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"いってらっしゃいませ、ご主人様!!"

"秘密の花園"


 「男の人と一緒だったの?」
 吹いた。リビングの椅子に腰を下ろし、濃く淹れた一番茶を口に含んだ瞬間の不意打ちに、遙奈は往年のプロレスラーのように緑色の霧を盛大に吹き出した。完璧に奇襲を成功させた実咲は姉の狼狽を気にした風もなく、雑誌に視線を落としたままさらなる追い討ちをかける。
 「相手の人、仁さんじゃないよね。いいけどさ。バイトの面接に行くとか言ってなかったっけ。あたしには家計に貢献する代わりにしっかり勉強しろとか言っといて、自分は外で遊んでるわけだ。あ、それともひょっとして男の人と仲良くする系のバイト?」
 「ち、違うに決まってるでしょ!!変なこと言わないで、怒るわよ」
 「なんだ、違うの」
 「当たり前じゃない。行ったのはファミレスです。どうしてわたしがそんな変なバイトなんかするの。実咲、お姉ちゃんをそういう目で見てたわけ?」
 「まあ、ぶっちゃけ遙姉まだだしね」
 さりげに遙奈の深い所を抉り、実咲は雑誌をテーブルに投げ出した。坊主に近いような短髪をオレンジ色に染め、着ている服は対照的に清楚なお嬢様っぽいロングのフレアスカートというアンバランスな女の子が表紙を飾っている。わざとそっぽを向いて写っているのがかえって見る者の気を惹くようだ。
 「あ、あんただってまだでしょ」
 中学生を相手に何を張り合ってるんだか。頭の片隅で遙奈は自分に突っ込みを入れる。だが。
 「あたしは違うよ」
 「え!?」
 「ていうかさ、遙姉、今日の人とはいつからつき合ってるの?最近だよね」
 「……さっきから、誤解してるみたいだけど」
 ひとまず遙奈は呼吸を落ち着かせた。問題発言があったような気もするが、とりあえず放置だ。
 「わたしは今日はバイトの面接に行ってきただけで、あんたが言ってるようなことなんか何もないからね」
 「そうなんだ」
 実咲は醒めたような顔をしてソファから腰を上げた。
 「でも一応忠告しとくけど、あんまり深入りしない方がいいと思うよ。後でメンドいことになるかもしれないから」
 「何言ってんの。どんな人だかも知らないくせに。霊能者にでもなったつもり」
 やたら勘のいい妹へ、遙奈は精一杯のイヤミと負け惜しみを飛ばした。実咲は唇の片端だけで笑った。
 「せいぜい変なトコ連れてかれないようにね」
 たぶん、ただの捨て台詞だったのだろう。実咲はすぐにリビングを出て行ってしまったから気付かなかったはずだ。
 遙奈は見事にクリティカル・ヒットをくらっていた。それはもう耳まで真っ赤に染まるぐらい。
 あの後、遙奈は高田まさに「変なトコ」に連れ込まれていたのである。
 ちょっと行ってみたいとこあるんだ。
 高田は言って、遙奈は彼に付いて裏通りへと入っていった。歩いている人の数はめっきりと減り、いくらか不安を覚えはしたが、日はまだ高いし、特にいかがわしい界隈というわけでもない。一応いざという時は全力で駆け出せる程度の用心はしておく。
 高田が弾むような声を上げた。
 「あった。ここだ」
 小洒落た外観の喫茶店だった。煉瓦を模したような外壁には蔦が這い、黒いアーチ型の木枠にはステンドグラスが嵌めこまれている。渋い真鍮製の看板によれば〈純喫茶 ヴィクトリア〉というらしい。
 ぱっと見素敵そうなお店で、雑誌などで取り上げられてもおかしくはなさそうだが、高田のような若い男が熱心に来たがるようなものかなと多少の疑問を覚えながら。遙奈は扉を押した。
 カラコロと耳に快い鈴の音が鳴り。そして。
 「お帰りなさいませ、ご主人様!」
 「…………はい?」
 暫し思考が空白と化した。
 わたしの前で慎ましく頭を下げて、シンプルなデザインなのに妙に心浮き立つ衣装に身を包んだこの女の人は、えーと。
 ──メイドさん?
知識としてそういうお店があることは知っていた。アキハバラとか、いわゆる「おたく」の人達が集まるような街に多くあるということも。だけどまさか、自分の行動半径にまで存在していたなんて思ってもみなかった。
 黒いワンピースにフリルの付いた白いエプロンというスタイルのお姉さんが微笑みかける。ただの営業用スマイルのはずなのに愛の情に満ち溢れているように感じてしまうのは、コスチュームの持つ魔力のせいか。
 「ご主人様、本日はお一人でお戻りでしょうか?」
 「あ、いいえ、二人です。この人と一緒、というかこの人の連れです」
 このような店に女一人で来るなんて明らかに変だ。遙奈は急いで高田を自分の前に押し出した。メイドさんはちょっと不思議そうな顔をして、高田と遙奈を見比べたが、連れであることを示すように高田が遙奈の手を握ると、納得したように頷いた。
 「承知しました。ご主人様方、お煙草はお吸いになられますか?」
 「あ、いいえ」
 遙奈が答え、高田も同意した。
 「ではこちらへ」
 メイドさんが先に立つ。すれ違う他のメイドさん達もにこやかに会釈してくれるのが何ともいえずくすぐったい。おたくっぽい男性の客ばかりかと思いきや、意外と女性の姿もあり、しかも一人で来ている人も普通にいるようだ。だがそれも実際にこの場の空気を体験すれば納得できる。ここはとても居心地が良い。流れている風が優しい。
 二人掛けの席に案内して貰い、遙奈は幸せな気分で腰を下ろした。両親の葬儀以来初めて、心の底からリラックスできたような気がした。
 「どうぞごゆっくり、おくつろぎくださいませ」
 御用がおありでしたらいつでもお呼び下さい、とメイドさんはテーブルの上に振鈴を置いていった。注文する時に鳴らすらしい。光沢を抑えた銀の地肌が美しく、大きさの割りに持ち重りがした。
 ほう、と一つ息を吐き、遙奈は対面に座る高田に話しかけた。
 「こういうとこ来たの、わたし初めてです。高田さんはよく来るんですか?」
 「いや、俺も初めて。迷惑だった?」
 「ちょっと驚きましたけど。でも素敵なお店ですね」
 「でしょ、俺も前からずっと来たいと思ってたんだけどなかなか機会がなくて。本当、君に会えて良かったよ。最近ついてなかったから、なんか救われた気がする」
「そんな大袈裟な……」
 だが高田は大真面目の様子だ。何かよほど不運な目に会っていて、藁にもすがりたい心境なのだろうか。
 「何でも好きに頼んでいいよ。奢るから」
 「えっ、そんな悪いですよ」
 と一応は遠慮しながらも内心「ラッキー」と思う遙奈である。
 メニューの品数は少ない。テーブルの上に置いてある三角の筒型に記載されているもので全てらしい。コーヒー、紅茶、ジュースにコーラ、それにケーキが幾種類か。仮に全品頼んだとしても五千円にも届くまい。ミルクティーとチョコレートケーキのセットかな。奢られることを前提に、遙奈はそう決めた。なにしろ無職無収入の身だ。自腹での余計な出費は避けたいが、タダとなれば話は別だ。甘い物は人並みに好きである。
 それじゃあお言葉に甘えて、と切り出そうとした矢先だった。
 「あ、そういえば今俺金持ってないや、ははは」
 高田はお気楽に笑い、遙奈は思わず前に突っ伏しそうになる。続けて高田は言った。
 「あと確かここって、席代も別に掛かるんだよね。あの、ちょっとすいません」
 「はい、ご主人様」
 近くを通りかかったメイドさんが恭しく傍に侍る。用命を承る姿勢もいじらしく、たぶん自分よりも年上であろう相手の頭を遙奈は思わず撫でてあげたくなる。
 「チャージって幾らでしたっけ」
 「はい、お屋敷の維持費でしたら、一時間毎に八百円をお預かりすることになっています」
 「それ、一人分ですか?」
 遙奈はあせって訊いた。本当に高田が持ち合わせがないのならば(ふざけんな!)、席料だけで千六百円が消えてしまう。だがメイドさんはにこやかに首肯した。
 「はい、ご主人様お一人毎になります。ですけど……」
 小首を傾げる。丁寧に編まれたお下げ髪が振り子のように揺れた。
 「ご主人様方からお預かりする大切なお金ですもの、無駄遣いなんてしませんよ?お屋敷が今よりももっともっと素敵になるようにするためのものだって、十分に承知していますから。だからご安心なさってください。ね?」
 はい。魅入られたように頷いてしまうのを、遙奈は止めることができなかった。

 ──きっとこの埋め合わせはするから。
 結局二時間も居座ってしまった後の別れ際に、高田はそう約した。つまり次もあるということだ。
 楽しくなかったといえば嘘になる。
 高田は最良ではないにしろ悪くない話相手だった。話題が豊富とか喋りが巧みとかではなくて、きちんとこちらの言うことを聞いて誠実に答えてくれる。遙奈は半ば人生相談のような事柄まで喋ってしまっていた。家業が潰れてしまったことも。
 「葬儀屋か……ちょっと想像つかない仕事だけど。でも君は続けたかったんだよね。分るな。続くのが当たり前だと思ってたことが急になくなるのって、辛いっていうか呆然となるよね。なんでだよ、さっきまであったじゃんか、みたいな」
 「本当はね、わたしも家の仕事が特別好きだったってわけじゃないの。でもさ、いざなくなってみると、自分の立つ位置が違っちゃったみたいで落ち着かないんだよね」
 いつのまにか気安い口調で喋っているのが我ながら意外だった。時間を共有することで親密さが生まれた、というだけでは語れない、心の繋がりが二人の間にあるみたいな感じだった。
 「きっと波長が合うんじゃないかな」
 高田は言って、遙奈は素直に頷くことができた。
 だのになぜだろう。
 深入りしない方がいいという実咲の言葉に、針で突かれたような痛みを覚えてしまうのは。
    * * *
 止まってしまった時の中、どこからともなく光は差して、平らな人達が音もなく行き交い、すれ違う人の間に紛れ、遙奈は自分の影を探して歩く。
 あ、あそこだ!
 地面の上を覚えのあるシルエットが滑っていくのを追って遙奈は駆け出した。平らな人達とぶつかりそうになりながら、というか余裕でぶつかっているのだが、縁の無い彼らと本当に行き当ることはなく、霧のようにすり抜ける。だから遙奈は気兼ねなく自身の影を追うことができた。
 帰らないと。早く。影を連れて。
 何処へ?
 捕まえた、と思った刹那。
 遙奈は強い衝撃に弾き飛ばされていた。驚いて前を見ると、同じ様に尻もちをついてこちらを見ている人がいた。
 この世界で初めて出逢った、遙奈の記憶にある相手だった。彼は遙奈の影の上に居て、だから遙奈は離れられない。
 どいて。遙奈は頼む。わたしは帰らなくちゃいけないの。ここはわたしの住む場所じゃないから。
 だが彼は途方に暮れた迷い子の犬みたいに首を振り、いつまでも遙奈を見つめ続ける。遙奈はどうすることもできずに、せめて立て替えた席代だけでも返してもらえたらと、自分の影を離そうとしない彼に手を伸ばした。
 彼は遙奈の手を握り締めた。その冷たい感触に遙奈は戸惑い、だけど一度でも放せばもう永遠に喪ってしまうような気がして、どうしても振り払うことができなかった。
(続く)
2006/ 6/16
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