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"Kiss/kiss"

(第4回)

     * * *
 「ふーん。明君の部屋にね。で、明君は何て言ってるのかな」
 「何も。だからそれを訊こうと思ってここまで」
 来たんです、と未来は言った。四階と三階の間の階段の踊り場だ。未来は緑色の掲示板に背中を預けるようにして立っている。その脇で倫子は腕を組む。
 「未来ちゃんは、前にあのコに会ったことないのね」
 「はい。だって忘れる筈ないです、あんな」
 未来は口ごもったが、倫子は察したようだ。
 「綺麗だもんね、あのコ。ちょっと信じられないぐらい。女のあたしから見てもそう思うぐらいだもん、男のコだったらもう夢中でしょうね」
 「でも絶対変ですよこんなの。何か裏があるに決まってます」
 「裏って……ただの高校生にそんなもんが必要だとも思えないけどねぇ。でも明君も不思議に思ってるみたいだよ。これは夢じゃないか、とか言ってたし」
 「夢、ですか?」
 未来は顔を上げた。
 「ま、それは置いとこうか。それで未来ちゃんはあのコのことどうしたいの?二枚カミソリでしゅぱっとかやっちゃう?協力するけど」
 「……は?」
 未来は目を見開いた。思わず、という感じで後ろに下がろうとするが、壁にぶつかって止まる。倫子はケラケラと笑った。
 「冗談だってば。でも近付けたくないとは思ってるわけね」
 「別に、そういうわけじゃ。そういう倫子さんはどうなんですか?お兄…アキラのことが好きなんじゃないですか」
 「うん」
 「えっ」
 「って言ったらやっぱり邪魔するのかな?でも明君が誰とつき合おうと、あなたの口出しする筋じゃないと思うけど」
 「でも」
 未来は唇をかんだ。分っているのだ。たとえば自分の彼氏について(いないけど)明がどうのこうのとケチをつけてきたら、未来は許さないだろう。鼻っ柱に鉄拳制裁を叩き込む。しょせん兄妹であり、恋愛は埒外なのだから。それでも。
 「あのひと、なんかヤです」
 理屈ではない。初めて見た瞬間からそうだった。
 「絶対、何かあると思う。綺麗だし可愛いけど、見てると不安になってくるの。断崖に立って深い谷を見下ろしてるみたいな感じ。油断すると引き込まれちゃいそうな。きっと、ああいうのを魔性の女っていうんです」
 「それはそれでおもしろそうだねぇ。弄ばれておろおろする明君か、うん、見てみたい」
 「あの、本気で言ってるみたいに聞こえるんですけど」
 「あはは。でも未来ちゃんの言うことも分るかな。ちょっと変わった雰囲気があるよね、あのコ。浮き世離れしてるっていうか、この世の人じゃないみたい。あたし達とはまるで違った生い立ちの持ち主かもしんないね」
 「…………。単に遊んでるだけなんじゃないですか」
 未来は投げ捨てるように言った。


 十四歳の女子中学生と、二十八歳の学校教師が、校庭の片隅で煙草をふかしている。
 高山はいわゆるうんこ座り、絵梨花はスカートのまま地べたに直で腰を下ろしており、立てた膝の間からは黒のスパッツがのぞいている。灰皿はさっきまで高山が飲んでいたコーヒーの空き缶だ。敷地の一番端も端、用具入れ小屋の裏側は、滅多に人が訪れることもない。
 高山は二本目に火を付けながら言った。
 「もう授業始まるだろ。学生はとっとと戻れ」
 「先生こそ。給料貰ってんだからちゃんと働かなきゃ駄目じゃん」
 「俺は次は空き」
 「あたしも」
 「嘘こけ。生徒にそんなんあるかい」
 高山はうるさげに前髪をかき上げた。いかにも野暮ったくぼさぼさだが、洗髪は一応しているらしい。微かにシャンプーの匂いがした。
 「先生、あたし達ってね、似合ってるらしいよ」
 「どういう意味」
 「あたしと先生がつき合ってんじゃないかって。未来が」
 「は。北久保の妹か。訳の分らん事を言う奴だな、おまえのお姫様は」
 「かわういでしょ。手出さないでよね、先生」
 「誰が。兄貴の方は手出されてるみたいだけどな」
 「明さん?別に珍しくないじゃん。未来のおにーさんなんだから、素材はいいわけだし、気さくだし。あたしもけっこう好きだよ」
 「分らんな、全く。女の好みってのは」
 「先生みたいなのがいいっていう人だって、世界中探せば三人ぐらいはいるよ。もしかしたらね」
 「ふん」
 「みたいなの」で「もしかしたら」でそれでいて「世界中」でたったの「三人」だ。実質ゼロだと言っているに等しい。
 「で、どんな人なの?まさか誰か先生とか」
 「いや、生徒、転入生。なんか突然現れてな。担任の木村先生も知らなかったらしい」
 絵梨花は眉をひそめた。
 「ひょっとしてその人、明さんのことだんな様とか呼んでた?」
 「そうらしいな。全く最近のガキ共の考えることは……?」
 「あげる」
 絵梨花は自分の吸っていた煙草を高山の口に押し付けた。呆気に取られる高山を置いて、校舎の方へと歩き出す。
 「……なんなんだ一体」
 二本の煙草を口に挟みながら。高山はもごもごと呟いた。


 未来は怒っていた。ぷんすかだった。どのくらいかというと、絵梨花が教室に戻って後ろの席に座ったのにも気付かないほどだった。
 いつもなら早速、なんやかんやとどうでもいいことを話し掛けてくるというのに。
 セーラー服の後ろ襟をつん、と引っ張る。
 反応無し。
 つんつん。
 うるさげに手で振り払われる。
 少し時間を置いて。もう一度。
 つんつんつん。
 「やめてよもう、うっとうしい」
 …………。びっくりした。
 「あ」
 未来も自分の取った態度に驚いたようで、後ろを向いた姿勢のまま固まっている。絵梨花は摘んでいた未来のセーラーの襟を離す。
 「ごめん」
 「違うの、エリカ、えっとね」
 「先生」
 「え?」
 爪にごく薄くピンクのマニキュアの塗られた指で、教室の前を指す。
 「来たよ」
 「うん」
 未来は大人しく前を向く。寸前、口の形だけで「あとでね」と囁いた。絵梨花は「了解」と親指を立てた。

 ――自己嫌悪。
 絵梨花のさっきの表情が忘れられない。もし自分が絵梨花にあんな態度を取られたら……泣くか喚くか怒るか。多分、どれでもない。口も利けないぐらいショックで落ち込んでしまうだろう。
 なんて言って謝ろう。許してくれるかな。
 だけど本当は考えるまでもない。絵梨花は許してくれる。
 何でもないことのように。
 未来はため息をついた。
 今日は朝から怒ってばかり。もちろん原因は、あのひとだ。
 でも、どうして?
 明を取られそうだから?
 うん、それは認める。正直、明が他の女の子とつき合うのは気に入らない。
 だって、あたしは明の馬鹿なとことかズボラなとことか、いっぱい知ってるんだよ?それなのに、きっと彼女とかには、いいとこばっか見せようとするんだ。そんなのってずるい。ずっと一緒にいるあたしには見せない顔を、他の女の人に見せるなんて。明のくせに生意気だ、うん。
 でもね、でもさ。
 たとえば相手がさっきの倫子さんだったとしたら。それとも(絶対あり得ないと思うけど)絵梨花だったりしたら。他の誰でもいい、普通に優しかったり可愛かったり意地悪だったり見栄っ張りだったり大人っぽかったり元気だったりする女の子だったら。
 許せるし、認められる。

 だけどあのひとはだめだ。
 予感がする。
 悪いことが起こる。
(続く)
2005/ 7/ 9
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