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"夜の河を渡る"
「キョーコ、おそーい!」
不満そうな台詞とは裏腹に、瑛子は満面の笑みでわたしを迎えた。
「ああ、ごめん。ちょっと矢島に捕まってたんだ。……どうも」
下校する生徒達がぱらぱらと過ぎていく中でわたしは足を止め、校門を出てすぐの所に立つ彼にひょいと頭を下げた。背が高い。ぱっと見で百八十二、三はあるだろう。隣の瑛子が肩までにも届いていない。
茶色っぽい髪は短く切られ、納まりが悪いのかそういう髪型なのか、てっぺんがところどころで跳ねている。
くしゃっとした白いシャツの袖から伸びる腕は日に焼けていて、左肘のところに擦りむいたようなかさぶたがあった。
瑛子は彼に顔を向けた。
「紹介するね、このコが鳴海杏子、あたしの一番の親友。で、こっちが」
親友?わたしが。へぇ。
「倉水直彦。その、あたしの、えへへ」
瑛子は倉水君の腕をちょこんと掴んだ。倉水君はうざったそうに眉をひそめたが、たぶん照れ隠しのようなものなのだろう。とりあえずそう解釈しておくことにする。
「ずいぶん焼けてますね」
「え、ああ、サッカー部だから」
わたしの唐突な問いに、倉水君は少し考えて答えを返す。
そういえばそんなことを瑛子から聞いたような気もする。試合に応援に行ったとかどうとか、ドリブルで抜くところが最高に格好いいのだとか。
「今日は練習は休み?」
瑛子が勢いよく頷いた。拳を握り締めて力説する。
「そうなの、いつもは金曜は練習あるんだけどね、第三だけはお休みなの。だからちょうど良かったね。キョーコもさ、なかなか都合つかない人だから。今日はとっても貴重な日だよ、うん」
倉水君が口を挟んだ。
「バイトでもしてるの?」
「うん、まあ、ちょっと。色々とあって」
本当は、ほとんどの場合は適当に理由をでっち上げていただけだ。大体、瑛子は自分の彼氏とわたしを引き合わせてどうしようというんだろう?単に自慢したいってだけなんだろうか。
ま、別にいいけど。
ふっと目が合った。瑛子の頭の上から、倉水君が観察するみたいな視線を投げてくる。
「――で、瑛子。何観るか決めたの?」
「うん、それなんだけどね、どうせならみんなで決めようとか思ってさ」
瑛子はそう言うと、鞄の中から情報誌を引っ張り出した。
無難な所で選択したハリウッド謹製ムービーは、心の浅い部分を気持ちよく震わせてくれた。館内での席順は瑛子を挟んで右側に倉水君、反対の通路に面した方にわたしという配置で、瑛子は特に気を遣うという感じでもなく、ナチュラルに倉水君とわたしに交互に話し掛けていた。
内容は他愛もない、かっこいー、かわいー、すごーい、の三語で済むぐらいのものだったが、くすくすと笑ったり悪戯っぽく目を丸めたりしている瑛子は確かに可愛くて、口数こそ少なかったものの倉水君も楽しんでいるようだった。
こういう女の子を好ましいと思う男の子のことを、わたしはそんなに嫌いじゃない。
「なに?」
倉水君の声で我に返る。知らぬ間に彼のことを見つめてしまっていたらしい。
映画館と同じ建物にある喫茶店だ。銅版画が飾られた壁際のテーブル席に、今はわたしと倉水君の二人きり。
瑛子はお手洗いに行っている。注文を済ませるやいなや席を立ったところをみると、映画を観ている間から我慢していたのかもしれない。瑛子が注文したのはチョコパフェ、来るまでには暫く間があるだろう。倉水君はアイスティー、わたしはココアを頼んでいた。木目調のテーブルに、冷えたグラスと熱いカップが向き合って置かれている。
「気に障った?」
「なぜさ」
「じろじろと見たりしたから。悪気はないのよ、ただの興味本位」
日に焼けた眉間に皺が寄る。冗談なのか本気なのかと検討しているみたいだった。
冷房の強い風が肌の熱をさらっていく。わたしはココアに口をつけた。カップは土の香りがしそうな薄茶色をしていたが、だけどやっぱりカカオの甘い匂いが強かった。
倉水君は祈るみたいな形で指を組んだ。体格からしてもっとごつごつした手をしているかと思いきや、意外と繊細で綺麗なのに少し驚く。
「鳴海さん、つき合ってる奴とかいるの?」
「うわ、それって問題発言」
「瑛子はさ、ただの友達。鳴海さんがどう思ってるかは知らないけど、誤解はしないでほしいな」
「そうなんだ」
つまり、君はただの友達とヤるんだね。
「うん」
倉水君はストローの袋を破いてアイスティーをずずっと啜る。グラスの中の水平線があっという間に低くなる。
「わたしも瑛子とは友達なの」
少なくとも、瑛子はそう言っていた。
「……つまりNoってこと?」
「何が?」
倉水君はふいと口を噤んだ。
「お待たせー」
背後から掛けられた声に咎めるような色はない。
瑛子はにこにこと笑いながら、倉水君の隣にすとんと腰を落とした。
「ね、何の話してたの?」
「いや、別に」
「倉水君に誘われてたところ。意外とすけべな人なんだ」
倉水君はむせ返った。瑛子は「あはは」と笑った。
「そんなことないよー。ナオ君はマジメだもん。でも二人が仲良くしてくれるのは嬉しいな。メアドとかもう交換した?まだ?じゃあ貸して貸して、あたしが入れてあげるから」
倉水君は当然のように瑛子を送って行き、わたしは日暮れた道を一人たどった。
自宅のマンションの部屋の前でドアに鍵を差し込んだ時、メール着信を知らせるメロディが鳴った。
送信者:倉水直彦。
“会えない?”
返信。
“いいよ”
わたしの数少ない経験では、彼の良し悪しは判断できなかった。だけど倉水君の方は十分に満足したらしい。わたしの部屋のベッドの中でそのまま寝入ってしまうぐらいに。
電気を消したままの暗い部屋でわたしは服を身に着けて、ベランダへ出た。
手すりを隔てた向こう側に闇が深沈と流れている。わたしは煙草に火を点けて、肺の奥深く吸い込んだ。
(了)
2005/ 9/ 5
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