HOME小説で学ぶ世界史と中国歴史>弘治王朝     

1話完結


大明帝国
第七部→近日、詳述版(50集?)へ刷新公開予定


弘治王朝


〜剛毅粛清・大明帝国中興の祖〜


  成化23年(1487)8月、成化帝が崩御し、皇太子の 朱祐が 即位した。これが孝宗である。翌年から年号を『弘治』とし年号より弘治帝と呼ばれる。
  弘治帝は即位すると、成化帝が重用し、 朝政に何ら貢献することなく高禄を与えられていた道士、 僧の追放をはじめた。 その首魁であった李牧省、僧継暁を投獄し、宮廷は一掃され、剛毅粛清とあいなった。 張妃は立てられて張皇后となる。

  さてこのとき、海内は承平無事であったが、貴州にて苗族が乱を起こした。 しかしすぐに、ケ廷讃が蕩平した。 北方では、イスマイル太師が、ボルフ汗と対立して内紛を起こし、イスマイルが シケル太后を奪ってボルフ汗をオルドス地方に逼塞させた。ボルフ汗はまもなく ヨンシエブ部に襲殺された。 ボルフの子はバトモンケと言ったが、幼時にバルガチン部のバハーイの養子とされ、 後にタングート部のテムル=ハダクに奪われてその養子とされた。 1479年に、マンドールン汗の第一夫人マンドフイ皇后と再婚して チャハール部長となり、トメット部と連合して イスマイル太師を滅ぼし、シケル太后を奪回して大汗を称した。 これがダヤン・ハーンである。まさに大明の辺患をなそうとしていた。 しかしこのときは、ダヤンハーンは小王子と呼ばれ、実権はトメットの ホーサイが握っていた。また、甘粛の西方では、トルファン汗国のアリマが 返患だった。

  小王子ダヤンハーンと権力者ホーサイが大明帝国に侵入をはじめた。
  弘治11年(1498)、老齢の王越が 再び用いられてダヤンハーン迎撃に向かった。賀蘭山にて大いにダヤンハーンを撃破した。 駱駝、羊、馬、牛など数え切れぬほどを確保した。 再び王越が三辺総制となる。しかしまもなく王越は病を患って薨御した。 今度は王越に代わって両廣総督の秦紘がその後任となった。 秦紘は兵士達を鍛えて皆、壮士となり、屯田を興して軍声大いに振るった。

  弘治13年(1500)、再びダヤンハーンおよびホーサイが大挙侵攻。王 が迎撃して 撃破した。

  馬文昇が吏部尚書、劉大夏が兵部尚書に用いられた。 しかし、劉大夏の事務処理が鈍間で軍事物資を前線に全く送らず、 国境における軍需品はひどく不足してしまった。このように 劉大夏が軍事をないがしろにするので 弘治帝はこれを譴責した。劉大夏は言った。

  「臣は老いて病を得、かつ天下の財が動かされることを大いに懼れるのです。 もはや民間は貧しくなって財がありません。」

  弘治帝は言った。

  「祖宗以来、軍征は常であった。民間の財が消えたというのは聞いた事が無い。 今日、どうしてそのようになった!」

  劉大夏は言った、

  「陛下は常となさいましたが、常などというものはあり得ないのです。」

  弘治帝は言った。

  「では今の軍兵は如何かな?」

  劉大夏は言った。

  「民を貶める存在です。」

  弘治帝は言った。

  「兵は国家を守る崇めるべき者達。お前は国家を滅ぼしたいのか!」

  劉大夏は言った。

  「将兵が戦に勝ちすぎるのです。国軍と戦って死んだ外国人はどれだけいるのですか。」

  弘治帝は嘆息して言った。

  「朕は在位すること十五年になるが、こんなことをされるとは・・・。」

  劉大夏がこんな状態であるから、韃靼の格好の標的となっていた。 ダヤンハーンおよびホーサイは連年攻撃を仕掛けてくる。 弘治帝に親征の上奏が上がってきた。劉大夏がこれを拒む。弘治帝は劉大夏を 呼び出して言った。

  「太宗(永楽帝)は頻年出塞していたが、今は何故不可なのだ?」

  劉大夏が言った。

  「陛下は神武であられますが、太宗(永楽帝)と並ぶことができましょうか。 将領士馬もそのときと比べてどうでしょうか。遠く及びますまい。 兵事は慎むもの。守るが上策。戦うは下策です。」

  弘治帝は言った。

  「卿はもう言うな。朕を誤らせる。」

  しかし、当時の兵部に劉大夏が強い影響を及ぼしていた。 兵権を握る劉大夏を罷免できず、 弘治帝の思う通りにならぬ事態だった。

  さて、弘治帝と張皇后は終始相愛し、二子を設けた。長子の名を朱厚照、次子の名を 朱厚煒である。弘治5年には朱厚照が皇太子に立てられた。
  弘治17年(1504)、周皇太后が崩御し、翌年2月には弘治帝も病を得た。
  弘治18年(1505)、弘治帝は劉健、李東陽を呼んで言った。

  「朕は在位すること18年。今年で36歳になる。しかし不意にも病を 患ってしまった。先生達はよろしく体を健やかなるまま政務に励んでくれ。」

  劉健、李東陽は言った。

  「陛下は万寿無彊。どうしてこのようなことを仰せになりますか?」

  弘治帝は嘆息して言った。

  「命には限りがある。朕は長くない。今日は先生と決別する日だ。」

  弘治帝はそう言って劉健、李東陽の手を握り締める。そして言った。

  「朕は厚照のことを考えている。今年15歳になるが、婚姻を定めることをしてやれなかった。 社稷は重い。礼部が必ず挙行してくれるだろう。太子は頗る賢い。聡明だ。 だが、幼い。逸楽を好むのが心配だ。先生がを煩わせるが、どうか正道を保つように 常に補佐してやってくれ。そうしてくれれば朕は死んでも悔いはない。」

  劉健、李東陽は頓首して言った。

  「臣らは力を尽くして聖恩に応えます。」

  翌日、弘治帝は太子の朱厚照を呼んで法祖用賢について諭した。 それからまもなく、弘治帝は崩御した。

  弘治帝は賢臣を登用し専売法の見直し、宦官・道士・僧の綱紀粛正、 北のダヤン・ハーンに対する防衛体制の強化などの政策を実施、 国勢を立て直した。一時期不老長寿を説く宦官を信任した事もあったが、 まもなくその害に気付き粛清し、再び政務に励み、後世の史家より 明中興の祖と称されている。




TOP小説で学ぶ世界史と中国歴史>弘治王朝