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"相棒"

Act 7

 沈みかけた太陽が長い長い影を作って校庭を斜めに切り裂いていた。一年生最後の日のことだ。授業はなく学校は午前中だけで終わり、しかし自由はまだはるか彼方に。蓑輪先生の御指導には熱意があふれまくり、サッカー部員達の放課後は、体力を搾り取るための半拷問タイムと化していた。
 だが永遠に続くかと思われた練習もついに終盤を迎えた頃、俺はひとりチームから外れていた。別にサボっていたわけでも追放されていたわけでもない。
 渾身の力で放ったシュートがゴールを大きく外してしまったのだ。ボールはグラウンドから飛び出して、光と影の境界の向こう側へ。瑞々しさをすっかり失った花壇の草の合い間に、力無く転がっていた。
 花の咲いてる時期じゃなくて良かった。
 花壇の縁で俺はほっと息をつく。
 わざとやったわけじゃなし、バレたところでペナルティを受けることはないだろう。でも気分的にはやっぱり楽だった。たとえば花壇の世話をしているのが可愛い女子生徒とかで、綺麗に咲いているのを俺のせいで台無しにしてしまったとしたら、ちょっと良心がカシャクする。
 俺は花壇に踏み入ると手を使ってボールを拾い上げた。ここからドリブルを始めたりボールを蹴り出したりするのは、さすがにちょっと気が引けた。
 でもこのままただ持って出るのも芸がない。サッカープレイヤーたる者、手を使うのは最小限にとどめるべし、なんて。
 本当はちょっと遊んでみたかっただけなんだけど。
 俺は身体の向きを変え、ボールを頭越しに後ろへ放り投げた。
 ボールがワンバウンドした音を合図に、振り向きざまの速攻ダッシュでボールを取って、全開ドリブル!
 そんなふうに描いたシナリオは、しかし最初から当てが外れた。
 ていん、というやけに軽い響きと、「へあっ」という気の抜けたようなか細い悲鳴。
 しまった、とすぐに思った。
 振り向いた先にいたのは小学生みたいにちっちゃな人影で、スカート姿であることを抜きにしても、華奢な背格好だけであからさまに女子だった。
 突然飛んできたボールに余程驚いたのか、ひどく茫然とした様子で立ち竦んでいる。まるで土手っ腹を撃ち抜かれた刑事ドラマの登場人物みたいだ。
 俺様の弾丸シュートが直撃したわけでなし、軽く投げたボールがぶつかったぐらいで、ずいぶんと大袈裟な奴。そう思ったが、この状況でスルーするわけにもいかない。もしかしたら、ちょうどボールが鼻の頭に当ったとかで、結構痛かったりしたのかもしれない。そもそも悪いのは百パーセントこっちなんだしさ。
 俺は女子の傍へ歩み寄った。こうしてみると本当に背が低い。頭が俺の胸ぐらいの位置だ。
 「あーっと、ごめん。そっち見てなくて。……なんか、大丈夫?保健室とか行くか?」
 女子はなおも虚ろな感じで、だけど一応は俺のことを認識したらしく、こっちを向いて瞬きを繰り返した。
 あ、こいつ知ってる。
 クラスは違うし、他の学校行事やら委員会なんかでもまるで接点はなかったが、ちょっとした噂を聞いたことがあった。いやというかむしろ伝説の持ち主だ。空手道場か何かの家の娘で、小柄な外見からは想像もつかないほど滅法強いとか。十歳の時に高校生五人をぶちのめしたなんて話すらあった。さすがにそれは嘘だろうけど。
 確か名前は山崎、ええと、なんていったかな。
 だが俺の前にいる女子は、強そうどころか今にも倒れそうな感じだった。なんて思ってるそばから。
 「うわっ、ちょっと、おい」
 綿の詰まった人形みたいに倒れかかってきたのを、反射的に手を出して支える。端からすれば、まるで抱き締めてるみたいな格好だったろう。軽いからいいけど。って、そういう問題じゃない。
 参ったな。どうやら本気で調子が悪いらしい。
 熱でもあるのかと額に掌を当ててみると、むしろ冷たかった。貧血とかだろうか。っていうかこれさ、俺がボールぶつけたせいじゃないよな?
 「……して」
 「え?」
 額に置いた手を、意想外に強い力で握り締められた。刹那俺は反応に困る。迷子にすがられでもしたような心持ち。厄介だけど、でも頼られてどこか嬉しい、みたいな。
 しかし俺の受けた印象は、まるっきり的外れだったらしい。
 「放して」
 次の瞬間、思い切り振り払われていた。そして俺の身体を突き飛ばすようにして距離を開ける。だが足元はやはり危なっかしくて、自分で歩いているというより、倒れそうな方向へよろめいているというのに近かった。
 「おい、無理すんなよ。先生呼んでくっからさ、ちょっと休んでろ」
 親切心からというより、単に放って置けないからという理由で俺は言った。だが山崎は首を振る。可愛くない。さすがに少し腹が立った。
 「おまえさ、ふらふらじゃねえかよ。もし帰りに事故とか遭ったらどうすんだ?それで大怪我でもされた日には、俺の方が気分悪いって」
 山崎は顔を上げた。不思議な言葉を聞いたとでもいうふうだった。
 「……知らないよ、そんなの。君の気分なんてわたしに関係ないもん。放っておいて」
 びっくり。恩を売るつもりなんてなかったが、といって喧嘩を売られるとはまさか予想していなかった。
 「そうかよ。だったら好きにしろ」
 と言ってはみたものの、やっぱり気になってしまい。
 とりあえず転がっていたボールを取りにいった後で、俺はまた振り向いた。
 山崎はまだ同じ場所にとどまっていた。上体を屈め膝に手を付いた格好がいかにもしんどそうだ。せめて腰を下ろすぐらいすればいいのに。どこまでも頑固なのか、それともこれも空手の修業のうちだとでも思ってるんだろうか。
 「あ、馬鹿」
 俺は舌打ちした。こらえきれなくなったように、山崎は両膝を地面に落としていた。顔はうつむいていて見えないが、薔薇色の頬をして瞳を輝かせていたりしないことは確かだろう。
 「大丈夫……なわけないよな。待ってろ、すぐ先生連れてくるから」
 無理に立たせようとしたりはせず、俺は傍に寄って声だけ掛けると、校舎の方へ走り出そうとした。
 しかし手首を取って引かれて立ち止まる。振り払うのは簡単だったけど、なにせ相手は半病人だ。しかもどうやらひどく意地っ張りらしい。
 「……へーきだから」
 山崎は言った。
 「本当にね、病気とかじゃないの。ただ、ちょっと体が慣れてないだけだから。ほら、もう平気」
 強がりには違いない、と思う。だが山崎はなんとか自分の足で立ち上がってみせた。一瞬ふらつきかけたが、よろめく前に足を踏み締めて立ち直った。顔色はまだ青いような気もする。だけど夕方のオレンジ色の光の中では、血色の良し悪しなんてはっきりと分る筈もなくて。
 だから俺は山崎の言葉を信用することにした。子供じゃないんだ。ひときわ独立心が強いみたいだし、余り構うのも本人がうざいだろう。もっと気楽によりかかってもいいのにって、俺なんかは思うけど。
 「じゃ、俺、練習あるから」
 「うん。がんばってね」
 山崎は握っていた俺の手を放した。
 「おまえも気を付けてな。ってかさ、辛かったら休めよ、マジで。な?」
 「……そうする。ありがと、鹿島くん」
 山崎はちょこんと頭を下げて、確かめるような足取りで、校門の方へ歩いていった。
 ──へえ。俺のこと、知ってるのか
 意外な感じがした。俺だって向こうの名前を知ってたんだから(名字だけだけど)、向こうが俺のこと知ってても不思議じゃないのかもしれない。でも山崎は、他人のこととかあんまり興味無さそうなタイプに見えたから。
 だけどその時、背後のグラウンドから蓑輪の怒声が轟いたおかげで、俺は深く気にすることなくすぐに忘れてしまった。
 思い出したのは一週間後。
 新学期、同じクラスになったかの子に、告白された時だった。

        #

 「かの子、ちょっと待て!」
 俺は周囲の目も憚らず大声を上げた。水郡が「なに?」と呟くのが聞こえたが構ってる場合じゃない。
 かの子の背中がぴくりと反応したのが分ったが、しかしかの子は振り向かなかった。振り向くものか。そう決めているみたいだった。
 「なに無視してんだよ、おまえ。聞こえてんだろ!?」
 教室にいる連中が何事かという視線を向けてくる。大半はただの興味本位っぽかったが、なかには早々と避難しようとしている奴もいた。坂上とか。
 俺はかの子の肩に手を掛けた。狭い教室の中、走って逃げているわけでもないから、捉まえること自体は簡単だ。もっとも足は俺の方が速いし、グラウンドでだって追い着けただろうけど。
 かの子の肩は握り潰せそうなぐらい小さくて、だけど石みたいに固かった。鍛えてるから、なんだろう、多分。立ち木に向かって肩から体当りする練習したりとか(本当にそんなことしてるかは知らない)。
 教室の真ん中へんを過ぎて、かの子は足を止めた。俺が引き止めたせいじゃない。自分の席まで来ただけだった。うつむいた顔に特に怒っているような様子はなかった。
 「おまえさ、絶対なんか誤解してるって」
 俺は少しトーンを落とした。意識して優しい口調を作ったつもりだが、上手くいったかどうかは余り自信がない。
 「俺とあいつはそんなんじゃなくて」
 「あいつ」
 かの子が遮った。声は小さかったが良く響いた。少なくとも俺の耳には。
 「鹿島くん、水郡さんのこと、あいつって呼ぶんだ」
 「え?ああ、そうだけど。それがどうかしたのか」
 「別に。なんでもないよ」
 かの子は腰を下ろす。かの子の肩に手を置いたままだったせいで、つられて俺はバランスを崩した。転んだりするほどじゃなかったけれど、その拍子に偶然、もう片方の手がかの子の頬を叩いた。
 わざとじゃない。当り前だ。俺にそんな技はない。誰だって分ることだ。もちろんかの子が一番よく知ってる。
 俺がかの子を殴るなんてこと、できるわけがないって。
 だからかの子は怒って殴り返してきたりはしなかった。ただちょっと驚いたような顔で。
 「……関係ないし」
 そう言った。
 「鹿島くんが誰のことどう呼ぼうと、何の話しようと、わたしには関係ないんだ。変なこと言った。ごめんね」
 「かの子、さ」
 俺は深いため息をついた。なんだかひどく疲れてしまった。まったく、いつ以来だろう。かの子に鹿島くんなんて呼び方をされたのは。ほとんど記憶にないぐらいだった。
 「……本当に誤解だってば。何なら水郡に訊いてみろよ、俺と少しでもそういう話したかってさ。そうすればはっきりするから」
 「鹿島くん」
 「なんだよ」
 「“あいつ”とかの子。琴悟くんには、どっちの方が、大切ですか?」
 責めるようではなく、無理矢理答えさせようとするのでもなく、純粋に疑問を投げ出すように、かの子は言った。俺は思わずかの子の肩を思いっきり掴んでしまったが、かの子は眉一筋動かさずに。
 その左手にはまだ包帯が巻かれたままで、顔にも傷は残っていた。でも昨日と比べてひどくなっているようなところはなくて、今の状況とは全然関係ないことなのに、やっぱり俺はほっとする。
 かの子のお父さんとは、一回だけ会って話をしたことがある。想像されるような強面の武人とかじゃなくて、普通の物静かなおっさんだ。かの子が無茶な稽古をするのを止めはしないし、かの子が自分で望む以上、真っ向からつき合っているけれど、「女の子なのになあ」なんて、実はちょっと困ったもんだと思ったりもしていて──。
 「やっぱいいや」
 かの子はふいと俺の手を外した。ちょっと肩を揺するような動作をしただけなのに、俺は突風にあおられたみたいによろめいた。大袈裟じゃなく、足元が定まらなくて、座席にして三つ分を費やして体勢を立て直さなければならなかった。しがみつくようにしてすがった机は真面目っ子委員長の直江のもので、直江は「お、おはよう鹿島」とかすれた声を出した。
 「おっす」
 とりあえず挨拶を返しておく。円滑な人間関係のためにはマナーが大切だ。礼には礼を、そして。
 俺はそのまま自分の席に戻った。礼儀知らずの奴に、こっちが下手に出なくちゃいけない理由はない。
    * * *
 「おはよー、きんちゃん。……えー、大丈夫?」
 川瀬、か。珍しく遠慮がちな態度なのがおかしかった。俺はいつも通りに気安く返す。
 「おう。宿題ならばっち来いだ。なんなら写させてやってもいいぜ?」
 思い出した。そういえば川瀬には借りがあったんだ。隣の校舎の屋上から女子の着替えを覗……いやもとい、水郡が本当に女の子で、何かの間違いで、あいつ、琴が女装して紛れ込んだわけじゃないってことを確認しようとした時だ。川瀬のおかげであとちょっとで見えそうだったのに、肝心な所で邪魔が入った。
 だけど借りは借りだ。俺は義理堅く言った。
 「特別にタダでいい。ちょうどジュースの一本も奢ってやろうと思ってたことだし、これでチャラだな」
 「ごめん、全然意味分んないんだけど。それに宿題ならあたしもやってきたし。英数はいいとして、古典が大変だったよねー」
 古典?あったか、そんなの?
 思わず居住まいを正してしまうぐらい恐ろしい可能性だったが、川瀬の関心は別の所にあったようだ。当然だろうけど。
 川瀬は浅く日焼けした顔を寄せてきた。
 「なに、もしかして三角関係ってやつ?それってヤヴァイんじゃないの。昨日もなんか一触即発っぽかったし。水郡さんさ、たぶん山崎さんがどんな子なのかとか知らないだろうし、きんちゃんがちゃんとしないと」
 「だから、そーゆーんじゃないっての」
 「でもそうとしか見えないんだけど」
 「…………」
 俺は黙り込んだ。川瀬の言う通りなんだろう。客観的には。
 「さすがに血を見たりなんてことはないと思うけどさー。いくら山崎さんでも女の子に暴力振るったりとかは、ねえ?」
 俺は笑いそうになった。まるでかの子が男みたいな言い種だ。
 「水郡も結構気が強そうだしな。でもかの子の方が引くだろうよ。昨日だってそうだったし」
 川瀬は頷いた。
 「うん、とはあたしも思うけど。でもマジ強いからね、あの子」
 単なる噂とかじゃなくて、実際に目撃したことがあるみたいな口振りだった。でも川瀬は小学校からかの子と一緒なわけだし、本当にあっても不思議じゃないのか。
 だがそのことを尋ねる前に、担任がチャイムとともに現れたので、話はそこで途切れた。
(続く)
2006/11/28
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