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"相棒"
Act 4
「でもさ、さすがはきんちゃんだよね」
ひとしきり昨夜のドラマ(美奈子の観ていたあのしょうもないやつだ)の話題で盛り上がっていた川瀬達だったが、会話がふと途切れた拍子に、なぜか俺に水が向けられた。
どんな脈絡があるのか謎だったが、しかし川瀬は当り前みたいに話を続ける。どうせなら、水郡の過去話とかに振ってくれれば良かったのに。
「あそこで高橋先生相手に物が言えるんだもんね。それに比べて他の男子連中は情けないったらさ。クラスの女の子が危ないっていうのに、下向いてるばっかで。恥ずかしくないのかっての」
ガッデム、とばかりに拳を握る様は、並の男子よりオットコマエだ。
「うん、格好良かった、鹿島。あたしの中でまた株価上がったよ、うん」
大肉小背という特徴的なシルエットの韮口が、コントみたいな大袈裟な身振りで同意した。そして俺の方へと凄い流し目をくれる。
「あたし、鹿島のお嫁さんになってもいいな」
満面の笑み。コワイぞまじで。聞かなかったことにしよう。
けれど続く水郡の台詞のせいで、流してしまうわけにもいかなくなる。
「鹿島君、モテるんだね」
くっ。真実とはいえ余計な事を。いやだから韮口、その期待に満ちた眼差しはやめろって。
俺は適当に頬杖をついた姿勢のまま、ゆるゆると首を振った。
「あー、俺、たぶん無理だわ。韮口の気持ちには応えられそうにないぜ」
むっと頬を膨らませる韮口。代わりに川瀬が口を開いた。
「えー、そっかな。きんちゃんと暢子、けっこう合ってる気がするけど……」
語尾が曖昧になったのは、たぶんかの子の耳に入るのを気にしたからだ。別にそんな必要はないんだけど。
「俺には韮口は荷が重い。っていうか重い。お姫様抱っこ不可」
ぷっ、と俺の前の席で漫画を読んでいた坂上が吹き出した。間髪容れずに韮口が突っ込む、というか坂上の後頭部を思いきり平手ではたく。祭囃子に使えそうな景気のいい音が鳴った。
俺も何度かくらったことがあるから分るが、けっこう痛いんだよな、これ。まあ痛いだけで済むからマシなんだけどさ。脳まで揺らされるなんてことは無いから。
「ちょっ、何すんのよ。俺は漫画読んでただけっすよ?いきなりドメスティック・バイオレンスってどういうことよ」
「あはは、それだと坂上と暢子が夫婦ってことになっちゃうじゃん」
せっかくの川瀬の突っ込みだったが、坂上は意味が分らないというように首を捻った。ボケをかましてるわけじゃない。素である。
「だいたい何で俺なのよ?殴るんなら鹿島だろ」
「そこは人徳の違いってやつだ。な、韮口?」
「知らない。鹿島がこんなこと言うなんて思わなかったし」
「いやいや、きんちゃんって何気にけっこうひどかったりするよ?」
「なんだよ川瀬。今さっき褒めてくれたばっかでその言い草は。流れしだいで悪口でもなんでも言うってか?」
「え、だって……」
川瀬は気詰まりっぽく下を向いた。
「あたしにはきんちゃんも暢子も友達だし、仲良くしてほしいし、どっちかだけ味方するとかしたくないし……」
おーい、俺はどうでもいいのかよー、と坂上が哀しげに吠えたが、「でも有り体に言ってさ」、水郡が口を挟んだので捨て置かれる。
美人だということを抜きにしても、確かに水郡には人の注意を引き付けるようなところがあった。華がある、というのとも微妙に違う。場の流れを一瞬で変えてしまうような支配力とでもいうか……いやさすがにそれは大袈裟だな。
「鹿島君が悪いでしょ。冗談のつもりにしても、最低よりもっと下だと思う。お風呂の代わりに糞溜めで身体洗うみたいな」
「…………」
あーっと。ちょっと今、俺、思考が飛んだやも。
それは他の連中も同じだったらしく、川瀬は目をぱちくりと瞬かせ、坂上はぽっかりと口を開け、韮口は鼻の穴をふくらませた。人間、余りに意想外な台詞を聞かされると脳の活動に支障をきたすらしい。
水郡は眉根を寄せた。
「何?私、そんなに変なこと言ったかな。太ってるのと瘠せてるのとどっちがいい、なんて人それぞれだろうけど、女の子の外見をネタにしてからかうのは下劣だよ。違う?」
「……うーん、まあそうだけどさ、そこまで言わなくても、ねえ?」
困ったように言う川瀬に、韮口は頷いた。
「水郡さんは綺麗だから。からかわれることなんかないんだろうけど、あたしはしょっちゅうだし、ムカつくのにも慣れてるっていうか……。鹿島だって別に本気じゃないって分ってるし。そうでしょ、鹿島?」
韮口が標準よりかなり太目なのは厳然たる事実ではあるけれど。
「ゴメン、韮口、つまんないこと言って。傷つけるつもりじゃなかった」
いい奴か、やな奴かといえば少なくとも俺基準では前者だ。間違いなく。
「いいよ。大丈夫だから」
そう言って、韮口はこくりと頷いた。
坂上はほっとしたように息を吐くと、話は終わったとばかりにまた漫画を読み始めた。もう次の授業始まるね、とか何とか言い交わして川瀬と韮口も自分の席に戻りかける。
その顔色が、はっきりと変わった。
「あ……」
と口を開けたまま二の句を継げることができない。
坂上は何事かと顔を上げ、ページをめくりかけた格好のままフリーズ。
水郡は、水郡だけはその意味を理解していなかった。俺に文句をつけた時のどこか釈然としない表情のまま、目の前に立った小さな人影を見つめた。
「あなたは……。えーと、山崎さん、だっけ」
──正解。
左手に包帯をぐるぐる巻きにした山崎かの子が、いつの間に近付いてきたのか、水郡琴の前に佇んでいた。
#
もし高橋教諭が激昂するあまりに卒倒したとしても、ここまでにはならないだろうというほどに、教室の中の空気は固まっていた。まるで、かの子と水郡とを中心にして時の刻みを凍り付かせる魔法が発動しているみたいだった。
俺がすべきことはとにかくこの場から逃げ出すことだったかもしれないが、俺はそうしなかった。だって俺は男だし。かの子の彼氏だし。水郡の、もしかしたらかつての相棒なのかもしれない奴だし。椅子に座ったまま腰が抜けていたし。
「私に何か用?」
水郡の声のトーンが若干低くなった。かの子の素性は知らなくても、不穏当な気配を察知したみたいだ。さすが、と言っていいのかどうか。
状況把握と適応の速さは、優れたパッサーに必須の能力だ。でももし仮に水郡が俺の知っている琴で、実は♂だったとしても、腕ずくでかの子を凌駕するっていうのは考えられない。実は魔法が使えるとか、その正体は某国特務機関の虎人間とかいうなら話は別だけどさ。
左手に巻いた包帯の他にも、かの子の顔には傷が三つばかり増えていた。殴られたようなあざが左頬骨の上と下に一つずつ、切り傷が右のこめかみのあたり。きっと手足にはもっとたくさんあるあるだろう。胸や胴や背中にも。昨日屋上で殴られた俺の左頬の方は、今朝にはもう目立たなくなっていた。俺にとっては必殺の一撃でも、かの子にすればかなり手加減してくれていたんだろう。
黙然とかの子は水郡をみつめる。クラスきっての、それとも学校きっての美少女の、しみ一つない綺麗な顔を。
かの子の右手が、すっと持ち上がった。拳を握ったとか、殴る素振りをしたとかいうことは全然なくて、ほんとにただ上げただけ。だけどオーケストラを前に指揮者が指揮棒を構えたみたいに、場のテンションは高まる。
俺を含めて二─Aに格闘技や武道の達人なんていやしない。剣道部員が二人ほどいるけれど、クラブ活動の範囲から一歩も出るわけでもない。だからかの子の本当の凄さを理解している奴はいない。一番分ってるのは俺だろう。でも俺だって素人だ。例えばプロのボクサーとかの子とどっちが強いかなんて判断はできない。一瞬で俺をノックアウトできるというレベルでは等しいから。
それでもかの子が普通の女子中学生と違うのは誰の目にも明らかで、こんなふうに表情を消したかの子に立ちはだかられて、右手を突き出されたら、絶対に色を失う。
水郡は落ち着いているように見えた。
身が竦んで動けなかったと考えるのが自然だろう。でも俺にはそうは思えなかった。
もしあいつなら。相手が何者だろうとびびって引き下がったりはしない。それは負けると分っていても戦うなんて、間抜けって意味とは違っていて。
機を窺いながら、どうやったら勝てるかをフル回転で考える。ひそやかに。相手には覚らせないように。
かの子の手が水郡の頬に触れた。
水郡はただ触れられるまま静かに、「なに?」と訊いた。
「用があるなら口で言ってもらえないかな。私、あなたのこと何も知らないし、ジェスチャーなんかじゃ分からない。私に頼みたいことがあるとか、文句があるとか、それとも」
かの子の指を掴む。
「──それとも、喧嘩売ってるとか」
かの子は顔をしかめた。水郡はかなり力を入れているらしく、かの子の指は完全に彼女の掌の中に握り込まれていた。ポキポキと音が聞こえてきそうだ。
それでかの子が危ないとは、俺は一瞬たりとも考えなかったけれど。
その気なら、文字通り瞬きをするほどの間に、自分の手を取り戻すことも、逆に水郡の手を捻り上げることも容易だっただろう。
しかしかの子はそうしなかった。
「わたし、何もしないよ」
ぽつりと、言った。
一呼吸の間を置いて、水郡は手を緩めた。かの子も手を引っ込めると、掴まれていた指を、包帯の巻かれた左手で幾度かさすった。別にあてつけようなんてつもりはかの子には皆無だっただろうけど、水郡は気が差したみたいに。
「ごめんね。痛かった?」
謝罪した。かの子は首を横に振った。
「平気。でも水郡さん、力強いんだね。ちょっと驚いた」
「別に。普通だよ。いきなりで、かっときちゃったから」
「水郡さん、さ」
「うん」
「水郡さんって、可愛いよね。わたしから見ても、そう思う」
「……そう。ありがとう」
戸惑いつつも、水郡はかの子の賛辞を受け入れた。普通は「そんなことないよ」とか言うところだろうが。
水郡は女子としては背高で、単に身体の大きさだけでいうなら、かの子の方がよっぽど可愛い。大人と子供とまではいかなくても、年の離れた姉妹ぐらいの差があった。
「わたしとは全然違う。男の子が好きになるのも、当り前なのかな」
「でもコクハクとか別に誰にもされてないよ。こっちに来てから。山崎さんは、つき合ってる男の子とかいるの?」
「……いない、そんな人。いるわけない」
「そうなんだ。じゃあ、好きな人とかは?」
水郡の問いに、かの子は少し笑って。
「好きな人は、うん。好きな人ならね、いたよ」
俺の方を一度も見ないままに、そう言った。
#
針の筵、という言葉の意味を、俺はしみじみと思い知っていた。
表向きは教室は普段と変わりなかった。授業中に国語の時のようなトラブルはなく、休み時間中はいつも通りに賑やかだった。模試の結果や昨日見たTVの話、何組の誰と何部の誰がどうしたとかいう噂、放課後や次の休みの予定など、それぞれが好き勝手に盛り上がったり、おとなしめな連中はまったりと語り合ったり、席で一人で本を読んでるような変わり者もいた。
大体において、うちのクラスは平和だ。ぶちキレた挙句の暴力沙汰も陰湿なイジメの類もなく、個人の間での好き嫌いや仲の良い悪いはあるにしても、居心地はわりといい。
もっとも、俺とか女子では川瀬とかはクラスの中心っぽい位置にいるから、特にそんなふうに感じるのかもしれない。あんまりつき合いのない奴で、俺のこと超ウゼーとか思ってるのもいるのかもしれない。それでこのクラスにいるのがすごい苦痛だったりして。
でもそんなことまでは俺の知ったことじゃない。
かの子はあの後も変わらず、授業中と休み時間とを問わず姿勢良く座っていた。基本的にかの子は学校を休むこともなければ、授業をぶっちしたりなんかもしない。だからいつもの当り前の情景ではあった。
何回か、それとも何十回か、俺はかの子の方へ足を向けかけては止めるということを繰り返した。
水郡も少しはかの子のことが気になるらしく、時折振り向いたりしていたが、それ以上の行動に出ることはなかった。たぶん、俺と同じ気持ちだったんだろう。
直接は誰も言わない。でも誰もが同じ反応を示した。
ちょっとでも俺がかの子を気にする素振りを見せるやいなや、皆はぎょっとしたように視線を交わし、かの子の周りから離れようとした。腫れ物に触るどころじゃない。まるっきり爆弾扱い。
それをシカトしてまでかの子と話をする気には俺はなれなかったし、まして水郡はそうだっただろう。ほとんど知らない、ろくに話をしたこともない(たぶんさっきのが初めてだ)相手なんだからさ。
自分を取り巻く妙な雰囲気に、かの子が気付いていなかった筈はないけど、直接自分に向かってこない限りは関心の外に置いておく。かの子はそういう奴だ。心の内でどう思っていたにしろ。
(続く)
2006/ 9/10
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