修心塾道場 師範  加納 鉦

 戦後体制の中で経済発展を享受してきた日本は、これまで頼ってきた国際政治・経済の枠組みやルールが変化しつつある中で、国際社会において果たすべき役割について苦慮を余儀なくされている状況が続いています。冷戦抗争崩壊からすでに久しく、一見安定しているかに見える我が国においても経済をはじめとする諸問題、とりわけ次代を託すべき子どもたちへの教育には憂いを感じます。
 戦後、民主主義のもとで猛スピードで突っ走ってきた教育制度にも限界点があるのでしょうか。現在、児童・生徒に関わる多くの問題を抱え、その解決の糸口を見出す方策は何か、模索されています。
 「修心塾道場」では、創立以来、一貫して道場の名前の示す通り「心の発達を主眼」とした指導方針を貫き、柔道の修行の過程での心身の醸成を目指して邁進してきております。
「やればできる、またやる気もあるという子供たちの能力をいかに伸ばしてやるか!!」
簡単なようで、非常に困難を極める高邁な理想に向かって誠心誠意努力を傾注して指導にあたっており、21世紀の日本社会を担う青少年の育成に些かでもご理解いただけたなら、指導する者にとってこの上ない喜びであります。

 美濃加茂近隣に少年柔道が根づいて既に40有余年、「光陰矢の如し」と申しますが、時の過ぎる速さに唯ただ驚嘆を憶えます。その間の各位のご協力とご支援に対しまして心から厚く御礼を申し上げます。
 修行する少年少女の豆姿三四郎たちも、それぞれの入門時は異なっても、講道館柔道と修心塾道場の理念を堅く守り、真剣に修養する姿勢は頼もしいものがあります。しかし乍ら「為せば成る」の感を強く持ちつつも、二つの点が気掛かりです。その一つは「基礎的体力の低下」・もう一つは「忍耐力と気力の不足」が挙げられます。これらは決して彼らの責任ばかりででなく彼らを取り巻く社会風潮や、社会習慣の変化、及び少子化からによる親権者たる親御様の不本意を承知の甘やかしの育成欠如が起因するところもあるのではないかと一般的に指摘されています。私達指導者は、これらを十分配慮しつつ指導を重ねているところであります。
 1882年「明治15年」嘉納治五郎師範の創始による、日本固有の文化であり日本で生まれた日本伝講道館柔道が、今や日本語でそのまま世界の隅々(全世界約200国中179ヶ国に)まで伝播するに至ったことは、柔道に包含される「人間としての心の醸成」をするという本質的観点が世界の人類の共通の必須条件として認知され、信じられているのに他ならないのだと思います。このように柔道は日本の誇り得る唯一の世界に堂々と通じる、文化財という所以がここにある訳であろうと思います。修行している少年少女たちが、時世と共に世界に羽ばたく今時の趨勢を考える時、まさに21世紀はこの「子」らの時代であり、日本の将来はこの子等のために、これまでの各かくの修行状況を踏まえ、感じている事柄について記してみますので、ご一読願って些でもご参考にして頂ければ幸いと思います。
 まず第一に、柔道修行の目的を確認したいと思います。柔道は「己を完成し、世を補益する」高い理想をもっています。嘉納治五郎師範は、それまでの柔術が勝負のみを目的とした修行法であったのに対して、修身・体育を加え修心(修身)・体育・護身の3つに集大成されました。私は修心法の内容には徳性を涵養し、智力を練り、勝負の理論を身につけたり、精神教育と一体となった柔道技術の追求の結果として、公正な態度・真剣な態度・礼儀・おごりたかぶりを嫌う心・苦難に耐える心・正義・親切・謙譲・勇気などの精神的徳性が養われるものであると考えております。
 また、体育面では投げ技・固め技・形の練習などを通じて、人体を調和的に発達させ、望ましい身体の諸機能が高揚されると信じています。少年たちを指導する上で以上の二点は、心に強く止めておく必要があると考えています。
 第二として、少年たちは体が柔らかく筋力の発達も青年のそれとは異なり、内臓諸器官もまだ大人とは違うので、体力づくりも計画性が大切で段階を経て実施しなければならないし、また最初から基本を正しく教えることが最も重要で、特に受身の練習は入念に行い、徹底することが大切であります。また指導者たるものは、医学的見地からも相応の知識をもって、危害防止を必須の重点項目として常に配慮しつつ指導しているところであります。
「柔道は投げられて上手になれ」と言われ、まず投げられることから始まるのが柔道であり、初心者の時ばかりでなく、相当に技が上達してからも投げられる機械は多く、投げられることから始まるのが柔道であるから、決して投げられても恐ろしくなく、基本がしっかりしていれば痛くもないわけです。
 こうなれば自分の体を護ることばかりに気を取られず素直に、また積極的に稽古が出来て、精神も安定し体裁きを中心とする柔道が出来るようになります。
 第三に、柔道は他のスポーツと異なり練習と言うことを「稽古」と言います。「稽」とは下拝して首を地に至らしめると言うことであり「稽古」の熟語は「古」の道を考える学問の道に勤しむことであります。
 柔道では「伝統的に伝わっている柔道を先達に拝して教え受ける」と言うことになると思います。「稽古」では「礼」の心が存在し、同じ技術を追求するのにも、日本の最高の運動文化財である柔道をするのであると言う心構えが大切ではないかと思います。何をするにも永続性と言うことは必要でありますが、特に柔道は継続して修行をすることが欠かすことの出来ない重要な要素と思います。ある程度の覚悟をして自発的に稽古を始めて、多数の苦楽を乗り越えさせて、昇級・昇段の成長の実感を、一人ひとりに味合わせてあげたいと願っているのは、私達のみならず親御様も同様であろうと思います。
 入門の動機を見てると「父母にすすめられて」が一番多く、目覚めと言うことにあまり多く望めないのが普通であります。
 このように少年を継続的に修行させるのは至難なことであり「楽しみながら修行ができる」と言うことは指導の大切な要素でありますが「楽しい」と言うことは他から与えられて感じるものではなく、自分自身が技の工夫と練習の中に、ふとした時に技術が上達したことを感じたり、困難な技を習得していくのが楽しいと言うような喜びを感じて毎日の練習を重ねていくことにあると思います。根気よく毎日練習を続ける努力をして、真心から相手を尊敬する心が外に現れる「礼」に留意して、人の心の心情のわかる人間性豊かな人物になってくれればと思います。
 以上のような点を考えてみるとき、少年の柔道の指導は決して満足すべきものではなく、一層の創意工夫が必要であると強く感じると共に、指導する私達の責任は大きいと言わなければなりません。先に類類述べましたように柔道は「己を完成し、世を補益する」という高邁な理想をもっており、柔道修行者はこの理想を目指し、人生の各年代に適合した技術内容、練習方法を選択し、あるいは創意工夫し実践していく上に私たちは助成する義務があることは言うまでもないのですが、とりわけ修行者の努力と精進を期待しているのであります。
 柔道を修行する心構えで、世の何ごとにも当たっていく勇気ある人物になって欲しいと願っている次第です。
 柔道は「融通無得」「闊達自由」「臨機応変」など多面的な要素を取り入れた、古くて新しいものであり、指導者としては「人間通の教育」として指導感を常に維持して、その任にあたっております。また地域の特性を捉えて、その土地に密着した指導こそが、教える側と教えられる子供との心が通う教育的原点であろうと考えます。
 子供は20年、30年後の社会で活躍する「未来からの留学生」です。斯道発展のため、益々の励ましを少年柔道修行者に与えてやって欲しいと念じております。
 ★きれいな花に咲いてほしい!!

 どこの父母も我が子の幸福を願わずにはおられません。道場の先生も地域社会のすべての人たちも、お父さん、お母さんに、その願いは決して優るとも劣らぬものがありましょう。やがて次代を担う立派な社会人に成長されるよう期待感でいっぱいです。
 「一本の木」を柔道教育に例えてみれば、家庭が幹で、道場や学校が枝、そして道場や学校の教師や学校外の地域を取り巻く先達の人々全体が養分であると考えます。勿論、子供はきれいな花です。この花を蕾に育て、やがて太陽(社会)のもとで大きく開かせるには、どうしても幹と枝と養分の三つが揃わねばいけないと思います。幹が悪いと曲がったりします。枝に欠陥があると折れてしまいます。これら二つが悪いのに養分を与えるだけで、きれいな花を咲かせることはできません。やはり三つがうまく噛み合ってこそ美しいきれいな花が咲くのです。道場から、各かく家庭から、また地域から美しい花を太陽のもとで咲かせてみようではありませんか!