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パリはつまらなかった。滞在は1日で充分だった。
数年前より、謎めいた不思議な人が「パリに行け!パリには今、ピカソがいない!だからパリに行け!」などと、個展をする度にやって来て、しつこく数回に亘って迫った。一応、かつてのパリ画商界では重要な役割を果たしていた人の助言だ。軽々しく接して聞き流してはいけないと思ってはいたが、私はアトリエから出る気にならず、サッと数年が経ってしまった。最近になって別口から続々とヤンヤヤンヤの海外行きを促され、極めて重い腰を上げて2007年10月、パリに行ってはみた。
深夜パリに着き、翌日の夕刻にはリュー・ド・セーヌの画廊街を歩いていた。両サイドの画廊からは室内を照らす照明が路にまで溢れている、が、その展示物の空疎な事に唖然としてしまった。どの画廊もそうだった。40年前は、画廊街と言えどもこんなにもビッシリと画廊が軒を並べてはいなかった。さらにサンミッシェル通りの方へ、セーヌ河岸の方へと拡大していってはいたが、これは、と言えるレベルに達している展示物がないのである。
「ピカソがいない!」ではなくて、画家が一人もいないのだ。全く精彩のない、何故かどす黒い雰囲気の街になっていた。私が居なかった40年間で、外見だけの、美術と関係のない街に、パリはなってしまっていたのだ。
リュー・ド・セーヌの画廊街からオデオンに向かえば旧市場、ランボーハウスのある通りに出る。街並みが、今は全てがカフェ兼ブラッセリー(軽・大衆食堂)になっている。両側ともだ。八百屋、魚屋は、おしるし程度に残っているのみだ。ランボーはこの通りの全ての家の屋根裏部屋に住んでいた事になっている様だ。世界中からアルチューのファンが詰め掛ける。どのカフェも文士もどきの金持ち様の鈴なりだ。パイプをくゆらせたり、美女を侍らせたり。
朝日が小さな部屋に射し込む頃、軋むベッドから飛び起きて暗い屋根裏部屋を出て、共同トルコ式の便座なしのトイレで幼年期の頃からの習慣の長い用を足すと、磨り減ったラセン階段の手摺を使って滑る様に駆け下りて、表通りに出た。辺りを見渡し、スキを見て青いりんごを一つチョロまかし、お尻のポケットで擦り、りんごに噛み付く。頬張りながら颯爽と大股でサンジェルマン・デ・プレの方に歩き去って行った。金髪の背の高い痩せてヒョロっとしたトルコブルーの瞳の少年を見なかったかい。あれが詩人のランボーさ。気が付かなかったの?
ところで、彼の詩集「イリュミナシヨン」は、色付き版画の事だとも言う。正しくは浮世絵でしょうに。「地獄の一季節」とモネ作「印象・日の出」は1873年、同年の作なのだ。
街でトイレの見付からないパリは、カフェが唯一の頼みだ。奥の立ち飲みカウンターの脚の長い椅子に腰掛けてエキスプレッソを飲む。トイレを借りる為に。偶然、ランボーハウスの前で出会った、日本の女の人に教えてもらったのだ。1ユーロとちょっとのカフェ代。長くパリに居る留学生も、前の方の椅子に座ってカフェを飲んだ事がないのだと言っていた。座るとグーンと値が張るのだから。学食より高いのだ、飽きれるよ!
部屋に戻り、濃いカフェを何杯も飲む。今もこの習慣が直らないでいる。苦いパリの味!
ウンザリする程高いユーロ。1ユーロ170円。バカバカしすぎる。経済力が全くないフランスが経済大国のつもりで、まだいる。図々しさも度が過ぎて、気が違っているパリだ。観光立国の最期の賭けなのだろうが、これじゃ観光客も二度は来ないな。
貧民区20区の外れ、ガンベッタでパリの元気な青年美術家集団の展覧会のオープニングパーティーがあるからと年配の、その実、私とあまり年の離れていないのに妙に御老体風の画家さんに招かれて行ったら、長い間列に並ばされた挙句、ちゃっかり2ユーロの入場料を払わされ、一杯のワインが付くだけで、夕食時もかなり過ぎているというのに他には何も出ない。まあ、それはいいとして、一階二階使用の廃墟に等しいオンボロビルの会場には、若者が溢れてはいた。この辺りでは人は見掛けないのに。多分パリ中のディレッタント連中が皆来ているのだろう。押すな押すなの状態だ。狭い鉄の外からの階段は今にも崩れ落ちそうだ。ギシギシいっている。階段という名のリングでの格闘の末、放り出されもせず、落とされもせず、やっと会場に入ったが、あれ?こりぁ何だぁ。学園祭程度の展示物ばかりなのである。老画家は悪がって何度も、いや、いつもはもっと良い展覧会なのだが、どうしたのだろう。パリでは頑張っている連中なのだ。かつては凄かったのだと盛んに弁護するが。人ごみを縫う様にしてグルグル会場を上も下も廻り、若いお気に入りの画家をも紹介してくれるのだが、態度がデカイ、勢いの良いのは許せるが、作品を見てはウーンと唸るより仕方がないのだ。眼前の物体はお粗末の松も通り越しているので、口がポカーッと私までもが開いてしまう。パフォーマンス、インスタレーション等もありきたり、サーカスかチボリー公園の出し物以下だ。こんな物以外アイデアが閃かないのかい。アーン!プライドだけは高い若者達は芸術家のつもりになり切っている。残らない物は芸術とは言わない。会期が終わるとゴミ箱に、前日まで芸術作品だと強調していた物をためらいもなく捨てるのだろう。ここも。
ジャンがバスチーユの画廊を紹介してくれるという。今月号の美術雑誌にファーストページの特集で顔写真入りの記事が載っているオーナーご本人だ。エコール・ノルマル出身のジャンの完璧な通訳で彼と密な話が出来たが、アホなこのオッサン、銀座、京橋辺りの画商の言い草とおんなじだ。「あなたは無名だ。パリに来たばかりだし、そしてお客も持っていない。お客を持っていないと画廊はどこも扱わないね」と。「誰でも最初は無名です」と、切り返す私。→
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「画家で最もいらないのは才能!」と、今までよく聞かされた言葉までは吐かなかったですね。このあたりがパリかな。彼は、数日後に開かれる次回のベルニサージュに招待すると言う。この画廊のお姉ちゃんは若い頃のブリジット・バルドーそっくりだ。私はジャンと、次回来る事を彼女を見て決めた。彼女はニッコリして、握手をすべく、長い腕を出す。
リュー・ド・セーヌの画廊街にも招待されて行ったが、この界隈は殆どの画廊がレセプションの日をエコノミカルに合わせていて、招待客で街全体が溢れかえっている。招待を受けていないディレッタントや画学生は外から中を覗き込んでいる。その数たるや半端ではない。だが、しかし、何も出ないのである。安物のワイン一杯、ビスケット一枚、水一杯出ないパーティーなのだ。余裕がないという事の様で。銀座の画廊のパーティーは以前よりケチ臭くなったと言えども、夕食の代わりになる程度は出てくる。パリの画壇の不景気ぶりが良く分かる。全く売れないのだろうなぁ。作品が安いのに。客がガキじゃ財布が空だわなぁ!
射る様な眼が私を刺す。髭もじゃのカメラマンが人と人との隙間から私を狙っている。角度を変えながらあっちに廻り、こっちに廻りながら。その異様さをジャンが目ざとく見つけ、「雷庵を調査しているみたいだね!」と言う。オカマっぽい男もインタビュアーか、私に話し掛けてくる。ジャンは、「雷庵の眼が芸術家の眼だと言っているよ」。何かに参加しないかと言っている様だが、無視!
通り掛かりに寄ったが為に、今夜のパーティーに来る事を約束させられた若い女性のオーナーの画廊の方は、ワインや食べ物が出ていた。私は安物のワインは飲まない。ここのお姉ちゃん方は、割りと可愛い!私の来訪を周りの客に誇るかの様に喜んでいる。でも、小さな画廊だ。元気だけど。
バスチーユの画廊の方はパーテイーの日は単独なので、リュー・ド・セーヌとは雰囲気が違う。3年前までバスチーユには50〜80軒の画廊があったのだと、その界隈のボスと言われている、かの画廊のオヤジは言っていたが、今はどう見たって一桁だ。招待されていたベルニサージュは、くだんのオヤジが白内障の手術で休んでいて、この界隈では一番スペースが広いこの画廊をブリジット・バルドー嬢が仕切っていた。私が着いた頃には、もう画廊の中は人が満杯で、外にも立ってワインを飲んでいる。ジャンが、「ボジョレヌーボーだよ!キャビア!トリュフだよ!」と言ってオープンサンドを美味そうに喰っている。さすがMrバスチーユの画廊だけの事はある。
裕福そうな紳士がイタリアングレートファウンドのチョコレート色の異様な程に大人しい犬を連れて来ていた。置物みたいに静かだ。何より形が良い。細身のチョコレートのぬいぐるみ。犬嫌いの私にも飼えそうな犬だね、これなら。
ここも展示作は2回目も、もちろん例によってつまらない。地下にも2部屋に、部屋ごとに2人の個展風の展示があった。BB嬢には、日本向けの素晴らしい作品だとお世辞を言う。私は好みの美人には、時には自覚なくお世辞を言う事もあるみたいだ。BBと言ったのも効いたのか、ニッコリ微笑み返し手を伸ばしてくる。寄せて上げてのブラを着けているせいか胸がやけに前にせり出している。胸がデカ過ぎる。金髪に染めたらもっと似てくるなあと思った。この画廊は行く度にカタログをくれるが、持って帰るのが厄介だ。
外を歩きだしたら雨が降り出して来た。出掛けには青空だったのに、この浮気もの!バスチューユの帰りは何時も路を間違える。びしょ濡れになり切った頃にノートルダム寺院の前に出る。やっと方向がつかめた。聖堂の前を通り、パンテオンを目指す。雨がやけに降っている。ポリスがヤケに出ている。今日もメトロはストだ!パリに着いて以来、数十年ぶりの大ストがダラダラと続いている。そして、私が帰る一日前でキチンと終わった。まだ、この後1カ月は続くと聞いていたのに。「そんなに俺が憎いの!」。
どの画廊も1カ月で展示をチェンジする。1カ月滞在すると終わりと始まりの2カ月分の展示を見る事が出来る。だが、見る価値があるのか?レベルが低過ぎる画廊街の絵。昔の十分の一までレベルが落ちている。私には何の刺激にもならない。
元来、私は、他人に興味を持たない。私にしか興味がないのである。それでも、売れ残りのマッタの回顧展風個展の作品から駄作を描くのも勉強だという事を学べたのが唯一の収穫と言えるかもしれない。
偶然、2点のポリアコフを見たが、絵画とはこのレベルの事を言うのだ。
パリは1カ月で帰る事にした。
色褪せたパリ。エコール・ド・パリの時だけ、メソポタミアやギリシャやローマのレベルに遥か及ばないにしても、ほんの一瞬、ほんの百年間程華開いたっきりの街。とうの昔に芸術の季節が通り過ぎて行ってしまっているのだろう。小さな才能すらも何一つ芽生えて来る事のない、そしてこれからも出る事は最早ないだろう。決してまで付けとこう。
かつての世界中の芸術家の憧れの都、パリ!あのパリは、私のパリは何処に行ってしまったのか。あらあら、パリ風船の空気が漏れて、しぼんじゃっているよ〜!
30冊近く日本に紹介されている、ジャン・ボードリヤールの言っている通り、パリはパリのシミュラークル(創造力がなく、才能もない故に、人のものを盗み、装う事の意)だ。
私が、パリの死亡確認報告をする羽目になろうとは、何という、むごい役回りだ。
2008年3月1日 雷庵記
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