◯ 世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL180
 江田島孔明

「米軍からカエサルや源頼朝は出てくるのか?」この、前々号で提起した問題について、更に検討をしてみたい。

 まず議論の前提として、文民統制と訳される「シビリアン・コントロール」について考えてみたい。
 文民統制(シビリアン・コントロール)は、一般的に政治が軍事を統制すること、或いは政治の軍事に対する優位を定めた制度を指し、その本旨は、国家が保有する軍事力或いはその武力組織である軍隊を国を代表する政治がしっかり管理し、必要な場合これをコントロールして合理的かつ適切に行使することにある。
 日本においても第2次世界大戦の反省から、その概念や思想が国の政治や行政システムに組み込まれ、自衛隊はその統制下に置かれている。
 即ち、第2次世界大戦後に制定され、1946年11月に公布された現在の憲法では、内閣総理大臣はじめ国務大臣は「文民」でなければならないとされている。そして「文民」の解釈については、政府の国会答弁によると、「1、旧陸海軍の職業軍人の経歴を有する者で、軍国主義思想に深く染まっていると考えられる者。2、自衛官の職にある者、以外の者を言う」(昭48.12.7.衆議院予算委員会理事会)となっている。
 また我が国におけるシビリアン・コントロールの現状認識については、同じく「1、内閣総理大臣及び国務大臣は、憲法上すべて文民でなければならないこと。2、国防に関する重要事項については国防会議の議を経ること。3、国防組織である自衛隊も法律、予算等について国会の民主的コントロールの下に置かれていることにより、その原則は貫かれている」とされている。(昭55.10.14.衆議院)

 政治を実行に移す行政の分野においても行政府の長(大臣)に対する官僚による補佐機能も間接的にはこれに関わりをもつと一般に理解されている。
 防衛庁の場合、現行法制上(防衛庁設置法・自衛隊法)文民である防衛庁長官を庁の所掌事務に関して直接補佐するのは、文民の参事官である官房長や局長であり、自衛官の最上位にあって統合幕僚会議の会務総理を職責とする統合幕僚会議議長(将)はもとより、陸海空各自衛隊の実質的な最高責任者である幕僚長(陸・海・空将)も、それぞれが所掌する自衛隊の隊務に関する最高の助言者として長官を補佐することになっているものの、官房長等に課せられているような防衛庁の所掌事務全般に関して長官を補佐する立場には置かれていない。
 つまり日本の場合は諸外国とは異なって、政治家の下に軍人が配置されるのではなく、間に文民官僚等で構成する「内局」が存在し防衛に関する政策、装備、人事、経理などを担当している。作戦運用等軍事専門事項を、文民官僚が直接補佐する事に関して問題視するむきもある。

 このシビリアン・コントロールの淵源は、古代共和制ローマの最高意思決定機関である元老院である。
 元老院(senatus)は <http://d.hatena.ne.jp/keyword/%b8%c5%c2%e5%a5%ed%a1%bc%a5%de> 古代ローマの <http://d.hatena.ne.jp/keyword/%b5%c4%b2%f1> 議会。 <http://d.hatena.ne.jp/keyword/%b5%ae%c2%b2> 貴族より選出される <http://d.hatena.ne.jp/keyword/%b5%c4%b0%f7> 議員から成り、その身分は終身かつ <http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c0%a4%bd%b1> 世襲であった。定員は当初300人だったが、 <http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%ab%a5%a8%a5%b5%a5%eb> カエサルの時代に900人に増やされ、更に<http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%a2%a5%a6%a5%b0%a5%b9%a5%c8%a5%a5%a5%b9>アウグストゥスの時代に600人になった。 <http://d.hatena.ne.jp/keyword/%b6%a6%cf%c2%c0%af> 共和政時代には実権を握っていたが、<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D1%E4%B8%96%E%B4%80> 前27年の<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%B8%9D%E5%9B%BD#.E5.B8.9D.E6.94.BF.E3.81.AE.E9.96.8B.E5.A7.8B> 帝政移行後も存続したが、次第にその権限は縮小され、正当な皇帝を承認する機関へ、そして皇帝の諮問機関へと、段階的にその性格を変えていった。それでも「元老院」という名称の機関自体は<http://ja.wikipedia.org/wiki/1453%E5%B9%B4> 1453年の<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%B8%9D%E5%9B%BD> 東ローマ帝国滅亡まで存続した。

 この元老院の統治の根幹は「将軍の任命権」を握っていたことにある。つまり、日本の律令政治と同じように、トーガを纏った元老院議員が、軍服を纏った軍人を任命していたのだ。
 言うまでもないが、日本においても武家の棟梁たる征夷大将軍は四位であり、昇殿すら許されなかった。
 この点、カエサル以前のローマの将軍と同じような「卑しい」身分だ。では、元老院が実権を失い、ローマが帝政へと移行したのは何故か?よく言われるように、ローマに「皇帝」など存在したためしはない。
 ただ「元老院議員の筆頭が軍事指導者を兼ねた状態」すなわち、カエサルが前例となった、「軍人がそのまま元老院議員となり、軍事力で元老院を意のままに支配する」状態と、その状態の「相続」を後世の歴史家が「ローマ帝国」と呼んだに過ぎないのだ。

 その意味で、カエサルが軍装のままルビコンを渡ったのは、象徴的なことだ。日本で言えば、鎌倉幕府の成立により、朝廷が形骸化したのと同じだ。

 <参考>
http://www.h7.dion.ne.jp/~sankon/2ch/history/s01/1309.htm

 ガイウス・マリウスの甥として生まれ、その副将キンナの娘を妻に娶って明確な民衆派として認識される。スッラの「処罰者名簿」に記載され殺されかけるが、穏健民衆派のみならず主流元老院派も加わった嘆願によって救われる。その嘆願をしぶしぶ聴いたスッラをして、「あの若者の中には百人のマリウスがいるのだから」と言わしめる。しかしその後も逆らい続けた事でスッラの逆鱗に触れ、小アジアまで逃げ延びる。そこで軍務を開始、20歳で市民冠の栄誉を得ている。
 帰国後は弁護士業を開業するも不振。弁論で身を立てるのを断念した後は、宣撫官を経て政界入り。それ以降は、一貫して元老院に「元老院最終勧告」などの非常時権限はないと主張し、反元老院派である事を明確にする。その後、停滞する政治状況打破のためにポンペイウス、クラッススと共謀し、三頭政治の密約を結ぶ。500年近くもの間、平民派と貴族派の抗争の種になっていた「農地法」の改正は、三頭政治の威力が発揮された最大の例である。
 その後、ガリア地域への派遣軍の指揮官としてガリア・ゲルマン諸族と戦い、激闘の末にガリアを平定。ガリアでの戦闘状況を自ら速記した報告書とも言える「ガリア戦記」は、現代も一級資料であるばかりでなく文学作品として読み継がれている。
 戻って後も元老院派との暗闘を続けるが、鞍替えしたポンペイウスを擁する元老院派の「元老院最終勧告」によって反逆者にされてしまう。
 自らが信じる政治改革遂行と汚された名誉回復のため、ついに国法を破って軍と共にルビコン川を渡り元老院派に奇襲を掛ける。元老院派との死闘も長く続くが、ついにファルサロスの戦いでポンペイウス率いるローマ軍を撃破。返す刀でポンペイウスを殺したエジプトとローマに対抗しようとしたポントスを征伐して後帰国。その後は終身独裁官としてローマの構造改革を大胆に推し進める。が、その態度が王政に繋がると考えた者たちによって危険視されてしまう。
 結局、パルティア討伐問題を決定する元老院会議の会場であるポンペイウス劇場の大回廊で、暗殺者24人の乱刃に殺される。B.C.44年3月15日のこと。彼が息を引き取った場所は、ポンペイウスの立像の足元であったと伝えられる。
 カエサルの逸話は多い。ごく若い頃から裸馬に乗るのが得意で、長じてはゲルマン騎兵にも負けない乗馬の名人であった逸話。キリキア海賊が自分に付けた値段を不服として吊り上げさせ、身の安全と虚栄心を同時に満たした逸話。伝説的な記憶力(自分の部下一兵卒に至るまでの特徴を記憶していたといわれる)の逸話。これまた伝説的な読書量と服飾への金の掛け方、その結果としての莫大な借金の逸話。凄まじいほどの女たらしであったという逸話(その付き合いを旦那たちでさえ知っていたというのだから、秘密ですらない)。一体どういう教育を受ければこういう人格が生まれるのか、大変興味深い。
 中でも自分がカエサルについて興味深いと思った事が、三つある。一つ、カエサルは常に人を使う立場にあったのだが、唯一カエサルの上司であった人物が存在する。ミヌチウスという人物で、スッラの副将の一人として名を上げた親分肌の人物であるらしい。カエサルが小アジアに逃れた後、スッラ派も明らかなこの人の前に大胆に顔を出し、軍務に就いたものだという。後のカエサルに多大な影響を与えたに違いないこの人物は、カエサルをどう扱ったか、どう陣中で教育したか、大変に興味深い。
 もう一つは、カエサルの軍隊の動かし方である。実は、カエサルの軍隊の動かし方は、大変基本的な分野で抜けている時がままある。カエサルは、史上自分が指揮した戦闘で2敗をレコードに刻んでいる。一回目はヴェルギンゲトリクスの部族の都であるゲルゴヴィア攻略戦。二回目はポンペイウスの陣地であったドゥラキウム攻略戦。いずれも、兵力を分割した後臨んだ攻撃側としての戦いであった。恐らくだがカエサルは、自分の指揮する軍隊の質に対する過信があったのではないかと思われる。しかし、いずれに対してもその直後の勝ち誇る敵との戦いで(アレシアとファルサロス)決定的に勝利している。そこから察するに、カエサルは相手の心理を掴んで戦うタイプの将軍であったことがうかがえる。カエサルは緻密な戦術を創案して勝つ人ではなかった。これでは、戦績から理論を拾う術がない。カエサルが、後世の戦史研究家を大変困らせた所以である。
 最後の一つは、カエサルが死ぬ瞬間に去来した思いである。あまりにも有名なカエサルの最期の言葉は、「ブルータス、お前もか」であった。事毎に「青年ブルータス」と呼ばれ、遺言状でも第二相続人としてその才を買われていたデキウス・ブルータスのことであるという。(第一相続人が、史上有名なオクタヴィアヌス…アウグストゥス…である)果たして、自分が第二に信じた人物がそういう愚行をした後のカエサルは、第一に信じたオクタヴィアヌスを信じられたであろうか? カエサルは、その後のローマが存続する事を死の瞬間に信じられたのだろうか。非常に興味深い。

 カエサルと源頼朝には、共通点がある。かたやガリア戦役で、かたや、平家打倒で、それぞれ、「戦功」を上げたということだ。つまり、「軍事的勝利」がそれ以前の、血縁的な生まれによる血脈支配のエトスを壊したのだ。簡単に言えば、「強いやつが政権を握る」前例となったのだ。

 この後、ローマは不断の対外戦争と内乱の時代に突入する。すなわち、戦国時代だ。日本においても、武家政権は安土桃山時代にいたるまで継続し、戦乱が絶えることはなくなった。(日本においては、江戸時代において、武士のサラリーマン化が図られたため、戦乱がなくなったことは特筆すべきだが。)すなわち、軍人政権というものは、不可避的に戦争やクーデターと不可分の関係にあるということがわかる。この背景を日本を参考にして、見てみたい。

 たとえば、戦前の日本を例にとると、226事件以降、日本は陸軍に支配されてきた。産業側はどんどん注文が欲しい。軍側は予算が欲しい。一般会計ではまかなえない。何が起きたかといえば、軍は勝手に動いて既成事実を作る。政府が追認して戦闘状態が拡大していく。

 <参考>
http://www.tanken.com/naimusiryo.html

 なぜ日中戦争は拡大したのか?(内務省極秘文書)

 本サイトではその背景を理解する上できわめて貴重な資料を入手しました。日中戦争が始まった直後の1937年9月、当時の内務省が主な財界人や主要工場に戦争の影響を聞き取り調査した極秘文書『支那事変の経済界に及ぼしたる影響』です。
 この資料の発見により、当時の財界が実は戦争による景気拡大を願っていたことが判明。要は、政府がやむなく軍の暴走を追認したのではなく、かなり積極的に追認したのではないかと推測されるのです。

 文書は二部に分かれていて、前半は東横電鉄(現東急電鉄)の五島慶太社長ら財界の101人への、「国債」「物価」「輸出入」など6項目のインタビューが掲載されています。後半は、従業員50人以上の702工場・事業所に「軍需産業への転換の可能性」「原料品の騰落」など9項目について聞いています。

 まず前半部の内容を見ていくと、ここでは元日銀総裁から、日清紡や浅野セメント、シチズン時計の社長、一介の材木問屋、経済誌『ダイヤモンド』社長までありとあらゆる経済人にインタビューしています。
 財界人の大半が、関係の深い中国市場が閉ざされることで輸出不振となり、軍需物資を中心に輸入超過になると見ています。だから「国産品代用原料の使用」「国民の消費節約」で輸入の減少を図る必要がある、と。物価については、軍需物資だけでなく一般物資も確実に騰貴すると考えていました。

 具体例を挙げましょう。今ではあまり知られていない財界人が多いので、五島慶太の見解を引用しておきます。
 五島は国債について次のように言います。
《今後の国債発行は極めて容易にして……然れ共、日本銀行は如何にして此の国債を処分するや……金融を極度に統制し金融業者に割当引受せしむるが如き方法をとらば、各私経済は資金難に陥り、株式は低落し、物価は騰貴し、経済界は萎縮し、再度の国債消化力を減殺すべし……》

 戦費のために国債を発行するのは簡単だが、その処分をどうするのか? 銀行などの金融業に強制的に引き受けさせると、経済力が落ちてしまう。だから、金融業に割り当てず、一般産業を振興させることで、私経済(=民間)において消化させるよう進言します。これならば、いくら公債の額が多くなっても、消化は困難ではないそうですが。
 う〜む、体のいい民間への押しつけ発言ですな。

 また、輸出については、次のように言います。
《軍需資材の輸入は絶対必要なる現状に於て輸出入の均衡を得むが為めには、他の輸出入を抑制すると同時に輸出を増加せしめざる可からず。政府は此の方針の下に貿易管理を為さむとするも、輸入の大宗たる綿花は同時に輸出商品の原料なる我が国情に於て、綿花輸入を抑制する事は到底大なる期待を持つ能はず。而も事変が長期に亘れば軍需資材の輸入は益々増大すべく結局入超は必然の傾向なりと思料せらる……》

 簡単に言えば、繊維製品くらいしか輸出産品がなかったわが国では、どうやっても輸入は増えてしまうので、輸入すべきものは輸入して、輸出の増産を図ろう、そのためには軍需工業だけでなく一般産業にも資金を回しましょう、ということですが。なんだか机上の空論的な感じは否めませんが、まぁ他の人も似たようなもんです。

 一方、後半の工場インタビューですが、702工場のうち、
△ 軍需関係の有無
 ・軍需関係を持つ 218
 ・軍需関係がない 484(うち、将来軍需関係に転換可能 232)
△ 原料の騰落
 ・上がった 457
 ・下がった 36
 ・変化なし 208
△ 事業の将来見込み
 ・拡大する 267
 ・減少する 103
 ・現状維持 332
 などとなっています。将来事業が増大すると答えた工場は38%にも上るわけで、けっこう戦時景気を期待する声があったことも分かります。もちろんこれはまとめであって、実際はものすごくデータが詳細なんですよ。

 たとえば、当時あった「帝国薬莢」という銃の薬莢(弾丸)を作る会社を見てみましょう。
 社員80人のこの会社では、当時1人だけ召集されていました。原料入手は容易ではないものの、原料価格は不変で、生産品の値段も上がってはいません。ですが、生産量も生産額もともに10%アップ。当然、将来のビジネスも拡大すると予測しています。

 社員2934人の日本光学(現ニコン)では108人が応召し、影響が大としています。原料費も15%増で、次第に入手困難になってはいますが、生産額50%増。
 社員1461人の読売新聞では、当時42人応召していました。原料の紙代は30%上がったものの、入手は容易。新聞の値段も上がってはいませんが、生産量も生産額もともに4%アップ。
 生産量が減ったのは、たとえば東洋紡の王子工場、鐘淵紡績(現カネボウ)の大井工場などで、いずれも10%減。繊維系は、ほとんどが将来にわたって現状維持が続くと答えています。
 戦争で大打撃を受けたのは、意外にも船舶関係。日本郵船は燃料の高騰で採算不良と答えています。そして「致命的打撃」と答えたのは、中国航路だけしか持っていなかった日清汽船で、理由は全航路が停止したため。
  日中戦争は、こうした各産業界の思惑を併せのみ、拡大の一途をたどっていったのでした。


 それでどうなるかと言えば、「臨時軍事費」ということになるわけだ。要するに公債だ。数字が正確ではないかもしないが、日中戦争の時、5年間で200億円くらいだ。

 当時の軍部が支配しようとしたのは中国でもインドシナでもない。「日本国の予算」だ。それが国家総動員法の根幹だ。
 それで戦争に負けて、その借金はどうなったか。ものすごいインフレでお札が紙くずになって、それでオシマイ。預金を引き出せないようにしてからこんな風にしたのだ。

 現在の産軍複合体に乗っ取られたアメリカは、ドルを刷りまくって同じことをやっている。結果、120パーセント破綻する。ここが分からない御仁は、戦前の日本の歴史を勉強したほうがいい。


 これが、ランドパワーというものの本質であろう。文民統制すなわちシビリアン・コントロールとは、このような歴史を経験した人類が到達した、「軍人統御の手段」であり、究極の内部統制なのだ。

 世情を賑わせている守屋氏の問題は、日本における「産軍複合体」の暴走の兆候と考えると、徹底した真相究明と再演防止、関係所の処分が必要と考える。アイゼンハワーが警告し、ケネディを暗殺した「産軍複合体」は人類が作り出した最凶の存在といっていい。

 <参考>
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/ntok0011/list/200711/CK2007111702065109.html

 問われる説明責任 守屋氏証言、食い違う双方の主張 2007年11月17日

 防衛省の守屋武昌前事務次官が11月15日の証人喚問で、防衛専門商社「山田洋行」元専務との宴席に、自民党の久間章生元防衛相、額賀福志郎財務相が同席していたと証言したことで、野党は追及を強め、特に現職閣僚の額賀氏に照準を定めた。久間、額賀両氏は「記憶にない」と事実関係を否定し、守屋証言と大きく食い違う。両氏は説明責任が問われている。(原田悟)

 守屋氏の証言によると、久間、額賀両氏と元専務の宴席は別々に持たれ、額賀氏とは事務次官在任中の「一昨年ぐらい」に東京・神田の料亭で会食した。
 守屋氏は宴席の目的を、元米国防総省日本部長の「ジェームズ・アワー氏が来日した時」と説明。参加人数は「何人か集まった」とあいまいで、主催者もはっきりしないものの、料亭への到着順は守屋氏、元専務、額賀氏だったと明確に説明し「額賀氏が最初に帰った」とも述べた。

 守屋氏は久間氏よりも、額賀氏との宴席を「はっきり覚えている」と断言した。
 守屋氏は、10月29日の前回喚問では、宴席に参加した政治家を「防衛庁長官経験者」とするにとどめ、実名の公表は「その人に迷惑がかかる」と拒否。11月15日も途中までは証言を拒んでいたが、執拗(しつよう)な追及に折れる形で口を割った。

 議院証言法に基づく証人喚問は、証人が虚偽の証言をした場合、3月以上10年以下の懲役に処すと定めている。守屋氏の説明が虚偽なら、偽証罪が適用される。

 一方、元防衛庁長官の額賀氏は実名が挙がる前から宴席参加を否定し、11月16日の記者会見でも日程記録を調べた結果として「会食の形跡はない。記憶にない」と強調。「守屋氏、元専務から接待を受けた覚えはない。3人で会食をしたことはない」と明言した。
 ただ、額賀氏は、別の人たちを交えて会食した可能性は「答えられない」と言及を避け「もうちょっと調査していきたい」と述べた。
 額賀氏は、2005年に山田洋行オーナーの家族の結婚式に招待された。招待状を持参した元専務が「車代」として額賀氏側に20万円を置いていき、代理出席した額賀氏の妻が祝儀名目で全額返還している。額賀氏も元専務と面識があることは認めている。

 額賀、久間両氏の説明責任については「日程表をチェックし、自ら進んで記者会見などで説明すべきだ」(伊吹文明自民党幹事長)、「国会の委員会や会見などあらゆる機会を通じて積極的に、精密に説明することが大事だ」(太田昭宏公明党代表)と、与党からも要求の声が上がっており、両氏は対応を迫られている。

 <参考>
http://npslq9-web.hp.infoseek.co.jp/sls154.html

 そして、分裂の最も大きなものは、米国における「資本と軍の分裂」であろう。両者の利害は第二次大戦において、米国が重要産業を全て軍事中心に振り替え、産軍複合体を樹立した時点では一致していた。すなわち、大恐慌以来の経済低迷を回復させる手段として、軍事への傾斜生産という方式をとり、それで景気が回復したのだ。
 しかし、戦後、この構造がアメリカを蝕んでいく。すなわち、不断の公共事業としての戦争がないと、産軍複合体を維持できないという矛盾に直面したのだ。
 ここに、イスラエル防衛とドル価値の担保としての中東原油利権支配という要因が絡んできたため、アメリカの国家戦略は大きくゆがんで来ることとなる。その到着地点がイラク戦争という訳だ。



 私が憲法9条改正に反対し、自民党政治を終わらせようとしているのは、この自民党国防族の背後の「産軍複合体復活」の危険性に気づいているからだ。

 重要な点は、この様な歴史的背景で形成された文民統制という仕組みが、政治家や官僚の腐敗により、形骸化し、結果として軍人を統御できなくなる危険性が存在することだ。

 その様な状況で軍人と産業界が手を組めば、「ベヒモス」が生まれることになる。ベヒモスは国家滅亡の敗戦でしか、ストップさせることはできない。
 これは、ナポレオンやヒトラーや昭和期の日本を例に引くまでも泣く、歴史が証明している。統治のエトスが「軍事的勝利」となった場合の恐ろしさを心底、理解する必要がある。

 <参考>
http://nara.cool.ne.jp/ore0509/garou/img024.html

 ビヒモス(ベヒーモス)、またはベヘモトと呼ばれる。その姿は、「尾は杉の枝のようにたわみ、腿の筋は硬く絡み合っている。骨は青銅の管、骨組みは鋼鉄の棒を組み合わせたようだ。これこそ神の傑作、創り主をおいて剣をそれに突きつける者はない」(『ヨブ記』)と表されている。ベヘモトは本来は河馬のような姿をしていると考えられたが、イギリスの詩人ジェイムズ・トムスンが『四季』(1726年頃)で犀であるとしている。ルー ツとしてはインドのガネーシャ神の姿が模されて生まれたともいわれている。

 <参考>
http://members.jcom.home.ne.jp/u33/i%20think%20050806keyword%20gunsan.htm

 「軍産複合体」という言葉を初めて世に広めたのは、第二次世界大戦中に西ヨーロッパ連合軍の最高司令官をつとめ、ナチスドイツを降参させた勲功で大統領になつた「アイク」 ことドワイト・アイゼンハワーである。……

 アイゼンハワーが「軍産複合体」批判の演説をしたことは、逸話として語り継がれている。しかし、実際にどんな警世演説だったか知る横会が少ないので、長くなるが、ここに離任演説の一部を引用しておう──。

 先般の世界戦争(=第二次世界大戦)まで合衆国に軍需産業などというものは存在していませんでした。農具の製造業者が必要に駆られて武器を作っていたにすぎなかった。だがもはや緊急避難的な即興作業で国防を行うなどという危ういことをしている場合ではない。
 やむを得ない事情であったとはいえ、我が国は途方もない規模の恒久的な軍需産業を創りだしてしまったのです。そればかりか国防関係機関に勤務している人員は今や男女あわせて350万人にも達している。我が国が軍事による安全保障に毎年費やす金額は、この国の全企業の所得総額を優に超えている。…

 でもそれが重大な問題をもたらしかねないことを、忘れてはなりません。なぜなら我々が汗水たらして働き、様々な資源を投入し、生計を立てるという暮らしの営みが、すべてこれに絡めとられてしまっているからです。
 我が国の社会の成り立ちそのものが、姿を変えてしまったのです。「軍産複合体」は、みずから意図的に追求する場合もあるしそうでない場合もあるが、正当な権限のない影響力を政府に及ぼそうとしてくる。
 こうした影響力によって政府が乗っ取られてしまわぬよう、我々は政府の各種審議会の場で″乗っ取り阻止″に努めねばなりません。向かうべき目標をまちがえた権力がとんでもない災厄をもたらす恐れは、現に存在しているし、これからも存在し続けるでしょうから。
 この複合体の重圧によって我々の自由や民主主義の手続きが危うくなることを、許してはならない。そういう状況に慣れてしまったり、軽視することがあってはならないのです。
 市民社会が見識をもち、油断なく警戒を続けることで、産業界と軍が結合した途方もなく大きな防衛組織を暴走させることなく、平和目的に導いていくことが初めて可能になる。安全保障と自由がともに十全なる発展を遂げていけるよう、そうした状況を生み出していかねばならないのです。
以上
(江田島孔明、Vol.180完)


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