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"うたかた” (前編)

 誰でも知ってることだけど、この世界はほんとにうまくいかないことばかりだ。それはもう感動的といっていいぐらいのもので、こうなったらいいな、と思うことは何一つ叶うことなく、反対に、それだけは絶対にやめて、と心の底から願ったことは、狙いすましたようにやってくる。
 「おーい、ナユタ、できたかよー」
 チカラが、窓から顔をのぞかせていた。
 「ったく、ぐず野郎が。明日までに間に合わなかったらどうすんだ、あ?」
 「大丈夫だって。あと少しだし」
 ナユタはむっとして言い返す。ったく、誰のせいでこんな苦労してると思ってるんだ。
 「じゃ、ちょうど良かった。こいつもやっといてくれ」
 「なっ……」
 チカラが窓から放り投げてよこしたのは、碧玉をくるんだ包みだった。ざっと見積もっても三十個はあるだろう。もちろん全部未加工のままだ。
 「なんだってこんなに」
 割り当ては一人当たり五個か、多くても六個だ。
 ナユタは自分の分の五個は既に仕上げてしまい、先にチカラに押し付けられていた分も、もうほとんど完成している。棚の上の塗り箱の中には、後は糸を通すだけとなった勾玉がきちんと納められているし、手元の作業台に並べてあるものは、これから仕上げの磨きをかけるところだ。晩までには終わるから、今夜は久し振りにゆっくりできるはずだったのに。
 「仕方無ぇだろうが、頼まれたんだから。忙しいのはみんな一緒なんだ。文句言ってる暇があったら早く終わらせて他の人を手伝えよ」
 チカラは身をひるがえした。台詞こそ立派だが、その実自分では何一つやらずに、引き受けた仕事をナユタや他の子供達に押し付けているだけだった。そして大人達に褒められるのはチカラだけ……やりきれない。
 とはいえやらないわけにはいかなかった。
 長の子であるチカラを恐れてなんて、そんなみみっちい理由からではない。
 ナユタは碧玉を取り上げて削り始める。
 夕闇が落ちかかってくる村に、奏楽の音がひそやかに流れている。


 夏至。一年で一番日の長くなる日。夕餉を終えたカホは、ほっと息を吐いた。膳の上には、空になった器が幾枚も重なっている。大の男が三人がかりでも持て余すぐらいの分量が、綺麗に片付けられていた。
 「ほんに、ようお上がりになったこと」
 ツキノが、呆れたとも感心したともつかぬ調子で言った。
 「だってさ、日が沈んじゃったら、もう食べられないんだし。明日、お腹が空いて儀式の途中で倒れたりしたら大変だもの」
 カホが澄まして答える。背中に垂れる黒髪がさらりと揺れた。
 「それは、その通り。準備は私らの方で万事やっときますから、カホ様は今日はもう早くお休みなさいましね」
 「分ってる。下がっていいよ」
 「いいですか、くれぐれも」
 「わ・か・っ・て・る。夜更かしもしないし、宮を抜け出したりもしない。だからもう下がって。早く一人にして」
 ツキノはなおも何か言いかけたが、ふと肩の力を抜いた。膳を片付け始める。カホは黙ってその様子を眺めやる。
 「それでは失礼します。明日の朝にまた」
 「うん、おやすみ」
 ツキノが行ってしまうと、カホは部屋の真ん中に大の字になって引っ繰り返った。着物の裾が膝の辺りまで捲れ上がる。行儀が悪い。見る者があれば言うだろう。構うものか。どうせ誰もいやしないんだし。祀子(みこ)の籠る宮は禁域だ。近づく者さえ、限られる。
 明日、か。
 憂鬱というのとは違う。覚悟なんて、もちろんできていない。といって、逃げようという気も起こらない。
 誰かが引き受けなければならない。そして、自分以外にそれができる人はいない。
 しかたないことだよね。
 カホは暗い天井に向かって呟いた。
 誰が悪いわけでもないんだし、さ。


 ……やっと、終わった。
 深更だった。慌しい空気も、もうすっかり冷えている。楽の音も聞こえない。
 立ち上がって伸びをしようとしたナユタはよろめいた。足がすっかり痺れてしまっていた。
 っと。
 完成したばかりの勾玉を危うく踏んづけそうになり、慌てて飛び跳ね、そこまでは良かったのだが、着地した拍子に足首を捻った。思わず涙目になる。
 「なにやってんの?」
 突然の、聞き覚えのあり過ぎる声に振り向いて、ナユタは愕然と動きを止めた。
 「こーんな夜中に、一人で変な踊り踊っちゃって。まさか明日の余興だなんて言わないわよね」
 「カホ……」
 半分開いた戸口に凭れるようにして、カホがいた。
 「なによ、その不審者でも見るような目付きは。いいわよ、邪魔だってのなら行くから。じゃあね」
 「ま、待てよ」
 背を向けたカホを、ナユタは引き止めようとして、肩に掛けた指に必要以上に力がこもり、カホは小さく悲鳴を上げた。
 「きゃっ」「わっ」
 カホが後ろに倒れ掛かり、ナユタは支えようと腕を伸ばし、だが体勢は不十分。
 二人はもろともに転倒した。
 「っ痛」「あたた……」
 下になって少女を抱き止める格好になったナユタは、腕の中の温かさと柔らかさに気付いて息を止める。掌に感じる微かな丸みと手応えは、これはえっともしかして。
 ナユタは急いで手を離した。
 カホがゆっくりと身を起こす。
 「その、わざとじゃ、ないから……」
 水に溶けるように、語尾が曖昧に消えていく。カホは反対を向いたまま答えない。ナユタの視線があたふたとさまよい、ふとある一点に来て、静止した。
 「あーーーっ!!」
 「な、なによ?」
 縒り紐を通され、連になった勾玉。その中心となるべき、とりわけ大振りで美しかった玉が、割れていた。それはもう見事に、真っ二つに。
 「うっわ、取り返しつかねえよ、これ」
 悲痛な声が洩れるのも無理はない。
 チカラに押し付けられた分ならともかく、これは姫神へ直に捧げるためのものだ。それも本来は祝(はふり)がやるべきところを、ナユタが是非にといって引き受けている。出来ませんでしたでは済まされない。
 だが今から新たに玉を削り出している余裕は無いし、そもそも、材料となる碧玉が存在しなかった。
 もちろん、カホにもそれは分ったはずだ。
 「わ、私のせいだとでも言うの?」
 「言わねーよ、そんなこと。それより怪我とかしなかったか?」
 「平気だけど……」
 カホは戸惑う。てっきり文句の一つでも言ってくるかと思ったのに。そしたら盛大に言い返してやろうと思ったのに。
 「それ、明日のだよね」
 「そう。って、そうだよ、大体何でカホがここにいるんだよ?」
 「別に。暇だったから、どうしてるかなって」
 「勘弁してくれって。もしこんなとこ他の人に見られたらさ」
 「平気でしょ。悪いことしてるわけじゃないもの」
 「そうゆう問題じゃないだろ」
 入神式の前夜に祀子(みこ)が宮を抜け出すなど言語道断だ。まして同じ年頃の男と二人きりでいるなど、長老連やミコト達が聞いたら気死してしまいかねない。
 ナユタは大きく息を吐いた。カホの瞳に燈火の影が映って揺れる。
 「嫌なのか」
 祀子は人と神との仲立ちを務める者だ。それだけでも既に特別な位置にある。
 だが境界に近くはあっても、それはまだこちら側に属している。こうして自由に――本当はもう少し不自由な筈なのだが――言葉を交わすこともできる。しかし、明日の祭礼の終わった後は。
 「嫌だって言ったら、助けてくれるの」
 「連れて逃げたりとか?できるわけないだろ」
 「そうだよね。里の人達みんなに迷惑かけるわけにはいかないよね」
 「ああ」
 「分った」
 「けど」
 カホの両肩にナユタは手を置いた。力を込める。
 「もしも心の底から助けて欲しいって思っている人がいて、それが俺にとって大切な誰かだったとして、助けて欲しいって、そいつが俺に言うなら……」
 「ナユタ」
 カホは笑った。ナユタの手を外すと、割れた勾玉を拾い上げた。
 「これ、叱られちゃうね」
 二つの欠片は、割れ目を合わせると綺麗に重なった。しかしそれも手で押さえている間だけのことだ。
 「そうだな」
 カホの掌の上から、ナユタは片割れを取り上げた。
 「適当にごまかすよ」
 「いいよ、私が許す」
 「偉そうに」
 「だって偉いもん」
 カホは胸を張った。
 「もう、行くね。これは貰っていくから」
 戸口で振り返り、勾玉の片割れをかざす。
 「いいよね?」
 「ああ、持ってけよ。こっちは俺が持ってるから。ずっと」
 「……うん」
 強いから泣かないのか。
 弱いから、泣けないのか。
 カホは手の甲で眼元をこすり、背中を向けた。
 「じゃあ、またね」
 そう言って、夜の奥へと消えた。

 夜が明けるまでには、まだしばらくの間があった。誰もいなくなった戸口の外は暗く沈んでいた。ナユタはいつまでも立ちつくしていた。
2004/ 1/15
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