ごじょく まっぽう
平安後期から鎌倉時代においては、五濁悪世の到来を告げる「末法思想」が人々に大きな影響を与 |
えました。 |
えいしょう
仏滅後二千一年にあたる永承七年(1052)は、末法のはじめりの年といわれ、そのころから、 |
おびや せっかん
貴族社会にその権勢を脅かすさまざまな問題が生じてきました。特に藤原氏による摂関政治の恩恵を |
しょうえん かか
受けられない貴族が出てきたことや、荘園の内部に抱えていた武士が貴族に並び立つ力を持ちはじめ |
たいはいてき まんえん
たことなどによって、貴族間には「世も末」という退廃的な末法思想が蔓延していきました。 |
さらには、多くの荘園を所有する大寺院においては、戦乱のなかにあって、下級の僧侶を僧兵とし |
きぐ
て組織することを余儀なくされるなど、末法思想はあらゆる階層に深刻な不安と危惧をもたらしたの |
です。 |
てんぺんちよう
このような末法を思わせる社会現象の続出や、加えて天変地夭などの自然災害も相次いで起こるこ |
えんせい
とから、人々の間には無常観や厭世観が広まっていきました。 |
じょうどきょう げん
こうした状況下に人々の関心を集めたのが「浄土教」でした。この教えは、平安時代の天台僧・源 |
しん えしん おうじょうようしゅう けが
信(恵心・942〜1017)の『往生要集』等が元となって体系化されたもので、現世を穢れた苦 |
とな
しみのみの世界とし、念仏を称えることによって極楽浄土に往生できるというものでした。 |
けんきゅう
そして建久三年(1192)、鎌倉時代に入ると、武家政権が確立し社会は安定するかのように見 |
えましたが、各地で争乱が相次ぎ、さらに地震や天災などの天変地夭も盛んに起こり、人々の不安は |
つの
募るばかりでした。このような時代背景のもとに、鎌倉仏教といわれる宗派が次々と誕生していっ |
たのです。 |
ほうねん げんくう
しんらん
法然(源空・1133〜1211)は専修念仏を説いて「浄土宗」を、親鸞(1173〜1262)は絶 |
いっぺん じしゅう
対他力を説いて「浄土真宗」を、一遍(1239〜1289)は踊り念仏をもって「時宗」を開きま |
えいそん りっしゅう
した。また、叡尊(1201〜1290)は戒律護持の功徳を説いて「律宗」を復興させました。さ |
えいさい りんざい
らに栄西(1141〜1215)は、戒律を持つことを基本とした臨済禅を立てて「臨済宗」を興し、 |
どうげん しかんたざ そうどうしゅう
道元(1200〜1253)は、ひたすら坐禅する「只管打坐」をもって「曹洞宗」を開いています。 |
や
人々はこうした宗教に救いを求めましたが、天変地夭や戦乱は止むどころか激しさを増し、民衆の |
えきびょう がし
間には疫病が蔓延し餓死者もあとを絶ちませんでした。 |
けんちょう
このような悪世末法の時代に、日蓮大聖人は御出現されました。大聖人は、建長五年(1253)に |
しゅうし そむ
「南無妙法蓮華経」の宗旨を打ち立てられ、この世の不幸の原因が仏の本意に背く邪宗邪義に |
しかのかくげん むげん てんま ぼうこく こくぞく
あることを示し、四箇の格言(念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊)をもって諸宗を破折されました。 |
りっしょうあんこくろん もとい おさ
その代表的著述が『立正安国論』であり、正法を基として国を治めるならば真の平和な国土が現 |
出すると説かれ、さまざまな苦しみの根本的な解決の道を示されたのです。 |
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もろまち くげ
鎌倉時代に新しく生まれた仏教は、室町時代にかけて京都に進出して公家に近づき、それぞれに分 |
派を繰り返しながら全国的に教勢を拡大していきました。これにともない、その力を背景にして権力 |
者に対抗する教団も現れました。 |
ひえいざん こうやさん いしやま
織田信長は、このような強大な教団の力は全国統一の障害になるとして、比叡山・高野山・石山 |
ほんがんじ こうふくじ きょ
本願寺・奈良興福寺等を攻め、従わない寺院はことごとく焼き払うという挙に出ました。 |
また豊臣秀吉は、大寺院に対してときには攻め、ときには保護しながらその勢力の弱体化をはかっ |
ています。、 |
さらに徳川幕府は、体制の維持のためにキリスト教を禁じ、寺院を行政の一環に組み入れて寺社奉 |
てらうけせいど じ さんきた
行や寺請制度などを設けました。これにより寺院は組織的に管理され、自讃毀他を禁ずる法令によっ |
て布教が禁止され、各人においても信教の自由は認められませんでした。 |
せいちゃくもんけ
しかし、布教を表とする大聖人の正嫡門家・富士門流にあっては、このような厳しい状況下にも |
かかわらず、各地で折伏が行われ、それによって数々の法難を生むことになりましたが、正法護持の |
精神はいささかも変わらず、次代へと受け継がれていきました。 |