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クリストファー・コロンブス。彼は好奇心から世界が丸い事を証明するために航海したのではなかった。 彼は自分への投資者に、その元金に対する莫大な収益を約束し、 それでその約束を果たすために、金、香辛料、奴隷を探す予定であった。 コロンブスは日記をつけていた。その日記には、バハマ諸島に上陸した時、 先住民は数々の贈り物を手に、海の中にまで出向いて歓迎してくれたと記されている。 彼らが快く迎えた理由は、コロンブス一行が空から使わされた神の使いだと思ったからであった。 コロンブスが、
「穏やかで優しい」
と形容した先住民は、武器を持たないどころか、その存在さえ知らなかったという。 コロンブスは記す。
「私がサーベルを見せたら、刃のほうを持って手を切ったくらいだった。」
島には、ヨーロッパでは見たこともない植物がたくさん生い茂っていた。 梨ほどの大きさで美しい色をした果実を一口食べた者がいたが、たちまち舌が腫れ上がり恐ろしい 高熱と苦痛にのたうち回ったという。
また、ヨーロッパ人が煙草を吸う原住民を見たのもこの時が最初だった。 コロンブスはこれについてこう記している。
「それは草を乾燥させ、何かの葉でくるんだもので、一方に火をつけて、 もう片方の端から息とともに煙を体内に入れて吸うのである。 彼らはそれをタバコと呼び、煙が体内に入ると酔ったようになる。スペイン人の何人かがこの習慣に染まったが、 私がやめろとどなっても、止めたくても止められないのだと答えるのであった。」
上陸してから数ヶ月の間、スペインの後援者に宛てた手紙には、
「彼らは極めて純真かつ正直で、決して物惜しみしない。乞われれば、何であろうと与えてしまう」
と書いている。 しかし、日記の中に突然、次のような一節が現われる。
「彼らは立派な奴隷になるだろう。手勢50人もあれば、彼らを一人残らず服従させられるし、 望むことを何でもやらせることができるだろう。」
これが、コロンブスが先住民に対して抱いていた見解である。客を手厚くもてなす主人としてではなく、 自分たちの思い通りのことをやらせるための奴隷として見ていたのだ。
コロンブスの日記には、やたらと
「黄金」
の2文字が登場する。 最初の2週間の日記には、75回も出てくる。黄金に目がくらみ、 小躍りするコロンブスの姿が目に浮かぶ。
さて、コロンブスの主な滞在地であるイスパニューラ島(現:ハイチおよびドミニカ共和国)には、至る所に十字架が立てられた。そして、 絞首台が1500年には340台を数えていた。 そのイスパニョーラ島で、 コロンブスは14歳以上の原住民それぞれに、ある割当量の金を三ヶ月毎に持参するよう命じた。 逆らうものは即座に殺した。割当を満たすことができなかった原住民は 両手を切断された。両手を切断された原住民は大量出血でほとんどが死んだ。 生きのびた者も切断面からの菌の侵入で、たちまち死んだ。 島にはほとんど金がなかったので、たいていの原住民は逃亡するか殺されるかの二択だった。 恤れむはコロンブスらに抵抗し、自らを防衛する手段を持てなかったことだ。 山に逃げた者は猟犬に追われ、たとえ逃げ切れたとしても、その先に待っていたのは餓死か病死。 いずれにしても死だった。絶望にうちひしがれた人々は、毒を飲み干した。 ある学者の推定では、当初30万人いた先住民のうち約10万人が、 1494年から96年までの2年間で死亡したという。1508年にはさらに6万人に減り、 1548年には生存者は500人いたかどうかも疑わしいと言う。
スペインの国王や投資家たちを驚かせるほどの黄金も香辛料も、ついに見つからなかった。 そこでコロンブスは原住民を奴隷として売り飛ばすために、船に敷き詰めてスペインに送った。 コロンブスは500人ほどの先住民を船にぎっしりと詰め込み、大西洋を渡ったが、寒さと病気のために200人ほどが途中で 死亡した。1498年9月の日記に、コロンブスは、
「三位一体(トリニティ)の神の御名において、売れる奴隷という奴隷を どんどん送り続けよう」
と記している。まったく敬虔なキリスト教徒だ。 そしてスペインのセビリア奴隷市場で売り飛ばした。 こうして人類史上最悪の犯罪のひとつとなった、大西洋奴隷貿易がはじまったのだった。
バルトロメー・デ・ラス・カサスという人物がいる。彼はスペイン出身のカトリック司祭で、 コロンブスより30歳ほど年下だ。いわばほぼ同時代の人物なのだが、ラス・カサスは当時、 スペインが国を挙げて進めていた植民・征服事業における数々の不正と先住民に対する残虐行為を告発し、 スペイン支配の不当性を訴え続けた。 ラス・カサスは自身の著書で、インディアンについて次のように記している。
「無限の宇宙の中で、彼らは最も明朗で、邪悪さや不誠実なところがまったくない。しかし、この羊の檻の中にスペイン人が 突然侵入し、貪欲な獣として振る舞い始めた。彼らは、キリスト教徒には黄金を手にするという絶対的な使命があるとして、 殺戮や破壊行為を正当化した。」
そしてラス・カサスは、最も凄惨な現場を目の当たりにする。それは、兵士がふざけてインディアンを刺し殺し、 赤ん坊の頭を岩に投げつけるという信じがたい光景だった。
「隣人を自分のように愛しなさい」
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたが人にしなさい」
キリスト教の始祖であるイエスはそう説いていたらしいが、 1500年の後、彼の信者たちは隣人を刺し殺し、隣人の赤ん坊を平気で岩に投げつけた。
もともと「所有」という概念がなく、自分の物も他人の物も区別していなかった先住民が、 スベイン人の物を手にとって見たり触ったりした場合には、 打ち首か火あぶりにされたという。さらに強制労働に駆り出された先住民の大半は、病気か死に追いやられた。 過重労働と飢えで母親の乳が出ないために、大勢の子供が死んだ。ラス・カサスは、3カ月で7000人の子供たちが死亡した、と 推定している。 加えて、先住民には免疫のなかった腸チフス、発疹チフス、ジフテリア、天然痘などの病気がヨーロッパから運ばれ、 これらを理由に大勢の人が亡くなった。
コロンブスが上陸した時にはおよそ800万人だった西インド諸島の人口は、約20年後の1514年には、 約2万8000人しか残っていなかったという。要するに、99パーセント以上の先住民が殺し尽くされた計算になる。
心優しき先住民にとって、コロンブスは疫病神であり、死神であり、悪魔だった。 この悪魔の所業については、挙げればきりがない。 この直視に耐えない血なまぐさい惨劇をラス・カサスがスペイン王カルロス一世に報告したとき、一同は茫然自失した。
ローマ教皇は先住民の奴隷化を認めたほか、 キリスト教徒に対して、奴隷になるまいとする先住民を一律虐殺し、 先住民を支配することへの参加を呼びかけ、 参加・協力した者には贖宥(免債)その他の精神的恩賞を与えた。