何故この事態が予想できなかったんだろう。
幼稚園に忘れた汐の帽子を届けに来てくれたのは、とてもありがたいことだ。
しかし今だけは、一番やっかいな来客だった。
「お茶でも飲んで行けよ」
それでも帽子だけ受け取って、はいサヨナラは拙いだろうな。
「…うん」
部屋の奥を見ながら、杏は靴を脱ぎ、風子の靴の横に奇麗に並べた。
「狭いから空いてるとこに座ってくれ」
「うん…」
「あっ、せんせーっ」
汐が駆け寄る。
「汐ちゃん、こんにちわっ」
「こんにちわーーーっ」
汐の頭を撫でる。
あぁ、いい先生してるんだな。
少しほっと感じた。
……。
…。
お茶一式を持ってテーブルに置く。
コポコポ。
知らんふりをしてお茶を入れる。
「朋也、……汐ちゃんのお友達?」
さっそく来たか。
風子は部屋の隅で背中を向けて「うーん」と唸っていた。
「あぁ。風子っ」
「なんですか? わたしは今汐ちゃんといいところなんです。じゃましないでください」
風子の手札は明らかに汐より多い。
来客にも気づいてなかったようだ。
「七並べなんか放っといて、紹介してやるから、こっち向け」
公子さんからあれだけ頼まれたんだ。ちょっとした訓練になるだろう。
「もう、朋也さんはわがままです」
と言いつつこっちを向き、杏を見つけ、はっとして汐をぎゅっと抱き寄せた。
「風子、こちらは汐の幼稚園の先生だ」
風子は半分汐に隠れるように、半分顔を出して杏を見つめた。
杏は風子を嘗め回すように見て、
「藤林杏です。汐ちゃんの担当をさせて頂いてます」
見事な挨拶だった。学生時代や普段のやり取りからは想像もつかない。
ちょっと棘があったような気がするのは気のせいか。
「こっちは、、、」
なんと言ったものか……。
「な、渚の恩師の妹さんだ。ほら風子挨拶しろ」
「風子です。汐ちゃんのお姉さんです」
「こらっ、見知らぬ他人にとんでもないことぬかすなっ!」
杏だからいいようなものを、事情を知らない人にあれこれ言われたらたまったものではない。
「渚さんの先生の妹……、って、ずいぶん年の離れた妹さんねぇぇ」
杏はジト目でオレを見る。あきらかに『ごまかすんじゃないわよ』と言ってる目だ。
「多少は離れてるな。でもな、風子は俺たちとタメだぞ」
「はぁ? しょ……学生さん、…じゃないの?」
「失礼です。風子は朋也さんより大人です」
「朋也ぁ」
「うそじゃないって」
見た目は小学生に見えなくもないが、着ている物とかはそれなりに上等な物だ。
「……」
杏はしばらく何か思いにふけっていた。
そしてお茶を一口すすり、ポツリと、
「そういや、渚さんも小柄だったもんね……」
小さな声でつぶやいた。
オレは思わず渚の写真を見上げた。
しんみりとした空気が漂う。
そう。
そうだな、渚もちっちゃかったな。
あんな小さな体で、誰よりも強かったんだ。
なぁ、渚……。
………。
……。
…。
って、ちがーーーーうっ!
「まてまてまてっ、杏っ、何考えてるっ」
「何って……、その、馴染んでたし……。つきあってるんじゃ、ないの?」
「違う!」
「違いますっ!」
見事にハモる。
「あ、そうっ。ご、ゴメンね、アハハッ」
「んーっ、そんな誤解されるなんて最悪です」
やっぱこいつ、追い出してやろうか。
「それに、朋也さんが風子に一方的にまとわりついてるんすっ」
「はぁ?」
「朋也さんは風子と汐ちゃんのじゃまをする極悪人ですっ」
「おまえなぁ」
ポカッ、と少し強めに小突いてやった。
「んーっ、可愛い風子を虐めたくなるのはわかりますが、やめてください」
コンコン。
ノックの音がして、ドアノブの回る音がした。
「朋也さん、おじゃまします。ちょっと近くまで来たものですから…」
あぁ、この事態も予測すべきだった。
「さなえさーんっ」
汐が駆け寄って抱きつく。
「あら、お客様がいらしてたんですか。ふぅちゃんと……、藤林先生…」
早苗さんはちょっと首をかしげて、
「おじゃまの様なので、またにしますね」
早苗さんは汐の頭を撫でて、
「またね、しおちゃん」
「バイバイ」
バタン。
オレは汐の後ろ姿を見つめた。
……。
…。
やばいっ!
「ちょっと待っててくれ」
ふたりにそう告げて、オレは飛び出した。
「早苗さーーーーんっ」
追いついた。
「ハァハァッ」
「朋也さん……」
「早苗さん、えっと……、誤解してませんよね……?」
「えっ? いえ……、その……。ちょっと驚いてしまっただけです」
何を驚いたんだ?
早苗さんは胸の前で手をグッと握って、
「朋也さん、頑張ってくださいねっ」
にっこりと笑って言った。
やっぱり誤解しているっ!
「ち、違いますっ! 誤解ですっ」
……。
…。
「はぁ」
今晩にでも古河ん家に行って誤解を解かないとな。
説明を尽くしたつもりだったけど、早苗さんに正確に伝わったかどうか自信がなかった。
オッサンにどう伝わるやら。
ブルッ。
今は考えないようにしよう。
「ただいま」
我が家のドアを開ける。
「すまなかったな……」
と言いかけたが、嬌声にかき消された。
「でさぁ、あの時の朋也の顔ったらなかったわよぉ」
「見てみたかったです」
「だから朋也に奢らせたいときはね、そんな感じで……、あら」
ようやくオレに気がついたようだ。
「おい、……」
何を話してたんだ? と聞きたかったが、恐くて聞けなかった。
「朋也ぁ、お義母さんと何を話してたのかなぁ? そんなに焦って」
ニヤニヤと笑いながら言う。
こいつ変わってねぇっ!
「今日は朋也さんの意外な一面を知りました」
「何を知ったんだっ!」
「そんなの秘密ですっ」
オレは顔を手で覆った。
何でこんなややこしいことになったんだろう。
「せんせー、なんかきょうはヘン!」
風子に抱きつかれたままの汐が言う。
「え? あ、ちょっと飛ばし過ぎちゃったかなー? 汐ちゃんごめんねー」
「ううん、きょうのきょうせんせーおもしろーいっ」
「あ、そう? アハハッ」
……。
…。
オレは窓から抜けるような青空を見上げた。
あぁ、汐との楽しくも平穏な生活は何時まで続けられるんだろう。
汐はもう5歳だ。渚は18歳でオレと出会った。
貴重な貴重なオレたちの時間を、こいつらはっ!
「でねー、汐ちゃんを迎えに来る朋也の顔がね、またおかしーのーっ」
「んーっ、見てみたいですっ」
「パパかっこいいもん」
「はぁ」
まぁ、汐が笑ってるからいいか。
神様、できれば、ただただ平穏な日々を。
オレはそう願わずにはいられなかった。
[END]
初出:「岡崎朋也と汐〜父子家庭の日々〜」スレ 62〜67