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"ラストバトル” (前編)

 膝、だな……。
 タカハシは低く呟いた。店内の喧騒に掻き消され、その声は言った当人の耳にすら届かなかった。
 ギルがタカハシのグラスに酒を注ぎ足す。口をつけると、甘いふくよかな香りが舌先に転がり、やがて炭火のようなじわりとした熱さに変わる。
 「どうだい、奴なら」
 「持って一分」
 ステージでは早くも次のバトルが始まろうとしていた。客席の真ん中に設えられた方形の空間へと新たにステップを上っていくのは、グラハムといってこの店では知られた存在だ。昼間は運送業か何かをやっているらしい。
 「でも奴の足技はちょっとしたもんだぜ。プロをのしたことだってある」
 タカハシは首を振った。ギルは不満そうな顔をしたが、別の客に呼ばれてタカハシの前を離れる。
 サブマネージャーのリンが客席の間を巡り、賭け金を集めていく。オッズは七対三。グラハムの方に人気が集まっていた。当然だろう。もう一方の相手はすでに五戦している。いずれも短時間で勝利しており、ほとんどダメージを負っている様子はなかったが、しかし肉体のみならず精神にもひどく負担がかかるのがバトルだ。
 素手であること。ルールはそれだけ。相手がどんな技を使ってくるのか分らない。一瞬たりとも気が抜けない。目に見えない、あるいは当の本人にすら気付かないような疲労が相当たまっている筈だった。まして今度やるのはグラハムだ。さっきまでのジャリどもとは格が違う。七対三どころか十対一でもおかしくない。
 グラハムはリラックスしている様子だ。シャツの下から盛り上がった筋肉はいかにもゴツく、さらに坊主頭に太い眉と、子供が見たら泣き出しそうな面相だが、存外愛敬のある瞳をしている。元来が気のいい男であり、バトルで叩きのめした相手を自ら病院へ担ぎ込んだりといったことも日常茶飯だ。軽く身体を動かす合間にも、常連の客達と冗談を飛ばし合う。
 ワン・オン・ワン(いざ立合い)を知らせる笛が鳴った。グラハムは馴染みの一人にタオルを預け、対戦相手に歩み寄ると、気さくに手を差し出した。
 「グラハムだ。楽しもうぜ」
 手を取るか、否か。未知の相手の実力を量るための、彼のいつものやり方だった。
 
 ここ〈セントエルモ〉では、よそものの挑戦者はいつでも歓迎される。強くてイキのいい奴なら尚更だ。
 それは、バトルに参加する者も、また賭けるだけの者も、ここで行われるバトルのレベルの高さには絶対の確信を持っているから。そこいらの店のLBクラスが出張ってきても、ここではせいぜい普通より少しは強いかな、といった程度のものだ。プロくずれの流しの稼ぎ屋ごときは四つに畳んで放り出す。実力に裏打ちされた自負がある。
 それが目下の所、全くの新顔に、あっという間に五人抜きされている。
 そう、この女に。
 
 セレナ・ヴェルコフは差し出された手を完璧に無視してのけた。空気に対するのと同等の扱いだった。
 敵意を示すのならば良い。料理を引き立てるスパイスみたいなものだ。
 だがこの女はこう言っている。
 お前は私の敵ではない、と。
 店の中は刹那静まり返り、そしてすぐに沸き立った。
 「グラハム、やっちまえ」「セントエルモの実力教えてやろうじゃねえか。そろそろ痛い目見さしてやんねえと」「ま、殺さねえ程度にな」「構やしねえさ、殺っちまえ。後でギルが挽き肉の材料に使うってよ」
 一身に向けられる野次を、だがセレナは気にも留めていない。カーキ色のタンクトップを身に付けており、漆黒に耀く肌に薄く汗が浮いている。武人よりは舞人を思わせる身体付きで、鍛え上げられてはいるが、はっきりいって華奢だ。捉まえるか一発当てるかしさえすれば、グラハムの勝ち。誰でもそう思うだろう。
 だが冷然と佇むその姿からは、セレナ自身が勝負の綾をどのように見定めているのか窺い知ることはできない。
 
 照明が落とされる。
 ステージだけが白く浮かび上がる。
 方形の舞台の上に、残されたのはただ二人。
 
 グラハムが先に仕掛けた。
 身体を沈ませての回転蹴りは、過去幾人もの相手を屠った技だ。牛と力競べ出来そうなグラハムの巨体が一瞬にして相手の視界から消え、そして戸惑う暇もあらばこそ、強烈な衝撃が下肢を襲う。それでジ・エンド。最早立ち上がることはかなわない。今度も同じだ。必殺のタイミング。グラハムは勝利を確信した。
 
 一撃。
 押し殺し切れない苦鳴が洩れる。
 膝関節を破壊されたグラハムが、ステージの上をのたくっていた。
2005/ 1/ 4
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