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「アッシリア」はアッシュルの地を意味するギリシア語表記に由来するヨーロッパにおける呼称で、 本来のアッカド語北方方言であるアッシリア語による名称はアッシュル(Asshur)である。
アッシュルの名はチグリス川上流にあった国土とその中核となった首邑の名であり、紀元前3000年頃よりアッシリア人が住み始めた。
紀元前1900年ごろ、アッシリアは独立。しかし、その後、ミタンニ王国の成立と伸張により再び従属した。
紀元前1450年ごろ、アッシリアは自立。
紀元前1300年ごろ、アッシリアはバビロニアを征服。しかし、年を追う毎にアッシリアの勢力は小さくなっていった。バビロニアは独立した。
アッシリアは紀元前8世紀に至ると、強大化し始めた。
チグラトピレゼル3世の時代、アッシリアは常備軍を保有し、規律の取れた。当時、西方世界ではもっとも優秀な軍隊であった。 アッシリアの軍隊は戦車兵、騎兵、重装歩兵、軽装歩兵、攻城兵、工兵などのように分担されていた。 騎兵はこの時代に新たに導入された兵科である。当時はまだ鞍、鐙などの馬具が 発明されておらず、後の時代の騎兵に比べて運用は困難だったと予想される
アッシリア国王に対して従わずに戦を交え、敗北した国に対しては残酷な報復措置、三光政策を採った。 三光とは殺光(殺しつくすこと)槍光(略奪しつくすこと)焼光(焼きはらうこと)のこと。 アッシリア兵は敗軍兵士の顔を生きたまま剥ぐ、または喉を掻き切ることをよく行った。 もちろん街は焼き払われている。
紀元前743年、アッシリア軍はシリアのダマスクスに侵攻した。城中の軍民は必死に抵抗したが、城は落ち、 敗北した兵士はみな、アッシリア兵によって首を伐られた。瞬く間にそこは伐られた人の頭で小高い山となった。 丸太の先を鋭利に削ったものを、鋭利な部分を上に向けて地面に立てると、残った捕虜を縛って、その針のような山に投げられ、 突き刺され、苦しみながら殺された。子供は生きたまま、激しく燃える建物の中に捨てるように投げ入れられ、 焼き殺された。
チグラトピレセル3世はバビロニア人やヘブライ人から憎まれてプルの蔑称で記録された。 彼の治世からアッシュールバニパルの治世までの100年あまり の間にアッシリアは中東史上空前の政治的統合体を作り上げた。 エサルハドンの時代にはエジプトにまでその領域が広がった。
しかしアッシリアは、その残虐な統治に叛乱が相次いだ。
紀元前669年アッシュールバニパルが王に即位した。
紀元前641年、メディア人が酋長フラオルテスを擁してアッシリアに反乱を起こした。 酋長フラオルテスは陣没し、その子のキヤクサレスが跡を継いだ。
紀元前612年に新バビロニアとメディアの連合軍の攻撃を受けてアッシリアは滅亡、 亡命政権がハランに誕生するも紀元前609年にはこれも崩壊した。