武則天――――――日月当空・中国史上唯一の女帝・一大女傑
武則天の時代を描く、第五部 武則天
高宗皇帝が崩御すると,李哲を即位させたが,翌年にはこれを廃して,弟の李旦を帝位につける。 これまでは,名門出身ではなく,実力者を宰相にするなどの政治能力の 高さを発揮していた武則天だが,これ以降は密告を推奨し,密告者を登用するなどを行う。 一方で,周の天子が政務を執ったとされる明堂の復元,女帝の出現を予言したとされる『大雲経』の喧伝, 武周新字(則天文字)の制定などを行い,690年9月9日,国号を周と改め帝位に就く。 武則天の在位は15年にわたったが,705年,宰相・張柬之らに退位を迫られて,中宗に帝位を譲り, 大唐帝国は復興した。武則天は上陽宮に移され,同年に亡くなる。則天大聖皇后と諡され, その遺言に従い高宗皇帝の眠る乾陵に合葬された。
尚、このページを表示するには、フレームをサポートしているブラウザが必要です。サポートされていない方は次のページよりお入りください。
→
武則天