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"コトダマノコト"(第4回)

   (独白)

 生まれてきた以上は誰だって生きていたいと思うものだ。
 人だって猿だって向日葵だって花崗岩だって同じこと。いや、むしろ人の方がレアな例外で、自分を殺したがるなんて、他ではまず滅多に見られない珍しい性癖だ。
 実の所、俺は自分がどうやって生まれたのかはよく知らない。でも、それはあんただって同じだろう?生まれた時のことなんて覚えてるかい?
 少なくとも俺は覚えてないな。自分がいつからここにいるのかも。その前は何をしてたのかも。その前、なんてものが果たしてあったのかすらも。
 とにかく。
 俺の生は、いつもこいつと共にあったし、これからもそうだと思っていた。なんてったって俺の身体の創り主なんだから、責任ってものがあるやね。ちいとばかり頼りなくて、そのうえ怠け者ではあるけれど、腕はピカ一だし、何より相性が抜群だった。
 思ってることが、そのままダイレクトに伝わるんだ。賭けてもいいけど、俺の同類で似たような経験を持った奴は極小だろうね。ちょっとでも声を届かせることができればまずは上出来で、ほとんどの場合は、ほんのりと気配を感じさせられる程度のものだ。でもそれだって才能のある部類に属する。
 縁無き衆生――それが圧倒的大多数。
 俺達が直に交感できる人間に出会うのは、都会の夜空に星を探すより困難だ。
 だけど全然構わなかった。
 俺にはこいつがいたから。こいつの寄越す身体があれば、誰のとこにだって行けたから。
 不貞腐れた小僧の所にも、やんちゃな少女の所にも、気弱なサラリーマンの所にも、夢見がちな土木作業員の所にも、失恋したゲイの所にも、俺を読んだ人間の所になら、どこへでも。
 幸福だったと言っていいだろうな。
 俺はこいつのために生まれてきたんだと、思った。そしてこいつも。俺のために存在してるんだって。

   × × ×

 ……冗談だよな
 コトダマは言った。直樹は答えなかったが、聞こえているのは分っている。
 おまえが俺のことを書かないなんて、んなことはあり得ないよな。おまえは疲れてるんだ、うん。新しいシリーズも立ち上げたりしたし。少し休むのもいいかもしれないな。二、三日頭を空っぽにして、さっぱりしたら、またぽつぽつと始めればいいさ。あせることはないんだ。俺とおまえはずっと一緒なんだから
 ふん、と直樹は鼻を鳴らした。中途半端に伸びた髪の毛をうっとうしげに手で払う。頬から顎にかけて、無精ひげがまばらに生えている。
 どこに行くんだ?
 「てめえには関係ねえ」
 仕事部屋を出た直樹が向かったのはバスルームだった。おそらくこの後出掛けるつもりなのだろう。ルックスは十人並みより多少ましという程度だが、身だしなみには気を遣う男である。真朱とかいう女友達と会うのかもしれない。
 そんな場合じゃねーだろっ!と普段なら怒鳴りつけているところだが。
 今はヤバい。
 もし直樹に本気でヘソを曲げられでもしたら、コトダマの生存が危うくなる。身体を失ってしまう。
 言葉と成ってこその言霊だ。もしも言葉という形を得られなければ、太陽に照らされた霧みたいに、薄れて消えてしまうだろう。
 どうする?
 コトダマは思考する。
 直樹は最高だ。それは間違いない。匹敵する人間が滅多にいようとは思えない。
 だけど手当りしだいに当ってみれば、あるいは。そう、自らの身体を伝っていけば、ひょっとして一人ぐらい。
 声を聞けるものが、いるんじゃないか?



 初めに感じたのは冷たい手触りだった。硬い、だが金属ではない。表面は滑らかだ。出っ張りもざらついた箇所もない。
 目が闇に慣れ、そのものの輪郭がぼんやりと分るようになる。本だ。文庫よりも少しサイズが大きい。表紙の文字までは判読できなかったが、わざわざ灯りを点けて確かめるまでもない。

 "Fragile"

 既に三度繰り返して読んでいた。四度目に入る前に、少しだけ休もうとして、そのまま寝入ってしまったのだ。
 熾火のように胸の奥に昂りが残っている。〈ウェレダン〉が天国で絶叫マシンに乗っているような気分にさせてくれるとすれば、"Fragile"は地獄へ落ちるぎりぎりの縁で舞う天使のように美しく危うかった。
 天使は誘う。

 足を踏み出せ 心のままに
 世界を 命を 叫びを 掴め

 マコトはベッドから下りて机の前に座った。AM2:58、夜明けは遠い。
 パソコンの電源を入れる。駆動音を耳に流しながら目を閉じる。具体的な文章が思い浮かんだわけではなかった。昨日の朝のように、夢の中で得たイメージを再現しようとしているのでもなかった。ただ、書かなければと思った。ただ、書きたかった。
 何を?――全てを
 何のために?――何のためでもなく

 まだその言葉を聞くことはできない。
 だがこの日、マコトはコトダマと出会った。
2005/ 4/23
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