◯ 世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL189
 江田島孔明


 老子の戦略、「奪わんと欲すれば、まず与えよ」

将欲翕之、必姑張之、将欲弱之、必姑強之、
将欲去之、必姑与之、将欲奪之、必姑予之

まさにこれを翕(ちぢ)めんと欲すれば、必ず姑(しばら)くこれを張る、
まさにこれを弱めんと欲すれば、必ず姑くこれを強くす、
まさにこれを去らんと欲すれば、必ず姑くこれに与(くみ)す、
まさにこれを奪わんと欲すれば、必ず姑くこれに予(あた)う


ちぢめようとするなら、まず伸ばしてやる。弱めようとするなら、まず強くしてやる。追い出そうとするなら、まず味方に引き入れる。取ろうとするなら、まず与えてやる。



 今回は、国際金融資本の伝統的戦略である上記について検討し、対抗策を提示する。


 まず、コロンブスによる北米大陸の発見以来、国際金融資本の世界支配とは制海権の確保を根幹とし、金融や貿易の決済機能を握ることでなされてきた。日本は16世紀にスペイン・ポルトガル勢力に侵略されかかかり、その反省から江戸時代の鎖国をもって、国際金融資本との間合いを取った。
 この鎖国政策を根本から変更し、開国政策を採用した明治政府が、実は、国際金融資本(英国)の走狗、代理人であった事は議論の余地がない。
 ここから脱却するには、太平洋戦争の犠牲必要であった。私が見るところ、歴史を鳥瞰し、因果関係を丹念に追うならば、明治維新(戊辰戦争)と太平洋戦争とは「コインの表裏」であったのだ。


 <参考>
http://www.teamrenzan.com/archives/writer/edajima/post_168.html

 事実は、彼個人ではなく、ルーズベルト大統領の側近のほとんどは、ソ連のスパイ、すなわち共産主義者であり、戦後のレッドパージで粛清された。

 これは、アメリカ民主党とソビエト共産党が、同じように国際金融資本によって企画され、立ち上げあれた実験的管理国家だということを理解すれば、分かるであろう。

 国際金融資本は、レーニンに資金援助を与え、ロシア革命を起こし、米ロ両国の連絡役に、ドクター・ハマーと通称されるユダヤ人、アーマンド・ハマー(アメリカ共産党の創始者の息子)を任命した。1920年代早々のことである。
 ハマーはモスクワに数年間滞在し、レーニンを含むソ連の最高幹部と親密な関係を結ぴ、また、アメリカ情報部がソ連の大物スパイとみなしていたロシア人女性と結婚した。
 ハマーは、1990年に死去するまで、70年にわたって米ソ間を数え切れないほど旅し、ソ連のトップと、アメリカの指導層を結ぴつけているが、彼はまたADL(すなわちプナィ・プリス)と緊密な関係にあるといわれる。

 歴史的背景として、アメリカがシーパワーとして名乗りを挙げたのは、第一次大戦の戦勝国になり英国に対する多額の借款を保有したからだ。
 かの国は、本来、建国の理念であるモンロー主義(孤立主義)を国策として欧州への不介入を貫くはずだったのだが、この戦略転換の背後になにがあったのか?私はアメリカにおける金融資本家の政策への影響を看過できない。

 1929年NYで発生した大恐慌の結果、世界がブロック化していく中で、日独といった後発資本主義国が、武力に訴え生存圏を確保しようとする端緒となった。
 しかし、大恐慌そのものの評価について、世界経済に与えたインパクト以上に、アメリカにおける連邦政府の存在がクローズアップしてきたことは看過し得ない事実である。
 もともと、合衆国とは州に主権があり、各州の主権を制限しない範囲で連邦に外交や安全保障を委ねてきたのである。そして外交的孤立(モンロー主義)を国是としていた。
 しかるに民主党のルーズベルト大統領のとったNewDeal政策は連邦主導の経済政策であり、この時期FBI、FRBを初めとする連邦諸機関が創建され強化されているのである。まさしくアメリカにおける連邦主権の管理国家が完成したのがこの大恐慌期なのである。

 建国の父たちの理念、州の連合により中央集権ではないキリスト教原理主義に基づく理想郷を築くことは、この時期死んだということが言えよう。ルーズベルト大統領のとった政策は、違憲判決が多数出されていることも忘れてはいけない。
 この視点は決定的に重要である。その後アメリカは連邦政府に引き連られモンロー主義という伝統的孤立主義の国策を捨て、世界に市場を求め、干渉していくのである。
 戦後の海外への米軍展開、駐留は合衆国憲法になんの根拠もない。そして、本来根拠がない事項は、州に留保されるとの憲法上の規定(修正第10(州と人民の留保する権利)本憲法によって合衆国に委任されず州に対して禁止されなかった権利は、各州と人民に留保される。)があるが、米軍の海外駐留展開に対して州が同意を与えた形跡はない。

 はっきりいえば、海外市場獲得のため、NYの金融資本家がワシントンを通じて、アメリカを操作する契機を与えたのが「大恐慌」なのである。そして、彼らの究極の目的は「中東と中国」である。

 そして、国際金融資本は、当面の敵である、ナチスドイツを打倒するため、アメリカを欧州に参戦させる必要があった。しかし、アメリカの世論は、徹底的に反戦であり、ルーズベルトは、参戦しないことを公約にして、選挙に勝っており、欧州への参戦は、簡単にはいかなかった。

 そこで、注目されたのが、ナチスドイツと同盟関係にあった日本だ。国際金融資本は考えた。日本をアメリカにぶつけ、アメリカを参戦させれば、対独戦は勝てる。
 ソ連にとっても背後を日本につかれる恐れがなくなるため、願ったりだ。毛沢東や蒋介石にしても、対日戦勝利の可能性は高くなるだろう。

 このような中で発生したのが、朝日新聞記者・尾崎秀実とソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲによって起こされた「ゾルゲ事件」だ。

 コミンテルンは第6回大会で、「帝国主義戦争を、自己崩壊の内乱戦たらしめ」、「戦争を通じてプロレタリア革命を遂行すること」と決議していた。日独と米英の間での「帝国主義戦争」が始まれば、共産主義者の祖国ソ連は安泰であり、また敗戦国ではその混乱に乗じて、共産主義革命をすすめることができる、という戦略である。

 1935(昭和10)年8月の第7回コミンテルン大会では、中国共産党と国民党が手を組み日本と戦うという方針が決定された。
 蒋介石はもちろん、毛沢東でさえも知らない決定だった。中国共産党に対して、日本帝国主義打倒のための民族解放闘争をスローガンとして、抗日人民戦線運動を巻き起こすことが命ぜられた。中国共産党は8月1日「抗日救国宣言」を発した。一切の国内闘争の即時停止、全面的抗日闘争の展開を企図したのである。これは中国を使って、日本軍をソ満国境から遠ざけようという戦略である。

 1936(昭和11)年12月に、突如として西安事件が起こった。共産軍掃討を続けていた蒋介石が、「抗日救国宣言」に呼応した腹心・張学良に西安で監禁されたのである。周恩来ら中国共産党幹部が西安にやってきて、蒋介石との交渉を行った。
 以後、蒋介石は共産軍との10年におよぶ戦いを止め、国共合作が実現した。その後、日華事変、太平洋戦争(大東亜戦争)と事態は、ソ連の思惑通りに進んでいくのである。

 コミンテルンの指示を知っていた尾崎は、監禁された蒋介石の安否が不明の段階から、「中央公論」に「蒋介石が今後の国共合作を条件に、無事釈放されるだろう」と予測する論文を発表した。この予測が見事に的中して、尾崎秀実は、中国問題専門家としての地位を固めた。

 1937年(昭和12年)の4月ごろから、尾崎は「昭和研究会」に入り、「支那問題研究部会」の中心メンバーとして活躍していた。この「昭和研究会」は軍部とも密接な関係を持って、近衛新体制生みの親となり、大政翼賛会創設を推進して、一国一党の軍部官僚独裁体制をつくり上げた中心機関である。

 昭和13年4月、尾崎は朝日新聞社を退社、近衛内閣の嘱託となる。首相官邸の地階の一室にデスクを構え、秘書官室や書記官室に自由に出入りできるようになった。

 尾崎秀実は「中央公論」14年1月号に「『東亜共同体』の理念とその成立の客観的基礎」を発表した。これに呼応して、陸軍省報道部長・佐藤賢了大佐も、「日本評論」12月号に「東亜共同体の結成」を発表する。

 尾崎秀実は「中央公論」14年5月号での「事変処理と欧州大戦」と題した座談会のまとめとして、次のような発言をしている。
 「僕の考へでは、支那の現地に於て奥地の抗日政権(重慶へ移転した蒋介石政権)に対抗し得る政権をつくり上げること、・・・さういふ風な一種の対峙状態といふものを現地につくり上げて、日本自身がそれによって消耗する面を少なくしていく・・・さういう風な条件の中から新しい---それこそ僕等の考へている東亜共同体−−本当の意味での新秩序をその中から纏めていくといふこと以外にないのじゃないか。」

 尾崎秀実は、中国に親日政権を作り、それをくさびとして、あくまで日本と蒋介石を戦わせようとしたのである。中国共産党は蒋介石を抱き込み、尾崎グループは親日政権を作らせて、日本と国民党政権をあくまで戦わせ、共倒れにさせて、日中両国で共産革命を実現しようという計画であった。

 近衛首相は、事変が始まった後、早期停戦を目指して、ドイツを仲介国とする交渉を行ってきたが、昭和13年1月には新たな親日政権の成立を期待して、「今後国民党政府を相手にせず」という第一次近衛声明を発表していた。
 同年11月、近衛は日本・満洲・支那3国の連帯を目指した「東亜新秩序」建設に関する第二次声明を発表。これは尾崎らの「東亜共同体」構想そのものである。
 この声明のなかで「国民政府といえども従来の指導政策を一擲し、その人的構成を改替して更生の実を挙げ、新秩序建設に来たり参ずるに於ては、敢へてこれを拒否するものにあらず」と汪兆銘の動きに期待した。

 まさに「見えない力にあやつられていたような気がする」という近衛の述懐通り、近衛内閣は、尾崎秀実とその背後の国際共産主義者すなわちコミンテルンの描いた筋書きに、完全に乗せられていたのである。

 尾崎秀実は、当時の近衛の嘱託という立場を利用して政策決定に影響を加えた。ゾルゲ・グループのもたらした情報は、ソビエトが対独戦を戦上で不可欠であった。
 1941年10月、日米開戦の予告をモスクワに通信したのを最後にして、彼とそのグループは検挙され、彼らのほとんどが終戦をまたずに刑死・獄死した。
 しかし、真の問題は、このコミンテルンのエージェントは、尾崎秀実やゾルゲだけではなく、もっと広くかつ、深く、当時のエリートや支配者に入り込んでいた事だ。
 この事は、つい最近まで、国立大学で「民青にあらずんば、人にあらず」という風潮があったことでも、分かるであろう。

 はっきり言えば、当時の日本は、革新官僚、昭和維新を目指す陸軍青年将校、知識人の主流は全て、「統制経済の共産主義者」であり、「国際共産主義ネットワーク」に牛耳られていた、といっても過言ではない。これは、日本のみならず、大恐慌以降の世界的傾向だ。

 例えば、アメリカでは、戦後、マッカーシー上院議員(共和党)が「205人の共産主義者が国務省職員として勤務している」と告発したことを契機に、ハリウッド映画界などをも巻き込んで、大規模な「赤狩り」を行った。

 後にはニューディーラーまで対象となった。当時のアメリカ国内では、現実にコミンテルンが、マスコミや政財界、軍部まで取り込み工作活動を行っており、マッカーシーらの活動は、手法に強引さはあったものの、当時のコミンテルン人脈を断ち切ったと評価されている。

 英国は周知のように、フィルビーやマクリーンのような情報組織や外務省の大幹部が、ソ連のスパイという有様だ。

 なお、チャーチルは、後に第二次大戦回顧録で、日本の対米開戦すなわち真珠湾攻撃の知らせを聞いて、「これで勝てる」と確信したという。真珠湾は、敗戦寸前だった英国を救う効果があった。

 こういった世界的な背景で日本の南進を決定付けた「ゾルゲ事件」を理解すべきだ。ここまで読んでこられた賢明な読者は、お気づきになられたであろう。そう、新春特別号その1、その2で述べたような17世紀のキリスト教布教と20世紀の共産主義の拡散とは、同じように、国際金融資本が、当該国を精神面で支配するために使ったツールなのだということを。

 そう考えると、国際金融資本の意図を正確に見抜き、キリシタンをご禁制にした17世紀の指導者と、共産主義者に国家の中枢を乗っ取られた20世紀の指導者と、どちらが優秀であったか、議論の余地は無い。
 このように、太平洋戦争開戦にいたる過程をつぶさに検証すると、ソ連コミンテルン−アメリカ民主党−英国国際金融資本をつなぐ、「ユダヤネットワーク」の国際的謀略が確かに見えてくる。

 近衛は、後にそのこと気がついたようで、昭和20(1945)年2月14日、天皇陛下に以下のごとく奏上したが、時既に遅しだ。
 「翻って国内を見るに、共産革命達成のあらゆる条件具備せられゆく観有之候、すなはち生活の窮乏、労働者発言度の増大、英米に対する敵愾心の昂揚の反面たる親ソ気分、軍部内一味の革新運動、これに便乗する革新官僚の運動、およびこれを背後より操りつゝある左翼分子の暗躍に御座候。」

 「これを取り巻く一部官僚および民間有志は、(これを右翼といふも可、左翼といふも可なり、いわゆる右翼は、国体の衣を着けた共産主義者なり)意識的に共産革命まで引きずらんとする意図を包蔵しおり、無知単純なる軍人これに踊らされたりと見て大過なしと存候。」

 このように、太平洋戦争の本質とは、シーパワー陣営に属していた日本が、代理店契約を解除し、独自ブランドを立ち上げようとしたところ、英米ソ中の包囲網を巧妙に敷かれ、袋叩きにされ、その上で対独開戦の正当化をしたということだ。
 この、国際金融資本の書いたシナリオに気づいたのは、近衛だけではなかった。
 戦後、日本占領軍司令官マッカーサーも気づいたようだが、彼は、朝鮮戦争を巡るトルーマン大統領との確執、はっきり言えば、アメリカが国際金融資本に乗っ取られていることへの批判が根底にあったため、解任された。このことに見られるように、「米軍とは、常に、国際金融資本への批判勢力」だ。


 「坂の上の雲」にて司馬遼太郎は、日露戦争までの歴史については好意的に描いてゐるが、この後大東亜戦争敗戦に至るまでの時代については、本来我が国の姿が見失はれた異常な時期であったとして、切つて捨てゝゐる。しかしこの見方は、東京裁判に於て連合国側が採った立場と同じである


 しかし、真の問題は、英国による自由貿易体制に組み込まれた事だ。欧米列強の軍事的脅威の前に、日本の開国は強引に進められた。アロー号事件を機に英仏軍大艦隊は、中国をたたきのめした勢いにのって、日本に襲来するという情報はハリスから幕府に入った。
 当時のイギリスは、黒海、地中海へのロシア南下をおさえ、セイロンではセポイの反乱後、インド鎮圧。こうした帝国主義拡張を続ける英仏軍は、中国を攻め、天津条約を結ばせ、次は日本だと息巻いていた。

 イギリス外相クランドンは、中国遠征エルギン伯爵に、中国国交と同一原則を日本国交にも貫けと訓令していた。ハリスからこの報を知った幕府閣僚は戦慄した。

 英軍1万余、仏軍6千の大軍、列強の前に敗れた中国はそれぞれ800万両の償金をとられ、屈辱的開港を強いられた。
 フランスはその足でベトナムを占領した。長州藩攘夷の放火は、藩の徹底的な軍事施設破壊で彼我の力の差を認識させられた。イギリスはこの猛威を背景に幕府にせまり、欧米列強の軍事的威圧示し我々を威嚇した。

 その後、屈辱的な外交経過で、日本からの輸出は、生糸、茶、農林水産物等原材輸出であり、イギリスからは綿糸、織物、砂糖等産業革命工業製品の輸入が続き、しかも「金銀比率」が、欧米では1対15、日本では1対5、この格差を利用して、欧米商人は日本の金を買えば3倍の利益があがり、大量の金が日本から流出した。

 「日本の近現代史は、つねに世界史の大きな流れのなかに位置づけて扱われなければならない。


 日本と欧米諸国の関係を論じるとき、軍事・貿易・宗教各政策を視野に入れる。黒船来航以降、幕府や薩長土肥を中心とする明治新政府は、欧米諸国と接するとき、軍事・貿易・宗教という局面に対して、どような政策をとったのか。

 幕末期の、幕府と薩摩・長州・土佐・肥後各藩は、それぞれの立場から「近代国家」化をはかる。そのために、「軍事力」の増強を主眼とした施策を取る。「幕府」と「薩摩・長州・土佐・肥後」との抗争は、近代化された「幕府」軍と「薩摩・長州・土佐・肥後」の列藩同盟軍との戦いの様相を呈していた。

 「開国」以来、「幕府」と「薩摩・長州・土佐・肥後」は、「陸軍」の強化策として「新式銃」の装備を急ぎ、「海軍」の強化策として「戦艦」の保有を図った。
 このような海軍力拡充路線の行き着く先が太平洋戦争であった。

 なぜなら、国際金融資本にとって、制海権を保持する事は死活問題であり、大日本帝国はそこに「挑戦」したからだ。


 1945年の敗戦後、日本は平和憲法の下、再出発をすることになったが、実は、太平洋戦争とは、アメリカにとっての「明治維新」であったのだ。つまり、日本の明治維新がそうであったように、アメリカが国際金融資本の支配に落ち、産軍複合体の肥大を生むために、真珠湾攻撃が必須だということだ。


 ここまでを要約すると、国際金融資本の支配には、「軍事統制と戦争が不可避」であることが分かる。言い方を変えると、高度な統制経済とは戦時体制そのものであり、それこそが、彼らの「飯のタネ」だ。そして、そこから脱却するには、「敗戦」による産軍複合体の解体しかない事も歴史が証明している。


 ここから得られる解は何であろうか?それは、「アメリカ軍の敗戦」でしか、アメリカを救えないという「逆説」だ。イラクでの米軍勝利は、新た大戦への呼び水だ。日露戦争や日中戦争がそうであったように・・


 この様な歴史の法則に気がつくと、ベトナム戦争の意味も見えてくる。そして、イラク戦争の推移も。イランをキーとした、イラク戦争版「パリ和平会談」も近そうだ。

 <参考>
http://www.worldtimes.co.jp/news/world/kiji/080203-141503.html

 米大統領がイランと米軍撤退で秘密取引か−米ウェブ誌

 【ロサンゼルス2月2日宮城武文】米ウェブ誌「インサイト」がこのほどブッシュ政権に近い筋の情報として報じたところによると、ブッシュ大統領は米軍のイラクからの撤退で、イランと秘密合意に達したという。

 秘密合意に至るまでに、昨年末に米政府高官、イラン当局者およびイラクの親イラン派代表が会議を重ね、ブッシュ大統領はイランへの軍事的攻撃の意図がないこと、そして民間の核エネルギー開発計画を阻止する意図がないことをイラン指導部に伝えたという。

 ボルトン前国連大使は最近、「ブッシュ大統領が任期を終えるまでにイランへの軍事的行動を許可する可能性はほとんど皆無になった」と語っている。

 情報筋によると、「イランは核兵器開発計画を中止した」とする米情報評価(NIE)の発表が昨年十二月になされたのは、ブッシュ大統領の決定によるもので、イランへ米国の意図についてのシグナルを送るためだったという。

 情報筋によると、ブッシュ大統領はイランからイラクでのシーア派のテロを行わないという誓約を得たことで、米軍はアルカイダおよびスンニ派の反乱鎮圧に集中することができるようになり、2009年までに、イラクからの米軍撤退のめどが付けられるようになったという。
2008/2/3 14:15


 <参考>
http://www.geocities.jp/si6376/sls180.html

 たとえば、戦前の日本を例にとると、2.26事件以降、日本は陸軍に支配されてきた。産業側はどんどん注文が欲しい。軍側は予算が欲しい。一般会計ではまかなえない。何が起きたかといえば、軍は勝手に動いて既成事実を作る。政府が追認して戦闘状態が拡大していく。

 <参考>
http://www.tanken.com/naimusiryo.html

 なぜ日中戦争は拡大したのか?(内務省極秘文書)

 本サイトではその背景を理解する上できわめて貴重な資料を入手しました。日中戦争が始まった直後の1937年9月、当時の内務省が主な財界人や主要工場に戦争の影響を聞き取り調査した極秘文書『支那事変の経済界に及ぼしたる影響』です。
 この資料の発見により、当時の財界が実は戦争による景気拡大を願っていたことが判明。要は、政府がやむなく軍の暴走を追認したのではなく、かなり積極的に追認したのではないかと推測されるのです。

 文書は二部に分かれていて、前半は東横電鉄(現東急電鉄)の五島慶太社長ら財界の101人への、「国債」「物価」「輸出入」など6項目のインタビューが掲載されています。後半は、従業員50人以上の702工場・事業所に「軍需産業への転換の可能性」「原料品の騰落」など9項目について聞いています。

 まず前半部の内容を見ていくと、ここでは元日銀総裁から、日清紡や浅野セメント、シチズン時計の社長、一介の材木問屋、経済誌『ダイヤモンド』社長までありとあらゆる経済人にインタビューしています。
 財界人の大半が、関係の深い中国市場が閉ざされることで輸出不振となり、軍需物資を中心に輸入超過になると見ています。だから「国産品代用原料の使用」「国民の消費節約」で輸入の減少を図る必要がある、と。物価については、軍需物資だけでなく一般物資も確実に騰貴すると考えていました。

 具体例を挙げましょう。今ではあまり知られていない財界人が多いので、五島慶太の見解を引用しておきます。
 五島は国債について次のように言います。
《今後の国債発行は極めて容易にして……然れ共、日本銀行は如何にして此の国債を処分するや……金融を極度に統制し金融業者に割当引受せしむるが如き方法をとらば、各私経済は資金難に陥り、株式は低落し、物価は騰貴し、経済界は萎縮し、再度の国債消化力を減殺すべし……》

 戦費のために国債を発行するのは簡単だが、その処分をどうするのか? 銀行などの金融業に強制的に引き受けさせると、経済力が落ちてしまう。だから、金融業に割り当てず、一般産業を振興させることで、私経済(=民間)において消化させるよう進言します。これならば、いくら公債の額が多くなっても、消化は困難ではないそうですが。
 う〜む、体のいい民間への押しつけ発言ですな。

 また、輸出については、次のように言います。
《軍需資材の輸入は絶対必要なる現状に於て輸出入の均衡を得むが為めには、他の輸出入を抑制すると同時に輸出を増加せしめざる可からず。政府は此の方針の下に貿易管理を為さむとするも、輸入の大宗たる綿花は同時に輸出商品の原料なる我が国情に於て、綿花輸入を抑制する事は到底大なる期待を持つ能はず。而も事変が長期に亘れば軍需資材の輸入は益々増大すべく結局入超は必然の傾向なりと思料せらる……》

 簡単に言えば、繊維製品くらいしか輸出産品がなかったわが国では、どうやっても輸入は増えてしまうので、輸入すべきものは輸入して、輸出の増産を図ろう、そのためには軍需工業だけでなく一般産業にも資金を回しましょう、ということですが。なんだか机上の空論的な感じは否めませんが、まぁ他の人も似たようなもんです。

 一方、後半の工場インタビューですが、702工場のうち、
△ 軍需関係の有無
 ・軍需関係を持つ 218
 ・軍需関係がない 484(うち、将来軍需関係に転換可能 232)
△ 原料の騰落
 ・上がった 457
 ・下がった 36
 ・変化なし 208
△ 事業の将来見込み
 ・拡大する 267
 ・減少する 103
 ・現状維持 332

 などとなっています。将来事業が増大すると答えた工場は38%にも上るわけで、けっこう戦時景気を期待する声があったことも分かります。もちろんこれはまとめであって、実際はものすごくデータが詳細なんですよ。

 たとえば、当時あった「帝国薬莢」という銃の薬莢(弾丸)を作る会社を見てみましょう。
 社員80人のこの会社では、当時1人だけ召集されていました。原料入手は容易ではないものの、原料価格は不変で、生産品の値段も上がってはいません。ですが、生産量も生産額もともに10%アップ。当然、将来のビジネスも拡大すると予測しています。

 社員2934人の日本光学(現ニコン)では108人が応召し、影響が大としています。原料費も15%増で、次第に入手困難になってはいますが、生産額50%増。
 社員1461人の読売新聞では、当時42人応召していました。原料の紙代は30%上がったものの、入手は容易。新聞の値段も上がってはいませんが、生産量も生産額もともに4%アップ。
 生産量が減ったのは、たとえば東洋紡の王子工場、鐘淵紡績(現カネボウ)の大井工場などで、いずれも10%減。繊維系は、ほとんどが将来にわたって現状維持が続くと答えています。
 戦争で大打撃を受けたのは、意外にも船舶関係。日本郵船は燃料の高騰で採算不良と答えています。そして「致命的打撃」と答えたのは、中国航路だけしか持っていなかった日清汽船で、理由は全航路が停止したため。
 日中戦争は、こうした各産業界の思惑を併せのみ、拡大の一途をたどっていったのでした。


 それでどうなるかと言えば、「臨時軍事費」ということになるわけだ。要するに公債だ。数字が正確ではないかもしないが、日中戦争の時、5年間で200億円くらいだ。

 当時の軍部が支配しようとしたのは、中国でもインドシナでもない。「日本国の予算」だ。それが国家総動員法の根幹だ。
 それで戦争に負けて、その借金はどうなったか。ものすごいインフレでお札が紙くずになって、それでオシマイ。預金を引き出せないようにしてから、こんな風にしたのだ。

 現在の産軍複合体に乗っ取られたアメリカは、ドルを刷りまくって同じことをやっている。結果、120パーセント破綻する。ここが分からない御仁は、戦前の日本の歴史を勉強したほうがいい。


 これが、ランドパワーというものの本質であろう。文民統制すなわちシビリアン・コントロールとは、このような歴史を経験した人類が到達した、「軍人統御の手段」であり、究極の内部統制なのだ。

 世情を賑わせている守屋氏の問題は、日本における「産軍複合体」の暴走の兆候と考えると、徹底した真相究明と再演防止、関係所の処分が必要と考える。アイゼンハワーが警告し、ケネディを暗殺した「産軍複合体」は、人類が作り出した最凶の存在といっていい。
以上
(江田島孔明、Vol.189完)


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