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"相棒"
Act 5
大きく弧を描いて上げられたボールは、俺の前を塞ぐディフェンスの頭を越え、ついでに俺の頭も軽く越えて、短い自由落下を終えると拗ねたように反対側のサイドへと転がった。あの下手糞、と罵るのは頭の中だけにとどめ、俺は何よりまずボールを追い掛ける。
先行しているのは味方が一名に敵が二名、だけど足は俺の方が速い。追い抜きざま関谷に目で合図、ディフェンスの一年坊は問題外でぶち抜いて、今しもクリアしようとしている呂見の足元へと滑り込んだ。足と足の間でボールはサンドイッチ、衝撃に弾かれそうになるのを根性でこらえ、よろける呂見を尻目にボールを確保、フォローに来た関谷へと預ける。
すかさず俺はゴールへとダッシュ。
ボールがルーズになったことでゴール前にはぽっかりと穴が開いていた。点取り屋なら見逃すわけもない、絶好の狩り場。突っ込んで来た俺に気付いて、キーパーが慌ててディフェンスに戻るよう指示を飛ばしたが今さら遅い。関谷からのリターン、俺はワントラップして、ゴール左隅へ狙い澄ましたシュートを放つ。ゴール。
「ナイッシュー!!」
歓声が放課後のグラウンドに谺した。俺は練習を見物しているファンの女の子達に応えてサムズ・アップ……なんてことはしなかった。
「ナイッシュー、じゃねえよボケ。どこにパスしてやがる。俺に三メートルもジャンプしてオーバーヘッドでも決めろってのか?」
俺は駆け寄ってきた九條の頭をひっぱたいた。九條は俺とツートップを組むことが多い一年生のレギュラーメンバーだが、パスの精度はデタラメもいいところだ。ひょっとしてわざとやってるんじゃないかと疑いたくなるほど、俺はさっきから散々走り回されていた。
しかし九條に反省の色はない。大袈裟に首をすくめ、不平がましくたわごとをほざく。
「痛えな、もう。暴力振るうなんて最低っすよ。もし表沙汰になって出場停止とかになったらどうするんですか。幾ら先輩でも、俺の華麗な経歴に傷付けるようなマネは許さないっすよ?」
「てめえが、俺のキャリアの足を引っ張ってるんだろうが、よ」
「あでででででで」
俺は九條の頭をヘッドロックに抱え込んでこめかみにゲンコをめり込ませた。己を知らない未熟者には分り易い指導が必要だ。即ち体に覚えさせるべし。あくまで九條のためを思ってのことであり、年下のくせに俺より背が高いのが気に入らないなんて、そんなことはかけらも思っちゃいない。
「おらっ、そこのアホバカ二人っ、集合しろぉ!!」
怒声が轟いた。これを無視するととてもとても不幸になるということは、部員であればみんな魂の奥底に刻み込まれている。俺は九條を突き放し、九條は俺を振り払い、サッカー部顧問教諭の蓑輪の前へと急行した。
蓑輪は、三十半ばの独身筋肉ゴリラで、高校時代は花園に出場したのが自慢。でもうちサッカー部だしな、自慢になるのかよそれ。誰も本人につっ込んだりはしないけど。
集まったサッカー部員、一二年生合わせて計十八名を、蓑輪はぐるりと見渡した。訓示を垂れるコーチというより、新兵をしごく鬼軍曹といったほうが似合っている。
「今日はこれで上がりだ。Bチームは最後グランド五周な。ったく、いつもいつも同じ奴に決められてんじゃねえよ。ちっとは工夫しろ。明日も鹿島に決められたら十周に増やすぞ、いいか」
「はいっ!!」
ディフェンスがメインのBチームの連中がやけくそ気味の声を張り上げる。ただでさえ今日はAチームの五連続勝利に終わっているのだ。気の抜けた反応でもしようものなら、どんな目に合わされるか分らない。
蓑輪は太い首を頷かせると、俺達オフェンスチームへ鉾先を移した。怒り具合は低めだが、満足からは遠いらしい。
「Aの奴らもな、一人に頼り過ぎなんだよ。もし明日、鹿島以外の奴が決められなかったらグランド三周だ」
「はいっ」
「それと鹿島」
「うす」
「おまえはもっと他のメンバー使うこと覚えろ。アシストか、それに近いパス出せなかったら三周な」
「…………」
「返事は」
「……はい」
分りました、と俺は言った。
不満はあった。俺の役目は点を取ることで、それはチームの連中もみんな認めていることだ。傲慢と取られてもいい。でもたとえ明日の練習でBの連中が総出で止めにきたって決めてみせる。自信というか、そのくらいの自負はある。
とはいえ、強豪チームと当った時に俺一人ではどうしようもないというのも事実であり。大会で勝ち上がるためにはせめて誰かあともう一人、たとえばあいつが──。
だが物思いに耽っている暇はなかった。蓑輪はすぐに後を続けて言った。
「自分で決められなかったら十周」
「えー!!ちょっ、なんすかそれ、じゃあ俺は一体どうしたらいいんすか」
「走ればいいんすよ、先輩」
九條がやけに嬉しそうに言った。
「先輩の足には先生も期待してるってことです。なんてったって先輩の唯一の武器だし、徹底的に鍛えろってことですよ。ねえ先生?」
「ああ、その通りだ」
蓑輪は頷いた。差し出口を嫌う武闘派教師には珍しい反応だ。ますます得意気な九條だったが、野郎、後でシメてやる、などとは俺は考えない。むしろ同情した。生意気をほざいていてもしょせんは一年坊主、まだまだ甘い。
俺は殊勝らしく、はい、明日も決めるし走ります、と肯った。蓑輪は当然だというように「うむ」と応じて、「ところで九條」と視線を転じた。
「鹿島の取り柄は足だけだが、おまえには何一つ取り柄が無いな。せめて体力ぐらいつけておくか。まずは腕立て腹筋背筋五十回ずつ三セット、二十三十五十ダッシュ十本ずつ、グランド二十周だ。毎日な。一ヶ月たったらもっと本格的なメニューに変えるから、今からしっかりと鍛えておけよ」
目が点、というのは今の九條のためにある言葉だろう。
「関谷」
「はい」
「回数間違ったりしないように一緒に付いてやれ。解散」
っしたぁっ!!
部員達が声を揃え一斉に頭を下げる。蓑輪はぞんざいに礼を返すと、くるりと背を向けて歩み去っていった。一年生が後片付けとグラウンド整備のために走り出し、Aチームの二年は適当にだべりながらゆったりと部室に向かい、Bチームはランニングを始める。
九條はいまだ呆と立ち尽くしたまま、関谷がその右肩に手を置いた。
「よし、早速始めるか。琴悟もつき合うって言ってることだし、おまえ達二人ならいけるだろ」
関谷は俺の方を振り向いた。実直なスポーツマンらしい、信頼のこもった眼差しだ。
「琴悟、後は任せた」
同じチームメイトとしてこれに応えないわけにはいかない。俺は力強く口元に笑みを刻んだ。
「いいや関、頑張り屋の後輩が居残りで特訓するんだ。どう考えても信望厚い主将の出番だろ。先生直々に指名されてることだしな。良かったな、九條、関も一緒にやってくれるそうだ。心強いだろ」
俺は九條の左肩に手を置いた。そして関谷に心からの思いを伝える。
「関、俺はいつでも主将としてのおまえを尊敬してるぜ」
「いいや琴悟、俺こそおまえの決定力にはいつも感心させられてるんだ。けれどそれも地道な体力作りあってのものだったんだな。九條、おまえも見習えよ。琴悟&九條が桜樹の無敵コンビとして名を馳せる日も近いな」
「ふざけんな関、そんな日は永遠に来ねえよ」
俺は関谷を睨みつけた。我知らず力がこもり、思いっきり手を握り締めた。「あぐっ」とか妙な呻き声が上がった。九條の肩にクロー攻撃をかけていたことに気付き、俺は手を離して歩き出した。
「何だおまえ、なにキレてるんだ?」
関谷の声が追い掛けてきたが無視した。一年生が片付けている途中のボール籠から一個を拾い上げて、地面に放った。弾むボールを足の裏で抑え、散歩するぐらいの調子でドリブルを始める。ゴールへ近付くにつれて速足から駆け足へと勢いを増していき、ペナルティ・ラインに入る直前、踏み込んだ軸足に力を溜めて、反対の足を振り上げ、振り抜く。足に感じたボールの重さが無になって、代わりにボールは俺の意思を乗せて、宙を貫く。ゴールネットが柔らかく揺れ、受け止められたボールは魔法を失くしたように動きを止めて、落ちる。
俺はそんなことを一人で何度も繰り返した。Bチームの連中が罰練でグラウンドを回っている間も、関谷と九條が蓑輪に課されたメニューを適当にこなしている間も、ひたすら、一個のボールを、蹴り続けた。
「おう、やっと戻ったか」
とっくに暗くなったグラウンドに残っていたのは俺だけで、いい加減にして帰りなさい、と女の先生に注意を受けて、あえて無視して続けるほどの理由も見出せずに、爪先でボールを蹴り上げ、腕に抱え持った。部室に戻った俺に声を掛けてきたのは呂見だ。ネクタイを緩めた制服姿でのんびりとくつろいでいる。他に九條と関谷がまだ居残っていた。
蓑輪スペシャルから帰還した二人は、まだジャージのまま疲れを癒している。特に九條の方はへろへろだ。椅子に座っているのがやっと、って感じ。でもたぶん蓑輪が命じたメニューの半分もこなしてないだろう。
ジャージを脱ぎ捨て身体の汗を拭いてから、替えのTシャツだけかぶって俺は余っている椅子に腰を下ろした。薄暗くて狭くて汗臭くて男しかいない部室はおよそ快適とは言い難く、一応鉄筋なので雨風こそしのげるものの、それだって逆に饐えた空気をより香ばしく発酵させる悪因になっているともいえる。
「おまえさ、何が何でも俺らにグランド走らせたいみたいだな。先生も言ってたろ?自分ばっかで決めようとすんなって。もっとチームプレイってやつを考えようぜ?」
呂見がぶつくさと文句を言ってきたが、俺は取り合わなかった。はっきり言ってうちのチームはディフェンスが弱い。地区大会一、二回戦敗退組と比べても遜色がないほどだ。
それでもまるっきりのザルにならずに済んでいるのは、呂見がどうにか踏ん張っているからだったが、こいつのディフェンダーとしての能力は、身体能力の強さでも反射神経の良さでも読みの深さでもなく、「負けず嫌い」という一点に拠っている。だからもし俺がBチームを哀れんで手加減でもしようものなら、それこそ本気でぶんむくれるだろう。
「さて、と」
呂見は椅子に座ったまま伸びをした。動き出す気配のない俺達三人を見回す。
「帰らねえの、おまえら?」
おまえこそ、と俺は言葉を返した。
「なんでまだ残ってんだよ。Bの連中だってもうみんな帰ってるじゃん。あ、もしかして俺のこと待ってた?呂見ってそっち系だっけ?だったら悪いな、俺は彼女持ちだ。関か九條で我慢してくれ」
「いや、俺もいますけど」
半死の体で下を向いていた九條が顔を上げた。
「何だよ、おまえは突然」
呂見が驚いたように答える。
「別におまえなんかいたって嬉しくねえよ。復活したんならとっとと帰れ、ボケ」
「いやそうじゃなくて彼女。俺にもいます」
だから俺のことはあきらめてください、と九條は言った。
呂見は言葉に詰まった。「彼女」と「俺のことはあきらめて」のどっちに突っ込むべきか迷ったのだろう。
「じゃあ、決まりだな」
俺は言った。
「関と呂見でカップル成立。いやめでたい。式には是非呼ばないでくれな。仲間だと思われたら嫌だから」
「うん、それは絶対嫌ですね。心の底から嫌です」
九條がしみじみと言う。呂見は九條の座っている椅子にガシガシと蹴りを入れた。
「ふざけんなよこの野郎、彼女がいるだ?つまんねえ見栄張ってんじゃねえ。しまいには蓑輪にラブレター出すぞコラ、おまえの名前でよ?」
「ああ、そういや俺見たことあるな。九條が女と歩ってるとこ」
関谷が口を挟んだ。
いつの間にやら着替えを終えて、スポーツバッグに手を掛けもう今にも帰ろうかという態勢だ。
「背が高くてちょっとキツそうな感じの人じゃないか?あれってうちの三年だよな。確かバレー部の副キャプやってた人。じゃな」
「ちょ、ちょっと待ておまえ。なんだよそれ、冗談だろ?それか幻。九條に先輩の彼女?あり得ねえあり得ねえ、なあ」
「あ、そうですその人です。北川さん。まあ、そと見はきつく感じるかもだけど、でも優しいっすよ、すごく。少なくとも俺には。可愛いし。こう、思わず抱き締めたくなるような感じっていうんすか?」
「なにを……」
呂見はもはや言葉にならないらしかった。哀れな奴。
「いいじゃないか呂見、別に彼女がいなくったって」
俺は慰めた。
「おまえはおまえらしく堂々としてればいいんだ。関もそんなおまえがいいって言ってるんだから。この後も二人で帰るんだろう?……って、既に先帰ってるし。薄情な奴だな」
「そういや関先輩ってどうなんすかね、彼女とか」
「さあ?知らないけど。いないんじゃないか」
「いない。いないに決まってる。っていうか俺が今そう決めた」
「そうか、呂見……。本気なんだな」
「俺も応援しますよ。世間の目になんか負けないで頑張ってください。でもここではないどこか遠くでよろしくです。キモいから」
「てめ、本気でシバく」
かなりマジになってしまったらしい呂見に俺は九條の身柄を差し出して、手早く制服に着替えると、巻き込まれないうちにさっさと部室を後にした。
真冬かと思うぐらい風は冷たくて、肌を粟立てながら、一人になった俺はひとけのないグラウンドを突っ切って校門へ向かった。校舎から洩れる灯は、俺の歩くずっと手前までしか届かなくて、足を置く地面は夜に押されて暗かった。月面にいるみたいに辺りは静かで、ほんのさっきまでボールを追って駆け回っていたのが嘘みたいに思えた。
嘘なのかもしれない。
本当の俺はベッドの上で夢を見ているのかもしれない。でも、もしそうだとしたらいつからだろう。
昨日、かの子にKOされた時からだろうか。あいつの顔をした女生徒が転校してくる前からだろうか。それとも、俺とあいつがグラン・ブルーで最後にコンビを組んだ日の夜から、俺はずっと眠り続けているのかもしれない。そうだったらいいのに。目を覚ましても、あいつはいなくなったりなんかしないで。
馬鹿馬鹿しいと知りながら、俺はそんなことを本気で考えた。一瞬だけど。
琴は別に親友なんかじゃなかった。もちろん、色恋で好き合ったりなんて間柄ではさらになかった。幼馴染みというのがたぶん一番近いだろう。でもそれも違う。
好きとか嫌いとかの曖昧な感情も、損とか得とかのつまらない打算も、目的を共に果たすための仲間なんていう温い連帯も、いらない。
ただ、互いが隣にいるのが自然なだけの相手。
確かめよう。
俺はそう決めた。こそこそ様子を窺ったりなんてのは止めだ。水郡琴が何者なのか、正々堂々正面から確かめる。最初からそうしてれば良かったんだ。俺は何をぐだぐだと迷ってたんだろう?
引っ掛かりが取れたみたいに心が軽くなり、俺は一人で笑みを浮かべた。もし傍で見ている人がいたら、「何だこの馬鹿は」とか思っただろう。
実際、俺は底抜けの馬鹿だった。引っ掛かっていたのは、かの子のことだったのに。俺はすっかりそのことを忘れていた。
(続く)
2006/10/ 9
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