Back to
Main
"Kiss/kiss"
(第2回)
* * *
それにしても長い夢だ。そのうえ最初のシチュエーションから先はやけにリアルだし。
「それではおばさま。行って参ります」
「はい、いってらっしゃい。車に気を付けてね」
「はい。ありがとうございます」
礼儀正しく頭を下げて、美憂里は玄関から外に出る。靴は未来のローファーだ。自分では滅多に履かない未来だが、勝手に使われたことを知ったらさぞかし怒ることだろう。美憂里に対してやけに意固地になってるからな、あいつ。嫌いな相手に愛想をつかうようなタイプではないが、それにしてもここまで一方的に敵意を示すのは珍しい。
「ちょっと、明」
「あん?」
スニーカーの靴紐を結びながら、明はおざなりな返事。母はため息一つ。
「ほんとに。美憂里さんとはえらい違いだわ。育て方間違ったかしらね。それはともかく、ケジメだけはちゃんとつけてちょうだいよ。相手の親御さんのとこに謝りにいくのも、先方から怒鳴り込まれるのも、どっちもごめんですからね。分った?」
「はいよ」
と答えはしたものの、状況が理解できていないのは明も同様だ。あるいはやっぱりこれは夢で、ドアを開けると目が覚めたりとか。
「あ、だんな様」
まるで大好きな御主人様と散歩に出掛ける仔犬のように。
「…………」
「どうかなさいました?」
「なんでもない。行こか」
「はい!」
君の笑顔にみとれてしまいました、なんて。言えるわきゃないです。たとえ夢でも。
「美憂里ちゃん」
「なんですか、だんな様?あ、それとわたしのことは美憂里って呼んでくださいね」
「じゃ、俺も明で」
「はい、明様」
「様も抜きで。ただの明で」
「どうしてですか?わたしは明様のしもべなのですもの。それにふさわしい呼び方だと思うのですけれど」
「だって変でしょ。おんなじ高校生なのに様付けなんて。それで、美憂里、は学校はどこなの。私立?」
「明様と同じですけど」
「じゃ、公立か。どこ?」
「ですから、明様と同じ学校に」
……そうですか。
学校までは徒歩で十五分ばかり、車の少ない裏通りを縫うようにして歩く。家に一台きりの自転車は、未来が当然のように専有しているので、自前の足が唯一の交通手段である。
如月市立如月学園中学・高等学校は、銀杏並木が両側に植わった坂道を登った所にあった。たまに学園長が門の所に立って腕組みで登校してくる生徒達を睥睨していたりするが、既に始業時間を過ぎているので今は誰もいない。
思いっ切り遅刻だが、門扉は閉まっていない(というかそもそも存在していない)ので無問題。
「まさか教室まで来る気?」
昇降口まで、美憂里は当然のようについてきた。
「はい、もちろん。どこまででもご一緒に」
美憂里は笑顔で即答。何の疑問も持っていないよう。
HRが終わって体育の授業に向かうのだろう、体操服の生徒達が下駄箱に佇む二人に訝しげな視線を投げていく。白いワンピースはさすがに目立つ。
「美憂里、ちょっとこっち」
ひとまず隅の方へ移動。
「君は俺をからかってるのか?……あ、いやいやそんなわけないよな、うん、分ってる、分ってるから泣かないで、お願いだから」
「だんな様は、わたしがいると迷惑ですか?」
「や、嬉しいよ、すごく、ほんとに。でも美憂里はうちの生徒じゃないんだしさ、教室までは無理だよ、ね」
美憂里はしゅんとうつむいた。
「すいません、わたし気が利かなくて……失礼します」
大きく頭を下げると、引き止める暇もあらばこそ、美憂里は昇降口を出て行った。
なんか、すごい罪悪感。
「はよー、明君。どうしたの、いつにもまして遅いじゃん。寝坊?寄り道?道に迷った?」
「ちっす。気分的には最後のやつかな」
授業はまだ始まっていなかった。ざわついた教室の中、明は自分の席に着く。
なあにそれ、とケラケラと笑っているのは隣の席の倫子だ。一年の時から同じクラスで、女子ながら最も気の合う友人の一人である。口元の下にある黒子がなかなかにセクシー(倫子談)。
「変なこと訊いていい?」
「いいよ。エロいこと?」
「じゃなくて。倫子ちゃん、今起きてる?」
むむむ、と倫子は唇を引き結んだ。
「それは哲学的な質問なのかしら。意識とはなんぞや、みたいな」
「や、単純な話。ぶっちゃけ、これって夢かな?」
ぶゎっちん。
「どうかしら。やっぱりつねった方が良かった?」
じんじんじん。打たれた頬が熱い。これで反対側の頬まで差し出せば、おたふく風邪みたいな有り様になってしまう。
「いや、だいじょぶ、十分分ったから」
「遠慮しなくていいんだよ。あたしと明君の仲だもん」
「だから遠慮なんかしてないしって、あ痛っ」
剥がされました。額に貼ってた絆創膏を。一息に。べりって。
「わー、痛そ。どしたのこれ。また妹さんに無理矢理エッチしようとして抵抗されたんだ。駄目だよ、犯罪だよ」
「またってなんだよ。だから突つかないでってば」
倫子の魔手を払い除けながら、明は机から数学の教科書を引っ張り出した。
「やべ。微積のプリントって、提出今日だよね?倫子ちゃん貸してくんない?授業終わるまでに返すから」
「昨日だよ。明君が寝てる間に回収完了」
…………。ま、いっか。
しかし現れたのは数学教諭の高山ではなくクラス担任の木村だった。妙に浮ついた様子で教壇に上がると、鼻の詰まった九官鳥みたいに口を開けた。
「あー、えへん、転入生を紹介すます」
変だ。「する」と「します」が合体してしまうぐらい。
「えーと、それじゃ、どうぞ」
しかも何一つ紹介してないし。
何か悪い物でも食ったんだろうか、と明は心配したりはしなかった。それどころではなかった。呆然として、教室に入ってきた転入生を見つめた。転入生は木村とは好対照に落ち着いた挙措で隣に並び、すっと軽く前に出て丁寧にお辞儀を一つ。
「今日からこのクラスで御一緒させていただくことになりました、流木笛美憂里です。流れる木の笛と書いて、るきふえ、と読みます。どうぞよろしくお願いします」
おーっと低くどよめくような声が上がる。
芸能人でも滅多にいないような美少女だ。それもなぜだか真っ白いワンピース姿で、紺色の制服の生徒達の中にあって鮮やかに浮き上がる。舞い降りた天使のよう、という形容がさほど大袈裟ではない。
「へー、綺麗なコだねえ」
倫子が素直に感心したように言う。
「しつもーん」
はい、と早速手を上げたのは高畑。
「美憂ちゃんはどこに住んでるんですか」
いきなりの馴れ馴れしい質問にも(高畑にとってはこれが普通なのだが)、美憂里は嫌な顔を見せることなく。むしろ清々しく笑んで。
「明様のお部屋です」
教室は蜂の巣に爆竹を突っ込んだような大騒ぎに、はならなかった。たぶんみんな意味が良く理解できなかったのだ。あまりにも突拍子がなさすぎて。
「えーと、では、流木笛さんの席は、ですね」
「大丈夫です。分ります」
頑張ってお定まりの手順を踏もうとする木村の言葉を遮ると、美憂里はてくてくと座席の中に分け入った。廊下側の後ろに誰も使っていない机と椅子が一つずつ。だが美憂里はそちらには向かわずに。
「ここ、よろしいですか?」
「え、何が?」
電車で空いた席に座るのを断るみたいに。美憂里が話し掛けた相手は倫子。
「わたしの席は明様の隣ですから」
「えっと、それはつまり、倫子ちゃんにどけって言ってるのかな」
「いえそんな……ただわたしは明様の傍にいるべきものですので」
ここにいたって、ようやくざわめきが起こり始める。明にとっては非常に居心地の悪い空気だ。
「いちおう確認しとくけど、さっきから言ってる、その明様っていうのは」
倫子は人差指をぴんと伸ばして明に向けた。
「明君のこと、だよね。この」
「はいもちろん。わたしの大切なだんな様です」
超絶の美少女にこう言われて。嬉しくない男子高生はよもやあるまい。しかし時と場合というのもけっこう重要なのであって。
……勘弁してください。
倫子は明の方に顔を向けた。
「そうなの?」
「いや、なんつーか」
美憂里が口を挟む。
「これからずっと一緒にいる人です。今朝は途中になってしまいましたが、今夜にはきちんと最後まで契りを結びます。とても楽しみです。ね、明様」
「ふーん」
「あの、倫子ちゃん?」
「村雨君、悪いけどちょっと手伝ってくれるかな。席移すから」
倫子は椅子を持ち、机を持った村雨がその後に続いた。入れ替わりに空の机と椅子を明の隣の位置に据える。ほこりが舞って春の光の中にきらきらと浮き上がる。
倫子は両手をはたき合わせた。
「さ、終わりっと。村雨君ありがと。これで良い?」
「はい、ありがとうございました。このお礼は必ずしますから。何が良いか考えておいてくださいね」
「何でもいいの?」
「わたしにできることでしたら」
美憂里はにこにこと笑っている。
「うん、分った、考えとく。約束だよん?」
「任せてください」
たぶん当事者の筈の明を外に置いて。友情だか妥協だかがめでたく成立したようである。
(続く)
2005/ 6/25
Go to
Next
Back to
Main