Back to Main

"SKIP!!"

(第4回)

 ――はーっ。
 みさおは心の底からため息をついた。
 中野先生の姿がなくなり、教室は俄に騒がしくなっている。
 「すごかったなー」
 「中野センセまじキレてたし」
 「ほんと、すっげ怖かった。過去さいこー」
 「普通怒るだろうけど、それにしてもね」
 「アレじゃねえの?女の子の日」
 「馬鹿」
 「何が馬鹿だよ。あ、さてはお前もそうなんだろ」
 「タコ」
 などなどなど。蜂が飛びかっているみたいに騒然とした中を、みさおはグラウンド・ゼロへと向かう。
 ――本当に良かった、と思う。
 あれで中野先生はとても律義な面を持っている。授業開始のチャイムが鳴っても現れないことはよくあるが、終了のチャイムが鳴ってもなお教室に居残るようなことは決してないのだ。
 良かった良かった、と親切なお婆さんみたいな口調で呟きながら、みさおは少しく自分に気合を入れた。それは藍響という少女に声を掛けるため。
 「藍さ……響ちゃん」
 「なに?」
 響は脇に立ったみさおを振り仰ぐ。さすがにいささかくたびれたような声だ。
 「うん、えっとね、これ」
 みさおは後ろ手に持っていた帽子を差し出した。受け取った響はいささか乱暴に頭に乗せた。
 「ありがと。……迷惑かけちゃってゴメン」
 頬が薄赤く染まっているのは、ひょっとして照れているのだろうか。珍しい響の表情に、みさおは束の間見惚れてしまう。
 「あたしは平気だから。ちょっと怖かったけどね、あはは」
 危うく、ちびるところだった。なんて、はしたないことは、もちろんみさおは口にしない。
 「寝坊でもしたの?」
 「んー、来る途中でちょっとね、馬鹿野郎がいて。でもみさおちゃんが気にするようなことじゃないよ」
 「あ、そうなんだ」
 みさおは少しだけ寂しそうな顔をした。
 「ごめんね、響ちゃん。謝って済むようなことじゃないのは分ってるんだけど……」
 「何のこと?」
 「机とか。変なふうになってたでしょ」
 「へー、あれって、みさおちゃんの仕業だったんだ。ちょっと意外かも」
 「違っ、わたしじゃないよっ。マロ君達が……」
 胸の前でわたわたと手を振って否定して、すぐにしまったというように口を抑える。
 なんだ、と響は言った。
 「それなら、みさおちゃん関係ないじゃん」
 「それは、だって、クラス委員だし。ちゃんと注意しなきゃとは思うんだけど……」
 「サルどものやることだもん、別に気にしてない。それよかさ」
 「うん」
 みさおが応じると、響はなぜだか躊躇う様子を見せた。
 「あのね……いや、えっと、そう、吉川ってさ、今週ずっといないんだっけ?」
 「吉川先生?うん、そうだよ。札幌で研修。すごい寒そーだね」
 「肉が薄いだけにね。頭もだけど。そっかぁ、算数と理科は翠子ちゃんが担当だったか。サボれば良かったな」
 「ダメだよ響ちゃん。それと教室の中ではさ、帽子かぶるのよそうよ。中野先生じゃなくたって怒るよ絶対」
 言ってしまってからヒヤリとしたが、響は気分を害したりはせず。ただ軽く肩を竦めただけで。それはなんだか大人の男の人がする仕草のようで、みさおは内心ドキリとしたが、しかしやっぱり帽子はかぶったままだった。


 廊下側の後ろの席では、君麻呂がひときわ気勢を上げている。
 「あの女、今日という今日は許さねえ。ぜってー、クビにしてやる」
 ガキのたわごとでも君麻呂が言えば重みが違う。七光でも力は力だ。使えるものは親でも使え。仲安家の家訓である。
 「ってーかさ、タイホじゃん?もうあれ殺人未遂っしょ。俺らだったらまじ死んでるって」
 「首とかあざになってたりするんじゃない?」
 「自分で分るわけねえだろ。……どうだ?」
 「げっ、くっきり。うーん、中野恐るべし」
 くつろげた襟元を代わる代わるのぞき込んでは戦慄の声を上げる。
 「これ立派に警察呼べると思うな。電話しよっか」
 「馬鹿野郎」
 君麻呂は即座に却下した。
 面白半分に警察を巻き込んだりした挙句、間違ってマスコミ沙汰にでもなると、ヒジョーに面倒なことになる。権力とマスメディアは諸刃の剣、使う前には慎重に、使う時には大胆に、使った後にはキレイサッパリ。祖父の遺言である(まだぴんぴんしているが)。
 「でもさー、まさかアイキョウの奴に助けられるなんてねえ」
 と太っちょの林水。
 「あ!?どういう意味だよ、デブ」
 君麻呂は色をなしたが、林水は気付かない。甘ったるい匂いの苺味のキャンディーを幸福そうに口の中で転がして話を続ける。
 「だってさ、アイキョウのせいで中野がぶちキレてさ、そのおかげで君麻呂君のことは忘れ去られたわけじゃん。ラッキーだったよね」
 ぶひゃひゃひゃひゃ、と林水は笑う。悪意があるわけではないし、まして君麻呂を怒らせようという意図があるわけではない。こういう奴なのだ。それは君麻呂にも分っている。分ってはいたが。
 「いでっ?」
 なにすんだよー、と喚く林水のことは放っておいて、裏拳を見舞ったせいで痛む手の甲をさすりながら、君麻呂は席を立った。
 響と中野先生との一騎打ちのほとんどを君麻呂は見ていない。だがそこかしこから聞こえてくる話からすると、互いに相譲らぬ激闘であったらしい。そしてその間彼は手も足も出ず息も絶え絶えのへろへろ状態だったのだ。――なめんなよ。
 「アイキョー!!」
 雄叫びとともに響の座る椅子を力一杯蹴り飛ばそうとして、しかしその瞬間びっくりしたように振り向いたみさおの方に気を取られ、やけにひょろい結果となった。
 かろうじて空振りは免れたが、せいぜいがファウルチップ、しかも子供用のビニールバットで、といった威力。
 「ぷっ」
 思わず、という感じでみさおが吹きだした。君麻呂はそれで一気にスパーク。
 「だ、誰に断って座ってんだよてめー俺を誰だと思ってやがるミカンはどうした俺様からのプレゼントだ心して食えよだいたい遅刻してくるなんて百万年早えぜ何様のつもりだ勝負しろコノヤローー!!」
 ぜいぜいと息を荒げる君麻呂に、響はほんの軽い一瞥をくれただけ。羽虫並みの扱いだ。
 「テ……コ……」
 テメエコノヤロウ。
 君麻呂は、響の着るフライトジャンパーの襟首を掴み上げた。本気で張り手の二、三発もくれてやるつもりになっていた。響は逆らわず、逆に自分から立ち上がって一歩前に出る。と、君麻呂は力の持って行き場をすかされ押され、ひとたまりもなくバランスを崩して後ろに腰を落としてしまう。
 「――離してくれる?」
 すぐ上に覆いかぶさるようにして響の顔があった。息がかかりそうな近さ。掴んだままのジャンパーの下にはTシャツが一枚きりで、襟の隙間からのぞく肌色に思わず目を奪われ、はっとして顔を背け手を離した。……別に大したものは見えなかったが。
 「大丈夫?」
 と心配そうにみさお。三つ編みが揺れる。
 知ってる。こいつはみさおだ。気が小さいくせにお節介でいい子ぶっててでも先生に告げ口したりは絶対しない。昔から知ってる相手。俺は?俺だ。仲安家の長男で将来は政治家になって周りの連中はみんな何でも俺の言うことを聞いて。だって俺は偉いから。俺の親父は偉いから。俺のじーさんはすごくすごく偉いから。俺はなのにどーしてこんなふうに負け犬みたいに地べたに座り込んでるんだろう?もちろん、あいつのせいだ。

 「人殺しの子のくせに」

 吐き捨てるように言った声は小さかった。ざわついた教室の中、耳にとめたのは、当人の君麻呂と傍にいたみさおと。
 そして振り向いた帽子の下の顔からは、表情というものが完全に抜け落ちていた。
 君麻呂は止まらなかった。
 「おまえ、自分の立場分ってんのかよ!?うちの学校はな、ちゃんとした家のちゃんとした人間が来るとこなんだよ。おまえみたいな人殺しの娘なんかが来ていいとこじゃないんだよ、消えろ、馬鹿っ」
 何が起こったのか分らなかった。
 ふっと後ろに引かれたような気がした次の瞬間には立ち上がろうとしていた筈の彼は床に転がされ頭を後ろの壁に押し付けられていた。
 君麻呂は動かなかった。いや、動けなかった。
 響は、君麻呂の首を極めていた。君麻呂は声を上げることすらかなわない。恐怖のためというよりただ単純に声を出すためのわずかな動きが出来なくなっていた。
 「痛い?」
 まるで「キスしてほしい?」と尋ねてでもいるみたいにその声は優しくて静かだった。響のかぶる帽子のつばの長さの分だけ、二人の間は開いていた。
 ほんと言うとさ、と響は言った。距離を縮めようとも広げようともせずに。
 「あたしは仲安のこと、そんなに嫌いじゃないんだ。ガキっぽいとは思うけど。でも仲安はあたしのことが嫌いだよね。うん、それは別にいい。好きになってほしいとか仲良くしてとか言うつもりはない。だけど、これだけは憶えておいて。多くはないけど、あたしにも幾つか大切なものがあってね、それを守るためなら、あたしはいつだってどんな相手にだって牙をむくの。好きとか嫌いとかには関係なく。……OK?」
(続く)
2005/ 2/27
Go to  Next
Back to Main