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"Kiss/kiss"

(第3回)

     * * *
 契りっていわゆるアレだよな。
 十五分遅れで始まった授業だが、その間ずっと廊下で待たされていたにもかかわらず、高山は全く普通に授業を進めた。
 確かまだ二十台だが、やけに疲れたような雰囲気を漂わせている。中等部でも教えているが、本来の所属はこちらだ。
 ぼそぼそとだるそうに喋り、いかにもやる気なさげ。インテグラルは明の耳を素通りしていく。考えるのは当然、突然現れた謎の少女のこと。
 美憂里はとびっきりの美少女で、性格だっていい(言動はいささか変だが)。明のことを本当に気に入ってくれているようでもある。コトをいたすのに何の異存もあろう筈もない。
 だがちょっと待て、と囁くものがいる。これって話がウマすぎねーか?
 自分に男としての魅力が全く無いとは思わない(思いたくない)けど、一目見ただけで一緒に寝たいという気にさせるほどのフェロモンは発散してないだろう。
 もしそうなら今頃、倫子ちゃんとは何度も……いやいやいや、倫子ちゃんは友達だ、そういう対象じゃない。
 大体彼女はどこで俺のことを知ったんだ?過去に会ったことがないのは確か。一目見ただけで脳にインプットされてしまうぐらい綺麗なコなのだから。そしてあの素っ頓狂な登場の仕方は。一歩間違えれば犯罪である。少なくとも明が初対面の女の子に同じ事をしでかせば、100%警察のご厄介になっている。
 しかもいきなりうちの生徒になってるし。
 明は横を盗み見た。玉石から削り出したような、優しく柔らかくそれでいてきりりとした輪郭。ワンピースの背中に流れる艶やかな黒髪。そして何より印象的なのが、夜気が結晶したかのような深い色の瞳。「黒い瞳の少女」なんてタイトルを付けて切り取って絵にでもすれば、モナリザの微笑だってかすんでしまう。
 視線に気付いたのか、美憂里がこちらを向いて笑む。
 くらりと脳が痺れた。

       #

 「っとにもう、わっけわかんない。なんなのよアイツ」
 未来の鼻息は荒い。まるで縄張りを荒らされた猫だ。
 「そーねー」
 「明様?しもべ?しょーもない漫画とかの見過ぎで脳にウジ湧いてんじゃないの?」
 「あー、あるかもねー」
 「アキラが馬鹿なのはいつものことだけどさ、今回はさっすがに呆れたわね。部屋に女引っ張り込んでそのまま一緒に朝ご飯食べさせるか、フツー?とっとと追い出せってえの。お母さんもつまんないお世辞言われて舞い上がっちゃってさ、あれ絶対詐欺師かなんかね。エリカ、聞いてる?」
 「聞ーてる聞ーてる。あんたのおにーちゃんに彼女ができたってんでしょ。結構なことじゃない」
 「彼女なんかじゃないもんっ!」
 中等部校舎の屋上、そのさらに上の、階段出口がある部分の上だ。やわらかい春の日射しが降り注ぎ、風がほのかにそよぐ。寝転んでだべるには絶好のロケーション。……立入禁止だが。ついでに授業中だが。
 「あたしのおにーちゃんは誰にも渡せないって?」
 「ば、馬鹿なこと言わないでよ。あんたはあのバカ兄貴の実体を知らないから」
 仰向けに寝そべっていた桐野絵梨花は胡座をかいて座り直した。掴みかからんばかりの勢いだった未来の鉾先が鈍る。
 「明さんカッコいいもんねぇ。そこそこは」
 絵梨花はスカートのポケットからカンケースを取り出すと中の煙草を咥えた。持ち重りのする無骨な金属製のライターは、セーラー服の胸ポケットから。
 「あたしの趣味じゃないけどね。……吸う?」
 「……もらう」
 常習喫煙者である絵梨花と違って、未来は片手で数えられる程度しか吸ったことがない。慎重に口の中でふかした。いがらっぽい苦い味。好きにはなれそうもないけれど、間を持たせるには便利なアイテムだ。
 「いっつも持ち歩いてるけど、先生に見付かったりとかしないの?」
 「別に。みんなもう知ってるし。高山先生とか、たまに一緒に吸ってるし」
 未来はその図を思い描いた。ひとけのない校舎裏で、“So what?”の絵梨花と“Not my business”の高山が煙をくゆらせている。最近どうよ、うーん別にー、なんて、どうでもいいことをポツリポツリと喋りながら。
 「似合ってる、かも」
 「そう?」
 絵梨花はぽわっと煙を吐き出した。
 「えっ、ちょっとエリカ、まさかあんた」
 「まさか。ま、口説かれでもしたら考えるけどね」
 でも考えるのか。
 相変わらず良く分らない友人である。
 「未来も彼氏でも作ればいいじゃん。いつまでもおにーちゃんにかまけてないで」
 「だからかまけてないって」
 「じゃ、なんでそんなに怒ってんの?」
 「……う。それは、だって、知らないひとがあんなふうに自分の家でずうずうしくしてればさ、当然じゃん」
 未来はそっぽを向いた。絵梨花は煙草の火口をコンクリに押し付け。チュッ。

 ――はい?

 「な、なによなになに?」
 未来は頬をおさえ、スカートのお尻をついたまま後退り。
 「んー、ちょうどいいとこにほっぺたがあったもんだからね、つい」
 「ついじゃないっ。セクハラ親父かおまえはっ」
 顔を赤くして怒る未来に、そのうぶさを楽しむように絵梨花は笑った(それでいて小学生といっても通るような幼な顔だったりする)。
 「未来ってさ、けっこー女の子に人気あんだよね。知ってた?」
 「…………」
 知っている。自慢ではないが、これまでに貰ったことのあるラヴレターは全て女の子からの物だ。
 「全然嬉しくないもん、そんなの」
 「だからさ、彼氏でも作んなよ。なんなら紹介してあげよーか?」
 「余計なお世話よ」
 「そ。じゃ、気が向いたらね」
 絵梨花は手を頭の後ろで組んで再びごろんと寝っ転がった。次の授業にも全く出る気はない模様である。

       #

 昼休み。
 とにかくはっきりさせよう、うん。
 未来は自分に気合を入れた。
 好きな場所で食べるためにお弁当箱を持っている生徒や、学食や購買に向かう生徒などがそぞろ歩く中、セーラー服のスカートの裾をひるがえしながら、未来はずんずんと廊下を歩く。いつもであれば、未来も絵梨花や他の友達と連れ立って中庭に向かっているところだ。
 目指すは明の教室である。
 同じ敷地にはあっても、中等部と高等部とでは校舎は別だ。教員棟を突っ切れば上靴のままでもいけるのだが、特に用が無い限り中高の間での生徒の行き来は禁止されている。未来はいったん下駄箱で靴を履き替えて外に出た。遠回りになってしまうが先生に捕まって時間を浪費するよりはいい。
 ――あのひとは明の何なのか。
 普通に考えれば、絵梨花の言う通り彼女ということになるのだろう。だがそれならそれで妹の自分に一言あってしかるべきだ。あたしに何の断りもなく部屋に連れ込んで、あまつさえベッドの上であんな……むかっ。
 「すいません、アキラを呼んで欲しいんですけど」
 明のクラスの前で、ちょうど出て来た女生徒に未来は声を掛けた。
 中等部の制服の少女がいきなり、それもなんだかやけに喧嘩腰な態度で、相手はいささか驚いたようだ。不思議そうに見返してくる。未来よりは背が高い。口元の下に黒子。
 「明君?」
 「そうです、急用で。早くしてください」
 「うーん、でもいま明君忙しいかもしんないな」
 ちらりと教室の方を顧みる。
 「分りました、いいです、自分で呼びますから」
 未来は女生徒を押しのけるようにして教室に入り込み、そして。
 「……なんで、あのひとがいるの?」
 机と机をくっつけて。仲睦まじく。
 二人はお弁当を食べていた。
 否、真っ白いワンピース姿の少女が、明に食べさせてやっていた。正真正銘、完全無欠のバカップル。
 「大丈夫?なんか目が血走ってるけど」
 女生徒はひらひらと手を振った。その手を、未来はがっと掴む。
 「な、なんなんですかあれ。どうしてあのひとがお兄ちゃんの教室にいるんですか。それで一緒にお弁当なんか食べてるんですかっ。まさか今夜もまたウチ来るつもりじゃないでしょうね。それでまたあんなことを!?そんなの、許さないんだから」
 ぎんっと目をむいて二人の方に歩き出そうとする未来を女生徒が止めた。
 「落ち着きなよ。あなた、もしかして未来ちゃんね。ちょーっとお姉さんとお話しよっか」
 倫子は、にっと笑った。
(続く)
2005/ 7/ 2
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