景天王朝――――――国家と権威を護った賢帝と兄の嫉妬・奪権
1449年、正統帝が土木堡で エセンハーンに捕らえられるという事件が起こった。それは正統帝と王振の起こした無謀なる遠征計画が そうさせたのだった。エセンは正統帝を捕虜に強い要求を出すつもりだったが、 大明帝国が一切応じない姿勢を見て、首都を落とそうとする。北京は一時混乱し、南遷を主張するものも現れたが、 于謙らの反対で北京に踏みとどまろうとする。そして正統帝の弟を皇帝に担いで エセンに対する徹底抗戦を覚悟したのだった。 幸いにも于謙らの能臣の活躍でエセンを完膚なきまでに叩いてオイラートの野望を砕く。エセンは再戦を挑むが、 もはや于謙とともに再建された大明帝国の敵ではなくなっていた。 エセンにとって虜囚の正統帝は無用の者となった。エセンは正統帝(後の天順帝)を返還してきた。 しかし景泰帝の兄である正統帝が返還されるときから、兄弟の確執がはじまっていた。
尚、このページを表示するには、フレームをサポートしているブラウザが必要です。サポートされていない方は次のページよりお入りください。
→
景天王朝