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"コトダマノコト"(第1回)
明日になればきっと何かが変わるから。違う何かが見えるから。
そんな埒もない戯言を胸に海川真言は今日もキーボードを叩く。せっかくの日曜日。季節は春。快晴。絶好のお出掛け日和。
開いた窓からそよそよと流れる乾いた風は心地良く、筋金入りのヒキコモリ者だって誘われるままに靴を履いて外に出る。
「あー、くそっ、また駄目だ」
開いたばかりのウインドウを閉じ、PCをシャットダウン。夢の中で素晴らしいインスピレーションを得て、起きるやいなや机に向かい、ワープロソフトを起動してさあ書くぞと構えたまでは良かったのだが、そこではたと固まった。
確かに、イメージはそこにあったのだ。今までマコトの心を震わせてきたどんな名作にも劣らない、最高の小説が生まれ出づる筈だったのだ。
キャラ達は縦横無尽に駆け回り、物語は疾走し、世界は黄金色に光を放つ。そんな幸福な作品が、ほんの手の届く所にあったのに。
いざ手を掛けようとした時には、水のように擦り抜け、流れ去った。
それでも夢の尻尾なりと捕まえられればと、動かぬ指を無理にも動かし、単語を一つ二つ、文を一行二行と、溺れている人が水面に出ようとあがくみたいに、書き連ねてはみたものの……沈没。
言葉は死に絶え、台詞は嘘臭く、イメージは散り散りに、まあ、つまり、いつものことだ。
マコトはため息をつくと、机の脇の書棚から一冊の文庫本を抜き取った。
藤丸直樹著、『ハイヌウェレ・ダンシング』。
現在3巻まで出版されている、通称〈ウェレダン〉のシリーズ第一作。
クサナギ文庫という比較的後発のレーベルからのデビューということもあり、発売と同時に売上げランキング第一位!などということは全くなかった。
しかし、あるいはたまたま手に取った人から、あるいは毎月何十冊と読むヘビーユーザーから、あるいは見本品を配られた業界関係者から、その群を抜いた面白さが伝えられていくにつれて評判が評判を呼び、やがて一年と八ヶ月を経て第2巻が発売された時には、即日売り切れの店が続出、さらにその後も半年近くに渡って品薄の状態が続くという、伝説の作品となっていた。
マコトはつくづくと表紙を眺める。このジャンルとしては異例の、幾何学的でクールなデザイン。本文中にもイラストは一切無い。当時デビュー前のド新人に過ぎなかった藤丸が、編集部の意向を無視して、文章一本でいくことを強硬に主張したのだという。
スゲェな、と思う。業界の実情に通じているわけではないが、普通できることではないだろう。もし自分にデビューのチャンスが訪れたとして、作品のイメージから一万光年ぐらいかけ離れたイラストを編集の人が提案してきたとして、はたして抵抗することができるだろうか?
マコトはぱらぱらとページをめくる。飛び飛びに目に入ってくる文や台詞の切れ端からも、物語の各場面が色鮮やかに心に浮かぶ。
スゲェよな、ほんとに。
本を閉じて、書棚に戻す。開いた窓から桜の花片が舞い込み、キーボードの上に落ちた。スペースキーの真ん中に、ほのかなピンク色のアクセント。
いや、でも、俺だって。
窓を閉め、マコトは外出の仕度を始めた。
#
伏せっていたデスクには涎が溜まっていた。黄色のボックス・ティッシュから一枚を抜き出して、適当に拭いて丸めてゴミ箱へポイ。
外れた。
顎が外れそうなでかい欠伸をして、直樹はぎしぎしと音の軋む仕事用の椅子から立ち上がった。床に落ちたティッシュは素通りし、窓際へ。
ドラキュラが愛用していそうな分厚いカーテンを開ける。
太陽光線が眼球を貫いて脳の奥へと突き刺さる。くらっときた。
幸いにして身体が灰になって崩れ去ることもなく、何度か瞬きを繰り返すうちに、明るさにも慣れてくる。
うっわ。すっげ、いい天気だわ。
こんな日に一人で部屋に籠ってガキ向けのしょーもない小説を書き飛ばしているなど、もはや犯罪といっていい。
真朱(まそほ)でも誘ってどっか行くべか。
カレンダーを確かめる。よし、日曜日だ、OK。
抜いてあった電話のコードを壁のモジュラー・ジャックに差し込む。だが電話のボタンをプッシュするより先に、まるで待っていたかのように呼び出し音が鳴った。お、これが以心伝心ってやつか、と藤丸は喜び受話器を取り上げた。
「あ、真朱?ちょうど電話しようと思ってたとこ。今からちょっと外出ねぇ?いい天気だし、どっかドライブでも……」
「ああ、いらしたんですね、先生」
受話口からの声は液体窒素みたいに冷えていた。藤丸の舌は凍りつく。
対して相手は、TVのニュースキャスターでも務まりそうなほどに滑らかで淀みない。
「何回か、何回も、何十回も、正確には六十八回ですが、お電話差し上げたんですけれど、お出にならないもので。心配いたしましたわ。これからそちらに伺おうかと思っていたところです」
「いや、木村さん、その、これにはふか〜いわけがですね……」
「もちろん理解しておりますわ。原稿の方に集中なさっていたんでしょう?そして完成された、と」
「えっと、それが、ですね……」
「解放的な気分になるのも当然ですし、お友達とドライブなども大変素晴らしいかと存じます。わたくしも是非ともお供させていただきたいところではありますが」
語尾に付けられた「が」の音が殊更に不吉な響きを帯びる。呪いの呪文かもしれない。
「生憎と仕事が詰まっておりまして。でも良かったですわ。今すぐに原稿を送ってくだされば締切りに間に合います。いくらかタイトなスケジュールにはなりますが、わたくしの方でほんの五日も徹夜すれば大丈夫です。今日で二日目ですので、合わせて丁度一週間になりますね」
「…………」
「では先生、早速原稿の方を送信していただけますか?」
「……ごめんなさい」
この仕事が終わったらナンバーが表示される方式の電話機を買おう。直樹は固く固く心に誓った。
2005/ 4/ 2
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