椎家/shiyhome@yahoo.co.jp 
不定期作文

ネットワークビジネス強制連行
2005.8.13
先日、友人とチャットを致しておりましたところ、ひょんな事からこんな話題になりました。

「ネットワークビジネスに勧誘された」

ネットワークビジネス、いわゆるマルチ商法とは、1950年代にアメリカで誕生しました(1940年代末にドイツで誕生したという資料もありますが)。本国ではMLM(マルチレベルマーケティング)と呼ばれており、日本に本格参入したのは1970年代の事になります。この商法、当時は爆発的に広まったのですが、その影でノルマが達成できず自殺したりだとかそういった事件が相次いだため、政府が「訪問販売に関する法律」を制定し、この販売方法に規制をかけました。

現在では当時行われたような過激で強引な手法は法規制の対象になっていますが、一応マルチ商法と呼ばれるもの自体は違法なものではないという事になっています。昨今では「マルチ」という呼び方によるイメージダウンを懸念してか、このような販売方法は「ネットワークビジネス」と呼ばれるようになっていますが、いくら商法自体が合法であるからと言って決して安心できるものというわけではなく、勧誘員の言動、行動によっては法規制の対象になる事もあるようです。もう見るだけで悲しくなるような勧誘だったり話が穴だらけだったりで、もう何色の脳みそしてたらこんな商売にぶら下がりたくなっちゃうんだか皆目見当もつかないんですけど、それでも引っ掛かっちゃう方がいるようで、これには同情を禁じ得ません。冒頭に出てきた友人は当然の如く断ったそうですが、それでもかなりしつこい勧誘をされたみたいです。侮れないぜネットワークビジネス。

そういう私も実は以前に何度かネットワークビジネスに勧誘された事があります。今回は、その中でも最も手強かった「ネットワークビジネスの説明会に拉致された事件」についてお話しましょう。



時は私が二十歳の青春時代を謳歌していた頃に遡ります。ひょんな事から、私はひとつ年上のある女性と友達になりました。


週末になると必ず私が訪れる場末の小さなバー。そのカウンターに、彼女はいつも独りで来ていました。私もカウンターで独り、マスターに「いつものヤツね」とオーダーをするモスコミュールを啜り、二人は言葉を交わすことなく店を後にする、そんな日々が続いていました。

ある日の事です。いつものように彼女はカウンターにいました。しかし、いつもと違うのは、彼女の頬が涙に濡れている事でした。私は彼女の隣に座り、マスターに「いつものヤツね」とオーダーした後、彼女にそっと声をかけました。

「なぜ、泣いているのですか?」

すると彼女は話し出しました。このバーに昔は彼とよく来ていた事、その彼が交通事故で亡くなった事、そして今日が彼の命日だという事。彼との思い出がひとつ語られる度に、彼女の頬は新たな涙に濡れました。堪らなくなった私はモスコミュールのグラスを煽り、彼女の手をそっと取って言いました。

「一緒に、行きませんか?」

一瞬彼女の目に困惑の色が浮かんだように見えましたが、それは私の思い過ごしだったのかもしれません。永遠とも思える一瞬の後には微笑を湛えた彼女の瞳が頷いていました。


その夜、二人は愛し合いました。




いや、何ですかそれは?

いやね、こんな創作話は全く持って関係ないんですよ。そんな官能小説みたいな、ロマンティックが止まらない展開なんてこの現代においては微塵もあるはずがないんですよ。昼の連ドラとかじゃないんだから。何かこう話がぶっ飛んじゃいましたけど、実際彼女との馴れ初めなんてどうだっていいんですけど、とにかく友達になったわけなんですよ。話を円滑に進めるために彼女をジェニーと呼ぶ事にしますけど、ジェニーはお洒落の大好きな、ちょっと小柄な女の子でした。ジェニーとの時間はとても楽しく、おいおいこのまま進展したら恋とかチューとかおセックスとか致しちゃうんじゃないの?ってくらい良好な友人関係を築けていたと思います。しかし、そんなジェニーにも変化が訪れます。

知り合って半年程した頃でしょうか。ジェニーの言動に変化が見られるようになりました。

「やっぱり人生は楽しまなきゃね」

「愛情も大切だけど、お金も大事」

「私はもっと成功したいの」


そんな冷静に考えるとちょっと電波ゆんゆんな雰囲気を醸し出すジェニーなんですが、当時の私はマジで恋する5秒前な状態でしたからね、「ああ、ジェニーも僕との将来をこうして真剣に考えてくれてるんだな」なんて生暖かい目で見守っておりました。この発言の裏にジェニーのどす黒い欲望が隠されていたのを知るのはもうちょっと後の事になります。


そんなある日、ジェニーが唐突に言いました。

「もうすぐ誕生日だよね、その日空けておいてね」

きっ、きましたよ!もうこれは愛の告白と同レベルのお誘いですよ!自分でも忘れかけていた誕生日をジェニーは覚えていてくれた。これはイケる。これはおセックスができる。そんな期待に胸と股間を膨らませ、誕生日の到来を待つこと一週間。誕生日の前日に、ジェニーから電話がありました。

「明日は夕方迎えに行くから。スーツとかパリっとした格好で来てくれる?」

奥さん聞きました?スーツですよスーツ。これはもう、高級ホテルのラウンジで優雅な食事をした後に、ジェニーが鞄から徐に鍵を取り出し「今日はスイート予約してあるんだ、テヘッ」とか言い出して、おっかなびっくりスイートに突入、すると唐突に電気を消されて「プレゼントは私よ、早く来て…」なんて展開が容易に想像できてしまうではないですか。いや、シャワーくらい浴びさせてくれよ。もう私も動揺しまくって童謡とか歌いたい気分だったんですけど、

「ううううん、ススススーツね、わかった」

と平静を装って電話を切りました。そして、運命の誕生日はやってきます。


その日、私は早々に仕事を切り上げ急いで家に帰りました。シャワーを浴び、大事なところを念入りに洗浄し、スーツを纏ってジェニーの到着を待ちます。暫くしてやってきたジェニーはお世辞にもお洒落とは言い難いリクルート系のスーツを着ていました。

「さあ、行こうか、8時からだから遅れちゃう」

おうおう、予約の時間ですか。これはもう確定的じゃないですか。

「どこ予約してるの?」

私が聞くとジェニーは怪訝そうな顔をします。あれ?何かマズイ事言ったかな?でも8時って予約の時間じゃないの?そんな私の困惑した表情を読み取ったのか、ジェニーが口を開きました。

「実は私、今あるビジネスをやってるの。その仕事にはパートナーが必要なんだけど、それを是非shiyさんにやって欲しいの。でもね、そのビジネスは21歳からしかできないから、shiyさんが21歳になるまで半年間ずっと待ってたのよ」


という事はあれですか?今日は誕生日のお祝いじゃないんですか?ケーキは?高級ホテルのディナーは?狂おしい程のおセックスは??

「でも絶対に儲かるビジネスだし、shiyさんも気に入ると思うの。それにshiyさんが一緒にやってくれれば私も心強いし、shiyさんにはその才能があると思うのよ。だからぜひ一緒にやってほしいのよ。今日はそのビジネスの説明会があるから、shiyさんにも聞いてもらって成功した自分を思い描いてもらいたいの、絶対人生変わるから。今みたいな何もないつまらない日常から抜け出そうよ」

もうテンション急降下ね。こっちは念入りに洗浄したのは無駄だったんですか。いやいや、でもその説明会が終わった後にはおセックスが待っているかもしれません。それにジェニーがこれほどまでに勧めるビジネスですからね、超サクセスフルなストーリーを体感できる可能性も否定できないわけですよ。最後の希望に夢を託して、とりあえずその説明会に行ってみましょう。



着いたのは名古屋の中心街から少し離れたちょっともの寂しいオフィス街にある小さなビルでした。その3階にジェニーの言う「良いビジネス」の会社があり、受付を済ませた私は高校の教室より少し狭いくらいの部屋に通されました。入るとそこはほぼ満員御礼な状態で、私とジェニーは一番後ろの席に座ります。するとジェニーが鞄からその会社、便宜上A社と呼びますが、とにかくA社の名刺を取り出して言うのです。

「改めて自己紹介するね、A社販売員のジェニーです、テヘッ」

おうおう、テヘッとか可愛いじゃないか。でも私が鞄から取り出して欲しかったのは名刺なんかじゃなくてホテルのスイートルームの鍵なわけですから、こんなもので満足するはずがありません。ジェニーはジェニーでいろんな人に私を紹介して周るんですけど、私は終始ジェニーの名刺を弄びながら気のない挨拶。この名刺の角鼻に入れたら痛いかな?とか考えつつ徐に鼻の穴に突っ込もうとしたところ、説明会が始まる旨を知らせるアナウンスが入りました。


最初に出てきたのは白髪まじりのメガネのオッサンでした。名前も肩書きもとんと思い出せないんですが、何か健康について語っていました。こっちは予備知識もビタイチないわけですからね、そんな突然「『予防医学』を家庭内に持ち込む」とかそんな話をされてもチンプンカンプン。

「アメリカには保険制度がないから風邪の通院でも莫大な金額がかかる」

「日本でも高齢化が進み年金制度が圧迫され、保険制度も成り立たなくなる」

「そうなれば必ず『予防』という観念がクローズアップされるようになる」

「そこに欠かせないのがA社の商品であり、これからそういった市場が開拓されるのが火を見るよりも明らかな今こそ、そこにビジネスチャンスがある」

といった感じの話だったように思います。


で、その人の話はここまでだったんですが、次に出てきた人がまた酷い。

何か明らかに若作りしたロンゲ茶髪のオッサンなんですけど、このお方が自分がいかに成功したかを熱く語るわけですよ。惨めな生い立ちから上手く行かない仕事、そしてA社に出会ってどれだけ人生が変わったか等々。で、何より驚いたのがこの話を聞いてる周囲の人の目の色が明らかに変わってるんですよね。ジェニーなんてもう「そんな目でおれを見つめてくれ!」って土下座したくなるくらいうっとりしてて、逆に私はドン引きです。私のテンションとは反比例で盛り上がる会場内。

「私、外車3台持ってます。全部社用車って事にして、税金浮かせたいです」

おお~っ。

「このスーツね、アルマーニです。これも衣装代とかで経費にしたい」

おお~っ。

何か普通に聞いたら明らかな嫌味で、こう誰かマシンガンとか持ってこいって頼みたいにも関わらず、頼める人が誰もいない。こうそのお方が嫌味をひとつ言う度に、会場からは歓声に近い感嘆のため息が漏れるわけですよ。ここは何かの宗教か?教祖様の風呂の残り湯とかをありがたがって飲んじゃうような組織か?そう思わざるを得ない状況が目の前に展開されています。

「そう、私のような人生を得るのは簡単!今あなたが入会し、3人にA社の商品を紹介すればいいのです!」

そんな感じで話は閉じられたんですけど、もう拍手喝采ね。何かちょっと涙目の人とかいた。侮れないぜネットワークビジネス。でもまあこれで説明会も終わりましたから、ようやくジェニーとおセックスができるわけです。さあ帰ろうかとジェニーに目をやると、ジェニー泣いてる。ハンカチとか出してる。で、私の視線に気が付いたのか、恥ずかしそうにこっちを向いて、

「すっごく良い話だったね」

これですよ。もうこれでもかってくらい洗脳されてます。さすがに私も不安になって、ちょっとこんな娘とおセックスなんて致したらコンドー君を貫通して変なウイルスとかに感染しちゃうんじゃないかとか思ったんですけど、私も男ですからね、さすがに後には引けません。

「じゃ、終わったし行こうか」

私が言うと、ジェニーは首を横に振りました。

「もうちょっと待って。きちんと商品の説明やビジネスについて説明したいし。shiyさんと一緒にやりたいって言ったでしょ?でも私もまだ始めたばっかりで上手く説明できなかったり誤解を生むといけないから、信頼できる人呼んでくるね」


なんと、まだあるんですか。時間は既に10時を過ぎようととしています。すぐにジェニーは男の人を連れて戻ってきました。何かこうビジネスマン風な、ノートパソコンとか抱えちゃったスーツな人が颯爽とやってくるわけです。名前とかちょっと覚えてないんですけど、第一印象がボンバーでしたから多分池田さんとかそんなんだと思います。で、またその人がさっきの説明会と同じ内容の話を補足を加えて話すものですから堪らない。何か「買ってはいけない」とかいうタイトルの本を取り出して、

「先程の話にもあったとは思いますが、この本にも述べられているように環境ホルモンや人工毒といった物が現代には蔓延していますから、今の体の状態で栄養分を摂取しても効果がないんですよ。例を上げると、乳酸菌なんかは現状体内に入ると99%以上が死滅してしまいます。ですからまずは体からそういった毒素を排出する必要がある。そのために有効なのがA社サプリメントに含まれている××××なんですよ」

成分は書いちゃうと会社がバレそうなので伏字。話だけ聞けば確かに良さそうな気もしますが、如何せん資料が全てA社から提供されている上に、その成分の市場での評価や価格を私は全く持って知りません。販売方法に関しても、

「初期費用の他に、最初に30万円分の商品を購入すればワンランク上から始められます。その方がビジネスもスムーズにいきますし、私たちもそれだけの投資はしています。これからビジネスを成功させる為の保証金だと思って頂ければいいでしょう」

なんて説明をされるわけですが、私は法知識なんてものも皆無であるが上に全てが寝耳に水の話ですからね、もう聞くだけで精一杯なわけですよ。これに気を良くしたのか池田さん、びっくりするほどの「池田節」をご披露で、

「私もゆくゆくは仕事を辞めて、このビジネスだけでがんばっていこうと思ってるんですよ」

とか言い出す始末。もう手に負えない。ジェニーはと言えば私の隣で、微笑ましそうにこの状況を眺めているだけです。もうこの時点で帰ろうかとも思ったんですが、とりあえずジェニーに迷惑をかけてはいけませんからね、我慢して話を聞きます。



何時間経ったでしょうか。部屋には時計がありませんし、私も時計は携帯電話しか持っておらず確認できなかったのですが、話が終わる頃には私は憔悴しきっていました。当然考える力も衰えていますし、初めて聞く話ばかりで理解する事すら完璧にできている自信がないのに「質問は?」なんて聞かれても答えられるはずがありません。大概お腹も空きましたし、池田さんも目を輝かせて将来の希望とか語っちゃうし、ジェニーまでもがうっとりしてるし、ああ、これは良い物なのかも知れない、やってみようかな、なんて気持ちも出てきます。そんな心情を読み取ったのか、池田さんが徐に入会用紙を取り出し、記入するよう促しました。

で、私もペンを取り、さあ書くか!と気合を入れなおしたんですけど、ここで事件が起こります。

ぐぅぅぅぅぅ。

そう、私のお腹が鳴ったんですよ。だってそうじゃないですか。今日はジェニーと食事におセックス、そんなジョイフルな夜になるはずだったのが若干拉致監禁ですからね、そりゃあお腹も空きますよ。でもね、ここで私冷静になったんですわ、なにやってんだ?おれ、ってね。何かそうしたらようやく頭が回るようになりまして、これは書いてはいけない、冷静にならなければいけない、そう思ったのです。


とはいえ、反論しようにも私には知識もなければここにはA社提供のデータしかありません。よって、ここは客観的に攻めるのではなく、池田さんが見せつけた「池田節」宜しく私も電波ゆんゆんの「shiyワールド」を展開させるほか道はありません。

「ちょっと記入する前に、幾つか思い出した事があります」

とりあえず話を切り出します。

「何でしょう?」

「まずこの××××という成分ですが、これは私は初めて聞いた名前です。もちろん私の知識不足もあるのでしょうが、この成分は世に知られた物なのですか?また、確かな効能は証明されているのですか?」

「もちろんそうです。他社からも似たような商品が売り出されています。ただ、それは成分の含有量が少なかったり、この『買ってはいけない』に書かれている会社であったり、信用するに足りません。当社の製品であれば安心です」

「そうは言いますが、誰も自分の商品を『悪い商品だ』という宣伝はしませんよね?A社の商品が明らかに他社より良い製品であるという事を客観的に証明できる資料はあるんですか?『買ってはいけない』に書いてないとかそんな下らない事では証明にはなりません。言い方は悪いですけど、もしかしたら彼ら編集者は「これは取り上げる必要すらない」とA社の製品について考えているのかも知れませんから。私はA社をよくは知りませんけど、明らかに中小企業に分類される規模でしょう。その本に述べられているのは軒並み大企業の物ばかりでしたからね」

「もちろんそういった資料も存在しますよ。え~っと、あ、今ちょっと持ち合わせていないですね。次回それに関してはお見せしましょう」

「では今この場で即断という事はできないですね。自分がこれを売る立場になるのであれば、その商品の性質や効能はきちんと把握し、客観的に判断する必要がありますから」


これは至極当然の事で、そういった事がわからなければ判断のしようもありません。大体本当に資料が存在するのかどうかも怪しいものです。とりあえず今日はこれで帰りましょう。

「いや、でもですね、当社が行うネットワークビジネスに関して言えば、迷っている暇はないわけですよ。少しでも早く始めれば、それだけチャンスは広がります。今日も成功者の話がありましたが、今ならそんな生活を楽しめる可能性は非常に高いわけですよ。今日もここに何人もの人が来ていますが、彼らがこのビジネスを始めるという事は、shiyさんにとっては市場を奪われるに等しいわけですよ?それでもいいのですか?私はそれは勿体無いと思います。それに、今お話をしていても、shiyさんには確かな可能性を感じる。さすがジェニーさんが認めただけの人のことはあります。ジェニーさんも非常に頑張っていますしね、私もあなたなら確実にこのビジネスをこなせると思いますよ」

ジェニーとのおセックスしか考えていない私に対してどんな可能性を見出したのかは知らないですけど、そんな事とか言い出す始末。ジェニーも「頑張っている」とか誉められてのが嬉しいのか、少し頬を赤らめています。


「でもそうは言いますけどね、これってマルチ商法じゃないんですか?生憎ですけど、私はそんな商法には興味ないですよ。法に触れても嫌ですしね」

「いえ、これはネットワークビジネスです。一般に言われる『マルチ商法』とは違い、法に抵触するものではありません。広告費や流通コストを省く事で良い商品を低価格で販売する新しいビジネスの形態だと考えてください」

「だからって買いたい人が直接工場に買いに行くわけではないのですから、結局流通コストは商品に反映されているんでしょう?しかも売り手のマージンまで必要なわけですから、原価に対して乗せられている経費は計り知れませんよ。それならマージンカットして広告出したほうがこんな風に拉致監禁しながら話をするより余程認知度は高まるじゃないですか」

「当社は口コミこそが最大のネットワークであり、消費者主導による販売網は確固たる物を確立すると考えています。だからそういった宣伝はしません。それに、このネットワークビジネスの形態は日本でこそ悪いイメージがありますが、アメリカでは人口の実に60%の人がこの販売方法に関わり、成功を収めています。また、この販売方法は時間に自由が利きますし定年もありませんから、高齢者の再就職という意味でも注目を集めているのですよ」


もうこうなると手が付けられない。この言葉の応酬は何とかならないものなのか。だんだん私もイライラしてまいりまして、こうshiyワールドも電波を発し始めます。

「大体ね、さっきから聞いてりゃ可笑しいんですよ。アメリカの保険がどうだとか、アメリカでこのビジネスがどうだとか。その成功者60%ってのだってどっから出てきた数字なんですか?どれだけの利益を得て『成功者』と呼ぶわけですか?まあ私はそんな数字端から信じてませんからどうでもいいんですけどね、アメリカはアメリカですよ。にも関わらず『アメリカで上手く行くから日本でも上手く行く』とかちゃんちゃら可笑しい。そんなにアメリカナイズされたいんなら家にも土足で上がりこみ、車も道路の反対側走らせればいいじゃないですか。アメリカではそんな文化や交通法規も上手く行ってるんですからね」

「それとこれとは話が違うでしょう」

池田さんもむっとしたのか、少し語尾が荒くなります。でもそんな事は関係ありませんからね、私も電波を飛ばし続けます。

「何が違うっていうんですか。全く土台の違うものを同列に比較してる事には変わりないでしょう。風土も人種も文化も違う国の話を説得材料に出してるわけで、アメリカではこれ!って言ってるだけじゃないですか。そうしたら「これ」の部分に何入れたって良いわけで、そんな何もかも違うところと比較するってのがそもそもの間違いです。あなたが言ってる事は『隣の子は卵食べたら身長が伸びたから、家の子も卵食べればいいのよね』ってのと何ら変わりありません。もっと言えば『天国行くと空飛べるらしいから、自分今でも飛べるよね』って言ってるようなものです。こんな事言ったら世間はあなたを『アイツ頭に妖精でも飼ってるんじゃねえの?』なんて後ろ指差すんでしょうけど、全く土台の違うものを同列に比較するという意味ではあなたの言うアメリカの例も何ら変わりありません」


多分池田さん唖然としたでしょうね、むしろ私のほうが頭に妖精飼っている状態なんですから。しばし言葉を失います。まあとりあえず黙らせる事には成功しましたから、とりあえず先に進みましょう。


「ついでに言わせて貰うとね、ネットワークビジネスだろうがマルチだろうが結局根本は同じで、人口に限りがある以上必ず破綻するシステムなんですよ。えっと…計算面倒だからちょっとそのパソコン貸して下さい。エクセル使うだけなんで」

「いや、これはちょっと…」

「いいから貸せよ!」

池田さんからパソコンを奪い取り、エクセルを開いてざざっと試算をします。


「いいですか?今日私が新規にネットワークビジネスを立ち上げました。で、今日私は3人を勧誘しました。明日その3人がさらに3人ずつを勧誘し、このペースで1日1世代が生み出されたとしましょう。何日で日本の人口をカバーするに至るかご存知ですか?」

「いや、それは…」

「そりゃご存知ですよね。大事な自分の下の人間を離れさせるわけにはいかないでしょうからジェニーのいる手前言いにくいのでしょうが、この場で言わせて貰います。今計算したところ、17日後には日本の総人口を、さらに言えば20日後には世界人口のほぼ全てを取り込めるだけの会員数になります。」

一瞬空気が凍ります。ジェニーもこれには不安そうな顔をしています。さらに続けてみましょう。

「ね、確実に破綻しそうでしょう。でも裏を返せば、きちんと勧誘すれば17日後には日本中を網羅できるだけの販売網が確立できるわけですね。そう考えると時間的にはかなり簡単に会員数を増やせるようにも思いますが、実際そうなっていないのはやはり消費者の不信感が強いからに他なりません。それは販売方法に関しても、商品の信憑性や価格についても言えることです。現在A社の会員数は6万人弱ですね。そうすると、既に9代の組織が出来上がっている計算になり、私は10代目になるわけです。利益を得るためには下に3代でしたっけ?それだけを取り込まなければいけないわけで、10代目全員が私と同じペースで勧誘を進めればその頃の会員数は24万人にも上ります。これは日本の人口の2%程度ですからそれ程大きくないような気もしますが、10代目に来るまでにA社が10年の時間を要した事を考えれば、3代下に伸ばすのがどれだけ大変かはすぐに想像がつきます。しかも当時とは違い、勧誘を受けて断った人の数も増加していますし、会員数を考えれば開設当時と比べると3代での増加人数は730倍にも上ります。私はこれをビジネスチャンスと呼んでいいのか甚だ疑問ですし、既に成熟しきっている感すら覚えます」


パソコンを池田さんに返しながら、私はそう話します。もちろん返す前にはきちんと「マルチの破綻」と名前を付けてそのエクセルファイルを保存しておいてあげましたけどね。いい加減お腹も空きすぎて目が回ってきましたから、最後に一言申して帰りましょう。


「で、私がこのビジネスが成功しない、少なくとも自分は成功できないであろうと思う最大の理由はね、この商品に何の魅力も感じないって事なんですよ。販売方法もこんな酷い、人を軟禁するようなものですし、商品自体も胡散臭い。説明会でどんな市場を狙っているかはわかりましたけど、如何せん裏付けが少なすぎます。そんな商品は信用できないし、もし今日の話が全て本当だったとしても私は興味を感じない。自分が必要ないと思うものに初期投資をしたりとか、それを人に売ったりだとか、そんな事できるはずもありません」


「でも、でも…」

おおっと、ここでジェニー登場。突如口を開くジェニー。

「でも、じゃあshiyさんは自分の親をガンで殺してもいいわけ?環境ホルモンとか人工毒とか、そういうので自分の親や子供が蝕まれて行くのを黙って見てるわけ!?」


堪らなくなったんでしょうね、自分が信じていた事をここまで否定されたわけですから、その気持ちもわからないでもありません。半分涙目で必死に私に訴えるジェニーを見て少し心が痛みます。でもここで優しい言葉をかけるわけにはいきません。池田さんの方を向き直り、私はそっと口を開きます。


「ね、ジェニーの言う事が私に対する優しさなのか、それとも勧誘に必死なのかは知らないですけど、まあ恐らく後者が強いでしょうね。前者であればまず私の名前が出てきて然るべきでしょうから。まあそんな事はこの際もうどうでもいいんですけど、『親を殺してもいいのか』だとか、これは明らかな脅迫にあたります。販売方法自体が法律に引っ掛からなかったとしても、販売員個人のレベルでは十分法に抵触する可能性のある事が日常的に行われます。私はそんな販売に荷担したくはありません」

ハッとするジェニー。池田さんも気まずそう。私もお腹が空きましたから、鞄を持って立ち上がります。

「じゃあ、おれは帰るから。まあ勉強会でもなんでも好きにやっていきなよ。まだ人もいるみたいだしさ」

ジェニーにそう言い残すと、私はそっと会場を後にしました。




外に出て時間を確認すると既に2時を過ぎています。おいおい、どうなってるんだよ。結局6時間も軟禁されていたわけです。こんな時間ではもう電車もありませんからね、散々悩んだ挙句タクシーで名古屋の市街地まで行き、「朝までロンリーカラオケ大会」を開催する事にしました。

まあ独りでカラオケってのも大概寂しいんですが、なにより私の心に影を落としていたのはジェニーの事でした。あの場に残してきて本当に良かったのか、それとも引っ叩いてでも説得して連れ帰るべきだったのか。自分にもう少し法律や商品に関する知識があれば洗脳されたジェニーを説得できたかもしれない。ミスチルの「Over」を歌いながらそんな事を考えていたのですが、急に胸が苦しくなって私はその場に泣き崩れました。画面に流れる「愛しき人よさよなら」の歌詞。もうジェニーとの関係を修復できる可能性がない事は理解していたつもりでしたが、心がそれを拒むのか私にはどうしてもこの歌詞を歌う事ができませんでした。


泣き疲れて眠ってしまったのか、気が付くと時間は明け方5時になろうとしていました。スーツのジャケットを掴み、私は店を後にします。ついさっきまで一緒にいたはずのジェニーは、今はもう私の隣にはいません。知らない間に雨でも降ったのか、道路は黒く湿っていました。少し肌寒いくらいの朝の空気を吸いながら、憂鬱な気分で私は駅へと向かいます。


交差点を曲がったところで、私は言葉を失いました。


高く澄んだ秋の空、目を覚ます前のビルの群れ。そんなくすんだ景色の隙間から、眩しいほどの朝日が見事に歩道を金色に染め上げていました。まるで私の行くべき道を指し示すかのように、朝の光は美しく、どこまでも真っ直ぐに雨上がりの歩道を照らしていました。そんな景色に暫し心を奪われていたわけですが、気が付くと朝靄が少しずつ晴れていくかのように、私の心も少しずつ、解きほぐされて行くのがわかりました。私はジェニーという大切な人を失いましたが、彼女との時間の中で大切な事を学んだのもまた事実です。ジェニーは「ネットワークビジネスをやればあなたの人生は絶対変わる」と言いましたが、私は結局それに手を染めることはありませんでした。私の人生も何も変わらずこれからも続いていくのでしょう。しかし、その「何も変わらなかった」という事が、私にとっては一番大きな変化であり、ジェニーとの関係の中で得た一番の収穫だったのかもしれません。大きな変化にしか気を留めなければ日常は退屈なものかも知れませんが、たとえ大きな変化はなくとも、同じ日が巡ってくる事はありません。日々刻々と変化する小さな世界の小さな事象に一喜一憂すればいいんじゃないのかな、ふとそう思える私がいました。私は背中を押されるように、朝日に照らされ輝く歩道を新たな人生と共に歩き出しました。


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いや、長かった!最初の創作とか抜けばもっとコンパクトにまとまったかとも思うんですけど、もう読み返したりとか校正したりとかそんな事する気も起こらない程の長文なので、このままで掲載。それにもうかなり昔の出来事ですからね、こう記憶すらとんと失ってしまっている部分もありますから、単なる読み物として読んでいただければと思います。いっそ「この物語はフィクションです」とか書きたい気分。それにしても、あの時私が契約していたとしたら、一体私の人生はどうなっていたのでしょうか。ジェニーとはその後連絡を取る事もなくなり、彼女はネットワークビジネスの道を、私は今までどおりの仕事を選びました。ジェニーは果たして幸せになれたのでしょうか?それは彼女にしかわかりません。ただ、ネットワークビジネスというのは、ある意味で人間関係と金銭を天秤にかけるような行為であると私は思います。そして、その連鎖は決して長続きするものではないようにも思います。 ネットワークビジネスという組織の中で利益を得ている人はいますし、その商法も一応法律で認められています。ですからこれら全てを否定しようとは思いませんが、私の体験談から何かを感じ取って頂ければ嬉しく思う次第です。ではまたお会いしましょう。

なお、今回の作文では非常に具体的な数字が多く出てくるため、その一部を若干改正して使用していますことをご理解ください。
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