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Freisin 宇宙飛行士 ナードソン 旅びとの夜の歌 GOD PartU ナディア
大月隆寛 出典不明 ボノ 曹瞞伝 誠之助の死 歴史上等
隆慶一郎 ワルター 石岡和己 フリップ モーツァルト 若き日のゲーテ
福田恒存 信仰について 池田晶子 内部の友 西行二十首 北条早雲
和歌でない歌 ホット・ジゲティ ロックとは 人生の一部 フォーレ 英語の美
小説とは 敗戦 年齢 幸福 ファンタジー 物語
エルリック 作り話 歴史家 アメリカ ローマ
江戸っ子 ウィーン 野生 ハードボイルド 三国志
レノン 感情 物のあはれ コトバの天使学 ダイモーン ニーチェ
思想の軽蔑 マイルス 帰郷 梁塵秘抄 ミュージシャン 傾聴
ドビュッシー マラルメ 立ち返り 日本哲学 ビートルズファン 再びビートルズ
ロック ジャイナ教 イティハース ゲリラ いい人
陋巷



Freisinn(Goethes)

ぼくは ただ自分の鞍にのっていよう
きみたちは きみたちの小屋に 天幕にとどまるがいい
ぼくは よろこんで遠方に馬を走らす
ぼくの頭巾のうえには 星くずばかり
    ☆
神は きみたちのために 陸と海の
みちびきとして 星座をおいた
きみたちが いつも天空をながめて
心をなぐさめるように
                          井上正蔵:訳              

宇宙飛行士

飛行中、地上の管制塔が私になにが見えるかと訊いてきた。
私はこう言った。「なにが見えるかって? 左側に世界の半分、右側にもう半分。
世界が全部見える。地球はとても小さいぜ」

ヴィタリ・セバスチャーノフ


ナードソン

生きてゆくのだと、星たちは僕に語った、
うららかな陽も、森も、小川も──
生きてゆくのだと、花たちは僕に囁いた。

落合東朗:訳


旅びとの夜の歌(Wanderers Nachtlied )Goethes

山やまのそら  Uber allen Gipfeln
しずまり  Ist Ruh,
こずえに  In allen Wipfeln
かぜの  Spurest du
そよぎもみえぬ  Kaum einen Hauch;
鳥のこえ森にしずむ  Die Vogelein schweigen im Walde.
ああ やがてもう  Warte nur, balde
おまえも やすらう  Ruhest du auch.
井上正蔵:訳

GOD PartU(by U2)

I heard a singer on the radio late last night
He says he's gonna kick the darkness til it bleeds daylight
I...I believe in love
                        『Rattlle and Hum』 より

ナディア

何をやるにも絶対に必要なもの、それは何をやるか選んで、それを愛し、夢中で取り組むことです。
                                                  ナディア・ブーランジェ

The essential conditions of everything you do ...must be choice, love, passion.
                                                Nadia Boulanger

大月隆寛

 「世間」との関係を自覚しないですむようになった「好きなこと」。社会性という文脈での批評と対峙する回路を閉ざしてしまった「趣味」。それは「好きなこと」本来の安定性への歯止めを失い、その「好きなこと」に広い範囲の観客を世間から徴発し獲得してゆく自前の力を失わせる。もちろん、そうなってもたまたまそのような「好きなこと」を共有できるコードの備わった読者が存在している限りにおいて、その「好きなこと」は一定の知己を獲得はできる。しかし、それ以上の広がりを求めていくような、言い換えれば同時代の普遍へと向かってゆけるような表現を獲得してゆく可能性はどんどん狭められてゆく。そのような同時代の普遍へと向かう回路からもフィードバックせずともよくなった「好きなこと」は、表現のありようとしてますますある煮詰まりを見せてゆく。
 ある先鋭さ、ある優越性を確かに保ち上昇しながら、しかし、と同時に、確実に退縮し下降してもゆくような表現の「質」。

大月隆寛『「研究」という名の神』


出典不明(忘れちゃった・・・)

見てごらん、白人がどんなに残酷に見えることか。かれらの唇は薄くて、
鼻は鋭く、眼は冷たく、硬直して、いつもいらいらしながら何かを求めている。
白人たちはいつも何かを欲望している。いつも落ち着かず、じっとしていない。
かれらは気が狂っているのだと思う。

ボノ

不思議なことに、ボノは、数日前にダブリンで行われたアイルランドの雑誌、ホットプレス誌の受賞式に、グループを代表して出席した時も、同じ手を使っている。その晩も明らかに彼はすでに何杯かジャック・ダニエルのジンジャーエール割りを空けていた。「ほかの三人のメンバーもここに来るはずだったのですが」彼は抑揚をつけながら、短い奇妙なスピーチを行った。「彼らはどうでもいいと思ったらしく、来ていません。ぼくは関心があるんですけどね。彼らはみなさんのことが嫌いなんです。ぼくは大好きですけど」ここで彼は突然スティーヴィー・ワンダーの“アイ・ジャスト・コールド・トゥ・セイ・アイ・ラヴ・ユー”を口ずさんだかと思うと、再び続けて「彼らはここに来ていません。ぼくはあいつらが大嫌いなんです。みなさんに彼らがぼくの歌をメチャクチャにしてしまっていることをわかってもらいたい。彼らはレコードの中では実際にはプレイしていません。僕がプレイしているんです。エッジのサウンドは、あれは僕がやってるものです。ラリー・ミューレンは存在しません。彼はドラム・マシーンで、僕がプログラミングしてるんです。アダム・クレイトン、ヤツはU2の中で一番ナニが小さくて‥‥」とこんなことを語っている。

曹瞞伝より

曹操は軽薄な人柄で、威厳に欠けていた。音楽が好きで、いつも役者を側にはべらせ、昼も夜も遊び暮らしていた。薄い絹の服を着用し、腰には小さな皮の袋をぶら下げ、ハンカチや小物を入れていた。ときには、ふだんの冠をつけたまま賓客に会ったりもした。人と議論するときは、冗談まじりにしゃべりまくり、思ったことをそのまま口にした。上機嫌で大笑いしたはずみに、頭を卓上に突っ込んで、頭巾を食べ物でべとべとに汚してしまったこともある。その軽はずみな振る舞いは、かくのごとくであった。

誠之助の死

大石誠之助は死にました、
いい気味な、
機械に挟まれて死にました。
人の名前に誠之助は沢山ある、
然し、然し、
わたしの友達の誠之助は唯一人。

わたしはもうその誠之助に逢はれない、
なんの、構ふもんか、
機械に挟まれて死ぬやうな、
馬鹿な、大馬鹿な、わたしの一人の友達の誠之助。

それでも誠之助は死にました、
おお、死にました。

日本人で無かつた誠之助、
立派な気ちがひの誠之助、
有ることか、無いことか、
神様を最初に無視した誠之助、
大逆無道の誠之助。

ほんにまあ、皆さん、いい気味な、
その誠之助は死にました。

誠之助と誠之助の一味が死んだので、
忠良な日本人は之から気楽に寝られます。
おめでたう。

与謝野鉄幹『誠之助の死』


歴史上等

 ですよ。と私はK編集に言った。新しい歴史小説雑誌を作ろうと画策中なのだがいいタイトルは他社に登録されていたりして、思案もいいのがなく、困っているとのことだったので、私がそう提案したのである。
「歴史上等」。いいと思うんだが。戦国弱肉強食の時代、古い権威、既得権益者どもを覆しまくった推参なり是非もない英雄たちの群像。すごく上等だ。
 ウンコ座りして木刀を持って腹にさらしを巻いて死に装束の白の特攻服を着たニイちゃんたちが、
「オレら歴史上等っスから。織田信長だろーが諸葛孔明だろーが、ただイクだけっす」
 というようなカブキ心に満ち満ちた雑誌名である。むろん上着とズボンには、「歴史夜露死苦」とか刺繍がしてあり、腕には司馬遼命とか隆慶命とか工夫を凝らしたタトゥーが掘り込んであるわけだ。表紙にはスプレーで参上と書くべし。

酒見賢一『陋巷に在り』2巻(文庫)のあとがきより


隆慶一郎

 昭和二十年の終戦と共に、どっと外地から引き揚げて来た復員兵士たちの中で、人を殺した男はその顔付きで、即座に分ったものである。戦場の昴ぶりが消えた瞬間に、それはどす黒いしみのように顔に浮び上ってくるのだった。
 中でも戦闘の中ではなくて人を殺した男、即ち捕虜を斬り、或は無辜の民衆を殺戮した男たちは悲惨だった。どんなに言葉を飾り、何もしなかったように顔は作っていても、枕を並べて寝てみるとすぐ分る。殆んど例外なく、異常に魘される。時には悲鳴をあげてがばと跳ね起きるのである。こんな奴が、と思うような穏やかな男が、この症状を呈するのを何度も見ている。
 勿論誰一人彼らを責める者はいなかった。戦争はそれ自体が巨大な狂気である。狂気の中にあって生き永らえるには、己れ自身も狂気になるしかない。人が生き永らえた事を責めるのは過酷にすぎるだろう。戦場帰りの男たちは、一度も戦場を味わず、従って人を殺すこともなかった者でさえ、例外なくそうした優しさを持っていた。自分が人を殺さずにすんだのは、単なる偶然にすぎず、その場にぶつかれば必ずや殺したであろうことを、実感として知っていたからである。
 戦場にいたこともないくせに、声高に個人の戦争責任を云いたてる人間を見ると、ぶち殺してやりたいと思った。実際はぶち殺しもせず、抗議をすることさえせずにすませたのは、大方は深い侮蔑感からである。殺す値打ちもない人間共なのだ。

隆慶一郎『かくれさと苦界行』


ワルター

 高校卒業後、ぼくは全快を危ぶまれる大病に臥してしまった。絶対安静、横を向くことも本を読むこともラジオを聴くことも許されない生活、ぼくの救いは心の中で音楽を演奏すること、ワルターのように美しく演奏することだけであった。
 大指揮者への敬愛の念はやがて手紙を出すことを思いつかせた。それは最も尊敬する芸術家への讃美であった。しかし世界的な大指揮者が日本の一ファンへ返事をくれるなどとは夢にも思わず、ただただ自分の心が通じてくれることだけを祈っていた。ところが二ヶ月半の後、思いかけずドイツ語で書かれた長い手紙が、サイン入りの写真と共に届けられたときの歓喜はとても言葉では言い表せない。
「若くして病気に倒れているあなたを思うと心が痛みますが、必ず全快されることを私は信じています。むしろこの病気を一つの試練として立派な音楽家になってください。
     一九五二年七月十二日、ブルーノ・ワルター」
 敬愛する芸術家の誠のこもった言葉に感激しないものがあろうか。ぼくの病気が一日一日と快方に向かい、やがて手術を受けられるまでに至ったことはいうまでもない。いわばワルターはぼくの命の恩人なのである。

宇野功芳『名指揮者ワルターの名盤駄盤』


石岡和己

 ……すると、御手洗のソロが始まった。それまでおとなしくしていた彼のギターが、会場の床をびりびりと震わせるような、とてつもない音をたてた。大きくて重いドアが、ゆっくりときしるような物凄い音だった。私は、まずこの音に度肝を抜かれた。そして今、自分の扉が開いたと感じた。なんの扉かは知らないが、私は、自分の心の内にある何かの扉が、今強引に押し開かれたのを感じた。胸が波立つような気分だった。不思議なことだが、私はこの時、自分は変われると思った。きっといつの日にか、変わることができると確信した。
 ……すると老人のトランペットが入ってきて、「ストロベリィ・フィールズ」の主旋律を、ゆっくりと、崩さず吹いた。それは、まったく宝石のような瞬間だった。観客が息を呑むのが解った。魂が自由になり、宙に浮かぶのを感じた。どうして彼らはこんな音がたてられるのだろうと、私は心から不思議に思った。われわれと違わない人間として生まれ落ちたはずなのに、どうして彼らにだけ、こんなことができるのだろう。
 しかしそれはもう嫉妬でも、自分に劣等感を強いる何かでもない、ただひたすら、音楽というものの意味を考えた。音楽には、こんなことができるのだと知ったのだ。これは凄いことだ。そして、なんと素晴らしいことだろう。今この瞬間に自分が居合わせたことを、心から神に感謝した。私は幸せだと感じた。こんな取得のない自分だが、生きていてよかったと思ったのだ。

島田荘司『SIVAD SELIM』


ロバート・フリップ

ポピュラー・カルチャーというのはとてもとても〈良いもの〉だ。しかも、誰もがその良さを知っており、『イェ〜!』と声を出したくなるものさ。逆に、マス・カルチャーというのはすごく〈悪いもの〉で、誰もがその悪さを知っているんだけど、『イェ〜!』と言ってしまうものなんだ。つまり、マス・カルチャーは基本的な好き嫌いに関係し、ポピュラー・カルチャーはより高いレベルで我々が熱望するものに対して使われる言葉だ。ポピュラー・カルチャーの例としてはビートルズ、ボブ・ディラン、ジミ・ヘンドリックスなんかがそうだ。

モーツァルト

 一目で小柄なのが目立つ人だった。ひどくやせぎすで顔は蒼白、ただ髪はたっぷりみごとな金髪で、本人もそれが自慢らしかった。わざわざ自宅に招いてくれたことがあったが、私も遠慮なしにおしかけて、長居をした。あの人は始終なにくれと気をつかってもてなしてくれた。大のパンチ好きで、その飲物をがぶ飲みするのをよく見たものだ。もうひとつ目がなかったのはビリヤードで、家にはすごい撞球台があった。何ゲームも手合わせしたが、どうしても勝てなかった。彼の開く日曜日のコンサートを、私は欠かさないよう心がげた。気立てがやさしく、思いやりのある反面、たいそう気難しいところがあって、演奏の最中に、ちょっとした物音でも立てられると、ぷいと止めてしまうのだった。      ──マイケル・ケリー『回想録』

 聖歌隊がほんの数小節も歌わぬうちに、モーツァルトは、「これは何だ?」と叫び、彼の心全体が耳に集まっているようだった。そして歌が終わると、彼は喜びを抑えきれぬ様子で言い切った。「これは文句なしに、みんなのお手本だ!」セバスチャン・バッハが聖歌隊長であったこの学校は、バッハのモデットの完全なコレクションを持っていて、それらを一種の聖なる形見として保存していると教えられた彼は、「それは当の得たことだ、結構なことだ」と声を高め、「見せてほしい」と言った。しかし、これらの声楽作品のスコアはなかったので、彼は、パ−ト譜を求めた。ところで、傍らでつつましやかに見ている者にとって、モーツァルトが全身熱くなって座り、楽譜のいくつかは手に持ち、他は膝の上やあたりの椅子の上に置き、そこにあるバッハのものを全部じっくり調べあげるまで立とうともしないのを見るのは喜びだった。
 その同じ日、後で、モーツァルトはまたオルガンのところへ行った。
〔彼は〕どんなテーマを与えられても、すばらしい即興演奏をした。……ドーレスは、モーツァルトの演奏にすっかり喜んで、彼の師、懐かしいセバスチャン・バッハがよみがえったのだと確信した。

フリードリヒ・ロホリッツ「ライプツィヒの音楽雑誌から」


若き日のゲーテ

「私があのかたのところへ参りましたときは」と彼は言った、「あの方はまだ二十七歳ぐらいだったでしょう。おそろしく痩せて、かるがるしていて、華奢な人でしたから、この私がらくらくとおんぶできるくらいでしたよ。
ヴァイマルへ住むようになった初めの頃でも、ゲーテは快活そのものだったか、と私はたずねた。「もちろんですよ」と彼は答えた、「仲間の人たちも陽気でしたし、あのかたも陽気でしたが、決して度を過ごされるようなことはありませんでした。そういうときは、かえっていつも真面目になられるのですよ。たえず仕事をし、研究をし、心を芸術と学問にむけておいででしたが、それがまずおおよそのご主人の持続的な傾向でした。晩になると、太公がちょいちょい訪ねておいでで、そんなときには、たびたび夜中まで学問上のことで話し合っておられるので、私はよく退屈して、太公はどうしてまだお帰りでないのか、と恨みがましく思うこともしばしばでした。それに、」と彼はつけ加えた、「自然研究は、当時からすでにあのかたの関心事になっていましたね」

エッカーマン『ゲーテとの対話』


福田恒存

 当時、青少年としての私が感じていたことは、大人たちはうそばかりついているのではなく、純粋な面もあり、うそはつきたくないと思っているのだということ、さらに、そのうそのなかにも一片の真実があるということ、最後に、私自身、その種のうそをつきかねないということでした。私は総体として大人を信じていいとおもっていました。
 そのころも今も、私は、なんどかその信頼を裏切られました。しかし、私は性こりもなく、また信頼する。人間は総体として信頼していいのだとおもいなおすのです。
 もし青春ということばに真の意味を与えるなら、それは信頼を失わぬ力だといえないでしょうか。不信の念、ひがみ、それこそ年老いて、可能性を失ったひとたちのものです。たとえ年をとっても、信頼という柔軟な感覚さえ生きていれば、その人は若いのです。

福田恒存『私の幸福論』


信仰について

 「宗教は人類を救い得るか」という問題に関し意見を求められたが、私はそんな大問題に答える資格はないと思う。そんな風に訊ねられると、私はただ困却するばかりです。徒らに大袈裟な問題だと感ずるばかりです。
 万人が考える通りに考えることは可能だし、そういう考え方が一番有力でもあるが、信仰という事になると、めいめいが、めいめいの流儀で信仰する他はなく、又そうであるからこそ考えるという事に対して信ずるという行為があるのだろう。こんな簡単な事が、徹底的に腹に這入っていないから、宗教問題がいつまでたっても埒があかないのだと思われます。
 「宗教は人類を救い得るか」という風に訪ねられる代わりに「君は信仰を持っているか」と聞かれれば、私は言下に信仰を持っていると答えるでしょう。「君の信仰は君を救い得るか」と言われれば、それは解らぬと答える他はない。私は私自身を信じている。という事は、何も私自身が優れた人間だと考えているという意味ではない。自分で自分が信じられないという様な言葉が意味をなさぬという意味であります。本当に自分が信じられなければ、一日も生きていられる筈はないが、やっぱり生きていて、そんな事を言いたがる人が多いというのも、何事につけ意志というものを放棄するのはまことにやすい事だからである。生きようとする意志を放棄すれば進んで死ぬ事さえ出来ない。ただ生きている様な気がしている状態に落入る。まことにやすい事です。
 例えば、私は何かを欲する、欲する様な気がしているのではたまらぬ。欲する事が必然的に行為を生む様に、そういう風に欲する。つまり自分自身を信じているから欲する様に欲する。自分自身が先ず信じられるから、私は考え始める。そういう自覚を、いつも燃やしていなければならぬ必要を私は感じている。放って置けば火は消えるからだ。信仰は、私を救うか。私はこの自覚を不断に救い出すという事に努力しているだけである。
 後は、努力の深浅があるだけだ。他人には通じ様のない、自分自身にもはっきりしない努力の方法というものがあるだけだ。あらゆる宗教に秘義があるというのも、其処から来るのでしょう。私は宗教的偉人の誰にも見られる、驚くべき自己放棄について、よく考える。あれはきっと奇蹟なんかではないでしょう。彼等の清らかな姿は、私にこういう事を考えさせる、自己はどんなに沢山の自己でないものから成り立っているか、本当に内的なものを知った人の眼には、どれほど莫大なものが外的なものと映るか、それが恐らく魂という言葉の意味だ、と。神は人類から隠れているかどうかわからない。併し私の魂が私に隠れて存する事を疑う事が出来ぬ。富とか権力とかいう外的証拠を信用しないという事なら、そんなに難しい事ではないだろうが、知識も正義も、いや愛や平和さえ、外的証拠に支えられている限り、一切信用する事が出来ないという処まで行く事は、何んと難しい業だろう。懐疑派とは臆病な否定派に過ぎますまい。以上、御約束による早急な御返事、お答えにはなっておらぬ点は、御諒承下さい。

小林秀雄『信仰について』


池田晶子

 うん、僕もよく覚えてない。覚えていないが、しかし、やはり何ごとかを感じ、何ごとかを考えていたことだけは確かなのだ。だから僕は、なんとかそれを思い出したい。 どうしてもそれを思い出したいばかりに、僕らは思索し、想像するのだ。宇宙に惹かれてやまない僕らの心は、実は、他でもない僕ら自身を探しているのだ。僕ら自身を確かめたいのだ。汝自身を知れ、四十六億年前、僕はそこで何をどのように感じていただろう。いや僕自身が彗星ならば、何をどのように感じるだろう──。
 謎だ。そして、明らかに、懐かしい。

池田晶子『さよならソクラテス』


内部の友

 八月のはじめ、蓼科での講演からかえった私は、その夜寝られぬほどの高熱を発し、輾転としてあけ方まで呻吟した。ようやく小康を得、うとうととまどろむと、高橋の夢を見た。彼は私の枕もとで、誰やらわからぬまっ黒な人物と碁をうっていた。おい、高橋! とよんでも返事はなく、やがてすうっと立ってむこうへ消えた。黒い人物もいつの間にか消え、あとにうちかけの碁盤がのこった。碁は中盤だった。彼は私との間にも、うちかけの碁をおいて去ってしまった。
 もう一度、「対話叢書」の予告の彼の言葉をひかせていただきたい。
「多分、人は一つの世界にだけ生きるのではない。小さな断片、かすかな持続にすぎなくとも、多くの場所に生きる。目には見えず、手にはつかむことも出来ない他人の心の中に」
 ──彼自身にとっての彼が消滅してしまった今、彼はもう他人の心の中にしか生きられなくなった。もちろん、私の心の中に、彼は、いきいきと生きている。私の内部の高橋に、おい、高橋、とよびかけ、返事をさせることもできる。しかし、その高橋は永遠に三十九歳のままであって、実在の彼の、瞠目すべき変貌によって、彼の内部の、新しい理論構築の発展によって、やったぞ! 高橋、おれはこれを読んで、生まれて今まで生きてきた甲斐があったと思うぞ──と叫べるような作品をとどけてくれることによって、「内部の高橋」像を修正して行くうれしさとたのしみを味わう事は、もはや永遠に期待できない。
 うちかけの碁もまた、この先うちつづけられる事はないであろう。

小松左京『「内部の友」とその死』


西行二十首

心なき身にもあはれは知られけり
          鴫立沢の秋の夕ぐれ

空になる心は春の霞にて
          世にあらじとも思ひたつかな

年たけて又こゆべしと思ひきや
          命なりけりさよの中山

何事のおはしますかは知らねども
          かたじけなさになみだこぼるる

世の中を思へばなべて散る花の
          わが身をさてもいづちかもせん

ましてまして悟る思ひはほかならじ
          吾が嘆きをばわれ知るなれば

まどひきてさとりうべくもなかりつる
          心を知るは心なりけり

心から心に物を思はせて
          身を苦しむる我身なりけり

うき世をばあらればあるにまかせつつ
          心よいたくものな思ひそ

見るも憂しいかにかすべき我心
          かかる報いの罪やありける

なべてなき黒きほむらの苦しみは
          夜の思ひの報いなるべし

塵灰にくだけ果てなばさてもあらで
          よみがへらする言の葉ぞ憂き

あはれあはれこの世はよしやさもあらば
          あれ来む世もかくや苦しかるべき

すさみすさみ南無と称へし契りこそ
          ならくが底の苦にかはりけれ

春風の花をちらすと見る夢は
          覚めても胸のさわぐなりけり

物思ふ心のたけぞ知られぬる
          夜な夜な月を眺めあかして

ともすれば月澄む空にあくがるる
          心のはてを知るよしもがな

いつかわれこの世の空を隔たらむ
          あはれあわれと月を思ひて

風になびく富士の煙の空に
          きえて行方も知らぬ我思ひかな

願はくば花の下にて春死なん
          そのきさらぎの望月のころ

北条早雲

長氏、若き人の為にとて、二十一条の教を述ぶ。第一に、仏神を信じ申すべき事。第二に、朝に早く起き。第三に夕には五つ以前(午後八時)に寝定まるべし、寅の刻(午前四時)に起き、行水拝みし、身の行儀を整え、其日の用所、妻子家来の者に申付け、猪六つ以前に出仕すべし。第四に、手水を使はぬ前に、厠より厩、庭、門外まで見廻り、先ず掃除すべきところを、似合の者に 言付け、手水早く遣ふべし。第五に、拝みをする事、身の行なり。第六に、刀、衣装人の如く結構にあるべしと思ふべからず、見苦敷なくばと心得べし。第七に、出仕の時は、申に及ばず、宿所にあるべしと思ふとも、髪をば早く結ぶべし。第八に、出仕の時無差と御前へ参るべからず。第九に、仰出さるゝ事あらば、遠くに伺候申たりとも、先ず早く唯と御返事を申し、頓に御前へ参り御側へ匍匐寄り、謹みて承はるべし。第十に、御通にて物語抔する人の辺りに居るべからず、傍へ寄るべし。第十一、数多交はりて事勿れと云ふことあり、何事も人に任すべきなり。第十二、少しの間あらば、物の本、文字あるものを懐に入れ、常に人目を忍び見るべし。第十三、宿老御縁に伺候の時、腰を少し折りて、手を突き通るべし。第十四、上下万民に対し、一言半句、戯言を申べからず。第十五、歌道なき人は、無手に賤し、学ぶべし。第十六、奉公の隙には、馬に乗り習ふべし。下地を達者に乗り習ひて、用の手綱以下は、稽古すべきなり。第十七、良友を求むべきは、手習学問の友なり、悪友を除くべきは、碁、将棋、笛、尺八の友なり。第十八、宿に帰らば、厩、表より裏へ廻はり、四壁狗貫を塞ぎ拵ふべし。第十九、夕に六つ時に門をはたとたて、人の出入に依て開閉すべし。第二十、台所中居の火の廻り、夕々我と見廻はり、堅く申付くべし。第二十一、文武、弓馬の道は常なり、記すに及ばず、文を左にし、武を右にするは古の法、兼ねて備へずんばあるべからず。

北条早雲『二十一箇条の教え』


和歌でない歌(中島敦)

遍歴
ある時はヘーゲルが如(ごと)万有をわが体系に統べんともせし
ある時はアミエルが如つゝましく意気をひそめて生きんと思ひし
ある時は若きジイドと諸共に生命に充ちて野をさまよひぬ
ある時はヘルデルリンと翼(はね)並べギリシャの空を天翔りけり
ある時はフィリップのごと小さき町に小さき人々を愛せむと思ふ
ある時はラムボーと共にアラビヤの熱き砂漠に果てなむ心
ある時はゴッホならねど人の耳を喰ひてちぎりて狂はんとせし
ある時は淵明が如疑はずかの天命を信ぜんとせし
ある時は観念(イデア)の中に永遠を見んと願ひぬプラトンのごと
ある時はノヷーリスのごと石に花に奇しき秘文を読まむとぞせし
ある時は人を厭ふと石の上に黙(もだ)もあらまし達磨の如く
ある時は李白の如く酔ひ酔ひて歌ひて世をば終らむと思ふ
ある時は王維をまねび寂として幽篁の裏にひとりあらなむ
ある時はスウィストと共にこの地球(ほし)のYahoo共をば憎みさげすむ
ある時はヴェルレエヌの如雨の夜の巷に飲みて涙せりけり
ある時は阮籍がごと白眼に人を睨みて琴を弾ぜむ
ある時はフロイドに行きもろ人の怪しき心理(こころ)をさぐらむとする
ある時はゴーガンの如逞ましき野生(なま)のいのちに触ればやと思ふ
ある時はバイロンが如人の世の掟蹂躪り呵々と笑はむ
ある時はワイルドが如深き淵に堕ちて嘆きて懺悔せむ心
ある時はヴィヨンが如く殺め盗み寂しく立ちて風に吹かれなむ
ある時はボードレールがダンディズム昂然として道行く心
ある時はアナクレオンとロビンのみ語るに足ると思ひたりけり
ある時はパスカルが如心いため弱き蘆をば讃め憐れみき
ある時はカザノヷのごとをみな子の肌をさびしく尋(と)め行く心
ある時は老子のごとくこれの世の玄のまた玄空しと見つる
ある時はゲエテ仰ぎて吐息しぬ亭々としてあまりに高し
ある時は夕べの鳥と飛び行きて雲のはたてに消えなむ心
ある時はストアの如くわが意志を鍛へんとこそ奮ひ立ちしか
ある時は其角の如く夜の街に小傾城などなぶらん心
ある時は人麿のごと玉藻なすよりにし妹をめぐしと思ふ
ある時はバッハの如く安らけくたゞ芸術に向はむ心
ある時はティチアンのごと百年(ももとせ)の豊けきいのちを生きなむ心
ある時はクライストの如われとわが生命を燃して果てなむ心
ある時は眼・耳・心みな閉ぢて冬蛇のごと眠らむ心
ある時はバルザックの如コーヒー飲みて猛然と書きたる心
ある時は巣父の如く俗説を聞きてし耳を洗はむ心
ある時は西行がごと家をすて道を求めてさすらはむ心
ある時は年老い耳も聾ひにけるベートーベンを聞きて泣きけり
ある時は心咎めつゝ我の中のイエスを逐ひぬピラトの如く
ある時はアウグスティンが灼熱の意慾にふれて焼かれむとしき
ある時はパオロに降りし神の声我にもがもとひたに祈りき
ある時は安逸の中ゆ仰ぎ見るカントの「善」の厳くしかりし
ある時は整然として澄みとほるスピノザに来て眼をみはりしか
ある時はヷレリイ流に使ひたる悟性の鋭(と)き刃身をきずつけし
ある時はモツァルトのごと苦しみゆ明るき芸術(もの)を生まばやと思ふ
ある時は聡明と愛と諦観をアナトオル・フランスに学ばんとせし
ある時はスティヴンソンが美しき夢に分け入り酔ひしれしこと
ある時はドオデェと共にプロヷンスの丘の日向に微睡(まどろ)みにけり
ある時は大雅堂を見て陶然と身も世も忘れ立ちつくしけり
ある時は山賊多きコルシカの山をメリメとへめぐる心地
ある時は縄目を解かむともがきゐるプロメシュウスと我をあわれむ
ある時はツァラツストラと山へ行き眼鋭(まなこす)るどの鷲と遊びき
ある時はファウスト博士が教へける「行為(タート)によらで汝(な)は救はれじ」
遍歴(へめぐ)りていづくにか行くわが魂(たま)ぞはやも三十(みそじ)に近しといふを
憐れみ讃ふるの歌
ぬばたまの宇宙の闇に一ところ明るきものあり人類の文化
玄々たる太沖の中に一ところ温かきものありこの地球(ほし)の上に
おしなべて暗昧(くら)きが中に燦然と人類の叡智光るたふとし
この地球の人類(ひと)の文化の明るさよ背後(そがひ)の闇に浮出て美し
たとふれば鉱脈にひそむ琅カンか愚昧の中に叡智光れる
幾万年人生(あ)れ継ぎて築きてしバベルの塔の崩れむ日はも
人間の夢も愛情(なさけ)も亡びなむこの地球の運命(さだめ)かなしと思ふ
学問や芸術(たくみ)や叡智(ちゑ)や恋愛情(こひなさけ)この美しきもの亡びむあはれ
いつか来む滅亡(ほろび)知れれば人間(ひと)の生命(いのち)いや美しく生きむとするか
みづからの運命(さだめ)知りつゝなほ高く上らむとする人間(ひと)よ切なし
弱き蘆弱きがまゝに美しく伸びんとするを見れば切なしや
人類の滅亡の前に凝然と懼(おそ)れはせねど哀しかりけり
しかすがになほ我はこの生を愛す喘息の息の夜の苦しかりとも
あるがまゝ醜きがまゝに人生を愛せむと思ふ他に途(みち)なし
ありのまゝこの人生を愛し行かむこの心よしと頷きにけり
我は知るゲエテ・プラトン悪しき世に美しき生命(いのち)生きにけらずや
吃として霜柱踏みて思ふこと電光影裡如何に生きむぞ
石とならまほしき夜の歌 八首
石となれ石は怖れも苦しみも憤(いか)りもなけむはや石となれ
我はもや石とならむず石となりて冷たき海を沈み行かばや
氷雨降り狐火燃えむ冬の夜にわれ石となる黒き小石に
眼瞑(と)づれば氷の上を風が吹く我は石となりて転(まろ)び行くを
腐れたる魚(うを)のまなこは光なし石となる日を待ちて我がゐる
たまきはるいのちを寂しく見つめけり冷たき星の上にわれはゐる
あな暗や冷たき風がゆるく吹く我は堕ち行くも隕石がごと
なめくじか蛭のたぐひかぬばたまの夜の闇処(くらど)にうごめき哂ふ
また同じき夜によめる歌 二首
ひたぶるに凝視(みつ)めてあれば卒然にして距離の観念失くなりにけり
大小も遠近もなくほうけたり未生の我や斯くてありけむ
何者か我に命じぬ割り切れぬ数を無限に割りつゞけよと
無限なる循環小数いでてきぬ割れども尽きず恐しきまで
無限なる空間を堕ちて行きにけり割り切れぬ数の呪を負ひて
我が声に驚き覚めぬ冬の夜のネルの寝衣(ねまき)に汗のつめたさ
無限てふことの恐(かし)こさ夢さめてなほ暫らくを心慄へゐる
この夢は幼き時ゆいくたびかうなされし夢恐しき夢
今思(も)へば夢の中にてこの夢を馴染の夢と知れりし如し
ニイチェもかゝる夢見て思ひ得しかツァラツストラが永劫回帰
むかしわれ翅をもぎける蟋蟀が夢に来りぬ人の言葉(くち)きゝて
何故か生埋にされ叫べども喚けど呼べど人は来らず
叫べども人は来らず暗闇に足の方より腐り行く夢
夢さめて再び眠られぬ時よめる歌
何処やらに魚族奴等(いろづくめら)が涙する燻製にほふ夜半(よは)は乾きて
放歌
我が歌は拙なかれどもわれの歌他(こと)びとならぬこのわれの歌
我が歌はをかしき歌ぞ人麿も憶良もいまだ得詠まぬ歌ぞ
我が歌は短冊に書く歌ならず町を往きつゝメモに書く歌
わが歌は腹の醜物朝泄(ま)ると厠の窓の下に詠む歌
わが歌は吾が遠つ祖(おや)サモスなるエピクロス師にたてまつる歌
わが歌は天子呼べども起きぬてふ長安の酒徒に示さむ歌ぞ
わが歌は冬の夕餐(うたげ)の後にして林檎食(を)しつゝよみにける歌
わが歌は朝の瓦斯にモカとジャワ゛のコーヒー煮つゝよみにける歌
わが歌はアダリンきかずいねられぬ小夜更床(さよふけどこ)によみにける歌
わが歌は呼吸(いき)迫りきて起きいでし暁(あけ)の光に書きにける歌
わが歌は麻痺剤強みヅキヅキと痛む頭に浮かびける歌
わが歌はわが胸の辺の喘鳴(ぜんめい)をわれと聞きつゝよみにける歌
身体(うつそみ)の弱きに甘えふやけゐるわれの心を蹴らむとぞ思ふ
手・足・眼とみな失ひて硝子箱に生きゐる人もありといはずや
ゲエテてふ男思へば面にくし口惜しけれどもたふとかりけり
繊(ほそ)く剄(つよ)く太く艶ある彼の声の如き心をもたむとぞ思ふ (シャリアーピンを聞きて)
ゴッホの眼モツァルトの耳プラトンの心兼ねてむ人はあらぬか

Hot Ziggetty!

わたくしの家内があるとき昼食にスイス・チーズとライ麦のパンを出したところ、かれはこれを殊のほか喜んだ。それからというもの、かれは三度三度の食事にパンとチーズを食べたがるようになり、家内の用意した色々な料理を大部分無視するようになった。ヴィトゲンシュタインの言うには、自分が何を食べるかは、それがいつも同じである限り、自分の関心事ではない、というのである。特においしそうな料理がテーブルに運ばれてくると、わたくしは時々「こりゃすげえ(ホット・ジゲティ)!」と叫んだことがあった。――これはわたくしの少年時代、カンサスで覚えた俗語である。ヴィトゲンシュタインはこの表現をすぐとりあげた。家内がパンとチーズをかれの前におくと、かれが「こりゃすげえ」と叫ぶのを耳にするのは、想像もできない程おかしなことであった。

ノーマン・マルコム『回想のヴィトゲンシュタイン』


ロックとは

・ロックに惹かれたことはないですか?
「……ロックで好きな曲は思い浮かばない。ジャズ、ヒップホップ、クラシック、アヴァンギャルド──大抵どんなタイプの音楽でも好きな曲は必ず見つかるんだけど、ロックとヘヴィー・メタルだけは、全然良い部分が見つからないんだ。音楽全体が全然革新的だと思えない。保守的でつまらなくて長年同じ所で停滞している。そこに音楽の大切な部分はない、と思う」
・でもあなたはジーザス・ジョーンズやセイント・エティエンヌなど、数多くの楽曲のリミクスを手掛けてますよね。それは何故、手を差し出すんですか?
「リミクスするのにマテリアルを気に入る必要はない。手掛けるのはむしろ、気に入らないマテリアルの方がいいんだ。悪ければ悪いほどいい。既に良い曲だと思ったら手を加えたくないからリミクスは断る。クソみたいな曲を自分の好きなようにリミクスして大金が手に入るならこれほど美味い話はないと思う。君が挙げた二つのバンドの仕事は、まさにそのスタンスだ。君の国のバンド、バクチク。彼らもヒドかった。・・・テリブルだったよ」
・ミもフタもない意見、ありがとうございます。

リチャード・D・ジェイムス


フォーレ

 でも実際私にとって特に大事であったのは、フォーレのクラスです。私たち生徒は、それぞれの人生を照らし、導いてくれたフォーレから多大な影響を受けました。彼の気品溢れるセンス、無類の慎み深さと冷静さ、その超俗的な視野に感化を受けたのです。口では旨く表せませんが、フォーレに学んだその数年間が忘れ難いものであることは確かです。フォーレの下で学んだ数年間を通じて彼がクラスで自分について話されたことは一度もなく、自作に関しては一節たりとも弾かれたことはありませんでした。また夢うつつであられたり、心ここに在らずのことはしょっちゅうでした。それゆえ先生を熱愛して止まなかった私たちでさえも、時には「今日の先生ったら上の空で、私たちの課題なんてあまり聴いていらっしゃらないわね!」と密かに思うこともあったのです。
 その後月日は流れ、ずっと後になってヴィーヌ通りにある先生のお宅に訪ねたときのことです。
 その頃すでに先生は健康を害され、お年も大分召しておられたのですが、雑談の途中で突如、「君にとって作曲を止めてしまったことが良かったかどうか私には疑問だね」とおっしゃったのです。
私は即座に「まあ先生! その事に関してだけは、断じて確信を持っておりますわ。無意味な音楽を書いて何になりましょう。ただでさえも人にあまり情け容赦のない私ですから、自分自身に対しては尚のこと厳しくあるべきじゃないでしょうか?」
 すると先生は立ち上がられるなりピアノの前まで歩いていかれ、何と私が十四、五歳の時分にクラスで書いた練習課題の一部を弾かれたのです。その課題の実例の内の一つくらいは、まぁ、まだ他の物よりは多少増しであったかも知れません。
 「やはりそこには普通じゃない、何かがあったんだよ」とおっしゃるのです。私は飛んでいって先生を抱き締めました。「まぁ、何てことでしょう! わざわざそれを覚えていてくださったなんて……」
 要するに若かりしあの日、私は「今日の先生は私たちのことなどあまり気にかけてくださってない!」と考えていたのですが、先生は実に何もかも聴き取り、すべてを記憶なさっていたのでした。

『ナディア・ブーランジェとの対話』


人生の一部

 「しかし」、とショスタコーヴィチは語るのである。その破滅は、実に偉大な破滅ではないですか。私は、ボロディンが化学実験室にこもっていたために、第二の『ダッタン人の踊り』を作曲しなかったのは、よいことだったと思う。新しいアリアを一曲完成させるかわりに、ボロディンが女性参政権のための集会に、演説に出かけてしまったのは、すばらしい行為だったと思う。彼の家が、まるで精神病院そのもので、そこには落ちついて作曲する環境がなかったとしても、それは彼の人生が失敗であったことを、いささかも意味しない。こんな中で、ボロディンは、彼の『交響曲第二番』をつくったのだ。あの『弦楽四重奏曲第一番』をつくったのだ……そして、ショスタコーヴィチは、万感の思いをこめて、こう語る。「ロシアの作曲家はこんなふうに生き、こんなふうに仕事をするのです」
 消防士のヘルメットをかぶって、不器用に屋根によじのぼり、爆撃に破壊されたレニングラードの街で、消火活動にいそしむ、ショスタコーヴィチの写真が残されている。そう、ロシアの作曲家は、こんなふうに生き、そしてこんなふうに仕事をするのです。破滅はいつ襲いかかってくるかもしれない。しかし、私たちロシアの作曲家は、合間を見て、仕事をするでしょう。音楽は人生の一部にすぎないのですから。でも、そのことが、音楽を美しいものとしているのではないでしょうか。人生のすべてではなく、人生の一部であるからこそ、それは美しいのではないでしょうか……。

中沢新一『音楽のつつましい願い』


英語の美

英語は音楽的言語にあらず。されども他の言語において発見し得るべからざる一美音のその中に存するあり、すなわちBeauty(美)におけるUの音これなり。これ単に<ユー>と響かすものにあらずして、くちびるを縮め、口笛を吹く時のさまをなして発音すべきものなり。Duty(義務)、Mutual(相互)等の言葉は、その意義においても、発音においても、英語特有の美を表すものと言うべし。

内村鑑三『外国語の研究』


なぜ小説は大切か

 小説に学ぼうではないか。小説では、登場人物はなんとしても生きなければならない。彼らが、善人であろうと、悪人であろうと、あるいは移り気であろうと、型にはまった人物になると、小説は死んでしまうからだ。小説の中の人物は生きねばならない。でなければ最初からいないのも同然である。
 生きていること、生きている人間であること、全人的に生きていること、これが一番大切だ。そのために最も生き生きとした小説こそが、君に力を貸してくれるのだ。人生において、死んだも同然の男にならないようにしてくれるのだ。今日では、あまりにも多くの男たちが、町や家で、屍同然になり、大部分が死んだままで徘徊している。女の本質の大部分も死んでしまっている。まるで鍵盤の大半が音を出さなくなって沈黙してしまったピアノのようだ。
 しかし小説は、男が死んだも同然になれば、女も生きる力を失うことをはっきり教えてくれる。聖と邪、善と悪の理論などこね回していないで、やる気さえ出せば生に対する直覚力を鋭くすることだってできるのだ。

D・H・ロレンス


敗戦

嫌悪に充ち満ちた古い日本であったが、さてそれが永訣の訣別となると、惻隠の情のやみ難きもののあることは、コスモポリタンの我ながら驚いた人情の自然である。何かいたわってやりたいような心のこる気持で、私はその日その日を送っていたが、かかる心に映るぎすぎすとうわずった、跳ね上がった言論の横行しはじめたことがどんなにやり切れなかったことだろう。また二の舞いかと心は沈む一方であったとき、私の心に素直に這入ってきてなぐさめになってくれた文章に、たった一つ川端康成氏の小さな感想文がある。島木健作を追悼して、「私の生涯は『出発まで』もなく、さうしてすでに終つたと、今は感ぜられてならない。古の山河にひとり還つてゆくだけである。私はもう死んだ者として、あはれな日本の美しさのほかのことは、これから一行も書かうとは思はない。・・・」と静かに語る氏の言葉ほど当時その不思議な重量感をもって私の肺腑をついたものはなかった。敗戦に打ちのめされてほとんど身を起こすこともできないような痛痛しいこの作家の「声低く語れ」の葬送曲にくらべれば、他の浮々した発言はほとんどみな白々しい空語、空語、空語であった。

林達夫『新しき幕開け』


年齢

 つい先日、横須賀線の電車の中で、小林秀雄と乗合わせた。一年に一度か二度くらい、私たちはそんな会い方をする。わざわざ会いに行くことは、お互いにほとんどなくなった。若いころには、毎日のように会って、お互いに邪魔し合わねば気がすまなかったのだが。
 たまに会うと、やっぱり話がはずむ。何がきっかけだったか、私が「浄土宗は神道と関係が深いという説をどこかで読んだが」というと、小林は急に身を乗り出して、天台宗と本地垂迹説の話をはじめた。たいへん面白いので、私は山崎闇斎の垂加神道のことを口に出した。小林は闇斎の学説が本居宣長に与えた影響について語りはじめた。これもたいへんおもしろく有益だったが、話が終わらぬ先に、電車は新橋についてしまった。
 考えてみれば、小林秀雄は六十五歳、私は六十四歳。なるほど、そうだったな。

林房雄『小林秀雄と「文學界」』


ホモサピエンスの幸福

 それは芸術が、高次元のなりたちをした無意識の働きを、社会の表面に引き出してくる技術のひとつであることからもたらされた特質です。そういう性質は、ホモサピエンスの先祖がラスコーの洞窟にあのすばらしい壁画を描いたときからすでにはっきりと見届けることができますが、とくに宗教の果たしてきた社会的影響力がすっかり弱くなってしまった近代以降になると、芸術自身が自分にひめられている特質にたいしてより意識的になり、そのことを表現すことこそ自分の使命であると考えるようになりました。十九世紀の後半から開始されるいわゆる「モダン革命」の運動において、高次元無意識への通路を開くことが、大きな主題として追求されたのです。
 とくに印象派が出現してからは、この主題の追求はいよいよ純化され、絵画を「様式の革命」と呼ばれるものに、追い込んでいきました。印象派の絵画では、輪郭の消失という現象がおこっています。形態の輪郭が溶解して、内部と外部の隔壁が失われて、そこから光や色彩や生命が画面全体に浸透し出していくようになりました。
 さまざまなレベルで「分離」や「不均質化」をつくりだしていた非対称性の思考の産物が、解体をおこしていたのです。そして、風景を描く画家の位置までが同一性を失って、複数化したり、揺れ動きだしたりするようになりました。すると柔らかい色彩と揺れ動く形態に導かれるようにして、私たちの「心」の内部で対称性無意識の作動がはじまるのです。モネの『睡蓮』を見ている私たちは、そこに幸福の感覚のかけらがキラキラときらめいているのを直感します。伊藤若沖の描いた動物たちのなまなましい姿を見ていると、人間と動物とのあいだに同質な生命の流れが流通しているのを感じて、不思議な幸福感に包まれます。その昔、まだ人間が動物や植物と分離していなかった神話的な時間が、そこには取り戻されているからです。

中沢新一『対称性人類学』


ファンタジー

 “あとから生まれてきてしまったものたち”(子どもたち)に面と向かい、わたしちたちが目をそらすことなく、語るべきものをもつことのできる根拠は、この魔法、このよろこびのおとずれに関わっている。そしてたぶん、そこにしかない。“これからこの世界の悲惨をひとつひとつ知ってゆくものたち”に、悲しみに染めぬかれた喜悦をのぞいて他に、何を語ることができよう。どうして「生きていることは幸せなことだ」と言えよう。
 悲しみが深ければ深いほど人の喜びは深く、悲惨な境涯に生真面目に対面するほど、底ぬけに自由に遊ぶことができる。この魔法を通過することによって、私たちは初めて、幼な児の笑いに、無心な遊びに拮抗できる笑いと遊びをもつことができる。言葉の真の意味でのエピキュリアンになることができる。
 斎藤惇夫がシャルトルの中に見たもの、彼が(たぶんリルケにならって)悲しみと呼んだものは、たぶんこうしたことのすべてなのだ。それはファンタジーの生成のなりゆきであるといっていい。それは、ほどほどの悲惨の認識にみあうほどのあこがれとは無縁である。ファンタジー・ブームとやらいう、夢物語の流行とも、また凡百のファンタジーについての議論とも無縁である。まこと「ファンタジーは、持っているかいないかの問題」(L・ボストン)なのであって、こうした生成の現場におのがじし対面することなしには何の意味もない。

『冒険者たち』(斎藤惇夫・作)の解説(菅原啓州)より


物語

 本来、物語とは「いつまでも終わりなく語りつづける」ことだけを主張してしかるべきものであり、そしてそれこそが近代小説が物語とその読者から無報酬で奪い去ってしまった正当な純朴さの権利である。もし、これを書きつぐことで少しでも、そうしたものを読者――とぼく自身――に還すことができたら、それこそぼくは一介の物語作者として望みうるかぎりの贅沢をゆるされたことになるだろう。そしてそのときこそ、「蜃気楼の戦士」のあの「エヴァ……リー! エヴァ……リー!」という小人たちの叫び声、「アキロニアはコナジョハラを失ったのだ。辺境地帯は押しもどされた。これからはサンダー河が国境だろうさ」というあのコナンのつぶやき、それにぼくの感じてやまなかった、いたたまれぬようなあのやるせなさはつぐないを得ることになるかもしれない。
 ヒロイック・ファンタジー――それは、本質的に《夜》に属する物語である。夜と闇、呪文といかがわしい黒魔術、淫祀邪教と病んだ魂とに。
 ヒロイック・ファンタジー――それは必ず、熱にうかされて見る悪夢の様相をその内にいつまでももっていなければならない。
 ヒロイック・ファンタジー――それは本質的に、成長して子供部屋を立ち去ってゆくことを忘れてしまった、狂った子どものおもちゃ箱であり、母の死をきくまいと自分の頭をうちぬいた明るい青い目(ほんとにそうでなくたってかまやしない)の大男が、その病んだ心の暗がりで見つけた妖女である。

栗本薫『豹頭の仮面』あとがきより


エルリック

「貴公は――得がたい友だ――なぜそんなによくしてくれる……」
 ムーングラムは照れた呟きとともに背を向けた。火で焙るつもりの肉の下ごしらえを始める。
 自分でも白子への友情の意味が理解できなかった。それはつねに遠慮と愛情とが奇妙に混じりあったもので、こういう場合でさえ、二人ともが注意深く保っている微妙な均衡の上に成り立っていた。
 エルリックはサイモリルへの愛が、彼女の死と愛する都の破滅に終わってからというもの、出あう人々に優しい感情を向けることを、つねに恐れていた。
 かれは、自分を深く愛してくれた〈踊る霧〉のシャーリラから逃げた。ジャーコルの女王イシャーナは、家臣らのかれへの憎悪をものともせず、王国をさしだしたが、かれは彼女のもとからも逃れたのだった。ムーングラム以外の人間といるのは長く耐えられなかったし、ムーングラムのほうも、このイムルイルの真紅の眼の皇子以外の人間には飽いていた。ムーングラムはエルリックのために命を捨てるであろうし、またエルリックが友のためにいかなる危険をも犯すことを知っていた。だがこれは不健全なかかわりかたではあるまいか。二人は別の道を歩む方がよいのではないだろうか。ムーングラムはその考えに耐えられなかった。二人はひとつのものの部分―― 一人の人間の性格の両面のようだった。

マイクル・ムアコック『暁の女王マイシェラ』


作り話

ゲーテが面白いことをいってる。「ローマの英雄などは、今日の歴史家は、みんな作り話だと思っている。おそらくそうだろう。だが、たとえそれが作り話だとしても、そんなつまらぬことを言って、一体何になるのか。それよりも、ああいう立派な作り話を、そのまま信じるほど、我々も立派で良いではないか」って。そして「そういう考えの通る時代が客観的で健全な時代だ」と言っている。

高見沢潤子『兄小林秀雄との対話』


ある歴史家に

過ぎ去ってしまったことを誉めそやすあなたよ、
かずかずの民族の外面を、表面を、外に現れ出た生命を窮めゆくあなた、
人間とは政治、集団、支配者、僧侶の所産だと考えてきたあなたよ、
かくいうわたしはアレグニー山地の住人、生まれながらの権利をそなえた、あるがままの人間の歌を歌い、
めったに外には現れ出ないいのちの脈搏(人間が自身にいだく偉大な矜持)をしっかり捉えて、
「人間存在」の歌びととして、今からのちに生まれてくるものの輪郭を描いては、
未来の歴史を投影する。

ホイットマン『草の葉』


アメリカ

 それについて、ここにおかしな話がある。何も時事をふうするわけではないが、おれが始めてアメリカへ行って帰朝したときに、ご老中から「そちは一種の眼光をそなえた人物であるから、定めて異国へ渡ってから、何か眼をつけたことがあろう。詳しく言上せよ」とのことであった。そこでおれは「人間のすることは古今東西同じもので、アメリカとて別に変わったことはありません」と返答した。
 ところが、「さようであるまい。何か変わったことがあるだろう」といって再三再四問われるから、おれも、「さよう、少し眼につきましたのはアメリカでは、政府でも民間でも、およそ人の上に立つものは、皆その地位相応に利口でございます。この点ばかりは、全くわが国と反対のように思いまする」といったら、ご老中が目を丸くして、「この無礼もの。控えおろう」としかったっけ。ハハハハ……

勝海舟『氷川清話』


歴史を読むとは、鏡を見る事だ。鏡に映る自分自身の顔を見る事だ。勿論、自分の顔が映るとは誰もはっきり意識してはいない。だが、誰もがそれを感じているのだ。感じてないで、どうして歴史に現れた他人事に、他人事とは思えぬ親しみを、面白さを感ずる事が出来るのだ。歴史の語る他人事を吾が身の事と思う事が、即ち歴史を読むという事でしょう。本物の歴史家が、それを知らなかったという事はない。そういう理想的読者を考えないで書いた筈がないのです。古い昔から私達が歴史家の先祖と考えてきた司馬遷が、どんな激しい動機から歴史を書いたかは誰も知るところだ。

小林秀雄『交友対談』より


ローマ

ところで私は幼いときからローマ人とともに育てられた。私はわが家のことを知るずっと前からローマのことを知った。ルーヴルを知る前に、カピトリウムとその位置を知っていたし、セーヌ河を知る前にティベリウス河を知っていた。わが国のどの人々について知っているよりも、ルクルスやメテルスやスキピオの境遇や運命についての知識で頭がいっぱいだった。彼らは死んだ。私の父も死んだ。父は十八年前に死んだが、千六百年前に死んだ彼らと同じように完全に死んで、私からもこの世からも遠くにいる。だが私は父に対して、完全な、きわめて強い結びつきで、依然として追憶と愛情と交情を抱きつづけている。

モンテーニュ『エセー』


裸と道徳は無関係

 平民身分の日本人はズボンをまったくはかないので、その格好たるやヨーロッパ人の意表をつくものとなる。かくて運命の悪戯でこの辺境の地に連れてこられたイギリスのお上品な淑女などは、それこそ行く先々で、両手で目をおおい、顔を赤らめて「ショッキング!」と叫ぶしまつ。(中略)
 目下のところ、文明開化をめざす政府は、こうした日本人の裸好きと執拗な闘争をくりひろげている。政府は年頃の娘たちが、街中をわれらが祖エヴァのような略衣で歩きまわるのを禁止したし、公衆浴場では男湯と女湯をしっかり区切るよう命じている。(中略)明らかに江戸の宣教師やその細君たちが政府にたきつけたにちがいないこれらの措置も、かならずしも所期の目的をたっしているとは言いがたい。たとえば公衆浴場では、たしかに男女混浴こそできないが、好きな連中が双眼鏡でも持って、女湯で入浴する日本の女たちに見惚れてるとしても、誰もそれを妨げたりはしないのだから。

メーチニコフ『回想の明治維新』


江戸っ子

正直に白状してしまうが、おれは勇気のある割合に智慧が足りない。こんな時にはどうしていいかさっぱりわからない。わからないけれども、決して負ける積もりはない。このままに済ましてはおれの顔にかかわる。江戸っ子は意気地がないと云われるのは残念だ。宿直をして鼻垂れ小僧にからかわれて、手のつけ様がなくって、仕方がないから泣き寝入りにしたと思われちゃ一生の名折れだ。これでも元は旗本だ。旗本の元は清和源氏で、多田の満仲の後裔だ。こんな土百姓とは生まれからして違うんだ。只智慧のないところが惜しいだけだ。どうしていいか分らないのが困るだけだ。困ったって負けるものか。正直だから、どうしていいか分らないんだ。世の中に正直が勝たないで、外に勝つものがあるか、考えてみろ。

夏目漱石『坊っちゃん』


ウィーン

アントン・ブルックナーがルートヴィヒ・ボルツマンにピアノのレッスンをしていたこと、グスタフ・マーラーがフロイト博士のところへよく心理学の問題をもっていったこと、ブロイアーがブレンターノのかかりつけの医師であったこと。また青年フロイトが青年ヴィクトル・アドラーと決闘したこと――それに、アドラー自身、シュニッツラーやフロイトと同じく、メイナートの診療所で助手をしていたことなどである。要するに後期ハプスブルク朝ウィーンでは、この町の文化的指導者の誰もが、なんの困難もなしに、互いに知り合うことができたのであり、活動した分野が、芸術、思想、それに公務と全く異なっていたにもかかわらず、彼らの多くは、実際、親しい友人であった。

S・トゥールミン/A・ジャニク『ウィトゲンシュタインのウィーン』


野生

 あらゆる偉大な芸術においては、野生の動物が飼い慣らされている。
 たとえばメンデルスゾーンの場合、そうではないが。あらゆる偉大な芸術には、人間の原始的な衝動が、根音バスとして響いている。それは(もしかするとワーグナーの場合のような)メロディーではなく、メロディーに深さと力をあたえるものである。
 その意味で、メンデルスゾーンを「複製的」芸術家と呼ぶことができる。――
 おなじような意味で、私が建てたグレーテルの家は、断固たる耳ざとさの、行儀よさの結果であり、(ひとつの文化などにたいする)偉大な理解の表現である。だがそこには、存分に荒れ狂いたい根源的な生命が、野生の生命が――欠けている。したがってこうも言えるだろう。そこには、健康が欠けている(キルケゴール)。(温室植物。)

ウィトゲンシュタイン『反哲学的断章』


ハードボイルド

狂気の沙汰と思うかもしれないが、最近あの小説を再読して、またとても好きになったので、本当に著者に手紙を書き、お礼を言いたいと思いました。そんなことは変人のやることだとしても、驚かないでほしい。わたしは変人なのだから。

ノーマン・マルコム『回想のヴィトゲンシュタイン』

不運にもマルコムは報告している。「私が記憶している限りで、私はこの作家について何らかの情報を得ることはできませんでした。」これは残念なことである。一九四八年頃にはノーバード・デイヴィスは、実際には痛ましいほど落ちぶれていたからだった。彼は、ダシール・ハメットや他の黒人作家たちと一緒で、アメリカの<ハードボイルド>推理作家のパイオニアのひとりであった。三〇年代の初めに、彼は推理小説を書くために弁護士職を捨て、その後一〇年間作家として成功を収めた。しかし四〇年代の後半には彼は不遇であった。ウィトゲンシュタインがマルコムに手紙を書いた後まもなく、デイヴィスはレイモンド・チャンドラーに、彼の最近の十五の作品のうち十四が出版を拒否されたので、チャンドラーに二〇〇ドル貸してほしい旨の手紙を書いた。その著者に感謝の手紙を書こうとしたほどウィトゲンシュタインの好きな本を書いたという希有な(たぶん独特な)栄誉にも気づくことなく、翌年にデイヴィスは貧困のどん底のうちに亡くなった。

レイ・モンク『ウィトゲンシュタイン』


三国志

 そして、そこには悠久の歴史ロマン、また男のロマンとやらがあるらしいが、英雄豪傑どもの果てしない戦いの背後では、老人幼少が分け隔てなく大屠殺され、女は掠われ見境無く繰り返し繰り返し強姦されているのであり、残虐この上なく、『三国志』には踏みにじられた人々の怨嗟の声が満ち満ちて抑圧され秘められているのである。『三国志』を面白がっていいものかどうかいささか悩むところである。
 英雄連中もしょっちゅう二十、三十万の大軍を起こしては火で燃やされたり、河江に沈められたり、得体の知れない罠にはまったりして、虫けらのように殺されてゆく。それを、
「乾坤一擲の大智謀、秘計が当たったわい!」
 と喜んだり、褒めたり、けなしたりし合っているのである。人間の知性は『三国志』では、人殺しに用いられるばかりである。紛争解決にもっとよい知恵を出すのが知性というものだろうと思いたい。敢えて人類とは度し難い生き物だということを示したいのか。

酒見賢一『泣き虫弱虫諸葛孔明』


レノン

ジョン・レノンは、完璧なポップ・メーカーに一番近かった人だと思ってる。何て言ったら良いかな。僕にとって完璧なポップ・ソングというのは、ジョン・レノンの“インスタント・カーマ”なんだ。彼はあの曲の中でもの凄くパワフルな事をもの凄くシンプルに述べているだろう? それに素晴らしいメロディ・センスの持ち主でもある。でも決してラフなエッジは失わなかったね。ポール・マッカートニーは割と曲の全てをなめらかに作り上げて行くけどジョンの場合は即席っぽくラフに作って、ラフのままにしておくんだ。するとそのラフさというのが次第に宝石の様に輝き始めるんだ。そういう意味では、彼は音楽の中で、世界を的確に捕えてたと思う。

デイヴ・スチュワート


感情

それから感情について言いますと、あなたというものを集中し高める感情はすべて純粋であり、あなたの本質のただ一面のみを捉え、こうしてあなたを歪める感情は不純であります。あなたが御自身の幼年時代に直面しながらお考えになれるすべてのものは、よいものです。あなたをこれまでの最善の時にも増して、より豊かなものとするものは、すべて正しいのです。すべての高揚はよいものです。それがあなたの血全体の中にある時は。そしてそれが陶酔でなく、混濁でなく、その底までも透いて見える喜びであるならば。私の言うことがおわかりでしょうか。

リルケ『若き詩人への手紙』


物のあはれ

 中国的思考の特徴をなす――と宣長の考えた――事物にたいする抽象的・概念的アプローチに対照的な日本人独特のアプローチとして、宣長は徹底した即物的思考法を説く。世に有名な「物のあはれ」である。物にじかに触れる、そしてじかに触れることによって、一挙にその物の心を、外側からではなく内側から、つかむこと、それが「物のあはれ」を知ることであり、それこそが一切の事物の唯一の正しい認識方法である、という。明らかにそれは事物の概念的把握に対立して言われている。
 概念的一般者を媒介として、「本質」的に物を認識することは、その物をその場で殺してしまう。概念的「本質」の世界は死の世界。みずみずしく生きて躍動する生命はそこにはない。だが現実に、われわれの前にある事物は、一つ一つが生々と自分の実在性を主張しているのだ。この生きた事物を、生きるがままに捉えるには、自然で素朴な実存的感動を通じて「深く心に感」じるほかに道はない。そういうことのできる人を宣長は「心ある人」と呼ぶ。
 (中略)宣長の言わんとするところを、いま、「本質」論的に敷衍して表現するとすれば、「物の心をしる」とは、畢竟するに、一切存在者の非「本質的」(=「本質」回避的、あるいは「本質」排除的、すなわち反「本質」的)、つまり、直接無媒介的直観知ということになろう。事物のこのような非「本質」的把握の唯一の道として、宣長は「あはれと情(こころ)の感(うご)く」こと、すなわち深い情的感動の機能を絶対視する。物を真に個物としてあるがままに、それの「前客体的」存在様態において捉えるためには、一切の「こちたき造り事」を排除しつつ、その物にじかに触れ、そこから自然に生起してくる無邪気で素朴な感動をとおして、その物の個的実在性の中核に直接入っていかなくてはならない、というのだ。

井筒俊彦『意識と本質』


コトバの天使学

ここで「天使学」というのは、もともと、グノーシス的傾向の著しく強かったフランスのイラン学者、アンリ・コルバンが、古代イランのゾロアスター的「幻想」を想わせるスフラワルディーの宇宙ヴィジョンを叙述するにあたって使いだした angelolgie という語をそのまま英語にして活用したもので、思想としては明らかにコルバンの影響だが、要するにヒルマンが言いたいのは、およそコトバなるものには「天使的側面」があるということ、つまりすべての語は、それぞれの普通一般的な意味のほかに、異次元的イマージュを喚起するような特殊な意味側面があるということだ。「天使」などのように、始めから異次元の存在を意味する語ばかりでなく、「木」とか「山」とか「花」のようなごくありきたりの事物を意味する語も、やはり、異次元的イマージュに変相する意味可能性をもっている、というのである。すべての語が内含するこの異次元的意味可能性を、彼は語の「天使の側面」(the angel aspect of the world)と名付ける。

井筒俊彦『意識と本質』


ダイモーン

ヘラクレイトスの言葉は、エートス・アンドローポー・ダイモーン(『断片』一一九)というのです。これはふつう、「人柄は人間にとってかれの守り神である」と訳されています。この翻訳は近代的であって、ギリシア的ではありません。エートスは滞留、すなわち住まいの場所〔居所〕を意味します。この語は、人間がそのなかに住んでいる開かれた区域をいいます。人間の住まいの開けた場所は、人間の本質へと来るもの、したがってまた、その近くにやって来て留まるところのものの姿をあらわせます。人間の滞留は、人間が本質的に属すところのものの到来を含みかつ護ります。これが、ヘラクレイトスの言葉に従えばダイモーンすなわち神なのです。そこでヘラクレイトスのさきの言葉は、「人間が人間であるかぎり、かれは神の近くに住まう」ということです。

言葉は存在の家です。その住まいに人間が住まうのです。思索する者と詩作する者は、この住まいの番人です。かれらが番することによって、存在は完全に姿をあらわします。それも、かれらがかれらの発言をつうじて、存在のあらわれを言葉にもちこみ、そして言葉のうちに保存しているかぎりにおいてです。

ハイデガー『ヒューマニズムについて』


ニーチェ

僕、最近ニーチェを読み返して感じたのだけど、ニーチェが古代ギリシャの神々を信じたのと、本居宣長が古代日本の神々を信じたのと、一脈共通するものがあるんだ。それは決して狂信的なものじゃない。彼らの合理精神がいきつくつところ、そうなるんだ。だから、宣長は儒学を排撃するでしょう。しかし本当をいうと、彼の思想的骨格は実は儒で出来ている。しかし儒にある観念論が日本人の素直な心を誤るからこれを排撃するんだ。同じように、ニーチェの人格も、泥をはかせればキリスト教で出来ている。しかしキリストの慈愛(シャリテ)が人間性の厳しさを甘やかせるから、これを拒否しなければならない。つまりニーチェにとってキリスト教は「から心」なんだ。ニーチェは心の故里に還るために、反キリストを標榜してるのさ。

河上徹太郎『鼎談(座談)』より


思想の軽蔑

純潔なる思想は書を読んだのみで得られるものではない。心に多くの辛い実験を経て、すべての乞食根性を去って、多く祈って、多く戦って、しかる後に神より与えられるものである。これを天才の出産物と見做すのは大なる誤謬である。天才は名文を作る、しかも人の霊魂を活かすの思想を出さない。かかる思想は血の涙の凝結体(かたまり)である、心臓の肉の断片である。ゆえに刀をもってこれを断てばその中より生血の流れ出るものである。ゆえにいまだ血をもって争ったことのない者のとうてい判分することのできるものではない。文は文字ではない、思想である。そうして思想は血である、生命である。これを軽く見る者は生命そのものを軽蔑する者である。

内村鑑三『内村鑑三所感集』


ヤらないか?

 オレ達が時々“モー(Moe)”と呼んでいたビル・エバンスがバンドに入ってきた時は、あまりに静かなんで驚いた。ある日、どれだけできる奴なのか試してみようと、言ってみた。
「ビル、このバンドにいるためには、どうしたらいいか、わかってるんだろうな?」
 奴は困ったような顔をして、頭を振りながら言った。
「いいや、マイルス。どうしたらいいだろう?」
「ビル、オレ達は兄弟みたいなもんで、一緒にこうしているんだ。だからオレが言いたいのは、つまり、みんなとうまくヤらなくちゃということさ。わかるか? バンドとうまくヤらなくちゃ」
 もちろん、オレは冗談のつもりで言ったんだが、ビルはコルトレーンのように真剣そのものだった。で、十五分ぐらい考えた後、戻ってきて言った。
「マイルス、言われたことを考えてみたけど、ボクにはできないよ。どうしても、それだけはできないよ。みんなに喜ばれたいし、みんなをハッピーにしたいけど、それだけはダメだよ」
「おい、お前なあ!」。オレは笑って言った。で、奴にも、やっとからかわれてることがわかったんだ。ビル・エバンス、いい奴じゃないか。

『マイルス・デイビス自叙伝』


余は如何にして基督信徒となりし乎

終章で語られる「基督教国の偽りなき印象」には、「三年半のそこでの滞在は、それが余に与えた最高の厚遇と余がそこで結んだ最も親密な友情をもってしても、余を全くそれに同化せしめなかった。余は終始一異邦人であった」と書かれている。彼(内村鑑三)の「偽りなき印象」によれば、今こそ明瞭に言う事が出来るが、「基督教国の基督教性」とは、「その教授達によって装飾され教養化された基督教」以外の何物でもない。これが常套の状態となっている彼等には、当然その自覚が欠けている。この出来合(レディー・メイド)の基督信徒の間を渡り歩いて来た事を、内村は「海陸二万マイルをこえる流竄」と呼んでいる。「異邦人」は、みなに別れを告げて、「帰郷」の途につく。流竄の身のポケットに残されたのはわずか七十五銭であったが、携え帰った知的資本にも、両親を喜ばす為の卒業証書の類は一枚もなかった。彼は、ただ心の奥深く、信仰上の信念を秘めていただけである。――「余は夜遅く我が家に着いた。丘の上に、杉垣に囲まれて、余の父親の小家屋が立っていた。『お母さん』余は門を開けながら叫んだ、『あなたの息子が帰って来ました。』」――内村の眼前には、苦労と忍耐とに痩せた、この世のものとも思われぬ美しい女性と男々しい男性とが立っていた。極度に簡潔な筆致は、極度の感情が籠められて生動し、読む者にはその場の情景が彷彿として来るのである。

小林秀雄『正宗白鳥の作について』


梁塵秘抄

遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子どもの声聞けば
我が身さへこそ揺がるれ

ミュージシャン

リンゴはすごくいいドラマーだ。昔からうまかった。テクニックとしては特にうまくないけど、リンゴのドラムは、ポールのベースと同じように過小評価されていると思う。ポールはベーシストの中でもいちばん革新的なベーシストのひとりなんだ。今のベース・プレイの半分は彼のビートルズ時代のプレイのパクリだよ。ポールは自分のベースに対して謙遜してたんだ。すべてのことに利己主義なあいつが、自分のベースにだけはいつも謙遜してた。(中略)チャーリーはとてもいいドラマーだし、もうひとりのやつもいいベーシストだ。でも、ポールやリンゴだって、どんなロック・ミュージシャンにも負けやしない。テクニックはそれほどでもないけどね。僕たちはテクニックで売るミュージシャンじゃなかったんだ。楽譜も読めなかったし、書くこともできなかった。だけど、純粋にミュージシャンとして音楽をつくる才能にかけてはだれにも劣らなかったんだ。

ジョン・レノン『ジョンとヨーコ ラスト・インタビュー』


耳を傾けること

あるとき、小林さんの人柄の無類の魅力に、僕は危機感を感じましてね、つまり、この人のそばにいるとあぶねえと思った。この魅力そのものにやられちゃいそうだと思ったんですよ。で、あるとき、意を決して、鎌倉に伺って、今日は、小林さんを批評しに来たと言ったら、にやっと笑って、「上がんな」とおっしゃるから、上がったら、煙草をいっぱい持ってきて、机の上にポンと置いてね、「言ってみな」って。それから僕、批判を始めたわけです。小林秀雄はヴァレリーにくらべていかに中途半端であるか。いかに小林さんのドストエフスキー論が単純であるか。言いたいことは全部言った。小林さんは一言も言わないで黙って聞いている。で、一時間半もしゃべると、だいたい言うことは尽きるわけですよ。僕が黙ったら、「それだけか」っておっしゃる。「はい」って言ったらね、一番僕が予想してなかった返事が戻ってきてね、「おめえの言うとおりだよ」っておっしゃるんです。これは、どんな返答よりも堪えましたね。おめえに何がわかる、バカヤローとか、帰れとか言われるんじゃないかと思っていましたから。僕は、かなり無礼なことを言ったわけですよ、一時間半にわたって。あの人は、ほんとにそう思う人なんだね。

粟津則雄『小林秀雄体験』


ドビュッシー

音楽から、一切の科学的な仕組みをとりのぞかなければなりません。音楽は、謙遜に<楽しませ>ようとつとめるべきです。その限界内に、ありうべき偉大な美が、おそらくある。極端にこみいっているものは、芸術とは反対の側にあります。美は<感じられる>ものであり、私たちに直接のたのしみを得させ、それを手中にするためのどんな努力をも求めずに、自分をつらぬき、しみとおってゆくものでなければなりません。レオナルド・ダ・ヴィンチやモーツァルトをごらんなさい。かれらこそ大芸術家です!

『ドビュッシー音楽論集』


マラルメ

 わたしたちは田園地帯を歩いた。《技巧的な》詩人は、素朴きわまる花々を摘んだ。ヤグルマギクやヒナゲシでわたしたちの両手はいっぱいになった。大気は火と燃えていた。絶対的な壮麗さ。眩暈と交換に満ちた沈黙。不可能な、あるいは超然とした死。すべてはすさまじいばかりに美しく、燃え上がり、眠っていた。そして、地上のものの姿は揺らめいていた。
 壮大で純粋な空のもとで陽光を浴びながら、あたかも、破壊自体が完成するやいなや破壊されるように、わたしは、明確に区別されるものがなにも存続せず、なにも持続せず、それでいてなにも止むことのない白熱世界を夢想していた。わたしは、存在と非在との差異の感覚を失いつつあった。音楽が、あらゆる印象のかなたにあるこうした強烈な印象を与えることがある。わたしは、詩もまた、諸々の観念の変容の至上の戯れではないだろうか、と考えていた。

 マラルメは、例年より早めに到来した夏が黄金色に染め始めていた平原を、わたしに指さした。《見てごらん、あれは、秋のシンバルが大地に打ち下ろす最初の一撃なんだよ》、と彼は言った。

 秋が来たとき、彼はもういなかった。

ヴァレリー『最後のマラルメ訪問』


立ち返り

日本人  日本の私の教師や友人たちは、あなたのお骨折りを常にこの意味で理解していました。田辺教授は、かつてあなたから向けられた問いによく立ち返っていました。おまえたち日本人は、いよいよ貪欲になってヨーロッパの哲学でその都度の最新のものばかり先を争って追いかけたりする代わりに、どうして自分自身の思考の立派な始まりに想いをいたさないのか、という問いです。実際、今日でもなおそういうことが続いてます。

ハイデッガー『言葉についての対話』


日本哲学

日本文化がみずからの思想を、論理ではなく、小説や詩歌や芸術のかたちを通して表現してきたことはたしかであって、あきらかにそこには独特の構造をもった表現がなされている。小説は主人公がいつも同一であることを許さず、さまざまな意味が錯綜しあい流動的に変化していく状態をつくりだすことによって、人間世界の「あはれ」の様を描こうとしてきた。詩歌には「喩」が重要な役割を演じて、ここでもことばから概念のようなものが発生することを回避する技術が、磨かれてきた。芸術にあっても事情は同じで、同一なものが反復するのではなく、有と非有の境で微妙に変化していく空間を造形することに、この文化はたいへんな精力を注いできたのだ。

「日本哲学」の課題は、したがってはじめからダブルバインド的だったのである。西欧哲学の巨大な体系に出会ったとき、「日本哲学」の創始者たちは、それが数学的な厳密さを持った概念の体系として構築されている様子に、深い感銘を受けた。しかし、彼らは多くの同僚たちのように知的な輸入業者として振る舞うことを、みずからに拒絶したのである。西田幾太郎も田邊元も、ギリシャ哲学の創始者と同じような振る舞いをしようとした。つまり、彼らの生きている文化(ポリス)において、マテーシスの振る舞いをおこなうことを、行為の基準に定めたのである。自分と同じ文化を生きるみんながすでによく知っていることを、芸術や文芸のやり方によるのではなく、きちっとした概念と論理によって語り出してみることが、哲学の始原であるマテーシスの行為である。その行為を「幾千年来我々をはぐくみきたった東洋文化」の中でおこなおうとするとき、即座にいくつもの障害が立ち上がる。

中沢新一『フィロソフィア・ヤポニカ』


ビートルズファン

「好きな曲はなんですか?」
「まあ、嫌いな曲をあげるのが難しいようなものですが、強いてあげれば<アイ・コール・ユア・ネーム>系の作品は好きですね」
「ああ、じゃあ<スロー・ダウン>系もいいでしょう?」
もちろん、このあたりは軽いジャブ程度のものだ。お互いに、大ヒット曲のタイトルは口にしない。<イエスタデイ>が好きだなどというのは、ファンとは言えないのだ。あの名曲は、誰もが好きなのだから。
「<ホット・アズ・サン>のビートルズ・バージョンは聴いたこと、あります?」
「幻の名盤のタイトル曲ですね。ポールのハミングが入ってるやつでしょう? 基本ですね。でも<ノーバデイ・アイ・ノウ>をビートルズが演奏しているものは聴いたことがないんですよ」
「ああ、それは僕もない。海賊版(ブートレグ)でも出てないんじゃないかなあ」
このあたりになると、完全にオタクの領域で、普通の健康な人々には近寄りがたい世界だろう。
僕は島田さんを「なかなか、やるじゃないか」と思いはじめ、島田さんは僕を「こいつは、どうして捨てたものじゃない」と見直しはじめていた。

井上夢人『島田さんとビートルズ』


再びビートルズ

ジョンの死後なん日かたってまざまざと見せつけたのは、彼らの音楽には、生き方もものの見方もぜんぜん違う人々を一つにさせるだけのパワーがあるということだった。それは全世界が経験した集団的なカタルシスだった。彼らは世界の家族となり、彼らの音楽はいまもクリエイティヴなインタープレイをかたちにし、実行しつづけている。つまり、「ツイスト・アンド・シャウト」をカヴァーしたとき、彼らはみんなを踊らせたかったのである。ダンス・フロアーの上ばかりでなく、毎日の生活のなかで。彼らはできうるかぎりこの根本的発想を強調している。厳しい現実にはみんなで共通の夢をもてと。夢の生活と現実の生活との違いを認め、感情と知性の奇妙なスリル感を楽しみ(「ヘイ・ジュード」、「インスタント・カーマ」)、絶望を共有するときの心を洗う効果を味わえと(「エリナ・リグビー」、「ドント・レット・ミー・ダウン」)。

ティム・ライリー『ビートルズ全曲解説』


ロック

 しかし真に歴史的な瞬間は、その十分後だった。B面用に「ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー」を録音しようとした時のことだ。エルヴィスは、ファルセット(裏声)混じりのワルツで歌われていたこの曲を、歌詞の語彙を少し増やし、四拍子のリズムに乗せて激しく歌った。瞬間、サムの背中に電撃が走り、興奮したサム・フィリップスのこの時の声は、CD「コンプリート・サン・セッション」で今も聴ける。スタジオのドアを開け、彼はこう叫んでいる。
「おい凄いぜ! 今までのとは全然違う。そいつはもうポップ・ソングだ!」
 一九五三年七月五日、世界の音楽史にロックという新しい音楽が生まれた瞬間だった。

島田荘司『聖林輪舞』


ジャイナ教

ジャイナ教徒はラージプートの気質の多くを併せ持っている。この二つの伝統は共通の基礎の上に成り立っている部分が多い。例えば、他者への奉仕における自己犠牲や、他者が助けを必要としているときには手を差し伸べることなどである。重要な違いは、ジャイナ教徒が暴力を用いることを放棄している、ということだ。そこには妥協はない。彼らにとって目的が手段を正当化することはない。いかなる状況でもジャイナ教徒が武器を手にして人を殺すことはないが、ラージプートは正義や名誉や正しいもののために戦う。

サティシュ・クマール『君あり、故に我あり』


ある日本の若い貴族と、ある日話をしたとき、キリスト教のお祈りは静かに心の中で称えるのだそうだという話になり、彼が子供のとき、父親から与えられた刀が彼の生活の中で同じ役割を果たしていることを打ち明けてくれた。彼の話によれば、まだ六歳の少年だったとき、父親が彼を傍らに呼び、敵が攻めてきたらどうするかと突然尋ねた。「刀を手にとります」と彼は答えた。この実際的な答えに父親は大いに喜び、未だきわめて若かったにもかかわらず刀を与えられたのであった。彼は話を続けて、自分の部屋にいつもその刀を掛けておいて毎晩それを持って立ち、一日を振り返ってみて刀に値しないようなことを何かしたか反省するのだと語った。「どんな悪いことでも、切り開いて進まねばなりません」というのが彼の言い方で、「私は朝一番にも同じことをしますが、誰にも気づかれないようにしています」とつけ加えた。

エセル・ハワード『明治日本見聞録』


イティハース

「歴史(イティハース)」の語義は「このようになった」です。この意味でとると、サッティヤーグラハの証拠はたくさん出せます。英語の単語の「歴史(ヒストリー)」は翻訳で、単語の意味は帝王たちの行跡です。この意味で取ると、サッティヤーグラハの証拠はありえません。錫の鉱山で銀を探してもどうして見つかるでしょうか? 「歴史(ヒストリー)」では世界の戦争の物語だけが見つかるでしょう。白人たちの諺があるのですが、「戦争(ヒストリー)」のない民族は幸せである。帝王たちがどのように享楽に耽ったか、どのように殺し合ったか、どのように仇同士になったか、そのすべてが「歴史(ヒストリー)」に見られます。もしこれこそが歴史であれば、もしこれだけであったら、世界はとっくの昔に沈没していたことでしょう。もし世界の物語が戦争から始まったとしたら、今日、生き残っている人間は一人もいないでしょう。

M・K・ガーンディー『真の独立への道』


ゲリラ

 ゲリラ隊員が戦死した場合には、これに武器弾薬をもたせたまま遺棄してはならない。戦友がたおれた時はいつでも、これら戦闘のために極度に必要な用具をすぐさま回収することがすべてのゲリラ兵士の義務である。弾薬にとくに注意を払い、特別の方法でそれを使用することがゲリラ戦の特質のひとつなのである。ゲリラ部隊と正規軍のあいだのどのような戦闘においても、発砲のやり方を見ただけで両者を識別できる。正規軍が大量に発砲するのにたいし、ゲリラ部隊は散発的に、しかし正確に射撃するのである。
 かつてわがゲリラのひとりが、――かれは戦死したが――機関銃を使用して連続射撃につぐ連続射撃を約五分間おこなったことがあった。しかしこのためにわが部隊は非常な混乱におちいった。兵士たちは射撃のテンポからして、かれのいた重要拠点がすでに敵に占領されてしまったのではないかと思ったのである。これはその陣地がきわめて重要だったために弾薬節約のルールを無視したまれなケースだったのである。

エルネスト・チェ・ゲバラ『ゲリラ戦争』


いい人

 『本居宣長』を読んで、私には本居宣長に関する知識が少しだけ増えた。しかし、本居宣長の著作を読んでみようという気は起こらなかった。本居宣長という人物に魅力を感じないのも相変わらずだったが、その代わり、「小林秀雄という人はいい人なんだ」という実感を得た。「日本の知的社会の中枢に“いい人”がいるということは、とてもいいことだ」と思って、些か救われた気がした。そんな感じ方をしたのだから、私は日本の知的社会に「いやなもの」を感じていたのである。これを、本居宣長的――あるいは小林秀雄の書く『本居宣長』的に言えば、「日本の知的社会に漢意(カラゴコロ)を感じていた私は、小林秀雄にやまとごころを見た」である。「やな感じがするもの」が漢意であり、「いい感じがするもの」がやまとごころである。なぜかと言えば、本居宣長が、「やな感じがするもの」に対して「漢意」という言葉を与え、「いい感じがするもの」に対して「やまとごころ」という命名規定をしたからである。小林秀雄の『本居宣長』を読んで、私はそのように理解した。この理解を、小林秀雄は否定しないと思う。

 彼が「読んで欲しい」と言うものは、この本の最後で語られる「宣長の自問自答」ではないだろう。それは『本居宣長』という本の中で委曲を尽くして語られた、「あなたは自分に誠実に、よりよく生きようとしているのか?」という問いだろう。「私がなにを言いたいかは、私の書いたものの中に明瞭に存在している」と明言する小林秀雄を、私は「いい人」だと思う。小林秀雄に関して、『本居宣長』しか読んでない私に、それ以上のことは分からない。

橋本治『宣長と桜と小林秀雄』


陋巷に在り

 孔子の門弟三千人、文、行、忠、信を心得た皆、異能の士なり。そのうちことに優秀な弟子十名が十哲として後に伝えられた。しかしその中で孔子がことに惜しみ愛した弟子は顔回ただ一人であった。後世の研究者たちも、
「何故、顔回なのか」
 がはっきりとは分からなかった。儒教道学の観点からしか研究出来なかったかれらに分かるはずもない。序に述べた通りに作者にも分からなかった。
 だが、奇妙な話だが作者はこの長い小説を書いているうちに、ようやく、おぼろげにやっとそれが分かってきた。作者は長い年月を顔回と孔子に付き合ってきた。
「何故、顔回だったのか」
 を知るには作者はこの年月はどうしても必要だったのであろう。作者が自ら書く小説に教えられることは多々あるのである。 
ただ「陋巷に在り」を書くにあたり、唯一キーワードとしていたのは、
「思い邪無し」
 ということであった。嘘であっても邪であってはならないということでもある。「陋巷に在り」にかぎらない。どんなものを書こうが、この心なかりせば小説家はたんなる騙り者、何を言いたいんだかよく分からん文学屋に堕してしまうのではなかろうか。
(中略)最近、「三国志」の話を書いている。作家人生の中でよもや「三国志」を書くなどあり得まいと思っていたが、そうなればなったで開き直るしかなく、「陋巷に在り」執筆で学んだものが「周公旦」のときのように活かされればと考えるところだが、どう転ぶかは見当も付かない。

酒見賢一『陋巷に在り』13巻&そのあとがきより




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