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(前編)
"ラストバトル” (後編)
「グラハム!」
馴染みの客達がステージへと駆け上る。医者が呼ばれた。騒然とする中を、セレナはつまらなそうにステージを下りていく。勝ち誇った様子など微塵もない。退屈な仕事を退屈にこなした。そんな表情だった。
足を上げて、下ろした。
グラハムとのバトルでセレナがしたことは、言葉にすればただそれだけだ。
だが高速で繰り出される練達の蹴りを、線ではなく点として捉え、それも受けるのではなく真上から踏み折ったのだ。飛んでくる蜂を指で突き殺すかのごとき、恐ろしく精度の高い技だった。
「ウイスキー」
セレナはカウンターの空いている席に尻を落とした。タカハシの隣だ。ギルは黙ってグラスを置く。セレナは一息に飲み干し、叩きつけるように卓に戻す。
「あんたは観ないのか」
ステージでは再び新たなバトルが始まっていた。両者一歩も引かない真っ向勝負の殴り合いに、店内は大いに盛り上がっていて、関心を向けていないのはタカハシぐらいなものだった。
「そうだろうな。子供の喧嘩だ」
黙殺するタカハシに気を悪くした風もなく、セレナは一人で頷いた。ギルは眉根に皺を寄せる。
「これでもここいらじゃ最強って言われてんですが」
「そう聞いた。だから来たんだが、今日はたまたま弱い奴ばかりが集まってるようだな」
痩せぎすの背中を丸め、タカハシは舐めるように酒を口に運んでいる。上背はまだしも、肉の付き方はいたって貧弱だ。目方はセレナよりも軽いだろう。針金細工の人形に服を着せたみたいだ。セレナは皮肉な笑みを刻む。
「あんた、どうだい。十対一でいい。俺とやらないか」
もちろん冗談だ。たとえ百対一のハンデをやったとしても、この男が自分とのバトルを承知するとは思えなかった。だからといって蔑むつもりもない。彼女にとってバトルは至上だが、誰にとってもそうであるわけではない。その程度は弁えている。
タカハシは隣のスツールに掛けてあった上着を手に取った。
帰るのか、とセレナは思った。馬鹿にされたと感じて、気を悪くしたのだろう。
しかしタカハシが向かったのは出口とは逆の方向だった。
セレナは驚いたように彼の行く先を見つめた。白光に照らされたステージでは今まさに決着が付いたところで、乱打戦を制した勝者が半ば朦朧としながらも歓声に応えていた。
「まさか、やる気か、あいつ?」
振り返ってセレナがギルに問う。答えは素気ない。
「みたいですね」
「相手が誰だろうと俺は本気でやる。それでもいいんだな」
「それは奴に言ってやってください」
「それもそうだ」
セレナはつまらなそうに言った。
#
鐘が三度鳴らされた。長く、短く、また長く。本日のラストバトル。
いつもであれば、勝っている者も負けが込んでいる者も、ここぞとばかりに盛大に金を張り込む。自分の賭けた闘手には声援を送り、敵方へは野次を飛ばし、爆弾が破裂しても気付かれないほどの興奮状態に包まれる。
しかし今回は様相が違っていた。
今この店に入ってきたとしても、これからラストバトルが始まるところだとは誰も信じないだろう。まるで葬儀の場ででもあるかのように静まりかえっている。
今回、賭けに参加したのはわずかに二人。セレナとタカハシが自分自身に賭けているだけだった。
セレナはうそ寒さを感じ、だがすぐに振り払う。異常な雰囲気に呑まれてはいけない。集中力を途切れさせてはならない。賭ける者がいないのも盛り上がりに欠けるのも当然のことだ。初めから結果が分っていてはギャンブルは成立しないのだから。
ステージの対角線上に、タカハシはうっそりと立っている。皺の寄ったコットンパンツにくたびれたシャツ。バーカウンターには似合っても、闘いの場にはおよそ不釣合いだ。猫背のせいで痩せぎすの身体がいっそう貧相に見える。あるいは殺してしまうのではないか。セレナは逆の意味で危惧を抱いた。
バトル開始。
タカハシは何の構えもない。セレナは左に半身を取り、両腕を前にかかげる。まともに構えたのは今日初めてのことだ。セレナは驚く。意識して構えたのではない。身体が反応したのだ。
改めて相手を見直す。自然体といえば聞こえはいいが、単に隙だらけなだけだ。警戒しなければならない理由など見出せない。
ほんの少し、間合いを詰めた。セレナの蹴りが届くぎりぎりの距離。もしこの男に見切りができるなら、絶対に反応がある筈だ。
反応は無かった。
セレナは踏み込んだ。鞭のような左ジャブ。
男達に比べてどうしても体格で劣ることの多いセレナだが、スピードとバネはそれを補って余りある。バトルの世界に入って以来、このジャブを躱せたのは三人だけだ。
鍛え上げた拳が、無防備な相手の顔面へと吸い込まれる。手応えはない。空を打ったのか?そう思うよりも早くセレナは拳を引き戻す……できなかった。
己の意思に反し、拳はどこまでも吸い込まれていく。まるでぽっかりと開いた底無しの穴のように、何の抵抗もなく、どこまでも引き込まれていく。落ちていく。
身体が浮いた。自らの体重が喪失する。その頼り無い感覚にセレナは恐怖すら覚え、思わず目を閉ざし、そして。
セレナは目を開いた。
既にそこはステージの上ではない。
椅子を幾つか並べた上に、セレナは寝かされていた。額には濡れタオル。むしり取るようにして身を起こす。〈セントエルモ〉の店内だ。客の姿はない。誑かされたような心持ちで、立ち上がった。カウンターの奥から光と音が洩れ出ている。近づくと、開け放された扉の向こうに小さな部屋があった。古い型のテレビ。モノクロの古い映画が映し出されていた。
「お気付きで」
さっきのバーテンだ。確かギルという名前だった。
「早いとこ引き上げてほしいんですけどね。営業時間は過ぎてますんで」
言うべきことは全て言ったとばかりに、ギルはテレビに見入っている。
「……一つだけ」
セレナは押し出すようにして言った。
「何です?」
「俺は負けたのか」
ギルは振り返った。瞳には憐れむような光があった。
「あんたはこの〈セントエルモ〉で六人抜きをやってのけた。けれどその後ちょっと飲み過ぎて、気分が悪くなって休んでいた。それだけのことです」
2005/ 1/10
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