椎家/shiyhome@yahoo.co.jp 
不定期作文

世界にひとつだけの花
2005.6.21
昨今の日本は「Only Oneブーム」だと聞きます。多分SMAPの「世界にひとつだけの花」のブレイクに引っ張られてる部分もあるんでしょうけど、こう本当にいろんなところでこのフレーズを目にします。もう発売から何年経ったかって感じもするんですが、今更ながらこのムーブメントに疑問を感じてしまったわけなんですね。


オンリーワンってのは良い言葉だと思います。自分にしかできない事をする、素晴らしい目標じゃないですか。ただ、中にはどうもOnly Oneの意味を履き違えている輩もいるようで、特にここ最近は、そのOnly Oneを振りかざした愚行、狼藉が目立って仕方ありません。もう「Only One革命」とかって名前がついて歴史の教科書とかに載ってしまうんではないかと個人的には危惧してしまうほどだったりします。まあいつの時代にも若者とオッサンの間には大きな隔たりがあって、非常識な部分まで「個性」で片付けてしまう若者と、個性までをも「非常識だ」と抑圧しようとする中年世代との間で必ず衝突が起きています。どっちも考えが偏っているからまた性質が悪いわけですが、今まではこう、これで何とかバランスがとれてきていたと思うんですよ。それが最近、この「Only Oneブーム」のせいで崩壊してきた。皆が個性を主張し、「私はオンリーワンなんだからこのままでいい!」とか、もう全てを個性と片付けて努力すらしない自分を正当化してしまっているような気がするのです。今回は、そんな崩壊しつつある「個性」と「非常識」のバランス、そしてSMAPが歌う「Only One」が何を意味するかについて、私なりに熟考してみたいと思います。



歌詞をさらっと読んでみると、「花屋に行ったらきれいなおねえちゃんが花束抱えて出てきたんですけど、そのおねえちゃんがこれまた美人で良かったです」というエロ小学生の書いた絵日記みたいな内容のAメロ、Bメロに対して、サビの部分は打って変わって教訓的になっているというなんとまあアンバランスな内容です。最終的には「そんな日記もOnly One」みたいなノリで片付けられているような気がしないでもないわけなんですが、実はこのエロ日記が深いんですね。「日本語の崩壊」が叫ばれる今日ですから、きっとこのエロ日記の真意がしっかりと読み取られていないのでしょう。それが、「Only One革命」のきっかけともなっているのです。このエロ日記の意味をきちんと理解する事ができたなら、あらぬ誤解もなくなりますし、私は「Only One革命」を鎮圧した椎家管理人として後世まで誉め称えられる事必至です。では、歌詞をひとつずつ追いながら、その日記部分の真意に迫ってみましょう。


世界に一つだけの花


NO.1 にならなくてもいい もともと特別な Only one(注1)

花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた
ひとそれぞれ好みはあるけど 
どれもみんなきれいだね
この中で誰が一番だなんて 
争う事もしないで(注2)
バケツの中誇らしげに しゃんと胸を張っている(注3)

それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で 一番になりたがる?(注4)


そうさ 僕らは 世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい

困ったように笑いながら ずっと迷ってる人がいる
頑張って咲いた花(注5)どれも きれいだから仕方ないね
やっと店から出てきた その人が抱えていた
色とりどりの花束と 
うれしそうな横顔(注6)

名前も知らなかったけれど 
あの日僕に笑顔をくれた(注7)
誰も気づかないような場所で 咲いてた花のように

そうさ 僕らも 世界に一つだけの花
一人一人違う
種を持つ(注8) その花を咲かせる(注9)ことだけに
一生懸命(注10)になればいい

小さい花や大きな花 一つとして同じものはないから
NO.1 にならなくてもいい もともと特別な Only one(注11)



あまりにも有名な話ではありますが、作詞、作曲は槇原敬之(以下マッキー)。言われてみれば彼の作詞センスが如実に現れた作品とも受け取れます。とりあえず重要な部分に(注)を付けてみました。では、ひとつずつ考えていきます。


まず、NO.1 にならなくてもいい もともと特別な Only one(注1)の部分ですが、これが間違い。この一節があるおかげで、リスナーに多大な誤解を与えている事は誰の目にも明らかです。だってね、これだけ読んだらもう「頑張らなくていいじゃん」と解釈できてしまうわけで、これはもう努力する人に対する冒涜ですよ、ボウトク。でもこれはマッキーの本心じゃない。もともとシングルカットされる前は、このフレーズは最後にあるのみ。それがシングルになった途端に最初にまでもベタっと貼られ、同時に中居君のソロパートがなくなりました。まあこの歌の中でも特にメッセージ性の強いフレーズですから最初に持ってきたい気持ちもわからないでもないんですが、これではマッキーの真意は伝わらない。編曲者の顔が見てみたい。憤りを覚えます。話を円滑に進めるためにも、この一節は無視します。

さて、続けて見ていきますが、暫く行くと争う事もしないで(注2)というフレーズが出てきます。いや、花ですから。そりゃ争いませんよ。喧嘩してる花なんて見たこともない。ただ、この先がマッキーの上手いところで、これにバケツの中誇らしげに しゃんと胸を張っている(注3)というフレーズを付け足す事で、「バケツの中」という非常に過酷な環境の中でもいたいけに頑張ってるって凄いじゃん、偉いじゃん、という擬人化された花たちへの賛美を贈り、あたかも花に人格、いや花ですから花格があるかの如く訴えると同時に、「擬人化してるけど突っ込まないでね」というメッセージを暗に我々にアピールしているわけです。

ここで花を擬人化することにはどんな意味があるのでしょうか。それは次に続くそれなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる?一人一人違うのにその中で 一番になりたがる?(注4)という部分に生きてきます。花を擬人化し、しかもその花たちが喧嘩もせず頑張ってるのに!というメッセージを先に置く事で、それを人に結びつける事を可能にしているのです。冷静に考えれば花は花、擬人化はただの比喩表現なのですから、ここで花と人を思考レベルで同列に比較するのは全くもってナンセンスです。とは言え、Aメロ辺りでグッときてしまっていると、この違和感に気付かない事もあるでしょう。どちらにせよ、恐らくマッキーはこの違和感に気付いて欲しくなかったはずですから、ここは目を瞑る事にします。

そして続く最初のサビですが、これはある意味小休止的に入れられたものであり、歌詞本来の意味を成すためには特に必要ありません。これは最後にあれば良いのです。よって、ここはカット。次に行きます。

2番に入ると唐突におねえちゃんが登場しますが、この意味は後ほど分析するとして、頑張って咲いた花(注5)というフレーズに注目してみましょう。ここでも(注2)(注3)と同様に、花を擬人化する技法が用いられています。ただし、ここでの擬人化は、実はマッキーが突っ込んで欲しいと感じているところなのです。裏を返せば、ここで突っ込みができなければ、この歌の意味を見失ってしまっていると言っても過言ではない。それ程重要な部分だったりするのです。実際、花は頑張って咲くわけではなく、頑張るのは農家の方々です。雨にも負けず、風にも負けず、毎日肥料と水をやり、害虫駆除や雑草の手入れなど、もうここには書ききれないような苦労があったからこそ、美しい花が店頭に並んでいるわけです。これを「花が頑張ったんだよね」なんて言った日には農家の方々が暴動を起こします。今のところ暴動が起きていないところを見ると、農家の方々はこの歌の真の意味を捉える事に成功したのでしょう。とにかく、この事はサビを読み進めていく上で非常に重要なポイントですから、よく覚えておいてください。

そうこうしているうちに、おねえちゃんが店から出てきます。そこでうれしそうな横顔(注6)を見たマッキーは、このおねえちゃんに恋をしてしまうわけです。もうマッキーの性癖とか、そういう聞くのもうんざりしそうな議論はここではしません。男とは、女性の嬉しそうな笑顔を見ると、恋に落ちてしまうものなのです。これが大前提です。続くフレーズでは、あの日僕に笑顔をくれた(注7)という一節があり、これより上の部分が実は過去の出来事であった事が示唆されていますが、これは時間が経っても色あせない、一時の感情に流されたわけではない、本物の恋なんだということを強調するために用いられた表現でしょう。また、ここでこのおねえちゃんと花との比較が出てきますが、これは「美しさ」の比較であり、先の「思考の比較」とは比べ物にならないほど真っ当な理論です。この事からも、(注5)の擬人化が意味をなしておらず、突っ込むべき表現であるという事がわかるでしょう。

さて、いよいよ山場、サビの解析です。「僕らは世界にひとつだけの花」と歌っていますが、これを真正面から受け止めると失敗します。何故ならそのすぐ後に、種を持つ(注8)、また咲かせる(注9)という表現が用いられているからです。ここでは「世界にひとつだけの花」という言葉は「種を持つ」にかかります。つまりは、「僕らは一人一人違う、世界にひとつだけの花の種を持っている」という事です。そして、それを一生懸命(注10)育てるように勧められています。そう、まさに農家の方々の心境です。何とも深い文章。我々に「Only One」になるよう啓蒙を与えながら、農家の方々への配慮も忘れていない。また、その苦労を我々に思い起こさせる事で、「Only One」を勝ち取るための道が決して平坦でない事を教えている。さすがマッキーです。



と、いう事で、この歌から読み取れる事は「花屋のおねえちゃんと恋でもしなさい!」という事です。花屋が嫌なら私に恋する事をお勧めします。惚れなさい!ここぞとばかり、かつて無いほど惚れなさい! なんて結論を導き出すと大いに反感を買いそうなので、真面目に先に進みます。

ここまで読み進めてきて、私たちは「Only One」の花の種を持っており、これからそれを一生懸命育てなければいけないんだな、という事がわかりました。では、どんな花を咲かせればいいのでしょうか。マッキーの言う「Only One」とはどのような事なのでしょうか。どんな「Only One」を目指せばいいのでしょうか。実は、この答えも歌詞の中に暗に記されているのです。


まず着目しておきたいのは、「Only One」にはふたつに意味があるというところです。云わずもかな、「正の意味」と「負の意味」です。正の意味とは、ナンバーワンのさらに上にいる存在、負の意味はワーストワンのさらに下にいる存在の事で、どちらも「Only One」であることに変わりはありません。だからといって、そのどちらになっても良いかと言うと、そういうわけでもありません。歌詞中の青で示した部分に注目してください。「どれもきれい」いうフレーズが繰り返し用いられている事に気付くでしょう。「花屋で売られているんだからきれいで当然」と思いがちなこのフレーズですが、良く考えると結構な違和感なんですよ。花っていうのは基本的に生ものですから、放って置けば枯れるなり萎れるなりするもんなんですよね。実際花屋に行っても、必ずと言っていい程そういった花が混じっておいてあります。「どれもきれい」な花の中に、一本だけ「萎れた花」があったとすれば、それは間違いなく「Only One」な存在なんですが、それがない。要するに、花屋さんによって捨てられてしまったんですよね。この歌詞が示すように、負の意味での「Only One」は淘汰される運命にあります。そして、おねえちゃんは残ったきれいな花の中から、自分なりの「Only One」を見つけ、「うれしそうな」顔になった。それを見たマッキーはそのおねえちゃんに恋をした。おねえちゃんにとっても、マッキーにとっても、この体験は正の意味での「Only One」であった事でしょう。もしマッキーがこのおねえちゃんの前で図らずも失禁してしまったとか、そんな負の意味での「Only One」を経験したなら、絶対そんなもん歌にはなりません。


歌詞とは、非常に制約の多い書き物です。メロディーであったり、語呂であったり、そういったものに捕われて、必ずしも自分が伝えたい内容を好きな言葉で表現する事ができない場合があります。そんな時に、ちょっと言葉をかえてみたり、表現を変えてみたり、歌に合わせようと努力するうちに、伝えたい意味が曖昧になってしまう事も良くあります。そして、この歌でマッキーの犯した最大のミステイク、それが最後のNO.1 にならなくてもいい もともと特別な Only one(注11)というフレーズです。だってね、今まで考えてきたじゃないですか。努力が必要だって事もわかったじゃないですか。にも関わらずここにきて、「何もするな」宣言。これは多分、もう歌詞も最後だし疲れたし、ってマッキーがちょっと手を抜いちゃったんだと思うんですよね。で、使う言葉間違ってんのに、「何かそれっぽくまとまった気がする」とか言ってオッケーにしちゃったんだと思うんですよね。上でも書いたように、正の意味での「Only One」は、「NO.1」を超えなきゃ到達できない非常に崇高な立場なわけですよ。それを何もするなだなんて、ちゃんちゃらおかしい。正しい歌詞にするならば、

NO.1では満足しない 目指すは特別な Only one

くらいにはなるのではないかと思います。



さて、長々と考えてきてそろそろ飽きてる頃だと思いますので、ちゃっとまとめてみましょう。それにしても「エロ小学生の書いた絵日記」なんて言われてた物がこう、真剣に考えると深いんですなあ。ちょっとびっくりですわ。まあこの時点でびっくりしてるってのが、この書き物が如何に行き当たりばったりで書かれているかをよく示しているんだとは思いますけど、とにかく深い内容でした。

分析してわかった通り、この歌は決して「今のままの自分でいいんだ、無理すんな」なんて事を言ってるわけではありません。本来「Only One」というのは、「単独であれば良い」という意味ではないのです。この歌が述べているのは「苦しい事もあるだろうけど、誰よりも素敵な部分を持った自分になろうよ」という事なのです。当然その素敵な部分が全ての人に認められるわけではありません。その事を示唆するように、歌詞の中にも「ひとそれぞれ好みはあるけど」と言う言葉があります。みんながみんな良い所を持って初めてきれいな花がたくさん飾れるわけです。おねえちゃんは花屋ごと全部を買ったわけではないけれど、自分の求める「Only One」を見つける事ができたからこそ笑顔で花屋を後にできたのだと思います。既存の価値観に捕われる必要はありません。成績とか、年収なんてものは比較基準のごくごく僅かな部分です。基準なんてのは、それこそ自分なりの価値観で良いのです。ただ、やはり何もしないのではなく、自分の個性に磨きをかける必要はあるのではないでしょうか。自分の「Only One」を認めてくれる人は必ずいますし、また自分が必要とする「Only One」を持った人も必ずいます。でもだからといって、それに甘えて自分を磨く事を忘れてしまえば、その輝きはくすんでしまうものなのです。恋人同士なんてのがいい例ですが、お互いの「Only One」を認め合って付き合いはするものの、やはり磨きをかけねばマンネリだなんだで結局長続きはしません。その事を忘れずに、他人を認め、自分を磨く感性を養っていきたいところですね。



なんとまあ終わってみればありきたり、しかも説教臭い嫌な書き物になってしまいましたが、自分への戒めも込めて掲載します。下手糞な文章は時に人をげんなりさせるものですが、この書き物がそうならない事を願うばかりです。それからもうひとつ、この歌ってマッキー本人が歌った方が雰囲気が出ると思うのは私だけでしょうか。もしだれか本人の歌った音源に関する情報をお持ちでしたらお寄せください。
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