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ネブカドネザル2世


  ネブカドネザル2世は新バビロニア王国の建国者ナボポラッサルの息子として生まれた。 ネブカドネザル2世は、父王の治世中より軍を率いて転戦していた。 ハランにあったアッシリアの残存勢力を攻撃し、それを助けるべく出兵した大国エジプトの王ネコ2世をカルケミシュの戦い( B.C.606年)で打ち破った。

  B.C.605年8月、新バビロニア王国国王・ナボポラッサルが亡くなると、ネブカドネザル2世はパレスチナ地方にあって戦争中であったが、 ネブカドネザル2世は急遽バビロンへ帰還して、ネブカドネザル2世は即位。 エジプトの影響下にあるシリアの諸都市国家を次々と征服して領土を大幅に拡張した。

ユダ王国がエジプトに服したことを知らされるや、B.C.597年にユダ王国に攻め入って、 ヨヤキン王を首都バビロンに連行した。ヨヤキンが、新バビロニア王国に永遠の忠誠を誓うと、ネブカドネザル2世は ヨヤキンの帰国を許し、再びユダの国王となることを裁可した。

  B.C.595年には東に転じてエラムを攻撃し、かつて全オリエントを征服して覇を唱えたアッシリア王国 とほぼ同じ領域をエジプトを除き支配下に置いた。

  B.C.589年、再びエジプト軍が侵入し、ユダ王国もこれに乗じて再び反乱を起こしたため、 B.C.588年、ユダ王国に征伐開始。そしてB.C.586年に再びエルサレムを陥落させ神殿を破壊した。 この戦いでネブカドネザル2世は息子を殺され痛く悲しむあまり、言った。

  「敗北者は全て私達、バビロン人の下僕である。全ての者をバビロンへ連行しろ!エルサレムは焼き払え!」

  これが有名な

  「バビロン捕囚」

  である。

  この後、ネブカドネザル2世は港湾の商業都市を重視し、フェニキアのテュロスにも軍を差し向け、 13年間にもわたる包囲戦が行われた。

  ネブカドネザル2世の治世、新バビロニア王国は繁栄し豊かだった。またネブカドネザル2世はメディア王国と政略結婚し、 メディア王国からアミティスを王妃として迎え、王妃アミティスが、故郷の偲んで憂鬱な日々を送っていたのを 慰めるためにイランの山を模した(当然のことながら、バビロニアは見渡す限りの起伏のない平野である)空中庭園を建造した 。
  また、ネブカドネザル2世は その治世の間に、 バビロン市で大規模な建築事業を行ったことで知られる。 バビロンのマルドゥク神殿とジッグラトは大幅な改修が行われ規模が拡張された他、 街は三重の城壁で囲われるとともにユーフラテス川に橋を通して市域が対岸にも拡張された。 巨大な宮殿を建設し宮殿に通じる大通りを作り、有名なイシュタル門も建設された。 これは彩色レンガを用いて青を基調にした装飾性豊かな門であった。 ネブカドネザル2世はこれらの建築に使われたレンガなどに自分の名前を刻印させており、 バビロン市の整備に情熱を燃やした彼の名を現代に留めている。


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