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"いってらっしゃいませ、ご主人様!!"

"Fruitless"


 当座生活に困るわけではない。貯金もあれば両親の保険もあり、家は持ち家で借金はない。店を解散するに当って資産を売却した代価と、廃棄品の処分費用及び従業員の人達への一時金(解散は彼ら自身の意思でもあったので要求されたわけではなく、今まで七瀬葬儀店のために働いてくれたことに対する感謝の印だ)とでほぼとんとん、厳密にはややマイナスといったところ。今や三人となってしまった家族が一年や二年暮らしていく余裕はある。だが五年先には?十年後はどうだろう?
 桜子は来年早々にも礼二に引き取ってもらうから良いとして、遙奈と実咲までくっついていくわけにもいかない。「大丈夫。君達二人ぐらい僕が引き受けられるよ」と礼二は言ってくれたが、お義理なのはみえすいていた。「そうね、そうしてもらいましょうか」と朗らかに桜子が応じた時、礼二の頬が引き攣ったのを見逃すほど遙奈は鈍くはないし、妹の実咲はとりわけ人の感情の機微には敏感だ。そんなに野暮じゃないわよ、と一言でけりを付けてしまった。
 というわけで、未だ中学生の実咲はともかく、遙奈は仕事を捜さねばならない。仁と会った帰り道、家の近くの小さな書店でアルバイト情報誌を買って帰り、ぱらぱらとめくってみた。
 ウェイトレスとか、かなぁ。
 人と接するのは嫌いじゃない。どちらかといえば、机の前にじっと座って地味な事務仕事で神経をすり減らすよりは、フロアを歩き回って足を疲れさせた方が良い。可愛げな制服とかもいっぺん着てみたいし。
 なにしろ今までが今までだ。家業の正装が黒一辺倒だっただけに、明るく華やかな服に対する憧れがあった。
 無難なところでファミレスか。残念ながら近場にはなかったが、電車で二駅行った先の大手チェーンの支店に募集があった。交通費は支給、食事付き。早速電話を掛けて面接の予約を入れた。電話を切った時にふと、これでいいのかと自問した。大切なことを忘れているような気がする。
 そもそも、どうして自分は葬儀屋を続けることにこだわったのだったか。父に見抜かれた通り、もとはただの安易な選択だったはずなのに。
 やはり両親の死を自分の中で処理しきれていないということなのかもしれない。遙奈は思った。家の仕事を続けることと、父母のいる生活に戻ることとがごっちゃになっているのだ。実咲の言う通りだ。わたしは、子供だ。
 「ええと七瀬さん、夜は大丈夫ですか」
 狭いが小綺麗に片付けられた事務室で、遙奈はマネージャーの片岡という男とソファに向かい合わせて座っていた。片岡はたぶん三十半ばくらい、目が細く冷たい印象だったが、仕事柄さすがに物腰は丁寧だ。遙奈の経歴や志望動機などについて通り一遍の質問をしてきた後で、遙奈にそう尋ねてきた。
 「夜、ですか」
 もちろん今晩おつき合い願えますか、という意味ではない。店に入ってくる前に見た看板によればここは24時間営業となっている。
 「うちは若い人がわりと多く働いてましてね、高校生なんかもいるんですが、彼らに深夜勤務をさせるわけにはいきませんのでね。人が足りないんですよ」
 片岡の話では、昼間は専属で働いている人や共働きの既婚女性などがおり、夕方から夜の時間帯や土日は近くの私立高校生のバイトが多い。
 「深夜はフリーターの人達がメインになるんですが、やはり簡単に辞めてしまう人が多くてですね、つい最近もばたばたばたと三人立て続けに。困ってるんですよ。ですから、遅番で長く勤めていただけるのなら、大変に助かるんですが」
 片岡は、遙奈が「はい」と返事をしようものなら「では早速今晩から」とでも来そうな前のめりの雰囲気だ。
 確かに渡りに船ではある。ウェイトレスさんの着ていた制服も素敵だった。淡いピンク色をベースに白のリボンをあしらって、華美に過ぎず、可愛いというよりは落ち着いた清楚な感じだ。即物的な利点としても、深夜勤務であれば時給も通常よりは高目になる。
 「そう、ですね」
 だが遙奈の返事は煮え切らない。
 「日中勤務とかは無理なんでしょうか?」
 「無理ってことはないですがね、今は手も足りてますし、入ってもらうとしても週一、二回になりますね。後は急に休んだ人の代わりとか。あなた、連絡を受けて五分でここまで来られますか」
 「それは難しいです」
 「難しい?頑張れば可能ということですか」
 「不可能です。ごめんなさい」
 急に冷気を増したような片岡に、遙奈は引き気味に答えた。腰が落ち着かなくなる。もう撤収しようかという気になりかけたが、片岡は咳払いをして改めた。
 「七瀬さんのお気持ちは分ります。見た目も高校生とそう変わらないですし、というか実際の年齢でもお若いですからね、深夜勤務ということで不安もおありでしょう。何といってもお美しい女性ですから」
 共感を誘うように片岡は遙奈に頷きかける。
 「ですが夜道を一人で帰られるよりは、明るい店内で仲間達と一緒にいる方がはるかに安全で心強い。そうお思いになりませんか」
 「それは、まあ」
 「そうでしょう?当然ですよね」
 片岡はぐっと前に身を乗り出す。
 「柄の悪い方々が夜な夜な集って騒いだりといったことも当店では一切無いですし……まあ平和な街ですから、よその店でも有るとは思いませんがね。ということでいかがですか、とりあえず週三ぐらいから始めてみては。当方としては毎日でも歓迎ですが、いきなりではきついでしょうし」
 「あの、でも」
 「まだ他に何か問題が?」
 あるなら言ってみろ。片岡の冷たいプレッシャーにびびりつつ、遙奈は正直に答えた。
 「わたし、夜が少し、というか、かなり苦手なんです。恥ずかしい話ですけど」
 夜中に一人でトイレに行けない幼児ではあるまいし、と呆れられるかと思ったが、片岡は別の意味に解釈した。
 「成程、すぐに眠くなってしまうと。夜更かしなんかしないわけですね。最近の若い人には珍しい。ああ、高校の頃は運動部で早朝練習があったとか」
 「いえ別にそういうわけでは。朝型人間だとは思いますけど」
 「お休みの日とかも?」
 「はい。家では一番早いですね」
 「平気だと思いますよ」
 「はい?」
 「夜はお客様も少ないですし、何でしたら暇な時には居眠りしていてもいいです。目はすぐに覚める方でしょう?それなら大丈夫。まさかお客様の応対をしている最中に眠り込んだりもしないでしょうし。問題無しです。ということで七瀬さん、これからよろしくお願いします」
 ごり押しに愛想笑うという片岡の離れ業を前に、遙奈は頷くことしかできなかった。

 困ったなぁ。ファミレスからの帰り、駅へと向かって歩きながら遙奈はため息をつく。夜が苦手というのは、その場凌ぎのでまかせなどではない。本当のことだった。だが眠くて起きていられないというのとは違う。確かに、ある意味起きていられないのだが。
 夜更け刻、遙奈は頻々と見てしまうのだ。
 この世に生あらざるモノ達を。
 馬鹿馬鹿しいとは自分でも思う。だけど夜半過ぎにふと目を覚まし、靄とも煙ともつかないモノが突然人の顔を取って「にんっ」と笑ったりするのを見てしまうと、朝が来るまではもう目を開けてなどいられない。中三の頃、クラスの友人と初詣に行く途中で、新年間近の深夜の列車の窓に自分でも友人でもない青白い顔がこちらを向いてしくしくと泣いているのを目撃した時には危うく卒倒しそうになった。
 それらが本当にいわゆる幽霊なのか、それともただの幻覚であるのかは分らない。ただ、これまでに幾度か経験した葬儀の席では、露ほどもその手の気配を感じたことがない。だからきっと気の迷いというものなのだ。そうに違いない。
 良し。遙奈は決心した。やっぱり断ろう。
 幽霊の存在を信じているからではない。人間、夜は寝るものだ。不必要に夜遅くまで起きている人が大勢いるから、社会全体がどんどん不健康になって犯罪とかも増えているんだわ。
 そう自分を納得させて(自分にいいわけをしてともいう)、遙奈は足を速めた。善は急げだ。すぐに家に帰って断りの電話を入れよう(引き返して片岡氏に直接話をするという案は却下)。だが急いでいるからといって周りに注意を払うのを怠ってはいけない。
 「きゃっ」
 交差点をを左に折れた出会い頭だった。遙奈は通行人にぶつかった。もう少し正確に記述するならば、そこにいた男性の背中に強烈きわまりない頭突きをかましていた。通常、不意打ちをくらうと人はかなりのダメージを受けるものである。まして、背中に頭突きだ。
 「あっ、すいませんすいません、わたしちょっと考え事してて前見てなくてその……大丈夫ですか……?」
 こちらに首だけで振り向いた姿勢のまま、男性は金縛りにあったみたいに硬直している。顔にはムンクの絵みたいな驚愕の表情が張りついていた。正直、かなり怖い。
 だが同時に腹立たしくもあった。こちらは花の乙女である。ぶつかったのは確かに悪かったが、化物でも見るみたいに反応されるのは不本意だ。
 遙奈はいささか挑戦的にガンを飛ばした。相手は背こそ高かったが、ジーンズにジャケットというごくまっとうな格好をしていて危険そうな感じはしない。これでもし相手がラメ入りの紫色のシャツに白いエナメルの靴を履いているような、男を売る稼業の人だったりしたら当然即行逃げている。
 「ぶつかってすみませんでした。でも見たところ特に怪我もされてないみたいですのでこれで失礼します」
 そう言っておざなりに頭を下げて立ち去ろうとした遙奈だが。
 「君……俺に言ってるんだよね」
 「はあ?」
 相手は奇怪な台詞を投げてきた。ひょっとしてヤのつく仕事の人とはまた違った意味で危ない人かもしれない。遙奈は探るように問いかけた。
 「他に誰がいるんですか」
 「そうだよね、俺のことだよね。うん、やっぱりそうだ、ははは、嬉しいな」
 何が嬉しいのか、男性が浮かべている笑顔は見ている側まで心浮き立つような素敵さだった。同じ男でも亡くなった父のような苦虫を噛み潰したような笑い(?)とか、仁が遙奈によくするような、人を小馬鹿にしたような皮肉な調子とは天と地ほどにも違う。たとえるなら、小学生の頃ハマっていた少女マンガに出てくるヒロイン憧れの先輩のような、華やかな優しい笑みである。最前までの腹立ちを、遙奈はひとまず忘れることにした。
 「あ、ぶつかったのは気にしないでください。お互い様だし、何ともないですから。あなたの方こそ、どこか痛いとことかないですか」
 「いえ、わたしは全然」
 「そうですか。良かった。あ、俺、高田っていいます。高田渉。大学三年。あなたは?」
 「……七瀬です。七瀬遙奈」
 ニートです、とは初対面の相手に対して言えなかった。もし訊かれたら何て答えようかと遙奈は身構えたが、幸い高田はそれ以上突っ込んだ質問はしなかった。きっと育ちが良いのだろう。二人称も「君」から「あなた」に変わっている。最初の言動が変だったのは、いきなりの背後からの攻撃に動転していたせいかもしれない。つまり自分のせいだ。反省する。
 「本当にごめんなさい。今度から気を付けますから。それじゃ」
 「あ、待って。君、七瀬さん、いま時間あるかな。ちょっと話とかしたいんだけど」
 遙奈は手を掴まれた。意外とナンパな人なのだろうか。印象を再度修正する必要があるかもしれない。二人称もまた「君」に戻ってるし。
 「変なつもりはないんだよ、本当に、全然。声を掛けてくれたのが純粋に嬉しかっただけでさ。そんなことぐらいって思われるかもしれないけど、俺にとってはとっても重要なことなんだ……信じてくれる?」
 正直、言っていることは良く分らない。とはいえ悪い気はしなかった。
 「少しぐらいなら、いいですけど」
 躊躇い混じりの返答に、ずっと欲しがっていたおもちゃを買ってもらった子供みたいに、高田は大きな歓声を上げた。思わず周りを気にした遙奈だが、通り過ぎる人達は特に関心を持った様子もない。
 だがいつまでもこうして路上で立ち話をしているわけにもいかない。知り合いとかに見られでもしたら恥ずかしいし。というか、誤解でもされたら困る。……いや別に困らないか。
 歩道橋の上、二筋の煙が揺れる情景を、遙奈は頭の中でクローズした。
(続く)
2006/ 6/16
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