| 宗祖日蓮大聖人は、 「行学(ぎょうがく)の二道をはげみ候(そうろう)べし。行学たへなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべき候」―(諸法実相抄(しょほうじっそうしょう) 新編668)― と仰せられ、信心を根本とした行・学の二道に励むことの大切さを教えられています。 「行」とは修行をいい、自行(じぎょう)と化他行(けたぎょう)があります。自行とは自身の成仏のために行ずる勤行唱題(ごんぎょうしょうだい)などをいい、化他行とは他の人を教化・化導(けどう)することをいいます。また「学」は、大聖人の教義を正しく理解し、信心修行を深めるために仏法の道理を学ぶことをいいます。 日蓮正宗においては、これら自行化他の実践を仏道修行の基本とするのです。 |
勤行(ごんぎょう)とは、「勤(つと)めて善法(ぜんぽう)を行うこと」を意味し、時を定めて、仏前で読経・礼拝(らいはい)することをいいます。 日蓮正宗の勤行においては、御本尊に向かって、法華経の『方便品第二(ほうべんぽんだいに)』と『寿量品第十六(じゅりょうほんだいじゅうろく)』を読誦(どくじゅ)し、「南無妙法蓮華経」の題目を唱えます。 勤行では、仏法僧の三宝への報恩謝徳、広宣流布と諸願の成就、先祖の追善供養などを朝に五座、夕に三座を勤めます。大聖人は、 「朝々(ちょうちょう)仏と共に起き、夕々(せきせき)仏と共に臥(ふ)す」―御義口伝(おんぎくでん) 新編1749)― と示され、一日の生活を仏と共に送ることを教えられているように、朝夕の勤行はたゆまず実践することが大事です。 朝夕の勤行こそ信心の根本であり、御本尊の広大無辺の功徳を受け、成仏という真の幸福境界(きょうがい)を得る源泉なのです。
勤行には、正行(しょうぎょう)と助行(じょぎょう)の義がそなわっています。 正行とは、南無妙法蓮華経の題目を唱えることで、助行とは、法華経の方便品と寿量品を読誦(どくじゅ)することをいいます。この両品を読誦する理由について大聖人は、 「殊(こと)に二十八品の中に勝れめでたきは方便品と寿量品にて侍(はべ)り。余品は皆枝葉にて候なり。されば常に御所作には、方便品の長行とと寿量品の長行を習ひ読ませ給ひ候へ。(中略)寿量品・方便品を読み候へば自然(じねん)に余品はよみ候はねども備はり候なり」―(月水御書 303)― と仰せられ、法華経の中でも特に迹門方便品と本門寿量品が勝れた意義と功徳を有していることを教示されています。 また正行と助行の関係について、第二十六世日寛(にちかん)上人は、 「助行とは、方便寿量の両品を読誦し、正行甚深の功徳を助顕(じょけん)す。譬(たと)えば、灰汁(かいじゅう)の清水を助け、塩酢(えんそ)の米麺(べいめん)の味を助くるが如し。故に助行と言うなり」―(当流行事抄(とうりゅうぎょうじしょう) 六巻抄161)ー と示されています。すなわち、助行は正行の題目の甚深の意義と功徳を助け顕わすために読誦するのです。 したがって、正行たる題目を離れては助行の読誦の意義はなく、助行を用いない唱題のみも、正式な勤行とはなりません。勤行は正行・助行ともに合わせて実践することが大事です。
勤行は、御本尊をはじめとする三宝(さんぽう)に報恩感謝申し上げるとともに、祈念と回向(えこう)を行ずるものですから、敬虔(けいけん)な気持ちをもって臨むことが大切です。 ご本尊に向かうときは、姿勢を正して胸の前で合掌し、御本尊の中央の「南無妙法蓮華経・日蓮」の御文字を拝しますが、その中で「妙」の御文字を基本とします。読経は正確に行い、題目は明瞭な口調で唱えます。 一日のはじめである朝の勤行は、御本尊の功徳に浴して意義ある一日となるように念じ、夕の勤行においては、御本尊に加護されたことへの感謝の心をもって行います。 勤行は月々日々、持続していくことが肝要であり、そこに成仏の境界(きょうがい)も築かれていくのです。大聖人は、 「受くるはやすく、持つはかたし。さる間成仏は持つにあり」(四条金吾殿御返事 新編775) と教示されています。
総本山大石寺においては、御開山日興上人以来、歴代の御法主上人の大導師により、一日も欠かすことなく丑寅(うしとら:午前二時〜四時)の刻に勤行が行われ、宗祖大聖人の御遺命(ごゆいめい)である広宣流布を御祈念されています。 丑寅勤行は当初、天檀(てんだん:諸天供養を行なうところ)・本堂・御影堂(みえいどう)・客殿・墓所(むしょ)において読経・唱題が行なわれていましたが、江戸時代の初期より、客殿一カ所において、五座の形式をもって行なわれるようになり、現在に至っています。
初座(しょざ)では、東方に向かい読経をします。古来、「東方は諸方のはじめ」といわれるように、一日のはじめにあたり、大日天王(だいにってんのう:太陽)を代表とする諸天善神に対し、「南無妙法蓮華経」の法味を捧げる意義から東方に向かいます。 法華経『安楽行品第十四』には、 「諸天昼夜に、常に法の為の故に、而(しか)も之を衛護し」(開結396) とあり、諸天善神は正しい仏法を護持弘通する法華経の行者を、昼夜にわたり守護することが説かれています。
二座では、久遠元初の自受用報身(じじゅゆうほうしん)如来(本仏)の当体であり、事の一念三千(本法)の法体である独一本門戒壇の大御本尊を讃歎(さんだん)し、さらにその威光が倍増し利益の広大であることを願い、御報恩謝徳申し上げます。
三座では、末法の御本仏である宗祖日蓮大聖人、唯授一人血脈付法(ゆいじゅいちにんけちみゃくふほう)の大導師である第二祖日興上人、一閻浮提の座主である第三祖日目上人、以下、伝法所持の第四世日道上人、第五世日行上人等の歴代法主上人の御徳に対して、御報恩謝徳申し上げます。
四座では、広宣流布の大願成就を祈念申し上げ、続いて自身の信心倍増、過去世からの謗法罪障の消滅、さらに現当二世(現在世と未来世)にわたる所願成就の祈念をします。
五座では、読経・唱題の後、先祖並びに有縁の精霊(しょうりょう)への追善回向をします。回向とは「回転趣向(えてんしゅこう)」の義で、自ら積んだ功徳を他へ回(めぐ)り向かわしめ、自他ともに仏果(ぶっか)の成就を目指すことです。 最後に勤行の結びとして「法界のすべてが平等に南無妙法蓮華経の功徳に浴し、自他倶(とも)に安穏にして寂光土に帰する」ことを祈念します。
唱題は、本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経の題目を唱えることで、一切の修行の根幹となるものです。 この題目の五字七字は、とりもなおさず御本尊中央の首題であり、大聖人が、 「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕はれ給ふ」(法華初心成仏抄 新編1321) と仰せられているように、正境(しょうきょう)たる御本尊に向かい唱題をすることによって、自身の仏となる種である仏性が開き、成仏することのできる道理を示されています。 大聖人は唱題の功徳について、 「南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪や有るべき、来たらぬ福(さいわい)や有るべき。真実なり甚深なり、是を信受すべし」(聖愚問答抄 新編406) と説かれ、過去世からのすべての罪障を消滅するとともに、最高の幸福境界を得ることができると教示されています。 |
日蓮正宗においては、総本山大石寺を本寺とし、総本山に連なるすべての寺院・教会を末寺とします。末寺は総本山の出城であり、地域における信仰の中心道場です。ここには、本門戒壇の大御本尊のお写しである常住御本尊が安置され、御法主上人の代理として住職・主管が常駐し、御報恩御講をはじめとする年中行事等を執り行い、信徒の教導にあたっています。 |
|
日蓮正宗では、総本山大石寺に参詣することを「登山」といいます。 |
日蓮正宗の末寺は信心練磨の道場であり、本宗信徒は寺院に必ず所属し信行に励むことが大切です。 本宗寺院における儀式・法要は、日蓮大聖人の仏法を化儀として形の上に表わしたものです。したがって本宗の信仰においては、この儀式・法要へ参詣して、大聖人の仏法を行ずるとともに、仏祖三宝尊(さんぽうそん)へ深く報恩謝徳申し上げることが肝要です。 また、その参詣をとおして、大聖人の教えや、正しい修行のあり方を学び、宗門の伝統を後代(こうだい)へ正確に伝えていくことができるのであり、そこに寺院で奉修される儀式・法要に参詣する重要な意義があります。 さらに、常日頃から寺院に参詣し、僧侶の説法や指導を聴聞するこてゃ、大聖人の仏法を生活のなかに実践し具現していくためにも、また、自らの謗法罪障消滅の功徳を積むためにも、欠かすことのできない大切な修行なのです。 また、日蓮正宗の信仰の基本は、師弟の筋目を重んずるところにあります。本宗においては、本仏(日蓮大聖人)と本師(歴代法主上人)、本師と小師(末寺の住職・主管)、小師と信徒という縦の信仰の筋目を重んじ、この師弟相対の信心によって即身成仏の大功徳を成就していくのです。大聖人は、 「何としても此の経の心をしれる僧に近づき、弥(いよいよ)法の道理を聴聞して信心の歩みを運ぶべし」 ―(新池(にいけ)御書 新編1457)― と仰せられ、僧侶に親近して法門を聴聞し、信心の歩みを進めるべきことを教えられています。 したがって、本宗信徒は自ら進んで寺院に参詣し、御法主上人の名代である住職・主管の指導のもと、自行化他(じぎょうけた)の信心に励んでいかなければなりません。
全国の寺院では毎月十三日(寺院の事情によって前後する)を中心に、宗祖日蓮大聖人に対する御報恩御講(ごほうおんおこう)が執(と)り行われています。大聖人は、 「仏弟子は必ず四恩(しおん)を知って知恩報恩をいたすべし」―(開目抄(かいもくしょう) 新編530)― と仰せられているように、父母の恩・衆生の恩・国土の恩・三宝の恩を知って、報恩の道を尽くすことの大切さを教えられています。とりわけ衆生を成仏に導く三宝の恩はもっとも深重なものです。御講に参詣し、御本仏大聖人に御報恩申し上げることは、この三宝への報恩の実践となるのです。 御講では献膳(けんぜん)・読経・唱題の後に、大聖人の御書をとおして僧侶から信仰のあり方についての法話があります。大聖人は、法を聴聞する功徳について、 「法師品(ほっしほん)には『人有って八十億劫の間、無量の宝を尽くして仏を供養し奉らん功徳よりも、法華経を説かん僧を供養して、後に須臾(しゅゆ)の間も此の経の法門を聴聞する事あらば、我大(だい)なる利益功徳を得べしと悦(よろこ)ぶべし』と見えたり」―(松野殿御返事 新編1047)― と仰せられ、その大なることを教示されています。 このように重要な意義ある御講には、毎月欠かさず家族揃(そろ)って参詣し、真心からの御報恩を尽くしていくことが肝要なのです。
寺院においては、年中行事・月例行事として御講をはじめとする各種の儀式・法要が奉修され、また講員各位の信・行・学増進のための諸会合が行われています。 総本山や末寺において執り行われる儀式・法要は、大聖人の仏法の深い法義を儀式のうえに表わすとともに、仏祖三宝尊(さんぽうそん)に対して報恩謝徳していく大切な仏道修行の場です。そして、寺院に参詣し儀式・法要に参加していくところに、仏法を体得し信仰を深め、自らの功徳善根を積むことができるのです。 さらに寺院では、儀式・法要のほかに、信徒の信心倍増のために、住職・僧侶を中心にして座談会や勉強会・唱題会などが行われています。大聖人は、 「志(こころざし)有らん諸人は一処聚集(じゅじゅう)して御聴聞有るべきか」―富木殿御書 新編1169)― と仰せられているように、本宗信徒は信心の道場に集って、法門を聴聞し信行に励むことが大切です。 なお、年中行事のほかに、総本山では、毎朝午前二時半より丑寅(うしとら)勤行が行われ、毎月七日・十三日十五日には三師御報恩御講が奉修されています。また、末寺においては、毎月の行事として、一日に御経日(おきょうび)(永代回向等の先祖供養)、十三日(寺院の事情により前後する)に御報恩御講などを行っています。 |