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"相棒"
Act 8
廊下で女の子と二人並んで歩いてるところに、悪いかとは思ったが声を掛けた。相手は同じクラスの生徒のようだ。関谷に小さく手を振ってからD組の教室の中へ入って行った。
横顔をちらりと見たかぎりではわりかし可愛いかった。美人じゃないけど、性格の良さが外に表れているようなタイプ。
「邪魔だったか?」
俺はからかい半分に訊いてみた。関谷は面白くもなさそうに「別に」と切って捨てる。照れ隠しとかじゃなく、本気でそう思ってる感じだった。ちょっとだけ女の子が気の毒になる。
関谷は戸口に半ば身体を入れた半端な格好で、俺とは微妙に斜めにずれた方へ視線を投げた。
「何か用か?部活の話だったら後にしろよ。部活以外の話だったら他の奴としてくれ。おまえと俺のつき合いはサッカーだけなんだから、誤解して馴れ馴れしくするな。はっきり言って迷惑だ」
突然何を言ってるんだコイツは。どっかで頭でも打ったんだろうか。軽く心配になる。
だが事態はもっと複雑だった。
「いいよいいよ、関谷君、そういう感じ!」
驚いた。
いつからいたのか、さっき関谷と歩いていた女子が満面の笑みで、グッジョブ!とばかりに親指を立ていた。
「やっぱりあたしの見立てに間違いはなかったなあ。今度参考資料いっぱい貸したげるからさ、きっちり読んで勉強してね。二人にぴったりのシチュエーション厳選してあげるから。それじゃ、ごゆっくり」
一方的に喋り立て、わけが分らず唖然としている間に教室の中へ戻っていった。と思いきや。
「後でどんなだったか聞かせてねっ♪」
「…………」
その、なんだ。違う星の住人?
「気にするな。ちょっとした遊びだ」
当惑する俺に、先んじたように関谷が答える。というか露骨に話題にしたくなさげだ。
「あー、知らなかったな、関にああいう遊び相手がいたとはよ。いつからつき合ってんだ?」
冗談のつもりだったのだが、関谷は記憶をたぐるように視線を中空にさまよわせた。おい、マジで彼女なのかよ。今日の部室の話題を独占すること受け合いの、仰天もののレア情報だ。
「七月の頭ごろだな。確かおまえと山崎が初めてキスした次の日だから」
「え、それなら九月だろ。だってあれは後夜祭で……」
しまった、と思った時にはすでに遅く。
関谷は重々しく頷いた。
「なるほど。後夜祭か。ベタだな」
くそ。嵌められた。
「……何が望みだ。吉徳のミソラーメンか?だが言っとくが、無い袖は振れないからな。チャーシュー麺チャーシュー三倍乗せなんて要求は断固拒否する。バラしたければバラすがいいさ。俺は堂々受けて立つ」
胸を張った。俺は知られて困るようなことなんて何一つしちゃいない。何も卑屈になる必要はない。そうだ。自分の彼女とキスして何が悪い!?
「よし分った」
関谷は教室の方に向き直った。
「みんな、ちょっと聞いてくれ。A組の鹿島琴悟のことなんだが、実は奴が初めて」
「うわーーっっ!!」
俺は関谷に背後から飛び掛って口を塞いだ。もう一方の腕は喉に回して潰しにかかる。いっそこのまま息の根を止めてやるべきか。人間には決して踏み込むべきではない領域というものがあるのだ、たとえば。
「素敵だわ……」
陶然としたような呟きに、俺は寒気を覚えて顔を上げた。
何やってんだこいつら、というD組の人達の白い視線に混じって、明らかに色合いの異なる一対があった。
あの変な女がそこにいた。胸の前で祈るようなポーズで両手を組み合わせ、俺達を見る瞳は心なしか潤んでいる。
警戒警報発令。これは関ってはいけない相手だ。
「あたしには分る。あなた達、言葉に出せない秘めた想いがあるのね。本当はもっと寄り添っていたいのに出来ないから……ふざけ合う振りで互いの身体を感じて気持ちを深める……ああ、なんていじらしいのかしら。頑張ってね、関谷君、鹿島君。世間の偏見なんかに負けちゃ駄目!あたしはずっと二人の味方だから」
変な女はにっこりとほほえんだ。俺が即座に逃げ出したのは言うまでもない。
「なんなんだよあれは。病気か?」
俺は不平をぶつけるように言った。購買部の脇にある自販機の取出口に関谷は身を屈め、苺ミルクのパックを取り出す。俺は先に立ってぶらぶらと歩き出した。込み入った話をするにはこの場所は人が多過ぎた。
「というより趣味だな。悪気があるわけじゃない」
淡々と関谷は答える。関谷にとっては別に大したことじゃないらしい。単に慣れているというだけかもしれなかった。というかそうであってくれ。もし本気であの女の趣味に合わせているんだとしたら薄ら寒過ぎる。
俺達は教室へは戻らずに昇降口から外に出て部室へ向かった。寒いし埃っぽいしでランチを取るのに部室は最適な場所とは言い難いが、とにかく他人に邪魔されることなくゆっくりできる。
コンビニのビニール袋を関谷に預けて、扉に掛けられたダイヤル錠を外した。窓が無いので昼間でも中は暗い。扉のすぐ脇のスイッチを入れると、蛍光灯は部費で交換したばかりだから、光量はともかく反応は良かった。
我が母が弁当を作ってくれるか否かは父の要求によって決まる。父は今日はどうやら外食を選択したらしく、五百円玉一ケを渡された俺はシーチキンその他のおにぎりがメイン・メニューだ。関谷は普通に弁当を持参していた。まさかあの女が作ったやつじゃないよな?だがそれはともかく。
「おまえさ、今度の試合に水郡誘ったんだってな。それってまさかナンパのつもりか?」
俺は本題に入った。関谷が水郡狙いならそれはそれで構わない。だが本当のところを知っておきたかった。自分と関係のない思惑やら誤解やらで色々こじれるのはゴメンだ。かの子だけでも十分持て余してるっていうのにさ。
「いいや」
関谷はあっさりと否定した。弁当箱から卵焼きを取って口の中に放り込む。なかなかにうまそうだ。
「そんなつもりは毛頭ない。俺のサッカーを純粋に見てもらいたいだけだ。そういうおまえこそ変な気持ってるんじゃないのか?白山はチャラけてて太刀打ちできる相手じゃないんだ。集中してやってくれよ」
「言われるまでもねぇよ。俺はいつだって全力だ」
「どうだかな」
何だか含みのある物言いだったが、こいつの場合マジなのか冗談なのかいまひとつ分りにくい。たいていは冗談なんだが、たまにすごく核心を衝いてきたりする。
だがとりあえず俺は軽目のトーンを保つことにした。まさか関谷が、俺が気の抜けたプレイをするなんて、本気で考えている筈もないし。
「でも変じゃねえか?なんだって水郡にそんなに見てほしいんだ。それって要するにさ、俺のカッコいいとこ見てくれよってことだろ。もしホレたんなら正直に言えよ。協力するからさ」
「何言ってんだ、おまえは」
関谷は心底呆れたように言った。
「俺なんかより、琴悟こそ彼女に一番見てほしい筈だろ。このまま惰性で続けてたって、腐って駄目になってくだけで先は無い。おまえの考えてる通りだろうよ。でもだからこそ、明日はきっかけ掴むチャンスじゃねえか。違うか」
「なにもそんなマジにならなくても……ってか、明日?次の土曜だろ?」
「今日は何曜だ?」
「あー、金曜」
「じゃあ、次の土曜はいつだ」
「明日」
「そういうことだ。しっかりしてくれよ、全く」
関谷はため息をついた。
「お、おう。任せろ」
俺は力強く肯った。関谷の疑わしそうな目差しを、この上なく露骨に感じながら。
#
水郡はちゃんと承知していた。昼飯を食った後で急いで教室に戻り、実は試合って明日なんだけどと告げると、そうだねと軽く返された。
「それがどうかしたの?日程が急に変更になったとか」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……」
俺は思わず口ごもる。ないんだけど、何て続ければいいんだ?
「実は来週と勘違いしてたから」
「……良く分ったな」
水郡はあっさりと言い当てた。間接的に馬鹿だと言われているような気がする。
「本当に……」
水郡は緩く息をついた。
「相変わらずっていうか。試合時間も勘違いしてたでしょ。一時って言ってたけど、十一時だよ。遅刻しないようにね」
「え、マジか?」
「うそ」
「ぐっ」
やるじゃないか。真顔なのがまた一層癪にさわる。なんとか切り返す術はないだろうか?
だが俺が思案を巡らせている間に、水郡はさらに恐ろしい攻撃を繰り出してきた。
「あ、ねえ、山崎さんも明日一緒に行こうよ。鹿島君の活躍するとこが見られるかもよ?」
「なっ──!」
なんてことを言いやがるんだコイツは!?
そしてそう思ったのは無論のこと俺一人だけではなかったらしく。
その時その場にいた誰もが文字通りに引いていた。とりわけ、水郡とかの子とを結ぶライン上にいた生徒達の反応は目覚しく、寄らば斬られるとばかりに身を仰け反らせ、まるで海が割れて道が通じたみたいに、二人の間にぽっかりと空隙ができていた。
かの子ですら呆気に取られたようだ。相当に珍しい。いやもしかすると初めて見たかも。口を半開きにして驚いてるところなんて。
かの子のことをからかっているような様子は水郡にはなかった。愛想笑いも抜き。本気で誘っているんだ。意図はともかくとして。
小さく口を開けたまのまかの子は、水郡を見、俺を見て、また水郡に戻ると、唇をきゅっと引き結んでから頷いた。そして何事もなかったように正面に向き直った。だがいつもと比べて少しばかり背筋が力んでいる。気付いたのは俺だけだろうけど。
「良かったね、鹿島君。山崎さんも来るってさ」
確信犯なのか素でボケているのか、水郡はいたって普通だ。
どういうつもりなんだ、まったく?
困惑する俺をよそに、机の中から教科書やらノートやらを取り出して水郡は次の授業の準備を始める。
もうこの話は終わりだから失せろという意味かと思いつつも、何か言い足りない気がして俺は切れ悪く立ちつくす。
「心配してくれなくても、今日は大丈夫だから」
水郡が顔を向けた。今日は長い髪は束ねずに素直に後ろへ流している。
「心配なんて、別に」
してるけど。水郡とかの子がこれ以上揉めでもしたら俺は心労で倒れてしまう。
机の上の教科書を水郡はぽんと軽く手で叩いた。国語だ。国語?
なぜか焦燥に駆られた。ひどく大事なことを忘れているような。確か川瀬が朝に何か言ってなかったっけ。
答えは水郡がくれた。
「高橋先生のことはちゃんと覚えたからね。宿題の現代語訳もちゃんとやってきたし」
──あ
血の気が引いた。
「やばっ、忘れてたっ」
俺はダッシュで自分の席に取って返すと、坂上のノートを無許可で借り受けて枕草子の訳文を猛然と書き写し始めた。仮に手遅れだとしても出来ることがあるうちはするべきだった。後のことは、後のこと。
#
明けて、土曜日。
白山中はやはり強敵だった。
県でベスト4に入った時のメンバーは軒並引退している筈だが、そうとは信じられないほどチームの練度は高くて、攻撃ではパスの出どころをことごとく封じられ、守りではいいように振り回されて、前半を終わった時点で既に俺達は二対0とリードされていた。
たかだか二点差、まだ後半が丸々残っているんだから十分勝負になる。リクツではそう思うのだが、実際に戦ってみたカンカクが、とても歯が立たないと訴えていた。蓑輪は当然のごとく怒鳴りまくって、もしもこのまま為す術なく終わったら人生を終わらせたくなる量の練習を課すことを宣言したが、それすらもどこか空々しくて、勝利を目指して檄を飛ばしているというより、単に「厳しい監督」を演じているだけなのは選手達にすら丸分りだった。
「ちっくしょー、なんなんだよあいつら。卑怯だぜ。誰も勝負してきやがらねえの。あんなのただのボール回し遊びじゃねえか。奪るか奪られるかで身体張るのがサッカーの一番面白いとこだってのによ。俺は絶対認めねえからな」
空になったスポーツ飲料のボトルを、呂見は忌々しそうに地面に投げ付けた。ガラス瓶とかなら派手に割れたりして様になったのかもしれない。しかし、プラスチック容器が薄っぺらい音で跳ねて転がったところで気が抜けるのがオチだ。まして台詞の中身が負け惜しみ百パーセントとあってはなおさら。
「正々堂々一騎打ちで闘ってこその男だろ。奴らみたいな一人じゃ何もできないようなのがさ、浮浪者襲ったり合コンで集団レイプとかしたりするんだぜ。おい九條、早くケーサツに電話だ。逮捕だ逮捕。それか保健所。害獣駆除の依頼出せ」
「はあ。そっすね」
九條はいかにも気のない相槌を打った。ベンチには座らず地べたに直接ケツを落とし、だらりと足を前に投げ出している。砂埃にまみれているのは果敢にスライディングタックルを繰り返した結果だったが、それは全て敵にボールを奪われたのを取り戻そうとした時のもので、しかも全部失敗した。
タッパに詰まったスライスレモンのハチミツ漬けをつまんでいるのは、例のバレー部元副キャプの彼女からの差し入れだとか。
「ああいうのを組織サッカーっていうんでしょうね。うちとはプレイの質がまるで違うっていうか。俺らは必死なのに、向こうは余裕シャクシャクって感じで」
九條はレモンを数枚まとめて口の中に放り込んだ。
「悔しいなあ……」
ひどく酸っぱそうな顔をする。
呂見はいつものように怒ってツッコミを入れたりはせず、ただ不機嫌そうに黙り込んだ。
気持ちは分る。一年の九條と違って、率直に力の差を認めてこれから先へと思いを馳せるような余裕は、俺達二年にはない。
でも、だからこそ。
「とにかくさ、一点返そうぜ」
俺は言った。沈んでいたってしょうがない。まずは分りやすい目標を立てることだ。
「ああ、そうだな」
呂見も力強く頷いた。こういう時のこいつは頼りになる。俺は攻めに専念することに決めた。あるいはまた点は取られるにしても、勝負を投げることだけは絶対に無いだろうから。
そんな俺の確信を裏付けるように。
「後ろは俺達に任せて、琴悟は思う存分やって来い。九條、おまえもだ。もし半端しやがったら、蓑輪より先に俺が鉄建制裁くらわすからな」
呂見の剣幕に恐れをなすかと思いきや、九條はにやりと笑ってみせた。
「任せてくださいよ。琴悟先輩なんかそっちのけでがんがんシュートしますから。なんてったって北川さんが見てるんだし」
ギャラリーが集っている一角に向けて九條が手を振ると、背の高い女子がコンマ三秒間ぐらい手を挙げるような素振りをしてすぐにそっぽを向いた。あれが北川さん?親愛の情の表現にしてはやけに薄いな。
だが九條には別の情景が見えたらしく。
「ちょっと、今の見たっすか、呂見先輩!投げキッスですよ。いやー嬉しいなあ。俺、俄然やる気出てきちゃいましたよ」
呂見は当然のように九條を完全シカトで俺の方へ向き直った。
「それで琴悟、どんな作戦で行くつもりだ?闇雲に攻めても駄目なのは前半で嫌ってほど思い知らされたけど。もちろん、何か策があるんだろ?」
(続く)
2006/12/26
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