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セイト・メイヤーの冒険

"旅立ち"

第1回

 何からお話すればいいのでしょう。シャムロックさんのあの素敵な壷の話から?トレドの市で、東国から来た商人がいっぱい品物を並べている中で、シャムロックさんの視線を釘付けにして離さなかった翡翠の壷。シャムロックさんったら、それまでに稼いだお金を全部注ぎ込んでしまって、後で奥さんのハナさんにぼこぼこに殴られて本泣きしてたけど、それでも絶対に手離そうとしなかった。買い付けなければいけない品物はまだまだ沢山あったのに。
 しょうがない。ハナさんはため息をついて首を横に振ると、黙ってその場を立ち去った。驚いた。だって、シャムロックさんがハナさんに逆らって、ハナさんの方が折れるなんて、見たのは初めてだったから。
 でも本当に驚いたのはその後だ。
 私達、つまり私と父とシャムロックさんと雇い人の人達がトレドの市門前の広場で待っていると、商売物の反物を満載した荷車をハナさん自らが引いて現れたのだ。
 「ハ、ハナさん……どうやってそれを……」
 シャムロックさんはあんぐりと口を開けた。それもその筈、だって、仕入れに使うためのお金はみんな自分で使ってしまっているのだ。
 「ま、まさか力ずくで!?」
 「馬鹿、誰がそんなことするもんかい。あんた長年連れ添った相手を何だと思ってるんだ。このあたしが、そんなことするような暴力的な人間だってのかい?」
 私は内心で首をすくめた。シャムロックさんとまさに同じ想像をしていたからだ。「違うのか……」と、ほっとしたように呟いたのは、シャムロックさんの家の使用人頭をしている、ええと、確か、ムラサキさんだ。
 「ちゃんと金払ってきたともさ。まあ、ちょっとばかしまけさせはしたけどね、正当な交渉の範囲内だよ」
 やや大柄という程度で、見た目は普通の女の人のハナさんだが、大の男の二、三人を片腕でなぎ倒してしまう剛力の持ち主であることは、トレドの市の常連ならば誰でも知っていることだ。親しげに相手の肩を叩きながら、言い値の三割にまで(三割引き、ではなく)値切っている場面を、私はありありと想像できた。まるで実際に目撃したことがあるみたいに。というか、実際あるんだけど。
 「だから今回は護衛は無しだ」
 ハナさんはさらりと言った。ほとんどの人は内容を理解しそこなった。すぐに反応したのは私の父だけ。うん、さすがはお父さん、なんて感心してるバヤイじゃない。
 「ハナさん、それはつまり護衛を雇う分のお金を使ってしまったということかな?」
 「ま、そういうことだね。けど心配しなさんな、ギレンの旦那。あんたが出した分は街に帰ってからきっちりと返すからさ」
 「お金のことはとりあえずはいいが、しかし我々だけでミンクスまで行くというのは、ちと無謀というものだと思うのだが」
 「なに、大丈夫さ。このあたしがいるんだから」
 ハナさんは力強く受け合った。その場にいる誰もが思わず頷いてしまいそうになったが、堅実と誠実とが売り物の我が父は、一人冷静に突っ込みを入れた。
 「ハナさんが頼りになるのは認めるさ。だけど山賊相手に何をしようっていうんだい?」
 一同は静まり返った。そうなのである。トレドの街は有数の市が立つだけあって、警備もしっかりしていて治安はいい。一方、私達の住むミンクスはいうまでもなく守護代の所在地であり、付属する守護隊が無法者達に睨みをきかせている。だが二つの街の間を結ぶ街道はといえば、ここのところ山賊が出没するようになっていた。つい先日も、うちの分家筋にあたるヒラムの隊商が積荷を根こそぎにされたばかりである。
 「そん時はそん時さ。あたしらは全員命を捨ててでも、あんたらには指一本触れさせやしないよ。この指輪にかけて誓うともさ。そうだろ、あんた」
 「え……?」
 ハナさんは慌てるシャムロックさんの腕をむんずと掴むと、高々と掲げてみせた。その指に嵌められているのは、夫婦お揃いの青金石をあしらった小粋な指輪。当時ムートン家の雇い人だったシャムロックさんが、初めての給金を全部注ぎ込んで、主家の一人娘であるハナさんに贈ったものだとか。
 「あんたらもいいね?ギレン家の人達や積荷には指一本触れさせるんじゃないよ。たとえクラカウの軍隊が相手だとしても絶対に退くんじゃない。根性見せるんだよっ!」
 広場中に響き渡るような大音声だった。
 こうして私達ギレンとサイクラスとの合同隊商総計十五名は、ミンクスの帰路へと出発した。順調に行ったとして、大体一日半の行程だ。途中に宿場などはないので、野外で一泊することになる。
 「ねえ、お父さん、ほんとに大丈夫なのかな。ヒラムの人達みたいに……」
 その後を続けるのはためらわれた。積荷を奪われるだけならまだいい。だが山賊というのはそんなに甘い連中ではないのだ。彼らに法や倫理は通用しない。
 「さてな、先のことは分らんさ。だがどっちかといえば無事に済む可能性の方が高いだろうな。ハナさんだって、そう踏んだからこそ護衛抜きで行くことにしたんだろう」
 「そうですよ、お嬢さん。連中が襲うのは少人数の隊商です。せいぜいが五、六人てとこですな」
 キュービックが口を挟んだ。最近うちに加わった若い人だ。薄茶色の瞳がどこか軽薄そうなな感じで、なんでも安請け合いする悪い癖がある。だけど機転が利く上に不思議な迫力があって、今度の買付けでは値段の交渉にずいぶんと力を発揮してみせていた。
 「これだけの規模ともなれば警戒します。実際、腕っ節の強い人間も多いですしね。気楽に構えてていいですよ」
 「それに、いざとなったらあなたが守ってくれますしね」
 「もちろんですとも。私の命の次に優先してお守りしますよ」
 キュービックの安請け合いが効いたわけでもないだろうが、旅は順調だった。一番心配されていた野営も無事に過ぎて、ミンクスの街まではもうあと山を一つ越えるだけとなっていた。シャムロックさんは手に入れた壷をまるで赤ん坊みたいに大事に抱え、ハナさんはぶちぶち不平を言いながらも、だんなさんが躓いたりした時には必ず手を差し延べたりしてあげていた。支えてあげるというよりは、首根っこをとっつかまえるといった感じだったけれど。
 「どうだい、スミルちゃん。初めての買付けの感想は」
 私のすぐ隣を歩いていたキュービックを片手で押し退けるようにして、ハナさんが話し掛けてきた。
 「ずいぶん疲れただろう。だけどこれからはこれが日常になるんだ。それに覚えることは山ほどある。見よう見真似でもなんでもいいから、早く慣れないとね。ギレンのだんなぐらいまでになるのは大変だけど」
 その父はムラサキさんと何か話をしていた。うちは帳簿も父が全部管理をしているが、サイクラス商会ではそれはムラサキさんの仕事だ。そのせいか、それとも単に気が合うのか、今回の旅では二人はよく一緒にいる。
 「あんたなら大丈夫。頭も気立てもいいからね、きっとみんなに信頼されるいい商人になれるよ」
 「はい、ハナさん。ありがとうございます。頑張ります」
 頬が上気するのを感じる。本当のところ、自分が商人に向いているのかどうかも、それ以前に商人になりたいのかすら今はまだ分らない。だけど、ハナさんみたいな素敵な女の人に認めてもらえるのは素直に嬉しかった。
 ハナさんは微笑んでうんうんと頷いた。
 「そのためにもしっかりといい男を捕まえないとね。どうだい、もうつき合ってる相手の一人や二人はいるんだろ?教えなよ」
 「ええっ、いませんよそんなの」
 「とぼけるのはよしなよ。最近ぐっと可愛くなってきたものね、となると理由は一つしか……」
 ハナさんは言いさしたが、それはキュービックが何やらしたり顔で頷いているのが気に障ったせいではなかった。私達は足を止めていた。
 行く手を塞ぐようにして、道幅一杯に広がる男達がいた。見るからに凶悪だ。顔がではない。発散している雰囲気が、だ。そんなものが目に見えるというのもおかしな話だが、けれどその場にいれば誰でも実感できただろう。
 「山賊、か」
 噛みしめた歯の間から押し出すようにして、ハナさんが言った。いつも陽気で豪気な顔が、緊張のせいか青ざめている。
 「スミルちゃん、いいかい」
 ハナさんは私の肩を抱き寄せると耳元で囁いた。
 「あんたは目立たないように後ろに下がりな。距離を取って、頃合いを見計らって全力で走るんだ。キュービック、一緒に付いて」
 「承知しました。ですがトレドまで戻るにしても、迂回してミンクスに抜けるにしても簡単にはいきませんよ」
 「そんなこたぁ分ってるさ。そこを何とかするのが男ってもんだろ。うまくいったら後であたしがキスしてやるよ」
 「それは遠慮します。では、お嬢さん」
 こんな時でもキュービックはどこか軽薄そうだったが、切迫した雰囲気は隠しようもない。促すように背中を押され、私はハナさんの指示に従うことに決めた。それが最善なのだ。山賊達はいきなり襲ってくるようなことはなく、父とムラサキさんが代表して応対していたが、無事に交渉が成立するという保証はなく、むしろそうならない可能性の方が高い。そしてそうなった時に。
 私は足手まとい以外の何物でもないのだ。
 ハナさんは私が頷くのを確認すると、父達のいる方へと向かっていった。反対に、私はゆっくりと後退する。最後尾から十歩以上離れ、山賊達の姿が道の陰に隠れた所で、キュービックと暗黙で合図を交わし、走り出そうとした刹那。
 背後で、叫び声が上がった。
 思わず駆け戻ろうとした私の腕を、キュービックがびっくりするほど強い力で掴む。
 「キュービック、お父さん達が」
 「駄目です。ここであなたが戻っても事態は悪くなるだけです。お分りでしょう?」
 「でも」
 キュービックが正しい。私は感情を押し殺そうとした。あまり上手くはいかなかったけれど、キュービックは私の葛藤には構わず腕を掴んだまま走り出した。引っ張られるままに私は足をもつれさせ、ほとんど転ばないようにするためだけに駆け出した。
 だがそれは、本当に短い間のことだった。
 「悪ぃな嬢ちゃん。こっちは行き止まりだ」
 待ち伏せていただけではなく、山賊達は後ろからも迫っていたのだ。
 キュービックは道の端に弾き飛ばされ、私もしたたかに尻餅をついたが、痛みに気を取られる暇もないままに、襟元を掴まれ引き起こされた。
 髭面の大男だった。お酒の混じったような息の匂いに思わず顔を背ける。
 「おっと、大人しくしろよ。大事な商品に傷を付けたくないんでな」
 背後で野卑な笑い声が上がる。五、六人はいるだろうか。笑いというものがこんなにも人を不快にさせることができるということを、私は初めて知った。
 私は髭の大男から別の二人に引き渡されて、左右から両腕を掴まれた状態で前へと引きずっていかれた。キュービックの方はどうやら気絶してしまっているらしく、道の脇に転がったままぴくりとも動かない。山賊達にも石ころ同然に無視されていた。
 これからどうなるのか、想像するのは難しくなかった。こいつらは私のことを「商品」と呼んだ。だからつまり、そういうことだ。
 「その薄汚い手を離せ、クソどもっ!」
 私は余り嬉しくない形で隊商の皆と合流し、私に気が付いたハナさんが血相を変えて駆け寄ってこようとして、山賊の一人を肘撃ちで殴り倒し、さらに別の一人を蹴り飛ばした。
 「止まれ」
2006/ 3/27
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