俺と汐が親子として歩み始めて間なしのころ、俺は不安で仕方がなかった。
汐が生まれてから長い間、週に一度、早苗さんは汐を俺のところまで連れて来てくれてた。
でも正直、俺はそのころのことを、ほとんど覚えていなかった。
そして、ある日気づくと、今の汐は、
ほとんど泣かず、泣いてもすぐ我慢して、
にっこりと笑う事はあっても、大笑いはあまりしなくて、
ぷんっと可愛く怒ることはあっても、怒りちらすこともなく、
そのひとつひとつが気になって、気になって、仕方がなかった。
幼稚園や公園で、同じくらいの子が、
思いっきり、泣いて、笑って、怒って、けんかして、走り回っているのを見て、
あぁ、汐はこうはなれなかったのだろうか、なれたんじゃないだろうか、
俺はなんて罪深かったんだろう、
そう思えて仕方がなかった。
早苗さんはなんでも相談に乗ってくれた。
しかし……、
「早苗さん、ここで暮らしてたときの汐はどんな子でした?」
この問いにだけは答えてくれなかった。
「朋也さん、ご心配はよくわかります。でも、過去のことを気にするより、今は、今の汐と向き合ってください」
時に厳しい早苗さん。
汐に対してもこんなに厳しかったんだろうか。
それで、汐も感情が薄い子になってしまったんだろうか。
でも、その責任は全部俺にある。早苗さんのせいでは100%ない。
「朋也さんと汐ならすぐわかりあえますよ」
「ははっ。そうだといいっすね」
でもある時、根負けして、少しだけ教えてくれたことがある。
「汐は、とっても優しくて、ちょっと泣き虫なんですよ」
重い言葉だった。やっぱり、俺は汐の親になれてないのか。
早苗さんが泣き虫と言う汐。俺はあの時大泣きしてから後は、汐が大泣きしているところをほとんど見た事がなかった。
俺と汐が親子として歩み始めて間なしのころ。
失った時間を取り戻そうと一生懸命だった俺は、不安で仕方がなかった。
そして、それは、
今も続いていた。
俺と汐、ふたりきりの日曜日。
学生のころとは様変わりした駅前。
その新しくできていたデパートで、汐とデートだ。
珍しいものばかりなのだろうか、
「パパっ、あれ大きいねーっ」
「パパーっ、だんごっ、だんごっ」
思いっきり連れ回された。
お昼におもちゃ付きのハンバーガーセットをせがまれ、本当に久しぶりにハンバーガーを食べた。
「これきらーい」
汐が嫌ったので、俺のハンバーガーはピクルス倍盛りだ。
それが妙に美味しかった。
おもちゃ売り場で汐が足を止めた。
汐よりちょっと小さな男の子が大泣きしていた。
手には車のおもちゃを持っている。
汐は俺の手をぎゅっと握って来た。
泣き声を聞きつけたのだろう、すぐにその子の母親が現れて、男の子を抱き上げた。
「あー、もう泣かないの。買ってあげるからっ」
デパートではよくある場面だ。
でも俺には、まだちょっと厳しい風景だった。
汐の手が震えた。
親子をじっと見る汐の目にうっすらと涙が浮かんでいた。
あぁ、やっぱり母親がうらやましいんだな。
ぽんっ、と汐の頭に手を乗せる。
汐は俺を見上げた。
「何かおもちゃ買ってやろうか?」
「ううん。いらない」
「そっか」
俺たちはデパートを後にした。
帰りにはオッサンのとこに寄って、晩飯をごちそうになる約束だった。
汐に肩車してやると、すごく喜んで、あちこち指差しては俺に報告してくれた。
夕日も落ちかけ、町並みが少しオレンジ色に染まる。
公園に差し掛かったところで、子供の泣き声が聞こえて来た。
「おがぁざ〜〜ん」
汐より小さな女の子。
デパートで聞いた泣き声とは明らかに違う。
泣きつかれて、それでも泣きやめなくて、すすり泣いてる、そんな感じがした。
俺の髪をつかんでいる汐の手に、ぎゅっと力が入った。
「痛てててっ」
汐は離してくれなかった。
「ちょっと汐、降りて」
汐を降ろすと、俺はその女の子に声をかけた。
「どうした?」
歩道で泣いている女の子は、顔を上げてこちらを見る。
そこでようやく気がついた俺は、ぐっと腰を落とし、目線を女の子に合わせた。
「お、おかあさんが、おかあさんが、ヒックっ、ヒックっ、いないの」
迷子か。
「お前、この辺の子か?」
「わかんない」
違うのか。
「お母さんはどこに行った?」
フルフルと首を振る。
わからないということだろう。
「うーん」
どうしようか。
公園は無人で、通行人は学生がひとりだけ。誰かが探している雰囲気もない。
念のためその学生に聞いてみたが、知らないということだった。
古河ベーカリーはすぐそこだ。早苗さんに心当たりがないか聞いてみようか。
そんなことを考えていると……。
汐は女の子の前に立ち、女の子の手を握った。
「ないちゃダメっ」
「え?」
女の子が顔を上げる。
「ないていいのは、パパとママのおむね。よそでないてちゃパパがかなしいよ」
「……」
早苗さん、あなたは……。
俺は泣きたい気持ちでいっぱいになった。
汐の目には、薄らと涙がたまっている。
「でもっ、でもっ」
女の子はしゃくりあげる。
「でももすとらいくもないっ」
オッサン、あんたは……。
俺は女の子の両肩を軽くつかみ、目を合わせた。
「おじさんが探してやるからな。ついて来るか?」
女の子は考えて、考えて、「うん」とうなずいた。
早苗さんは、すぐに事情を理解してくれて、あちこち電話してくれた。
オッサンと汐は女の子にあれこれ話しかけ、女の子に泣く暇を与えなかった。
小一時間たったころ、女性が店に飛び込んで来た。
聞けば、女の子は隣町からひとりで歩いて来たらしい。
女の子はお母さんの胸で号泣した。
汐はその光景を見て、俺の手をぎゅっと握って来た。
目尻には涙がたまっている。
やっぱりお母さんがうらやましいんだろう。
「ね、パパ」
「なんだ? 汐」
「ないていい?」
「あぁ。パパにいちいち許可とらなくても、泣いていいぞ」
ぱふっ。
「うぁぁぁぁー」
汐がしゃくりあげる。
今は汐をしっかりと抱いてやるしかない。
「うぁぁぁ、よかった、ひっく、よかったね」
「え?」
意外な言葉に驚いた。
「ママにあえて…、ひっく、よかったね、ひっく」
「お前、あの子がママに会えたから泣いてんのか?」
「ひっく、うん。うぁぁーーん」
俺は汐の背中をとんとんと叩いた。
『汐は、とっても優しくて、ちょっと泣き虫なんですよ』
ちゃんと聞いてたのにな。
『過去のことを気にするより、今は、今の汐と向き合ってください』
そう。ちゃんと汐のことを見ていれば、他人に聞かなくてもわかるはずだった。
早苗さん。あなたの言う通りっす。
何度もお礼を言うお母さんと女の子を見送った。
「早苗さん。やっぱ俺、早苗さんに頭が上がらないっす」
「え? いえ。あの子を助けてあげたのは朋也さんですよ。私はちょっとお手伝いしただけです」
「いや、そのことじゃなくて、なにもかもです」
「よくわかりませんが、ありがとうございます」
早苗さんは、にっこりと笑って、
「遅くなりましたね。晩ご飯にしましょうね」
「腹へったぜーーーっ。食って食って食いまくるぜー」
「おー」
恩返しの理由がまたひとつ増えたな。
汐が疲れて眠ったところで、その日は退散した。
次の日の朝、幼稚園で、以前に見えなかったものがよく見えた。
元気な子、泣き虫な子、いじめっ子に混じって、
弱気な子、にぶい子、変な子、みんなそれぞれなんだ。
子供の正常な成長を期待するのは当然だけど、ちょっと違うからって悩まなくてもいいんだ。
汐は俺のせいで、ちょっと子供っぽくないところがあるけど、
これから俺と汐で、その隙間を埋めて行けばいい。
「おっ、おはよーっ」
杏が寄って来る。
「おはよーございますっ」
汐が笑顔で応える。
「はよ。今日もよろしく頼むな」
「まかしときなさいっ。……」
「ん? どうした?」
「あんた、昨日なんかいいことあった?」
「わかるか?」
「うん。なんか先週よりいい表情してる」
「そっか。多分そうだろうな」
「ふーん。汐ちゃんに聞いてみようかなぁ」
「ばか。特別なことがあったわけじゃねーよ」
「あ、そう。ま、いっか。頑張りなさいよ」
「おう」
いつもの通い道。
「今日ははんばーぐにすっか」
声に出してみる。
なんとなく会社に向かう足取りも軽かった。
[END]
初出:「岡崎朋也と汐〜父子家庭の日々〜」スレ 112〜118