弘 |
| 男の生き方 下 |
文藝春秋 | 1991.4.25第一刷発行、 1991.6.30第六刷発行 装幀 小泉 弘 |
| 粗にして野だが卑ではない− 石田禮助の生涯− |
文藝春秋 | 1988.6.30第1刷、1991.1.15第12刷 装幀 高麗隆彦 写真 角田孝司 |
| 賢人たちの世 |
文藝春秋 | 1990.11.20第1刷 装画 加藤 一 AD 坂田政則 |
| 午前八時の男たち | 光文社 | 1983.10.15初版第1刷発行、1983.12.5第8刷発行 装丁 R.B.P 写真 橋本 玲 |
| 運を天に任すなんて 素描・中山素平 |
光文社 | 1997.5.30初版1刷発行 装幀 鈴木一誌 |
